アマチュア無線局  JA2KOWの苦(好)戦的奮戦記

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中国人観光客のビザ要件、一段緩和へ 所得制限下げ検討=関係筋

2017年03月31日 09時34分29秒 | 日本で犯罪を繰り返すシナ・朝鮮人 ベトナム 同和 その他
政府内で中国人観光客のビザ要件緩和策が、浮上している。有効期間中に何度も訪日できる「数次ビザ」の年収制限について、現在の実質400万円程度から300万円程度まで引き下げる方向で検討が始まった。複数の関係筋が明らかにした。中国人観光客の爆買いは減少したが、何度も日本を訪れるリピーターが増加している現状を反映し、さらなる訪日客増加につなげたい考えだ。
日本への入国でビザが必要な近隣主要国は、中国、ロシア、インド、ベトナム、フィリピンなど。韓国や台湾、香港、米国はビザが免除されている。安倍晋三政権下で、随時要件緩和を進めており、昨年5月にも中国など5カ国のビザ要件緩和を戦略的に進めていく方針を打ち出していた。
現在、中国人訪日客が数次ビザを取得するには、
1)沖縄・福島・宮城・岩手県を訪問する、
2)もしくは相応の高所得者である必要──の用件がある。

外務省は所得制限の金額について公表していないが、旅行業界などでは実質20-25万元(400万円台)とみなされている。今回、政府内で検討され始めたのは、これを実質300万円台まで引き下げるという緩和策。「不足傾向だった国内宿泊施設の増加ペースなどを見ながら今後、適切なタイミングで打ち出していきたい」(政府・与党関係者)という。
訪日(インバウンド)客拡大は、アベノミクスで最も成功している経済政策のひとつ。2011年(暦年)には年間621万人だった訪日客が16年には2400万人まで拡大、政府は2020年4000万人、2030年6000万人の目標を掲げる。政府内には、17年度に前年度比20%増の2880万人も可能という見方もある。
特に拡大しているのが中国人観光客。11年の104万人から16年は637万人まで拡大し、訪日客の4人に1人を占める。百貨店や電気店などでの爆買いこそ一服しているが、紙おむつや化粧品など日用品の購入は、統計上では把握できないものの拡大傾向が継続している。

@安倍政権で支持できない政策があるとすれば、これと、昭恵の放し飼い。

過酷な漂流58日間、フィリピン人漁師が語る 日本の漁船が救出

2017年03月31日 09時04分38秒 | フィリピン アジア関係


フィリピンを出港後に遭難し、海上を約2か月間漂流した後にパプアニューギニア沖で日本の漁船に救助された漁師のローランド・オモンゴス(Rolando Omongos)さん(21)が29日、空路帰国し、死や絶望との直面しながら飢えや乾きと闘ったサバイバル生活について語った。
オモンゴスさんは3週間前に救助され、生まれて初めて乗ったという飛行機でマニラ(Manila)の空港に到着。「やっと助けられたときは、泣きやまなかった。弱りすぎて立てなかったので、運び出してもらわなければならなかった」と述べた。
乗っていたのは、全長2.5メートルの小型ボート。雨水と船体に生えてくるコケを口にして生き延び、熱帯の強い日差しを避けるために頻繁に海中へ潜った。
別の小型ボートで一緒に遭難したおじのレニエル・オモンゴス(Reniel Omongos)さん(31)は、おそらく飢えと熱射が原因で遭難から1か月後に亡くなったという。オモンゴスさんはおじの遺体を数日間、自分のボートにとどめていたが、腐敗してきたため海に流したという。そのときには「神様、おじをよろしくお願いします。誰かがこのことを家族に伝えるためにも、僕は生きなければならないのです」と祈ったという。

昨年12月21日に2人が他の巾着網漁船とともに出発したのは、フィリピン南部セレベス海(Celebes Sea)に面したジェネラルサントス(General Santos)。しかし1月10日、嵐のせいで母船とはぐれ、その5日後には燃料が切れた。
救出された後のオモンゴスさんはジェネラルサントスから3200キロ以上北西に離れたパプアニューギニアのニューブリテン(New Britain)島に送り届けられた。
おじがまだ生きているうちに2人は、ボートが大波によって沈むことがないよう、浮力を高めるためにエンジンを海中に捨てたという。「毎日少なくとも4隻もの船が近くを通って行った。僕は手を振ったけれど、どの船もまったく止まらなかった」。3~5キロ離れたところから小型ボートは見えなかったのだろうという。だが「希望は捨てなかった。ずっと祈っていた。少なくともどちらか1人は家に帰らなければならないと自分に言い聞かせ続けた」と語った。
「Wakaba Maru」という日本の漁船に発見されたときには、オモンゴスさんは何日間かに1回コケを食べるだけの状態で非常に衰弱し、61キロあった体重は20キロ台まで落ちてやせ細っていた。
オモンゴスさんは小学校6年で卒業した後はずっと漁をやってきたが、30日にジェネラルサントスに帰郷した後、2度と船には乗らないと誓い「たぶん学校に戻るつもりだ」と語った。

@若葉丸、いい日本人に遭遇しましたね。日本では、AFP以外報道していません。私は、ジェンサンにも行った事がありますが、イスラムゲリラの支配地域で、モスクからコーランが流れます。日本人と分かれば、必ず金目当てで拉致されます。