元気な高齢者こそ使いたい電子機器

80歳を過ぎても、日々の生活を楽しく豊かにする電子機器を使いこなそう

今となってはほぞ(臍)をかむ思いになる、衆参ねじれ解消の結果のオソマツ。

2015年05月26日 19時35分54秒 | 日記
 少々日も経ってしまったが、「大阪都構想」是か非かの住民投票も反対票が1万票ほどの僅差で上回り、橋下徹氏の政界引退談話のおまけがついて終了した。

 筆者が時々引用させてもらっている内田 樹氏のコラムが、核心をついた内容であるので、貼り付けておきます。

 今回の大阪都構想は、いわゆる政令指定都市を抱えた府県で問題になる、二重行政のロスを無くすために府市を統合すべきだという構想を、実行するかしないかの論争であった。

 しかし内田氏は「府県と政令指定都市の間に権限の重複が発生するのはほとんど制度的必然である。そこを調整するのが「間に立つ人」の知恵の見せ所ではないのか」と指摘する。

 確かに行政のどのようなシステムを採用しても、完全であるというものは存在しない。

 この大阪都構想で、悪い見本のような実例として度々持ち出された、りんくうゲートビルタワービルとWTCビルの例があるが、「これは府と市がバブルに浮かれて無駄なハコモノに桁外れの税金を投じたことがきびしく批判された事例だが、考えればわかるが、これは二重行政の特産物ではない。バブル経済の先行きについての楽観に基づいて巨大なハコモノに莫大な税金を投じた府市の役人の犯した失敗である」と指摘する。

 極論すれば、例え統合された後であっても、今後バブルに浮かれる事態が発生すれば、役人はもっとひどい無駄な建築物を作る可能性もあると言えるのだ。

 結局、役職に携わる人間に知恵がなければ、どんな行政機関になろうとも結果が良くなるはずがないだろう。

 そして内田氏は、現在の国の制度でもある「三権分立も両院制も政令都市制度も、どれも権限と責任を分散し、一元的にことが決まらないようにわざわざ制度設計されている。その本旨を理解し、その複雑な仕組みを運用できるだけの知恵と技能をこれらの制度は前提にしており、それを市民(筆者が追加:国民)に要求してもいる」

 衆参のねじれが原因で、決められない政治と大手メディアがさんざん批判を繰り返し、自民・公明党に衆参両議院ともに多数を与えてしまった結果、成立しているのが現安倍政権である。

 そして今、冷静に政治の現状を考えてみよう。 憲法9条の縛りも平気で拡大解釈を行い、過去の自民党でも認めていなかったような安保法制を成立させようとしている。

 一見物事が進まないように見えた衆参のねじれ現象も、実は国民の意思であったのだ。


(内田 樹の研究室より貼り付け)

朝日新聞への寄稿
内田 樹
2015.05.22

 5月21日の朝日新聞夕刊に住民投票の結果を承けて一文を寄せた。
 朝日読者以外のかたのために再録しておく。
 
 いわゆる「大阪都構想」と呼ばれる大阪市の解体構想についての住民投票が終わり、構想は否決された。

 数千票が動けば勝敗が逆転するほどの僅差だった。だから、この結果について「民意が決した」とか「当否の判定が下った」というふうな大仰なもの言いをすることは控えたいと思う。賛否いずれの有権者も「大阪の繁栄」と「非効率な機構の改善」と「行政サービスの向上」を願っていた点に違いはない。賛否を分けたのは、その目標を実現するためにどのような方法を採るのか、「急激な改革か、ゆるやかな改革か」という遅速の差であった。「独裁的、強権的」と批判された市長の政治姿勢も、賛成派には「効率的でスピードのある改革のためには必要な技術的迂回」と見えたことだろう。だが、遅速の差は、まなじりを決して、政治生命をかけて戦うほどのことなのだろうか。そんなのは話し合えば済むことではないのか。この常識を誰も語らなかったことに私はむしろこの国を蝕んでいる深い闇を見る。

