30坪+20坪の菜園

BIG FARMの農事日誌です。

ソラマメが終わると夏が来ていた

2012-06-18 | ソラマメ

外出時はキャッシュカード、クレジットカードそれに病院の診察券を持って出る。診察券が混じっているのが自分でも不思議と思うのだが、サイズが同じだから一緒に持ち歩いているだけのことである。それにしても診察券の数が増えてたまった。体の上から下まで各種専門病院の診察券がある。枚数を数えながら、年を取るということはこういうことなんだなと、納得している自分がいる。いつの間かそんな現実に慣れていた。いま歯科に定期健診で週に一回通っている。定期健診は4,5カ月ごとに行っている。前回に続き今回も抜歯があった。歯磨きは朝夕これでもかと励んでいるのだが、それでも悪くなる。そのスピードを歯磨きで懸命に抑えている。それでも駄目だ。抜かれた歯をみながら、長い付き合いだったね、といたわりの言葉をかけた。

津村節子著「紅梅」(文藝春秋)を読み終えた。夫である吉村昭氏の闘病をかいたものだ。吉村氏は私の好きな作家の一人で、最初に読んだのは「高熱隧道」だった。これは若いときに一気に読みとおしたことを覚えている。40代ではよく全集を手にした。「紅梅」の最後に吉村氏は逝く。ここまでガンと闘わなければならないのか。私はいたたまれない気持ちだった。余韻をすぐに断ち切るかのように本をばたんと閉じて立ちあがった。

***

5月27日に初収穫して以来、毎晩のように取れ立てが食卓にのった。毎日一所懸命に食べ続けた。ここにきてとうとうおしまいになった。4株を自家採種用に残してすべて食べ尽くした。

ソラマメの話である。ことしのソラマメは、なんども書くが2年ぶりにうまくできた。薬剤さまさまである。こんなにも手間がかからなかったのははじめてだ。周囲を見ると、うまくできた畑あり、失敗した畑ありと、それぞれである。

私は安上がりにできているのか、初物を一度食べれば、それだけで気が済む。すっかり満足してしまう。一度切りなのに、十分食べたという気になってしまう。うまいものはなんどでも食べたいと人はいうが、私は違うようである。たとえばいまの季節のサクランボ。大好物ながら、これだって一度食べると、充足してしまう。もちろん2度も3度も出るとそのたびに手が出るのだが、初物との対面のときと違って感激は薄れている。

ソラマメはきょうまで毎日食べていた。やはり最初のときのありがたい感激は日々なくなっていくのがわかる。それでも畑にあるのだから食べないわけにはいかない。酒のつまみにあたりまえのように毎晩食べていた。食卓にあることが当たり前の風景になっていた。

ゆでたものにあきてきたころ、サヤつきのまま焼いてみた。最近テレビでよく見かけるようになった食べ方だ。毎年気まぐれにやってみるのだが、どうも私の口にはゆでたものが合うらしい。そのことをわかっていながら、一度は焼きソラマメをやらずにいられない。

あれほど待ちに待ったソラマメ。最後は惰性のように食べていた。きっとソラマメにはつれないやつだと思われただろうが勘弁してもらうことにして、ソラマメを食べ終わると、今年も夏が来ていた。


         

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 梅雨時のジャムにはルバーブ... | トップ | 台風4号に薙ぎ倒されたトウモ... »
最新の画像もっと見る

ソラマメ」カテゴリの最新記事