KCF的徒然草

KouChan's Factory管理人の心の叫びor反省文

呑気な学生が見た、20年前のあの日

2015-03-20 21:59:29 | 日記・エッセイ・コラム
地下鉄サリン事件から、きょうで20年。

あの日、何も知らずに猛毒サリンを浴び、亡くなられたり、重い障害を今も抱え続けている人を思うと、胸が痛くなる。


事件を起こした教団は、今も名を変え、活動を続けている。

あの事件を知らない世代が増えているという。

そして、そういう教団にすがってでも、救いを求めようとする人がいることも、知っている。


当時の教団幹部は、所謂インテリと呼ばれた人ばかりだった。最初のころは毎日TVのバラエティー番組に出演することも多く、面白い集団というイメージしかなかった。

なので、ちょうどぼくらの世代の若者がどんどん入信していった。中学の同級生も何人か入信した、と言う話もちらほら聞いた。

宗教に特に興味のなかった自分は、遠巻きにそれをみていた。厳しい修行に高額なお布施・・・経済界ではすでにバブル崩壊が起きていたが、感覚的にはまだバブルだったなぁと思う。

しかしそのころから、深夜のニュース番組を見ていると、連日女性キャスターと教団幹部の対談を報じていた。教団が信者を拉致監禁しているのではないか、化学工場で何かを作っている、その真相は何か?それらについて教団は「一連の事件は、すべて教団と無関係です」。またある時は「国家権力の陰謀です」そう繰り返していた。


この年、1995年の前半は、年始の大地震とともに、どこか非日常な雰囲気だったようにぼくは思う。現実がドラマ化したように日々状況が大きく変わっていく。外国で起きてるとばかり思ってた戦争、紛争がまさかこの日本でも起きたのか?世界一安全と思われた国が、ちょっとしたきっかけで崩壊するのを、TV越しではあるが、垣間見た気がする。そしてその頂点が、霞が関駅を狙った無差別殺人事件だった。

事件後、犯行に関係した者が次々逮捕され、ついには教祖の逮捕、そして裁判が始まるころには、そんな非日常も終わろうとしていた。

ようやく時代が次のステップに移り変わる。10年以上長く続く、いわゆる平成不況というものへ。現状維持することが精いっぱいと思われる時代に入っていった、ように思う。
コメント
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