 二重行政のロスが大きいと言われたが、府県と政令指定都市の間に権限の重複が発生するのはほとんど制度的必然である。そこを調整するのが「間に立つ人」の知恵の見せ所ではないのか。戦後、五大都市から始まった政令指定都市がいまの日本には20ある。大阪市以外の19の都市はどこも二重行政解消のために政令指定都市を解体して特別区に割るというようなアイディアを採用していないし、検討してさえいなかった。府県の持っていた権限の一部を市に委譲すれば「グレーゾーン」が生じるのは当たり前であり、それがもたらす混乱を最小化することが行政官の仕事だという常識が大阪以外の都市ではたぶんまだ通用していたのだろう。

 制度設計がどれほど適切でも、運用者に知恵と技能がなければ、制度は機能しない。逆にどんな不出来なシステムでも、「想定外のできごと」に自己責任で対処できる「まともな大人」が要路に一定数配されていれば、システムクラッシュは起きない。

 私は別に「制度か人間か」の二者択一を迫っているのではない。どちらも必要に決まっている。違うのは、制度を壊すのは簡単で、大人を育てるのは時間がかかるということである。「都構想」をめぐる議論の中で私は賛否いずれからもついに一度も「システムを適切に管理運用できる専門家の育成」という話を聴かなかった。聴かされたのは制度問題だけである。

 大阪の二重行政の最悪の事例として、りんくうゲートビルタワービルとWTCビルのことが何度も出て来た。府と市がバブルに浮かれて無駄なハコモノに桁外れの税金を投じたことがきびしく批判された事例だが、考えればわかるが、これは二重行政の特産物ではない。バブル経済の先行きについての楽観に基づいて巨大なハコモノに莫大な税金を投じた府市の役人の犯した失敗である。仮にバブル期の時点でもし府市が統合された「大阪都」が実現していたら、巨大な権限を持った「都」の役人の裁可で出現したハコモノの巨大さ(そして空費された税金の額)は想像を絶したものになっていたに違いない。

 私たちの国が現に直面している危機の実相は「かなりよくできた制度」が運用者たちの質の劣化によって機能不全に陥っているということである。三権分立も両院制も政令都市制度も、どれも権限と責任を分散し、一元的にことが決まらないようにわざわざ制度設計されている。その本旨を理解し、その複雑な仕組みを運用できるだけの知恵と技能をこれらの制度は前提にしており、それを市民に要求してもいる。

 権限をトップに一元化して、下僚は判断しない代わりに責任もとらないという仕組みの方が「効率的だし、楽でいい」とぼんやり思う人が過半を制したら、市民社会も民主制は長くはもつまい。

  今回の住民投票は「簡単な話を複雑にした」という結果になった。大阪市の抱える問題はひとつも解決しないまま残ったが、あえて「面倒な仕事、複雑な手間」を選んだ大阪市民の「市民的常識」を私は多としたいと思う。

(貼り付け終わり)


ヤマダ電機の地方店舗閉鎖に見る、日本の消費購買力の実体は?

2015年05月25日 15時40分00秒 | 日記
 日本最大の家電量販店のヤマダ電機が、郊外型店舗の37店を閉鎖すると言うニュースは、NHKなどでも大きく報じられた。

 デジタルTVの普及以降、家電販売が大幅に減少して、白物家電やデジタル家電の拡販努力をしても、販売目標の未達成が顕著となり、売上額が伸びていない店舗の整理に踏み切る決断をしたようだ。

 家電業界の惨状も、液晶のシャープが大幅な赤字から抜け切れていない例もある通りだ。

 家電メーカーだけでなく、家電販売店も厳しい営業状態が続いている。

中国系観光客の家電製品爆買いも、ラオックスなどの一部家電量販店に観光客が集中し、ヤマダ電機としても指をくわえて観ている訳にもいかず、今後本格的な海外観光客を誘致できる店舗を立ち上げるようだ。

海外勢の購買力に支えられている日本の消費市場。 果して最近の国内の日本の消費需要の実力はどの程度であるのだろうか?、

 銀座の百貨店の貴金属売り場や、ブランド品売り場の海外勢の買い物金額は飛び抜けて増えているようで、観光地巡りに合わせて、日本各地の民芸品などの海外勢の買い物金額も桁はずれの場合が多いと言う。

