クリスマスマルクトで考えたこと。

2010年12月19日 | ドイツの暮らし

クリスマスまであと一週間。先週末は僕も久し振りに妻と連れ立って、
クリスマスマルクトに出かけた。
デュッセルドルフやケルンのような大きな街では、クリスマスマルクト
自体も観光化、商業的なイベントと化している。
それで、今日は近くの村の元農園で開かれている小さなクリスマス・
フリーマーケット、手作り市に足を向けた。
個人、グループ、ボランティアの人達がそれぞれに出店を出している。





ところで、いつも不思議なことがある。なんで日本でクリスマスを
祝うのだろうか。キリスト教信者の方々は別としても、僕達の歴史や
文化、暮らしに何の関係もない。
宗教的な伝統行事がこの百年間、工業国ではどこの国でも世俗化、
商業化したけれども、何の関係もないモノをここまで表面的、皮相的
に取り入れて、みんなで楽しむ、それを訝る人もいない。
秋の新酒、冷やおろしは忘れて、ボージョレを楽しむ。
元旦の静謐はなくなり、正月三が日は陰を薄めて行く。







日本に年に三回は戻るけれども、年を追うごとに分からないことが
増えてくる。日本はますます、不思議な国になっていく。
それでも、僕の故郷だから恋しくてたまらない。ただ、新しい日本には
ますます興味が薄れていく。古い日本が新しい時代の中で受け継がれ、
発展して行くことには関心がある。自分もその一助にはなりたいと心から
思う。

クリスマスからお正月まで、ドイツでは時間がゆっくり流れて行く。
自分でもこのことについてはよく、よく考えてみたいと思う。