爽やかな
札幌に引っ越して、電気製品も、いろいろ買い替えた。
大きなものは、すべてニセコに・置いてきぼりに・したので、コンパクトで値段が安く、性能の良いものを選んだ。
と書けば、聞こえは良いが、殆ど、その売り場で、一番安いものを選んだといっても過言ではない。
電子レンジも、札幌にはガスオーブンがないので、オーブンレンジにした。
電子レンジ機能、オーブン機能をいっしょにしたようなものだ。
非常に「かしこい」奴だった。
大阪のおばあちゃんの家では、冷蔵庫は「しゃべる」電子レンジは「しゃべる」洗濯機も「しゃべる」ので
朋子さんは、「じゃっかましい!!・・・・」と怒るらしい。
そんなオーブンレンジで、毎日のように簡単レシピ「パン」を焼いてくださる。
夜中に、ぶつぶつ・がたがたうるさい「パン焼き機」もあるけど、一斤半のパンでも
量が多すぎるので、最近は、簡単レシピ「パン」が我が家の主流になった。
前置きが長くなった。
昨日は、長いウィンナーをあしらった、ホットドッグ風・調理パンを焼いた。
今朝の朝食にいただいたけど、そこから、二人の会話は「大名堂のホットドック」に発展していった。
関西の私達の年代の人にしか、分からないと思われるけど・・・・・
私はラサスケートリンクに行った時、始めて、昴サンバーで、「狭そうに」おっちゃんが焼いている「それ」を200円で買って食べた。
「世の中に、こんなに美味しいものがあったんか????・・・・」とその時・心の底から思った。
高校生くらいだったのだろう。
細切りキャベツをカレー粉で炒めて、マスタード・ウィンナー・ケチャップでいただく、ホットドック。
カレー味のキャベツを馬鹿にする人もあるかも知れないけど、
私達、関西人は美味ければそれで、十分だった。
見た目・体裁・作法・はその次で良かった。
阪神デパートのイカ焼き、もそうだった、そんなに値の張るものでもなんでもなかったけど、
文句なしに美味かった。普通の?街角の食堂に入って、「きつねうどん」を注文して、「はずれ」の時は殆どない。
普通に「美味しい」・・・・それが大阪の心情なのかも知れない。
昨日は、近くの動物病院に行って、「ルゥ」の避妊手術の日程調整をして来た。
親父と違って、「ルゥ」はダイエットを見事に?成功させ、スリムな身体で診察台に担ぎ上げられた。
先生から、目標をみごとにクリアーしたことを褒められて?・・・良かった。
ドッグフーズの量を、チビッと減らしただけだったけど、25Kg代まで減量した。
そう・・・ラブちゃんは、丼3杯でも・5杯でも、与えれば、与えただけ「食べれる」ワン公だった。
それは、親父も同じだけど、とにかく食べることにだけは、非常に真摯な姿勢で臨むことが多い。
6月末~7月初旬・大阪へおばあちゃんを迎えに行く、日程調整をして、すべての航空券を予約した。
7月から、おばあちゃんを札幌にお迎えして、私達の生活がリ・スタートする。
「ルゥ」のお行儀を?良くしなくっちゃ・・・とか
おばあちゃんの部屋のベッドやテレビや、仏壇や、床マットや・・・・・etc 準備しなければならない。
近くのケアホームの見学(下見)にも出かけたけど・・・・館内すべて「アロハ」だったことに、驚いた。
聞くと、アロハシャツの職員が「今は、アロハ週間?・・だと教えてくれた」
よくわからなかったけど「そうですか!!」と答えておいた。
そう・・私達の周りには、人知を超えるものや、意味不明のものも・確かに沢山存在するが
私達自身が、正に「そう」でもあるし、よほどコミュニケーションを良くして行かないと、どこかで「すれ違い」「軋轢」が生ずるのも避けがたい。
それにしても、まともに総理大臣を務められなかった「人」が、後任の総理を「サポート」するのならともかく、
「さっさと止めろ!!」は無いだろう。人知を遥かに超えてしまっているし、全くの意味不明だと、誰も思わないのだろうか?