 今後は、ビザ発給の緩和から、まだまだ中国観光客は増加の一途になる見込みで、これらの貴重なお客様を見逃す手は当然ない訳だから、販売や観光業の経済界は心底中国頼みになっていると言っても良いだろう。

 自民党の二階総務会長が3000名の経済人を引き連れ観光誘致目的で、日中友好の訪問使節団を派遣しているのも、観光産業などの経済界としては中国抜きでは日本経済が成り立たない事を示している。

 安倍首相が「戦争ごっこ」に夢中になりたいのも困ったものだが、日本経済の為には余り鮮明な旗色を掲げて欲しくないものだ。


(日本経済新聞より貼り付け

ヤマダ電機、完全閉鎖は37店 一時閉鎖も12店
2015/5/25

 ヤマダ電機が31日までに完全に閉鎖する全国37店の店舗名がわかった。大半が郊外型店「テックランド」で、店舗形態の転換や移転・改装に伴う一時閉店を含めると閉鎖店舗は49店に達する。全国への積極出店で事業を拡大してきた同社だが、一気に不採算店の閉鎖・転換を進めて運営の効率化につなげる。

 31日に36店を一斉に閉める。改装などに伴う一時閉店も12ある。対象店舗は大半が郊外型で、近隣に自社店舗があるケースが多い。効率運営のためには閉鎖・統合が有効と判断したようだ。

 一時閉鎖するテックランド大分佐伯店(大分県佐伯市)と、テックランド日田店(同日田市)の場合、6月以降に子会社のベスト電器との共同店舗に移行する。テックランドの近くにあるベストの店舗を改装して「ベストテック(仮称)」として営業を始める。九州でのベストの知名度を生かす。

 ヤマダは全国に1千店強の直営店を展開する。昨年の消費増税の影響などで地方の郊外店を中心に苦戦する店舗も多くなっている。

(貼り付け終わり)

ポツダム宣言も勉強して欲しいし、安倍首相には火山活動などのお勉強もして欲しい。

2015年05月24日 14時48分24秒 | 日記
 昨年9月の御嶽山が水蒸気爆発を起こし57人が亡くなったのに続き、最近は首都圏に近い箱根山で火山性の地震が頻発し、ここのところ日本列島が火山性活動が活発化しているのではないかと、不安を感じているようだ。

 安倍首相の発言は嘘くさい話が多くて、こちらもうんざりだが、自然界の活動にはウソがない。それだけに、もしも火山の大爆発などが発生すれば、それこそ首都圏は壊滅する可能性も無きにしも非ずだ。

 マル激トーク・オン・ディマンド の最新版で、火山に詳しい高橋正樹教授と神保哲生氏、宮台真司氏が議論をしている。

 筆者はこれを見て思ったのは、地球の歴史からすると、6万年前の大爆発が箱根山で起こったと言っても、直ぐ最近の話なのだけれど、人類、いや日本人が日本列島に住みついた時間帯からすると、縄文式時代の前から計算しても、1万年前にも足らないだろう。

 日本人の祖先は箱根山の爆発事故を経験していない事になるのだ。

 地震や人類学のよな何千年何万年にわたる歴史も大事であるし、ほんの70年程度前の近代史も良く学んでおきたいものだ。

 安倍首相の「ポツダム宣言を読んでいなかった」という話は、どうも日本共産党の志位委員長が、過去の安倍晋三氏の発言を調べて、原爆投下後に連合国側がポツダム宣言で無理やり日本に降伏を押しつけたと誤認している事を知って、引っかけ質問をしたと言う話題もネットで流れている。

 安倍首相には近代政治史も良く良く素直にお勉強してもらいたいし、日本の国土の安全性を知ってもらうためには、地震学などもお勉強願いたいものだ。 地震学も勉強すれば、簡単に原発再稼働などにOKなど出せないと思うよ。(笑)


(ビデオニュース・ドットコムのマル激トーク・オン・ディマンド より貼り付け)

