ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

空き缶「1個」 石ころ「1個」 五寸釘「1本」・・・・

2011-11-28 07:50:14 | Weblog


晴れた。
早朝の世界は「パリンパリン」だった。
鼻毛が凍りそうだった。
昨夜の雨で濡れた道路が白くしばれ上がり、つるつるになった。
早朝の一時だけだけど、騙されないように気をつける。
本気で寒くなると,ダウンや毛皮が欲しくなる、ポリエステルや綿では「本気」を防げない。

先日の「どうせ拾った『鯉』だもの・・・・」に沢山の反響(ふたりだけ)があった。
  (参考までにこのブログは1,658,361ブログ中(7000~8000位)をキープしている・・・?)

皆(二人だけ)拾った「鯉」がまさか「恋」だなんて夢にも思わなかった。
私は、大雨で大川や水路が氾濫したら,バケツを持って鯉や鮒を拾って歩いたから人だから、
「どうせ・・」という言い方が「鯉」に対して失礼な言い方だとず~~っと考えていた。
そして「棄てちゃえ!!棄てちゃえ!!・・」と促されていたから・・・大人になれば
多くの人がそのような考え方になるのかと、訝(いぶか)しく思っていた。

私達がこどものころは、大人になるための「練習場所?訓練場所?」として路地裏の世界があった。
ほんとにガキのころは、その世界を電信柱の影で洟(はな)を垂(た)らして見ているだけだった。
幼な過ぎて仲間にも入れてもらえない『ルール』があった。
袖口ががべがべのハナタレくらいに成長すると、ランドセルを玄関に投げ飛ばして
路地裏の世界へいの一番で走った。
空き缶「1個」
石ころ「1個」
五寸釘「1本」
あれば、暗くなるまで遊んだ。
何も無くても,地面に線を引いて陣地採りの合戦をした。
「馬跳び」も「うしろの正面」も自由自在だった。
そして授業中は、先生に当てられても「ハァ~」みたいな友が
路地裏では天下人だったことが多かった。
五寸釘持たせれば彼奴(あいつ)の右に出る奴はいない!!
皆、一目置いていた。

ハナタレ集団と別の物陰には、中学生・・高校生の「ワル」がたむろしていた。
みな、とてつもなく、立派な???大人だった・・・・・そのように見えた。

いつしか、五寸釘を刺せる「地面」も「路地裏の世界」も消えた。
大人になる機会を逸(いっ)した人々が街に氾濫した。
街も国も動かない。

あの頃の大人は路地裏の世界に介入しなかった、する「暇」なんてあろうはずも無かった。
乱暴な言い方だけど「ほっとけば」こどもたちは自分で「考え」てよく遊んだ。
『自分で考えて・・・・』このことに大きな意味があった。
今、「ほっとけば」「自分で考えて」・・・回り道をしてくる・・(回り道にも大きく個人差がある)
こどもたちを「待っていられる余裕」が私達にあるのだろうか?

どうせ拾った「鯉」から話が思わぬ方向に進んだ。
自分は、はたして、五寸釘を堅い地面に、しっかり、突き立てて、遊んだのだろうか・・・と訝(いぶか)る。
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2 コメント

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Unknown (キク)
2011-11-29 18:54:45
同世代のものとして郷愁の念にかられます。
釘さし、ベッタン、ビー玉、お手玉…夢中でやりました…。
核家族化と地域の教育力の低下…それでも子どもたちはシタタカです。たくましく育ってくれいるのですが、世の中の矛盾が子どもたちに重くのしかかっていることは確かですね。
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お元気ですか・・・ (ぷ~)
2011-11-29 23:30:43
キク さま

いつもありがとうございます。
私は若干疲れ気味ですが・・・
まだまだこれしきでは・・・・と活動しています。
時々,後ろも振り返りますが、
「少し」先も見るようにいたします。
沢山「先」はありませんから。
You TubeにHAAコンサートの私の演奏をUP
しました,お暇なときにでも覗いてください。
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