札幌に引っ越して、電気製品も、いろいろ買い替えた。
大きなものは、すべてニセコに・置いてきぼりに・したので、コンパクトで値段が安く、性能の良いものを選んだ。
と書けば、聞こえは良いが、殆ど、その売り場で、一番安いものを選んだといっても過言ではない。
電子レンジも、札幌にはガスオーブンがないので、オーブンレンジにした。
電子レンジ機能、オーブン機能をいっしょにしたようなものだ。
非常に「かしこい」奴だった。
大阪のおばあちゃんの家では、冷蔵庫は「しゃべる」電子レンジは「しゃべる」洗濯機も「しゃべる」ので
朋子さんは、「じゃっかましい!!・・・・」と怒るらしい。
そんなオーブンレンジで、毎日のように簡単レシピ「パン」を焼いてくださる。
夜中に、ぶつぶつ・がたがたうるさい「パン焼き機」もあるけど、一斤半のパンでも
量が多すぎるので、最近は、簡単レシピ「パン」が我が家の主流になった。
前置きが長くなった。
昨日は、長いウィンナーをあしらった、ホットドッグ風・調理パンを焼いた。
今朝の朝食にいただいたけど、そこから、二人の会話は「大名堂のホットドック」に発展していった。
関西の私達の年代の人にしか、分からないと思われるけど・・・・・
私はラサスケートリンクに行った時、始めて、昴サンバーで、「狭そうに」おっちゃんが焼いている「それ」を200円で買って食べた。
「世の中に、こんなに美味しいものがあったんか????・・・・」とその時・心の底から思った。
高校生くらいだったのだろう。
細切りキャベツをカレー粉で炒めて、マスタード・ウィンナー・ケチャップでいただく、ホットドック。
カレー味のキャベツを馬鹿にする人もあるかも知れないけど、
私達、関西人は美味ければそれで、十分だった。
見た目・体裁・作法・はその次で良かった。
阪神デパートのイカ焼き、もそうだった、そんなに値の張るものでもなんでもなかったけど、
文句なしに美味かった。普通の?街角の食堂に入って、「きつねうどん」を注文して、「はずれ」の時は殆どない。
普通に「美味しい」・・・・それが大阪の心情なのかも知れない。
昨日は、近くの動物病院に行って、「ルゥ」の避妊手術の日程調整をして来た。
親父と違って、「ルゥ」はダイエットを見事に?成功させ、スリムな身体で診察台に担ぎ上げられた。
先生から、目標をみごとにクリアーしたことを褒められて?・・・良かった。
ドッグフーズの量を、チビッと減らしただけだったけど、25Kg代まで減量した。
そう・・・ラブちゃんは、丼3杯でも・5杯でも、与えれば、与えただけ「食べれる」ワン公だった。
それは、親父も同じだけど、とにかく食べることにだけは、非常に真摯な姿勢で臨むことが多い。
6月末~7月初旬・大阪へおばあちゃんを迎えに行く、日程調整をして、すべての航空券を予約した。
7月から、おばあちゃんを札幌にお迎えして、私達の生活がリ・スタートする。
「ルゥ」のお行儀を?良くしなくっちゃ・・・とか
おばあちゃんの部屋のベッドやテレビや、仏壇や、床マットや・・・・・etc 準備しなければならない。
近くのケアホームの見学(下見)にも出かけたけど・・・・館内すべて「アロハ」だったことに、驚いた。
聞くと、アロハシャツの職員が「今は、アロハ週間?・・だと教えてくれた」
よくわからなかったけど「そうですか!!」と答えておいた。
そう・・私達の周りには、人知を超えるものや、意味不明のものも・確かに沢山存在するが
私達自身が、正に「そう」でもあるし、よほどコミュニケーションを良くして行かないと、どこかで「すれ違い」「軋轢」が生ずるのも避けがたい。
それにしても、まともに総理大臣を務められなかった「人」が、後任の総理を「サポート」するのならともかく、
「さっさと止めろ!!」は無いだろう。人知を遥かに超えてしまっているし、全くの意味不明だと、誰も思わないのだろうか?
