ニセコ高原風だより

ニセコ高原のアコーディオン弾きがお送りする季節のおしらせ。

東京オリンピック・・

2013-12-01 06:31:01 | Weblog




静かな朝だ、
堅くなった雪を「ガリッ・ガリッ」と踏みしめて、歩く、
つるつるになった所を避けながら、「ルゥ」の引き綱を握りしめる、

昨夜、東京オリンピックの記録映画を見た、
確実に50年とちょっと・・・という時の「塊」が過ぎ去ったことを思い知る・・「明快」な記録映画だった、
当時、開会式や各競技をテレビの前で観戦して、素直に感動「出来た」自分を思い起こしていた、
まだ・・・・自分の生活圏の外の事柄に、それほど興味を抱かなかった時代、
選手村の「ご馳走・・?」・・華やかな入場行進に「浮き浮き」していた、

その後、自分の生活圏の外の世界を見たいと、自転車に乗って走り出す自分がいた、
人間が成長する過程で抱く正常な欲求に他ならない、
一体全体、よその世界はどうなってるのだろう・・・・?

そうして、50年という時の「塊」を飛び越えて、今、自分はここに居る、
50年という時の「塊」は流石に重く、大きくて、
後1日・1日・・と確実に「死」に近づいて行く(いつでもそうだけど・生まれた時から)
自分は、一体全体何者なのか・・と考えたくなる(・・・そう、考えても『しょうがない』)

雨が空から 降れば
オモイデは 地面にしみこむ
雨がシトシト降れば
オモイデはシトシトにじむ

黒いコーモリ傘をさして
街を歩けば
あの街は雨の中
この街も雨の中
電信柱もポストも
フルサトも雨の中

しょうがない
雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとり
おさかなをつれば
おさかなもまた
雨の中

しょうがない
雨の日はしょうがない
しょうがない・・・・
雨の日はしょうがない  作詞:別役実

大学では「真実を探求する!!」・・・よう教えられる、
しかし・・「真実」ってどうやら「ひとつ」ではないかも知れないと・・・疑念を持つようになる、

〆の言葉は「ええねん・・!ええねん・・!どうでもええねん・・!」・・・になる、
これを、少し、「遠回しに」唱えると、諦め切れない自分と「こりゃ・・あかんかな・・?」・・という自分が
しっかり見え隠れする、

都の責任者は、人の弱さを露呈した形となってしまった、
根っからの政治屋さんではないので、本意ではないことを表現しようとすると、すべて「顔」に出てしまう、
ある意味、正直な人柄だと言える、

名だたる政治屋様方のお「顔」を思い出して下さい、1億やピーナッツ3個くらいでは「ピクリ」ともしない
方々ばかりでした、権力を持てば、そこに群がる小魚も数え切れない、それは資本主義・共産主義・社会主義・・・・

『しょうがない』・・・のか・・・?
「性(さが)』・・・・?