これが火山国日本の生きる道
高橋正樹氏(日本大学文理学部教授)

 日本は世界でも有数の火山国だ。しかし、これまでわれわれは、火山噴火のリスクに対しては、あまり現実的な脅威とは見なしてこなかった。

 ところが、昨年9月に岐阜県と長野県の県境にある御嶽山が水蒸気爆発を起こし57人が亡くなったのに続き、今年の4月下旬からは首都東京からほど近い神奈川県の箱根山で火山性の地震が頻発し、危険な地域への立入が禁止されるようになるなど、火山の活動が現実的な脅威となってきた。更にここにきて群馬県と長野県にまたがる浅間山でも火山性地震が増加したり、鹿児島県の口永良部島で火山性地震が頻発し始めるなどしたことで、日本中で火山の動きが活発になっているかに見える。

 箱根山は東京に一番近い活火山で、火山学者で日本大学文理学部地球システム科学科教授の高橋正樹氏によると、約6万年前の大噴火では神奈川県のほぼ全域が火砕流堆積物で覆われたという。

 もし今日、箱根山で6万年前と同じような大噴火が起きれば、神奈川県が全滅し800万人以上の犠牲者が出るほどの大被害が起きることになるが、高橋教授は今回の箱根山の火山活動では、震源の浅い地震を繰り返しながら、水蒸気爆発やマグマ噴出などのいわゆる噴火までには至らず、緩やかに収束していく可能性が高いという。ただし、巨大噴火ほどではないにせよ、水蒸気爆発、マグマ噴出が発生した場合、カルデラに囲まれた芦ノ湖を含む箱根一帯は、火砕流による被害も想定され、観光地としては大きな打撃を受ける可能性は否定できないという。箱根といえば温泉が有名だが、箱根山は過去23万万年の間に11回の巨大噴火を起こしてきた、日本有数の活火山なのだ。

 こうした火山の大規模な噴火活動、いわゆる「巨大噴火」や「破局噴火」は、何も箱根山に限った話ではない。むしろ、日本のカルデラで起きた過去の巨大噴火と比べると、6万年前の箱根山噴火は規模、被害範囲とも小さいものだと高橋氏は言う。

 日本で最も新しい巨大噴火は約7300年前に鹿児島県の薩摩半島の先の海中にある「鬼界カルデラ」で起きた巨大噴火で、この噴火で当時南九州に存在していた縄文期の貝殻文系土器文化や塞ノ神式土器文化が滅亡したといわれている。他にも南九州では約2万9000年前に「姶良カルデラ」で、約9万年前には「阿蘇カルデラ」でそれぞれ超巨大噴火が起きている。姶良カルデラの超巨大噴火によって南九州のシラス台地が形成され、日本列島全体が数センチ以上の火山灰で覆われたと推測されるという。

 巨大噴火、破局噴火に分類される火山活動は過去12万年間に日本で17回、およそ7000年の周期で発生している。直近の破局噴火が7300年前の鬼界カルデラ噴火であることを考えると、現在日本列島でいつ巨大噴火が起きてもおかしくないとも言えるが、巨大噴火を予知することは不可能だと高橋教授はいう。

 むしろ日本の問題は予知の如何にかかわらず、万が一の事態に備えるだけの実効性のある防災計画が整備されていないことにあると高橋氏は指摘する。

 火山の大噴火は数千年から数万年の周期で起きるもののため、次の大噴火がいつ起きるかはわからない。しかし、われわれが日本という火山国に住む以上、いつかは必ず大噴火に直面することになる。また大噴火まで至らない場合でも、小規模、中規模な噴火はいつあってもおかしくない。

 その現実を直視し、万が一の時に備えた防災意識と防災対策を行うことが肝要となるが、残念ながら現在の日本では、東日本大震災でも露呈した行政まかせの防災意識が依然として横行している。御嶽山の噴火の時にも指摘されたことだが、歴史上大噴火を繰り返してきた箱根山周辺の観光地には、コンクリート製のシェルターさえ整備されていない。また、姶良カルデラの噴火とその影響を想定した川内原発の緊急対応も不十分だと高橋氏は指摘する。

