ドイツの『集い』ー 暮らしの中の祝祭

2017年11月07日 | ドイツの暮らし

ドイツの暮らしで僕が素敵だなと思うこと好きなこと、ないし、
僕の最初の半生を送った日本では自らはあまり経験したことがなく、
今も自分の中に自然体で有る訳ではあまりないけれど、
「これは良いなぁ〜」と思うこと。

友達や家族が集まって、幾つになってもその人の誕生日を手作りで
皆んなでお祝いし、そのお祝いが同時に友達や家族の大切な集いで、
「今日は集まって、皆んなで沢山の時間をしっかり過ごそうよ!」
という時間への感覚、すなわち、皆で作り出す、暮らしの中の祝祭の
時間に対する、はっきりした意識。

それは、誕生日にレストランに行ったり、外に美味しいものを食べに
行くのとは、また別物だろう。

自らの時間や手間を惜しまず、他力本願やお金本願でなく、
何日も時間かけて、準備して「今日は良い日だね!」という集い、
その瞬間を作り出すこと。

それがドイツで過去30年間、僕が様々なかたちで経験することに
なった『ホームパーティ』というより、『集い』の姿だ。

昨日はそんなことで、近所の友人仲間の内、三人の、そのうちの
一人がウチの奥さんを含めた合同の誕生会、皆んな、20年を超えて、
優に50代後半以上になった、そこに同時に、ドイツ伝統の一年に
一回の鵞鳥のローストを食べる会が重なって、皆でワイワイガヤガヤ、
沢山食べて、沢山話して、しこたま呑んでの朝の三時までの楽しい会
だった。

暮らしの文化の姿はいろいろだ。
そして、その何処でも個々の生活のしんどいことや苦しいことなどは
互いに共有することはなかなか出来ないけれど、本物の笑顔や人生の
愉しさを分かち合えられれば、それはそれだけでもう人生の幸福の
一つだろう。