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Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

ユニセフ写真展

2006-04-22 20:00:04 | 写真展・雑誌掲載
4月24日から28日にかけて新橋の汐留メディアタワーでユニセフ主催の巡回写真展が開かれる。

田沼武能、桃井和馬、渋谷敦志の三氏に、僕の写真を加えたグループ展だ。

この写真展は共同通信社が発起して企画してくれたものだが、主催者を変えながらこの先全国をながれることになる予定。

連日単なるべた記事のようなお知らせになってしまい恐縮ですが、詳細は以下のリンクからどうぞ。

http://www.unicef.or.jp/osirase/cal/0604b.htm

対談を終えて

2006-04-08 19:34:47 | 写真展・雑誌掲載
ホテルにはほとんど寝るためだけに戻る生活で、全然ブログをアップする時間がない。今回の滞在は、友人知人と会うばかりではなく、撮影の仕事で早朝から出かけるという毎日が続いているためだ。この仕事のことについては後日書くことにする。

先日、といってももう一週間以上も前になってしまうのだが、ちひろ美術館での対談を無事終えることができた。

これは同美術館で現在開かれている僕の写真展のイベントとして企画された、美術館館長の松本猛さんと僕の写真対談だ。

会場には予想以上の100人を超える人々に訪れていただいたが、中には遠方の北海道から来てくれた方や、以前僕の写真展を各地で開いてくれた人々、さらには少年時代に僕が参加していたボーイスカウトの隊長さん(なんと25年以上ぶり!)までが顔をみせてくださり、僕にとっては嬉しい出会いの一日となった。

当初は講演というかたちで依頼されたのだが、大勢の人の前で話すのは得意ではないので、対談ならば、ということで猛さんに無理をお願いした。そのお陰といってはなんだが、それほど緊張することもなくこなせたかなと思っている。

ただ内容的にはあまり深く踏み込んだ話ができなかったので少し残念ではあったのだが、1時間という短い時間を考えれば仕方のないところだろう。それでも普段滅多に会うことができない人々と再会したり、あらたに面識ができたことは大きな収穫だった。

こういう機会を与えてくれた美術館スタッフの皆さん、また会場までわざわざ足を運んでくださった人々に感謝したい。


http://www.chihiro.jp/top.html

(写真・ 山田旬)



ちひろさんをとおして

2006-03-01 22:01:43 | 写真展・雑誌掲載
東京のちひろ美術館で僕の写真展がスタートした。

といっても、シカゴにいる僕は、自分の写真展だというのに企画の段階からほとんど手伝いらしきこともせずに、いつもの如く主催者の方々におんぶにだっこ状態。。。申し訳なく思っているのだけれど。

ちひろとは、言わずと知れたあの絵本画家いわさきちひろさんのことであるが、彼女が生前過ごした自宅兼アトリエあとにつくられたのがこのちひろ美術館だ。

やわらかいタッチで、子供を瑞々しく描いた彼女の絵は、彼女が亡くなってから30年以上たったいまでも愛され続けているが、青春時代を戦争の真っただ中で過ごしたちひろさんは「戦火のなかの子どもたち」といった著書も残している。

「軍靴の音が迫るなかで少女時代を過ごし、戦争の最中に青春を生きたちひろが、絵筆にたくして描き続けたものは、彼女の残した言葉『世界中の子ども みんなに平和としあわせを』に象徴されているでしょう」

ちひろ美術館ホームページに記されたこんな言葉からも、彼女がどういう思いで子供たちを描いていたのかを伺い知ることができるし、詳しいいきさつは尋ねそこねたが、コドモシャシン展と題された今回の展示も、そんなちひろ氏の願いを受け継ぐ展示の一環として企画されたことは容易に察しがつく。

だからこの写真展も、僕がこれまで紛争地で出会った子供達の写真を中心に編成されており、これまでのものとは少し毛色が違って、戦争の悲惨さよりも、どちらかというと人間の暖かみがより感じられるものになっているかも知れない。

ちひろさん、という媒体をとおして、人々が僕の写真と、そしてそこに写された子供たちと出会うことができる。。。そんなことをとても嬉しく、また光栄にさえ思う。尽力してこのような機会をつくっていただいた方々に感謝します。

(写真展の詳細はちひろ美術館のサイトを参照。http://www.chihiro.jp/top.html )