 地震、津波、台風、土砂崩れ等々、数多くの災害と隣り合わせに生きているわれわれ日本人は、火山リスクとはどう向き合えばいいのか。火山学者で過去の破局噴火とそのメカニズムにも詳しいゲストの高橋正樹氏とともに、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

(貼り付け終わり)

安倍首相の安保法制の説明には、詭弁やウソがちりばめられている。

2015年05月22日 15時33分24秒 | 日記
 5月21日のこのブログで書いたように、党首討論で日本共産党志位委員が安倍首相に質問した、「ポツダム宣言を読んだのか」に対し、安倍首相の「読んでいない」発言に、ネット上では筆者と同じように、驚き呆れる発言が多く出されていた。

 ところが何故か、NHKも大手メディアも、この問題を問題視していない。 国内メディアの安倍政権に対する批判精神のなさを如実に表している典型的な実例だ。

 この日本メディアのダメさ加減を、英国エコノミスト誌が、安倍首相が坐っている椅子の下で、土下座をしてマイクやビデオカメラを持っている日本の記者の情けない姿が描かれた風刺画を大きく出されている。

 このような状態で、自由で民主的な先進国のメディアと言えるだろうか?

 筆者は声を大にして言いたい。腰抜けのバカメディアめ。いい加減にせんかい。

 安保法案の詭弁とウソに、一つ一つ答えている哲学者の内田樹氏のコラムを貼りつけさえてもらう。

 本来ならこのような内容の解説記事を、大手メディアは堂々と出すべきなのだ。

 国民を間違った方向に引っ張ってしまうのは、危険な政府とそれを黙認するメディアのなせる技だ知るべきではないか。


(内田樹の研究室より貼り付け)

神奈川新聞への寄稿(ロング・ヴァージョン)
2015.05.20

 神奈川新聞に安保法制についての安倍首相の声明の詭弁と嘘について書いた。
 もう何度も書いたことなので、書いている本人もだんだんうんざりしてきたが、先方が「うんざりさせること」をめざして詭弁を弄している以上、つきあうしかない。

 安倍首相の声明は、聞く人、読む人を欺くための作文です。これほど不誠実な政治的文書が公的なものとして通用するということは、それ自体が日本国民と日本の政治文化にとって屈辱的なことだと思います。

 安倍首相の言葉は詭弁の典型です。キーワードのすべてが読者の誤読を当てにして選択されている。例えば「日本近海」という言葉がそうです。

 ≪筆者注 以下の( )は安倍首相の発言内容です≫

 〈日本が攻撃を受ければ、米軍は日本を防衛するために力を尽くしてくれる。そして、安保条約の義務をまっとうするため、日本近海で適時、適切に警戒、監視の任務に当たっている。私たちのため、その任務に当たる米軍が攻撃を受けても、私たちは日本自身への攻撃がなければ、何もできない。何もしない。これがこれまでの日本の立場だった。本当にこれで良いのでしょうか〉

「日本近海」とは何を意味するのか。近い、遠いというのは主観です。外交の用語でもないし、国際法上の概念でもない。東シナ海でも南シナ海でもマラッカ海峡でもインド洋でも、どこでも「日本にとって死活的に重要な海域」であると首相が認定すれば、それは「日本近海」になる。これは中国大陸侵略を正当化した「満州は日本の生命線」と同じレトリックです。

「日本近海」という言葉を聴けば、日本国民の多くはそれは日本の「領海」のことだと理解するでしょう。しかし、日本領海なら、そこで米軍が攻撃を受けたら、それは安保条約で規定されたとおり、日米共同で対処すべき事態です。「何もできない、何もしない」というはずがない。

 だとすれば、ここで安倍首相が言った「日本近海」は日本領海外の公海や他国の領海内のことだということになる。そこで米軍が攻撃されたときに、「何もできない、何もしない」のはそれが日本領土内での出来事でない以上、当たり前のことです。

