近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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平成29年7月24日井上靖「猟銃」読書会

2017-08-09 22:24:34 | Weblog
 こんにちは 暑さが続きますがみなさまいかがお過ごしでしょうか
遅くなってしまいましたが、7月24日に行われた井上靖「猟銃」の読書会について、ご報告をさせていただきます。
司会は3年吉野です。

 昭和24年10月「文学界」に発表された「猟銃」は井上靖の文壇的処女作です。ほぼ同時期に発表された「闘牛」とともに第22回芥川賞候補作となりました。
発表当時はおおむね好評だったようですが、「闘牛」など同時期の作品と比べられることが多く、「通俗的」「彩子の遺書は蛇足ではないか」などの指摘もあったようです。

 作者が三好行雄との対談で「何だか新しい、楽しい、美しい小説を書きたいという気があったのです」と述べていることから、表現についての分析や、散文詩「猟銃」と作中作の散文詩「猟銃」との比較検討についての先行論が見受けられました。また、書簡体形式であることに注目し、登場人物の関係性について論じる先行論や、作中当時の社会背景を読み込もうとする論など、様々な角度から論じられています。

 今回の読書会では、まず三通の手紙の順番に着目する意見が出ました。
三人の女性から三杉のもとに届いたそれぞれの手紙は、年齢順に配列されています。
あたかも少女性→女ざかり→死という順番に並んでいる三通の手紙はまるで女性性を強調しているようだという議論が交わされました。そして、手紙の順に開示されていく情報について議論は展開していきました。しかし三人の女性の手紙に書かれた三杉はそれぞれの登場人物から見た三杉にすぎず、「私」の想像する三杉像との乖離も併せて考えると、結局三杉穣介という登場人物の焦点化はなされないのではないかというご意見が出ました。
 また、「私」の存在意義については、「彩子の蛇」も三杉は知っていたのではないかという問題提起をできるのは「私」のみであり枠組みを越えてくる三杉像が立ち上がるのではないか、そしてそのようなところが、メロドラマから一歩踏み込んだ作品になっているのではないかというご意見を岡崎先生から頂きました。
また、岡崎先生からは「私」が語りすぎなのではないかというご意見も頂きました。これについては、三通の手紙の「三杉」と三杉の手紙の「三杉」(自分の孤独を自分で説明する三杉)の違いを受け取った上で、物語の末尾に三杉の孤独を裏書する存在として、「私」が語ったのではないかという議論が展開されました。つまり、散文詩「猟銃」の「白い河床」の三杉の解釈と「私」自身の「白い河床」=「猟銃の本質的な性格」の解釈の一体化、「私」と「三杉」の共犯関係が描かれているのではないか、という意見が出ました。

「猟銃」は普段例会で扱う作品の中では比較的長めの部類に入りますが、その長さをまったく感じさせず読めてしまうところに、井上靖のストーリーテラーとしての力量が感じられますね。前期の締めくくりとして、楽しい読書会になっていれば幸いです。

前期の例会はこれで終了となります。夏休みも納会や合宿、勉強会など盛りだくさんですが、有意義なものにしたいですね。
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