9月5日(木)13時30分から 尼崎市立中央北生涯学習プラザで歴史講演会「紫式部が生きた時代」が行われました。
講演会名:尼崎郷土史研究会 令和6年度 第2回歴史講演会 「紫式部が生きた時代」
講師:神戸女学院大学文学部総合文化学科 准教授 栗山圭子氏
講演要旨(案内チラシより):今年度の大河ドラマ「光る君へ」の主人公は紫式部です。『源氏物語』 の作者として、紫式部の名を知らない人はいないでしょう。ですが、紫式部がいつ生まれたのか、またいつ亡くなったかは正確には分かりません。そもそも「紫式部」も紫式部の実名ではありません。紫式部は中宮彰子に仕えた女房であると説明されますが、女房は、あるいは中宮とは、平安貴族社会でどのような存在だったのでしょうか。紫式部という人物について名前は知っているけれど、実はその実像についてはよく知らない、という方も多いのではないでしょうか。 講演では、紫式部と彼女の主君である中宮彰子を素材に、平安時代における女性の生き方や社会的な位置についてお話します。
講演は配付されて資料とスライドをもとに行われました。
とてもわかりやすく説明していただきました。概要を記します。
女房とは:宮中に仕えた女官で出身により上臈、中臈、下臈に分けられ房を与えられた。
出仕先により
・上の女房(内の女房):天皇に奉仕、出身序列により 乳母、典侍ー掌侍、命婦ー女蔵人に分けられ清涼殿西廂にある大盤所が詰め所だった。(大弐三位:紫式部の娘・・・後冷泉天皇に奉仕)
・宮の女房:中宮、皇后など立后したキサキに奉仕。(紫式部・・・彰子に奉仕、清少納言・・・定子に奉仕)
・家の女房:親王、上級機族、立后前のキサキに奉仕。(赤染衛門など)
女房の職務は
・衣食住の奉仕
・取り次ぎ
・娯楽や諮問の相手、教育係、記録係(紫式部日記、枕草子は中宮の記録を残すという面があった)
国母(天皇母)は摂関政治の中で重要な役割を持っており、外祖父(父)、外叔父(兄弟)と共に政治を領導。娘の立后や摂関人事や政務運営に係わり、母后朝事を専らすともいわれた。
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