  日米安保条約5条にはこう書かれています。「日本の領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定および手続きに従って共通の危険に対処する」。

  安倍首相が日本領海外や外国の領海内にいる米軍への攻撃に対しても、日米が共同的に対処したいと願っているのであれば、何よりもまず日米安保条約第五条を「日本は世界中どこでも米軍への攻撃に対して共同的に対処する」と改定するのがことの筋目でしょう。

  安保条約の条文を知らない日本人が首相の会見を聞いたら、日本の現状を「日本領海内で米軍が攻撃を受けても、共同的に対処することができない(九条のせいで)」と誤解することでしょう。「日本近海」という語は法律をよく知らない国民をミスリードするために意図的に選択されたものです。

  日本領海外でも米軍と共同的に軍事行動をしたいなら、安倍首相ははっきりと「日米安保条約は非現実的な条約だ」と言えばいい。でも、それは日米安保条約を「不磨の大典」として戴いてきた自民党としては口が裂けても言うことができない言葉です。だから、対米的には「日米安保には何の問題もありません」ともみ手しつつ、国内的には「日米安保では危機に対処できない」という脅しをかけている。「日本近海」というのは、日米安保条約には手を着けることができない官邸が思いついた「安保法制による安保条約の拡大解釈」のための地ならしのレトリックです。

〈米国の戦争に巻き込まれることは、絶対にあり得ません〉

 その直前に首相は「米軍が攻撃を受けても、私たちは何もできない。本当にこれで良いのでしょうか」と言っています。では、米軍が攻撃を受けたときに、日本は何をする気なのか。まさか「祈る」とか「後方から声援を送る」とか言うことではないでしょう。「ともに戦う」以外のどういう行動がありうるのか。「戦争をすること」以外のなにをする気なのでしょう。たしかにそれなら日本がみずから進んで主体的に「戦争に参加する」ことになります。だから、これを「戦争に巻き込まれた」とは言えない、と。首相はそう強弁したいのでしょうか。

 もう1点、気になる言葉があります。

〈今回、PKO協力法を改正し、そして新たに国際平和支援法を整備することにした。これにより、国際貢献の幅を一層広げていく。我が国の平和と安全に資する活動を行う米軍を始めとする外国の軍隊を後方支援するための法改正も行う〉

「後方支援」とは軍事用語では「兵站」業務のことです。武器弾薬の輸送、衛生、糧食、兵員の補給・教育、そして情報、通信管理もここには含まれます。現代の戦争では情報と通信は戦争の核心部分です。距離的に前線からどれだけ離れていようと、情報、通信を管轄する部門は敵からの攻撃の最重要目標となります。

「後方支援」という言葉の「後方」から、聴く人は前線のはるか彼方で燃料を補給したり、医療活動をしたりする「非戦闘的」なボランティア活動のような微温的なものを想像するかもしれませんが、兵站は軍事活動の重要な一環であり、それに従事する兵員は端的に「殺すべき敵」です。戦闘兵科の兵員と補給兵科の兵員に対しては攻撃の強度が違うというようなことは現実にはありません。

 後方支援とは、端的に軍事活動です。「米軍を始めとする外国の軍隊を後方支援する」ということは、まさに「米国が行う戦争に参加する」ということ以外の何ものでもありません。そのための法整備を「戦争法案」と呼ぶ以外にどう呼べばいいのか。「戦争法案などといった無責任なレッテル張りは全くの誤りです」というのは全くの誤りです。

 安倍政権は安保条約に手を付けるつもりもないし、日米地位協定に手を付けるつもりもありません。安保条約に手を着けないまま、安保体制の根本的な変更を国内法だけで処理しようとしている。そこに今回の安保法制の根源的な難点があります。

 安保条約と矛盾する安保法制はどうやっても整合的には説明できません。だから、首相は嘘をつく以外にないのです。安全保障法制関連法案の閣議決定を受けた会見で、安倍首相は法整備がなぜ緊急に必要なのかの根拠をついに説明しませんでした。そればかりか、いくつもの点で、事実ではないことを述べています。