出会い

2006-01-09 16:56:21 | 写真展・雑誌掲載
逗子の写真展に足を運んでくれた人々から、いくつかのメールが届いた。

興味深かったのが、写真展の感想とともに、会場での人々との出会いについて語っている人が多かったことだ。

自分自身では見ていないのだが、おそらくこじんまりとした会場とじょじょさんの人柄が幸いしたのだろう、写真を見に来てくれた人達がコミュニケートしやすい雰囲気をつくっていたのだと思う。僕の学生時代の友人と会ったとか、昨年別な土地で写真展を開いてくれた主催者に会ったとか、さらには僕の母親に会ったという人まで、多くの人が、そんな「出会い」をメールで報告してくれていた。なかには、会場で出会った人と意気投合して、同じ新幹線で喋りながら帰路についたという人たちもいた。

「出会い」は面白い。

出会いはひょんな偶然でおこるので、予想もできないし、ましては計画などたてられない。いつどこでだれと「出会う」か、こればかりは天のみぞ知る、である。

僕も仕事柄、国内外を問わず、多くの人間達と出会う。その出会いをきっかけに付き合いが長く続くこともあるし、逆に出会ったそのときの一度きりになってしまうこともある。出会いが付き合いに進展し、その付き合いが、腹を割って語り合えるくらいの関係にまでなれば、それはもう人生における立派な財産になると思う。

だから僕は、初めての人と出会うことが楽しみだし、そういう機会をできるかぎり大切にしたいと思っている。

逗子の写真展

2006-01-08 11:12:51 | 写真展・雑誌掲載
僕の写真展が逗子で開かれている。

人ごとのように書いてしまったが、「僕の」というよりは「じょじょさんの写真展」、といったほうがしっくりくるからかも知れない。

じょじょさんという女性は、90年代(だと思う)に海外青年協力隊として西アフリカのリベリアに赴任していた助産師だ。その後、旦那さんの仕事の関係もあって2年程おなじ西アフリカのコートジボアールで生活し、昨年の夏に日本に帰られた。

内戦後1年がたったリベリアを再び訪れるところだった2004年8月のある日、パリの空港で乗り継ぎの飛行機を待っていると、ふと僕の耳に日本語がはいってきた。アフリカ行きの飛行機を待つゲートで日本人と出会うことはほとんどない。子供連れの家族だったこともあって、めずらしくてちょっと声をかけてみた。それがじょじょさんの一家だった。

リベリアの取材が終わってから、コートジボアールのお宅で日本食を御馳走になったりしてお世話になった。その後はメールでお付き合いさせていただいているが、アフリカ、特に西アフリカにとても強い思い入れをもっている女性である。

そのじょじょさんが、企画してくれた僕の写真展が先週の木曜日から開かれている。

彼女の人徳で集まった友人、知人達からのサポートもあっただろうが、写真に関して全くの素人の彼女が、たった一人で企画からビラ配り、展示までをおこなってくれた。たびたび彼女のホームページで準備期間の近況を拝見させていただいていたが、その情熱にはなみなみならぬものがあり、だからついに開催にこぎつけたときはまさに「じょじょさんの写真展」というべきものになっていたのだ。

2年前に拙書「ぼくの見た戦争」が出版されたあとも、多くのボランティアの人々の手によって日本の各地で僕の写真展を開くことができた。なかにはじょじょさんのようにたった一人で企画し、開催してくれた場所もあった。

本のあとがきにも記したように、以前の僕には「自己満足」のために写真を撮っている、という気持ちが強かった。いまでもそういう気持ちがあることには変わりはないし、自己満足なくしては人の心も動かせないと思っている。しかし、激しい内戦を経験し、その後のリベリアの人々と接していくうちに、だんだんと別な感情も芽生えてきた。

撮る者には撮ることに対する責任がある。

僕の撮った写真を見た人達の気持ちを、結果として紛争地で苦しむ人々を助ける行動に結びつけること。。。そんな当たり前とでもいえる「撮る者の責任」が最近ようやく明白に見えるようになってきたような気がするのだ。新聞や雑誌の読者や、写真展に足を運んでくれた人々からの募金で、少数ではあるにせよリベリアの子供達の学費をまかなったり、家庭を助けることができるようになった。

写真を撮るときにはたった一人でも、どんな形であれそれが公の場に発表されるまでには多くの人々が関わることになる。じょじょさんをはじめ、こういった人達の尽力があるからこそ僕の写真の存在価値がでてくる、ともいえるのだ。



(写真展の詳細はじょじょさんのページへ)

http://plaza.rakuten.co.jp/shasintenseikou/