水曜の夜からギフトを訪ねてペンシルバニアに来ているが、今年1月にあらたにジョディのもとに養子にきたアサタが加わって、姉妹3人はえらい騒ぎ。家はもうマッド・ハウスのようだ。
(ギフトと新しい母親 http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/m/200612)
(ギフトを訪ねて http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/m/200707)
ようやくノエミがギフトという「新たなお姉さん」を持つことに慣れてきたところだったので、その時期にギフトの親友であるアサタを迎えることによって姉妹関係のバランスが崩れてしまうのではとすこし心配していたのだが、まあ今のところ深刻な問題はなさそうだ。相変わらずふざけが度を越しておこる喧嘩は絶えないが、泣いたり笑ったりしながらもみなそれなりにみなマイペースでやっている。
ひとつだけ気になったのが、ジョディはギフトやアサタに甘すぎるのでは、ということ。ジョディの性格上子供たちをきつく叱ることがほとんどないので、彼女たちは「母親」というよりも「友人」といった感じでジョディと接しているような印象を受けることが多い。アフリカの母親というのは一般的に威厳があって時には子供には恐ろしい存在でもあるので、それとは正反対に甘いジョディに対してギフトやアサタは口答えもやたら多い。もう少しびしっと叱ってもいいのでは、などと思うこともしばしばだが、まあ「友人のような親子関係」というものありえるわけだし、親になったこともない僕があれこれ言うべきでもないだろう。
昨年、ギフトについに戦争体験の精神的な後遺症がでてきて、ちょっと大変な思いをしているようだが、このことはシカゴに戻ってから書きたいと思う。
とりあえずは、「アンクル・クニ」と呼ばれながら、3人になった「姪」たちと過ごす時間を楽しんでいる。
(ギフトと新しい母親 http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/m/200612)
(ギフトを訪ねて http://blog.goo.ne.jp/kuniphoto/m/200707)
ようやくノエミがギフトという「新たなお姉さん」を持つことに慣れてきたところだったので、その時期にギフトの親友であるアサタを迎えることによって姉妹関係のバランスが崩れてしまうのではとすこし心配していたのだが、まあ今のところ深刻な問題はなさそうだ。相変わらずふざけが度を越しておこる喧嘩は絶えないが、泣いたり笑ったりしながらもみなそれなりにみなマイペースでやっている。
ひとつだけ気になったのが、ジョディはギフトやアサタに甘すぎるのでは、ということ。ジョディの性格上子供たちをきつく叱ることがほとんどないので、彼女たちは「母親」というよりも「友人」といった感じでジョディと接しているような印象を受けることが多い。アフリカの母親というのは一般的に威厳があって時には子供には恐ろしい存在でもあるので、それとは正反対に甘いジョディに対してギフトやアサタは口答えもやたら多い。もう少しびしっと叱ってもいいのでは、などと思うこともしばしばだが、まあ「友人のような親子関係」というものありえるわけだし、親になったこともない僕があれこれ言うべきでもないだろう。
昨年、ギフトについに戦争体験の精神的な後遺症がでてきて、ちょっと大変な思いをしているようだが、このことはシカゴに戻ってから書きたいと思う。
とりあえずは、「アンクル・クニ」と呼ばれながら、3人になった「姪」たちと過ごす時間を楽しんでいる。
ジョディは文化の違いや現状を「超えない」という選択をしたような気がします。「母親にならない」とか「相手の文化や思考を押さえつけない」というような選択です。なんとなくですが、私も悩んだらきっとジョディと同じ選択をするような気がします。
叱らないというよりも、叱るまで時間がかかるとも思えるんですね。いろんなことが子どもたちの心に刻み込まれすぎていて、それをまず修復することを始めて、その後に彼女たちが新しい文化に慣れるまで毎回失望や失敗の繰り返しで、それを耐えなければならななくなります。まるで、社会に叱られているような、そんな思いを持っているかもしれません。これらが終わって初めて「叱る」が意味を持つのだと思います。私はこのエントリーを読んで、ジョディは子どもと大人よりも子ども同士の育ち合いを狙っているとも思いました。
とても民主的な感じ。ジョディという人がどんな人なのかと思っていましたがなんとなく心の底にあるものがこの話しで感じ取れた気がしました。ジョディさんは、凄いですよ。アメリカの凄さというものがあるならば、そこ、ではないでしょうか。
アンクルクニ!プレゼントとか大変ですね。でも愉しみが増えましたね。