〈平和安全法制の整備は不可欠だと確信している。例えば、海外で紛争が発生し、そこから逃れようとする日本人を、同盟国であり、能力を有する米国が救助し、わが国へ輸送しようとしているとき、日本近海で攻撃を受けるかもしれない。このような場合でも、日本自身が攻撃を受けていなければ、救出することはできない〉

去年7月に集団的自衛権行使容認の閣議決定した際もこれと同様の説明をしていました。しかし、調べてみたら、そもそも過去に紛争国から在留邦人が米軍艦船で脱出したケースは一つもありませんでした。米軍からもそのような事態は想定できないと指摘されている。こういった反証をすべて無視して、「起こり得ない事態」に対処するために法整備が必要だと首相は述べているわけです。これは「同じ嘘でも何度も繰り返すと聴く人は信じるようになる」という詐欺師の経験則を適用しているのでしょうか、それとも国民は短期記憶しかないので、去年の7月に言ったことが反証されたこともすっかり忘れていることを当てにしているのでしょうか。

その一方で、当たり前のことを例外的なことのように誇大に語ってもいます。

〈海外派兵が一般に許されないという従来からの原則も変わりません〉

これはまったく無意味な言明です。というのは、特段の理由もなく海外派兵した国など歴史上一つもないからです。すべての海外派兵は「自国の存亡にとって死活的に重要である」という大義名分から行われてきました。首相の言う「一般に許されない」というのは「特段の理由があれば許される」ということの言い換えであって、それはまさにあらゆる海外派兵に際して「一般に」使われてきた定型句に過ぎません。

言葉のごまかしが多すぎます。

〈日本が武力を行使するのは日本国民を守るため、これは日本と米国の共通認識です。もし、日本が危険にさらされたときには、日米同盟は完全に機能する。そのことを世界に発信することによって、抑止力はさらに高まり、日本が攻撃を受ける可能性は一層なくなっていくと考える〉

戦後70年の間、日本では外国の軍隊の侵略による国土の侵犯や国民の殺傷といった事態は起きていません。では、抑止力はさらに高まると言うときの「さらに」とは何を基準にしているのでしょうか。

「さらに」というには比較の対象がなければ意味をなさない語です。では、安保法制制定以前のどのような数値、どのような指標を基準にして首相は「高い低い」を判断しているのか。それはまったく明らかにされていません。

唯一「国籍不明の航空機に対する自衛隊機の緊急発進、スクランブルの回数は10年前と比べて7倍に増えている」と述べているだけですが、これもデータの恣意的使用という他ない。

たしかに2004年の年間141回に比べると14年は約7倍に増えていますが、それ以前の1980年代には年間900回を超える年が3回、年間800回を超える年は5回ありました。首相はいったいいつの時期のどの数値と比べての増減であるかを明らかにしないで、あたかも前代未聞の危険が切迫しているかのように印象づけようとしました。

抑止力が「さらに高まる」というのはいったいいつの時代のどの数値と比較してのことなのか。首相が抑止力の増減について示した指標数値はスクランブル発進数だけです。だとすれば、1984年の944回から、2004年の141回に至る劇的な発進数の減少も「抑止力がさらに高まった」ことの効果として解釈しなければならない。その時期において安保法制以外の理由でも抑止力が高まったであるなら、その理由を究明するのは国防上の重要課題でしょう。けれども、首相はそれには何の関心も示さない。

仮に今後安保法制整備後もスクランブル発進数が減少しなかった場合、首相はどうつじつまを合わせる気でしょう。首相が自ら抑止力の唯一の数値的指標として選んだ数値に反映されなければ、安保法制は安全保障上無意味だったということになる。その事実を受け容れる覚悟はあるのでしょうか。

言葉のまやかしはさらに続きます。

〈まるで、自衛隊の方々が殉職していない方がおられるという認識を持っている方がいらっしゃるかもしれないが、自衛隊発足以来、今までも1800人の方が殉職されている〉

これは、一体どういう命題を帰結したくて口にした言葉なのでしょうか。

自衛隊の年間殉職者数はここ数年ほぼ一桁台で推移しています。ほとんどが災害派遣と訓練中の事故です。22万人の隊員で事故死者一桁というのは、かなり安全管理の徹底した職場だと言っていいと思います。