高校生の頃、友人と連れだって何度か遊びに行きました。あそこで「ビリヤード」もおぼえました。私の住んでいた豊中からは遠かったのですが、なぜかスケートは「ラサ」へ。マジメナ高校生だった私達ですのでオイタはしませんでしたが…
7月からのリスタートに幸アレ!
「ラサスケートリンク」だけに単純に反応してしまったキクより
「ラサ」にご反応をありがとうございます。
当時、好意をよせる女子とスケートリンクへ行って
手をつないで滑る・・・は「夢」でした。
その為に、少ない小遣いをためて、必死で練習しました。
・・・・・その日の為に・・・・・・・
阪急梅田にも、スケートリンクがありました。
お正月とか、良く通いました。
人が多すぎて、ほとんど滑るスペースがなくても
わくわくドキドキ・楽しい時間でした。
上階がたしか、ボーリング場でした。
当時、私は阪急沿線・武庫之荘から豊津の堀部先生宅へ
911や940を背負って毎週通っていました。
練習サボりの名人でしたが・・・・・・
子供の頃の、とても懐かしい思い出です。
A山荘の寮で焼酎と一緒に食べた、ボール山盛りのキャベツだけ・・・そう、ドレッシングもマヨも塩もなんも無い、キャベツだけ。美味かった。不思議なくらい美味かった。
今の永田町で毎日上演されている、政治猿芝居は、本家猿回しの芸達者なお猿さん達に、大変失礼な、猿芝居と思います。国会に不信任案を突きつけたい思いの国民の一人であります。
叫びたいです。「ふざけんなぁ~~~~、いい加減にしろっ。・・でも、実戦するのは、こっちの方だからなぁ。」と。ニセコもすっかりと深い未緑になりました。素晴らしい、孝行です。幸多からんこと祈念しています。
久保さんがニセコから札幌に移られたことをとても残念がっていました。
そう、本当に、あんたらに、任せていたら
この国、「絶対終わるワ」みたいな程度の低い
報道内容に、「怒る人」が私だけではなかったことに救われます。
まだ、離れたばかりですから、寂しさは募りませんが
時間とともに、ニセコを思い出すと感じています。
sammi さま
お疲れさまでした。
今日は、tomokoさんと、シアターキノで逢坂さんが
紹介されていた「100,000万年後の安全」を見てきました。
私が、映画の途中から抱き始めた思いは、
100,000年後のことを、あれこれ心配することより、
今の私達の意識を変えて行くことの方が、
話は、とても早いのでは??・・という思いでした。
地球上の人々の意識がすべて変わったとしても
すでに作られた?核のゴミは現実問題として残りますが、
それと、今、享受している生活が、もう出来なくなると
ネガティブに考えるのではなく、私達は、1日、テレビを
2時間だけ見るという選択をして、街の中へは、自転車
バス、電車で、出かけるという選択をして、自らが
選択して行くんだ・・・という考え方をしていった方が
より受け入れられやすいのでは・・という思いでした。
地下500mの岩盤に、広大な空洞を掘って、核のゴミを
閉じ込め、現在から100,000万年後の人々に至まで、
如何に伝えて行くか?・否、忘れ去られてしまった方が
良い?・否、忘れ去ることを、忘れてはならない・・・
プロジェクト自体が、ナンセンスなのでは・・・・?
暗闇の中で、多くの人々が語ったけれど、確証めいたものは
何も得られない・・という現実があり、それが、今の
核廃棄物の現実だと見ました。