こちらも更新が遅くなり大変申し訳ありませんでした。
10月8日の例会は堀辰雄「不器用な天使」二週目の発表でした。
今回の副題は
「僕」の無意識と三人の関係
です。
まず、参考資料として昔のカフェについて紹介してくださいました。
前回の発表と同様に現在終止形と完了形の文体をもとに鑑賞を進め、「僕」の無意識の心理を読み取りながら、槇とシャノアルの彼女との関係についても論じてくれました。
再びシャノアルに来店した「僕」に歩みより目を合わせたのは彼女の方で、それから彼女は「僕」意識するような振る舞いをしている。
しかし、「僕」は彼女が自分を愛していることを信じようとしながらも、彼女を簡単に見失ってしまう。
まとめとしましては、
「僕」は彼女から愛されることを求め、彼女から愛されていたがとうとう受け入れることが出来なかった。
当時の物語を冷静に語ろうとする「僕」でさえ気づいていないが、「僕」は槇に恋愛感情を抱き、語る物語と語られる物語とのあいだに齟齬が生じている。
と論じられました。
この論に対して、シャノアルの彼女が目を合わせたりしたことだけで愛情だと言えるのか。
といったご意見が出されました。
先生からは、彼女の気持ちはわからないと見るべきであり、この小説は「僕」の目線でしか見えていないことに着目しなければならない。
そして彼女の槇と「僕」への対応が違うことは押さえておく必要がある。
無意識だけでなく、僕が気持ちに気づくことにも注目することができ、泣きそうな「僕」からは槇への思いに気づかされる。
また、シャノアルの女を彼女と呼び、ジジ・バアの女と比べ特権化していたのに
シャノアルの女もジジ・バアの女と対等なものとして捉え、最終的には二人とも消えてしまう。
これは、「僕」が槇の目線から女性たちを見ていたことに気付いたということになる。
「僕」を相対化してみると、槇目線から女性を見ているという無意識を認識していく物語と読むこともできる。
そして、堀辰雄という作家は当時の女性が置かれている立場に疑問を感じ、新しい人間観を見出だしたい作家であった。
そんな新しい人間関係を気付くことにあわてふためく人物たちを書こうとしている
というお話をいただきました。
次回の例会は、夏目漱石「それから」卒論中間発表です。
2年 佐藤聡美
10月8日の例会は堀辰雄「不器用な天使」二週目の発表でした。
今回の副題は
「僕」の無意識と三人の関係
です。
まず、参考資料として昔のカフェについて紹介してくださいました。
前回の発表と同様に現在終止形と完了形の文体をもとに鑑賞を進め、「僕」の無意識の心理を読み取りながら、槇とシャノアルの彼女との関係についても論じてくれました。
再びシャノアルに来店した「僕」に歩みより目を合わせたのは彼女の方で、それから彼女は「僕」意識するような振る舞いをしている。
しかし、「僕」は彼女が自分を愛していることを信じようとしながらも、彼女を簡単に見失ってしまう。
まとめとしましては、
「僕」は彼女から愛されることを求め、彼女から愛されていたがとうとう受け入れることが出来なかった。
当時の物語を冷静に語ろうとする「僕」でさえ気づいていないが、「僕」は槇に恋愛感情を抱き、語る物語と語られる物語とのあいだに齟齬が生じている。
と論じられました。
この論に対して、シャノアルの彼女が目を合わせたりしたことだけで愛情だと言えるのか。
といったご意見が出されました。
先生からは、彼女の気持ちはわからないと見るべきであり、この小説は「僕」の目線でしか見えていないことに着目しなければならない。
そして彼女の槇と「僕」への対応が違うことは押さえておく必要がある。
無意識だけでなく、僕が気持ちに気づくことにも注目することができ、泣きそうな「僕」からは槇への思いに気づかされる。
また、シャノアルの女を彼女と呼び、ジジ・バアの女と比べ特権化していたのに
シャノアルの女もジジ・バアの女と対等なものとして捉え、最終的には二人とも消えてしまう。
これは、「僕」が槇の目線から女性たちを見ていたことに気付いたということになる。
「僕」を相対化してみると、槇目線から女性を見ているという無意識を認識していく物語と読むこともできる。
そして、堀辰雄という作家は当時の女性が置かれている立場に疑問を感じ、新しい人間観を見出だしたい作家であった。
そんな新しい人間関係を気付くことにあわてふためく人物たちを書こうとしている
というお話をいただきました。
次回の例会は、夏目漱石「それから」卒論中間発表です。
2年 佐藤聡美
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