一立斎広重の「名所江戸百景」は、川を描いた風景が
多く描かれている。江戸の川といえば“隅田川”だ。
安政5年(1858)7月の改印がある「江戸百」78景
「鉄砲洲築地門跡」(てっぽうずつきじもんぜき)。
隅田川の築地一帯を当時は、鉄砲洲といっていた。
何でも鉄砲の形に似ていたとか、大筒の試射場だったとか、
諸説ある。
築地といえば、築地本願寺。当時の本堂は壮大で
どこからでも大屋根が見渡せたといわれる。元は元和3年
(1617)、京都西本願寺別院として浅草近くの横山町に
創建された。それが、明暦の大火(1657)で焼失し、
延宝7年(1679)に築地に移して再建された。
現在の本堂は、関東大震災後に建てられた古代インド
様式の建物だ。写真では、右の建物が東京新阪急ホテルが建ち、
築地本願寺は見えない。隅田川東側のリバーサイドより撮影。
(中央区月島1丁目辺り)
多く描かれている。江戸の川といえば“隅田川”だ。
安政5年(1858)7月の改印がある「江戸百」78景
「鉄砲洲築地門跡」(てっぽうずつきじもんぜき)。
隅田川の築地一帯を当時は、鉄砲洲といっていた。
何でも鉄砲の形に似ていたとか、大筒の試射場だったとか、
諸説ある。
築地といえば、築地本願寺。当時の本堂は壮大で
どこからでも大屋根が見渡せたといわれる。元は元和3年
(1617)、京都西本願寺別院として浅草近くの横山町に
創建された。それが、明暦の大火(1657)で焼失し、
延宝7年(1679)に築地に移して再建された。
現在の本堂は、関東大震災後に建てられた古代インド
様式の建物だ。写真では、右の建物が東京新阪急ホテルが建ち、
築地本願寺は見えない。隅田川東側のリバーサイドより撮影。
(中央区月島1丁目辺り)