7月7日(火)、7月度 信長公記を読む会がありました。新しい生活様式(手指の消毒、マスク着用、窓を開けて換気を十分にする)で再開してから二回目の会、欠席者が多く参加者は9名でした。
テキストは巻十(天正5年)の10月23日(羽柴秀吉播州出陣の事)から・・・。前回は本文は進まなかったので同じ場所からでした。前回先生からお聞きしたことは、今回配布された会報 『信長公記』余録 に掲載されていました。今回もその延長上のお話しから始まります。
レジュメの年表、書簡などを駆使して先生はこの頃の摂津・播磨・美作・備前・備中・但馬の情勢や秀吉の播磨・但馬攻略について話をされる。秀吉はバラバラだった広い播州をあっという間にまとめたあと、但馬攻略に動き、山口・岩洲、竹田城を落とす。秀吉が但馬に入ったことを示す資料としてはレジュメの「但州室尾寺宛金製木札)」がある。
また「信長公記」には但馬攻めの詳細が書かれていないが、レジュメの「武功夜話」には詳しく書かれている。「武功夜話」は文章からみると当時書かれたものではないようだが、引用する学者は多いそうだ。内容についてどこまで信じていいのであろうか。
そのほか文書の「比定」の話などためになる話が多かった。