最近のテレビのバラエティー番組で、日本の技術や生産システムの優秀さを、関係のある外国人に見学してもらって、「スゴイデスネエ日本」と、日本の良さを褒めそやすような番組を見る事がある。
なんだか長期にわたり低迷し自信を失っている日本人に、「心配不要。日本はこんなに良い面を持っている。」と元気づけるような番組造りをしているように見えてしまう。
まあ、海外の人の意見を聞くのは悪い事ではないが、余り褒められる事を真に受けて、鼻高になってしまうのも考えものだ。
中国の人民報に、在日4年間になる中国人記者が見た日本というコラムが載っている。
今年は多くの中国人観光客が日本観光に押し掛けた。 日本製品の爆買いも話題になったように、日本製商品の良さの認識も中国人観光客の定評になっているようだし、日本人の礼儀正しさや、きれいで清潔な街並みや観光地が好印象を与えているようだ。
しかし、在日4年になる記者は、日本各地を取材に訪れ、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地区や、福島原発汚染の回復が遅々として進んでいない現実に、懸念を示している。
日本でも中国でも、皮相的に物事を見るのではなく、いろんな面が持っている現実を知り、理解する事が必要だと思う。
(人民網日本語版より貼り付け)
在日中国人記者が見た真実の日本
張誠
2015年11月07日15:29
2011年10月、私の東京駐在記者としての生活が始まった。 東京では多くの人を取材し、様々な出来事を経験し、日本のことをある程度理解することが出来たと同時に、いかにして良い記者になるかについても認識を深めた。
(文:張誠。2007年に新華社傘下の参考消息報社・日本語室に所属。2011年から2013年まで新華社の日本駐在記者を務め、東日本大震災1周年記念報道、釣魚島事件の関連報道、法制中国、舌の上の浪費などのシリーズ報道を担当。新華網掲載)
2013年10月27日、私は佐賀県多久市を訪れ、孔子祭を取材した。孔子祭の献官役を務める多久市の横尾俊彦市長はインタビュー前、私が渡した名刺をじっと眺め、「あなたの名前にある誠の字は、日本人がとても好きな文字だ。ごんべんに成と書く。つまり有言実行、言うことに信用があるということ。信用と言えば、『儲』という字があるが、これは儲ける、お金を稼ぐという意味。この文字の左側は信、右側は者で、誠実で信頼できる人こそお金を稼げることを表す。日本人は誠・信の2文字で経営に成功してきた。中国人が作った漢字はすばらしいものだ」と語ってくれた。
彼のこの言葉で、私たちの距離はぐんと縮まった。堅苦しい取材になるかと思われたが、漢字文化という共通の基礎があるため、スムーズに交流でき、よい原稿が仕上がった。中国の辞書の中の私の名の解釈は、彼の説明と同じとは限らないが、共通する漢字に対する認識を持っていたことで、私たちに親近感が生まれた。
日本に行ったことのある人なら分かるだろうが、日本ではいたるところで漢字を見かけることができ、親しみを感じる。このためか、一部の人は「中国と日本は使用言語も人種も同じだから、簡単に相互理解できる」という錯覚を覚える。しかし、日本で数年間にわたって仕事するうちに、真実の日本を知るのはそれほど簡単ではないことに気づいた。
周りの親戚や友人など、日本に旅行に訪れた人は、中国に戻ると口々に「日本はきれいで清潔だ、品物の質が良い、日本人は礼儀正しい」と絶賛する。日本に滞在中、私は「日本に観光に訪れた中国人は皆、日本がいい国だと感じる」という言葉を聞いた。
毎回このような感想を耳にすると、私は「1回旅行しただけで、真実の日本が理解できるのだろうか」と考える。目に見えるものだけが真実とは限らない。
東日本大震災から1年が過ぎた2012年3月11日、私は宮城県女川町に赴き、水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務の家族を取材した。佐藤専務は地震の際、中国人実習生15人の命を救ったが、自らは津波の犠牲になった。彼は中国人にとっての英雄だ。しかし、その英雄の故郷を訪れた私は、目の前に広がる光景に心が痛んだ。震災から1年が過ぎたにも拘わらず、道路は依然として完全に修復されていなかった。津波の被害を受けた都市には瓦礫が散乱し、建物の残骸が傾いたまま放置され、荒涼たる光景が広がっていた。2013年になり、震災から2年が過ぎても、福島原発事故による放射性物質汚染の除去作業は遅々として進まなかった。
その原因は、各市町村が互いに責任を押し付け合い、どこも汚染された土壌を受け入れたがらないためだ。最新の統計によると、震災から4年目となる今年3月11日の時点で、被災地では依然として約23万人が避難生活を送っている。こういった状況は中国では考えがたい。我々中国人は大災害が発生した場合、「一方に困難あれば八方から支援あり」の精神を発揚する。四川大地震後の再建が良い例だ。
また、日本の靖国神社に取材に訪れると、毎回異様な雰囲気を感じる。そこは、暴力団的な性質を持つ右翼団体の本拠地で、年中右翼の街宣車が停まっている。そこを訪れるたび、「あんなに礼儀正しい日本人が、なぜ狂ったような戦争に走ってしまったのだろう?」と疑問に思わずにはいられない。