首相が「これからどうやって殉職者をゼロにするのか」という実践的課題に取り組むために「殉職者は1800人いる」という数字を挙げたのであれば、話はわかります。でも、これから先もこれまで通り災害復旧に参加し、訓練も続けながら、それに加えて、これまでしたことのない海外での米軍の戦闘行動への参加に踏み切るとしたら、いったいどうやって「殉職者数を減らす」つもりなのか。これまでしなかった軍事活動を行うことで、殉職者数が減るということは誰が考えてもありえない。だとすれば、ここで引かれた1800人という数字には、「もう1800人も死んでいるのだから、このあと100人や200人死んでも大騒ぎするような話ではない」という方向に世論をリードする以外に目的はありません。

論争というのは、論理的に首尾一貫し、一つ一つの判断の客観的根拠を明らかにできることが「たいせつだ」と思う人間たち同士の間でのみ成立します。言うことがどんどん変わっても、根拠がなくても、約束が履行されなくても、まったく気にしないという人を相手にして言論は無力です。

安倍首相は年金問題のときに「最後のひとりまで」と見得を切り、TPPについては「絶対反対」で選挙を制し、原発事故処理では「アンダーコントロール」と国際社会に約束しました。「あの約束はどうなったのか?」という問いを誰も首相に向けないのは、彼からはまともな答えが返ってこないことをもうみんな知っているからです。

ここまで知的に不誠実な政治家が国を支配していることに恐怖を感じない国民の鈍感さに私は恐怖を感じます。
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内田 樹(うちだ たつる)1950年9月30日 生まれは、日本の哲学研究者、思想家、倫理学者、武道家、翻訳家、神戸女学院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。東京都立大学大学院人文科学研究科修士課程修了。

(貼り付け終わり)

全く理解しにくい、党首討論の安倍首相の回答にならない発言。

2015年05月21日 19時26分56秒 | 日記
 20日の党首討論で、国民は安倍首相の発言内容を、本当に理解できたであろうか?

 民主党岡田代表の集団的自衛権に関する質問に対して、「戦闘行為を目的にして外国の領土に上陸することや、大規模な空爆を(他国例えば米国と)共にすることはない」と明言した。

 しかしホルムズ海峡の機雷掃海は例外として行う考えだという。

 ホルムズ海峡は狭い海峡で、イランとオマーンが対峙し海峡の中間に国境が線引きされている。

 例えばイランとの戦闘状態に米国が介入するとして、イランが敷設したホルムズ海峡の機雷掃海は明らかに戦闘行為になり、イラン側の領海に自衛隊が侵入することになる。

 はっきり言って安倍首相の論理には矛盾があることになる。

 安倍首相がどこまで今回の安保関連法案に関して、深く理解しているのかわからず、筆者などは安倍首相の発言に「嘘くささ」を感じてならない。

 また共産党の志位委員長の質問で「戦後の日本はポツダム宣言を受諾して始まった。ポツダム宣言は日本の行った戦争を世界征服のための戦争で、侵略だったと判定している」と日本がポツダム宣言を受諾して全面降伏をしたことを知っているかと質問している。

 安倍首相はポツダム宣言の詳細は知らないとうそぶいた。

 この発言は、国家を運営する責任ある政治家としては、海外から呆気にとられる批判受けることにならないだろうか?

 どうも安倍首相の戦後レジームの脱却とは、このポツダム宣言そのものを忘れ去りたいという事なのだろうか?

 これこそ韓、中から安倍首相に対して批判される歴史修正主義そのものであり、過去の歴史を素直に受け入れる前提がなければ、外交交渉など前に進む筈がないではないか。

 まあ筆者には、国民に向かって、安保関連法案の中身にある自衛隊員が今後抱える危険性などを、もっと素直に話すべきだと思う。

 今までの個別的自衛権で過ごしてきた70年間の平和が、日本国には今後は期待できないと、ハッキリいうべきだ。