近研ブログ

國學院大學近代日本文学研究会のブログです。
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葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」例会

2012-06-13 21:25:41 | Weblog
こんばんは、2年の今井です。

6月11日は葉山嘉樹「セメント樽の中の手紙」の研究発表を行いました。
発表者は2年の佐藤さん、司会者は今井でした。


本発表は与三の視点について論じるもので、作品の冒頭から女工の手紙の前までを第1段落、手紙を第2段落、手紙を読み終えた後から最後までを第3段落と区切り論を進めていました。

本文分析を要約させていただきます。
第1段落では、与三は仕事以外のことは構っていられないコンクリートのように硬化した存在として描かれている。加えて家族の存在により苦しい生活に縛り付けられており、家庭でも硬化した存在である。

第2段落の女工の手紙は物語のように書かれていて、その語り方は手紙の受け手に同情を求めるのもとして機能している。語調の変化は女工の悲しみをより強調し、手紙の受け手を自分の近くまで引き寄せている。また、手紙には女工と恋人の身の上を労働者に共感してもらいたいという思いが強く表れている。セメントになった恋人が低賃金の労働者とは反対の立場と言える資産家のために使われるのが「見るに忍び」ないと思う気持ちが、女工や恋人と同じ労働者ならば理解できるだろうと訴えているのである。

第3段落での与三は手紙を読んだことにより周りの見方が変化している。与三は労働者の悲しい現実を見ながら何もすることのできない状況に憤りを感じつつもできるなら現状を打破してみたいと望み、そして自分を縛り付ける存在だった子供たちと嬶は自分とともに生きていかなければいけない家族という存在であることを見出す。

まとめとしては、女工の手紙は労働者としての共感を強く求めることで与三の価値観に影響を与えた。第1段落で仕事と家族に縛り付けられ硬化していた与三は女工の手紙を読むことで、7人目の子供を含めた家族は労働をしながら守っていかなければならない存在であるという現実を受け入れた。しかしこれは家族によって縛られているのではなく家族と共に生きる与三という姿を映し出しているとされていました。


いただいたご質問とご指摘をいくつか簡略化して挙げさせていただきますと「女工の手紙が与三にどのように作用したのか、また価値観にどんな影響を与えたのか」「与三は家族に対してだけでなく労働者としての現状やその原因が世の中にあることを自覚し問題意識を持てるように変化している。第1段落で世の中に対して漠然と無自覚に持っていた意識が明確化されているといえる」「大切な恋人の服の裂を渡したのはなぜか」「手紙を書いている時点ではまだ樽に手紙を入れていないのに入れたとあるのはどういう意味か」などでした。

顧問の岡崎先生からは「第3段落で与三は希望だけでなく絶望も味わっていて二重性がある」「「いヽえ、ようございます」には女工が理知でやりきれなさを解決しようとしたことが表れているが、そのあとで感情があふれてしまっている。切ない。おぞましいものと受け取られかねない裂を与三にも読者にも女工のかけがえのないものとして受け取らせるところに葉山のテクニックがある」「与三は過酷な労働に身を置きながらも人間性を完全に失ってはいない。小箱を拾い上げる純粋な好奇心がある人物。だからこそ奇跡的に女工の手紙を手にし、変容できる」「最後に与三の心境をすべて説明してしまうのではなく、第1段落と第3段落とで表記を変えることで読者にその心境を感じさせようとしている」などのご意見ご指摘をいただきました。


登場人物の心境の推移・対応関係を丁寧に押さえて行きたいと思いました。心境の推移は語り手に説明されたり言葉として出たりするだけではなく行動にも表れるので、そこにも注意して読んで行きたいです。

次回は有島武郎「一房の葡萄」の例会です。
では、失礼いたします。

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