私は、現象の背後にある真実を探求し、発掘することこそが、我々記者のやるべきことだと考える。真理、真実を追究することが、記者の職責だからだ。(編集SN)
(貼り付け終わり)
なんだか長期にわたり低迷し自信を失っている日本人に、「心配不要。日本はこんなに良い面を持っている。」と元気づけるような番組造りをしているように見えてしまう。
まあ、海外の人の意見を聞くのは悪い事ではないが、余り褒められる事を真に受けて、鼻高になってしまうのも考えものだ。
中国の人民報に、在日4年間になる中国人記者が見た日本というコラムが載っている。
今年は多くの中国人観光客が日本観光に押し掛けた。 日本製品の爆買いも話題になったように、日本製商品の良さの認識も中国人観光客の定評になっているようだし、日本人の礼儀正しさや、きれいで清潔な街並みや観光地が好印象を与えているようだ。
しかし、在日4年になる記者は、日本各地を取材に訪れ、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地区や、福島原発汚染の回復が遅々として進んでいない現実に、懸念を示している。
日本でも中国でも、皮相的に物事を見るのではなく、いろんな面が持っている現実を知り、理解する事が必要だと思う。
(人民網日本語版より貼り付け)
在日中国人記者が見た真実の日本
張誠
2015年11月07日15:29
2011年10月、私の東京駐在記者としての生活が始まった。 東京では多くの人を取材し、様々な出来事を経験し、日本のことをある程度理解することが出来たと同時に、いかにして良い記者になるかについても認識を深めた。
(文:張誠。2007年に新華社傘下の参考消息報社・日本語室に所属。2011年から2013年まで新華社の日本駐在記者を務め、東日本大震災1周年記念報道、釣魚島事件の関連報道、法制中国、舌の上の浪費などのシリーズ報道を担当。新華網掲載)
2013年10月27日、私は佐賀県多久市を訪れ、孔子祭を取材した。孔子祭の献官役を務める多久市の横尾俊彦市長はインタビュー前、私が渡した名刺をじっと眺め、「あなたの名前にある誠の字は、日本人がとても好きな文字だ。ごんべんに成と書く。つまり有言実行、言うことに信用があるということ。信用と言えば、『儲』という字があるが、これは儲ける、お金を稼ぐという意味。この文字の左側は信、右側は者で、誠実で信頼できる人こそお金を稼げることを表す。日本人は誠・信の2文字で経営に成功してきた。中国人が作った漢字はすばらしいものだ」と語ってくれた。
彼のこの言葉で、私たちの距離はぐんと縮まった。堅苦しい取材になるかと思われたが、漢字文化という共通の基礎があるため、スムーズに交流でき、よい原稿が仕上がった。中国の辞書の中の私の名の解釈は、彼の説明と同じとは限らないが、共通する漢字に対する認識を持っていたことで、私たちに親近感が生まれた。
日本に行ったことのある人なら分かるだろうが、日本ではいたるところで漢字を見かけることができ、親しみを感じる。このためか、一部の人は「中国と日本は使用言語も人種も同じだから、簡単に相互理解できる」という錯覚を覚える。しかし、日本で数年間にわたって仕事するうちに、真実の日本を知るのはそれほど簡単ではないことに気づいた。
周りの親戚や友人など、日本に旅行に訪れた人は、中国に戻ると口々に「日本はきれいで清潔だ、品物の質が良い、日本人は礼儀正しい」と絶賛する。日本に滞在中、私は「日本に観光に訪れた中国人は皆、日本がいい国だと感じる」という言葉を聞いた。
毎回このような感想を耳にすると、私は「1回旅行しただけで、真実の日本が理解できるのだろうか」と考える。目に見えるものだけが真実とは限らない。
東日本大震災から1年が過ぎた2012年3月11日、私は宮城県女川町に赴き、水産加工会社「佐藤水産」の佐藤充専務の家族を取材した。佐藤専務は地震の際、中国人実習生15人の命を救ったが、自らは津波の犠牲になった。彼は中国人にとっての英雄だ。しかし、その英雄の故郷を訪れた私は、目の前に広がる光景に心が痛んだ。震災から1年が過ぎたにも拘わらず、道路は依然として完全に修復されていなかった。津波の被害を受けた都市には瓦礫が散乱し、建物の残骸が傾いたまま放置され、荒涼たる光景が広がっていた。2013年になり、震災から2年が過ぎても、福島原発事故による放射性物質汚染の除去作業は遅々として進まなかった。
その原因は、各市町村が互いに責任を押し付け合い、どこも汚染された土壌を受け入れたがらないためだ。最新の統計によると、震災から4年目となる今年3月11日の時点で、被災地では依然として約23万人が避難生活を送っている。こういった状況は中国では考えがたい。我々中国人は大災害が発生した場合、「一方に困難あれば八方から支援あり」の精神を発揚する。四川大地震後の再建が良い例だ。
また、日本の靖国神社に取材に訪れると、毎回異様な雰囲気を感じる。そこは、暴力団的な性質を持つ右翼団体の本拠地で、年中右翼の街宣車が停まっている。そこを訪れるたび、「あんなに礼儀正しい日本人が、なぜ狂ったような戦争に走ってしまったのだろう?」と疑問に思わずにはいられない。
私は、現象の背後にある真実を探求し、発掘することこそが、我々記者のやるべきことだと考える。真理、真実を追究することが、記者の職責だからだ。(編集SN)
(貼り付け終わり)