静かな朝だ、
堅くなった雪を「ガリッ・ガリッ」と踏みしめて、歩く、
つるつるになった所を避けながら、「ルゥ」の引き綱を握りしめる、
昨夜、東京オリンピックの記録映画を見た、
確実に50年とちょっと・・・という時の「塊」が過ぎ去ったことを思い知る・・「明快」な記録映画だった、
当時、開会式や各競技をテレビの前で観戦して、素直に感動「出来た」自分を思い起こしていた、
まだ・・・・自分の生活圏の外の事柄に、それほど興味を抱かなかった時代、
選手村の「ご馳走・・?」・・華やかな入場行進に「浮き浮き」していた、
その後、自分の生活圏の外の世界を見たいと、自転車に乗って走り出す自分がいた、
人間が成長する過程で抱く正常な欲求に他ならない、
一体全体、よその世界はどうなってるのだろう・・・・?
そうして、50年という時の「塊」を飛び越えて、今、自分はここに居る、
50年という時の「塊」は流石に重く、大きくて、
後1日・1日・・と確実に「死」に近づいて行く(いつでもそうだけど・生まれた時から)
自分は、一体全体何者なのか・・と考えたくなる(・・・そう、考えても『しょうがない』)
雨が空から 降れば
オモイデは 地面にしみこむ
雨がシトシト降れば
オモイデはシトシトにじむ
黒いコーモリ傘をさして
街を歩けば
あの街は雨の中
この街も雨の中
電信柱もポストも
フルサトも雨の中
しょうがない
雨の日はしょうがない
公園のベンチでひとり
おさかなをつれば
おさかなもまた
雨の中
しょうがない
雨の日はしょうがない
しょうがない・・・・
雨の日はしょうがない 作詞:別役実
大学では「真実を探求する!!」・・・よう教えられる、
しかし・・「真実」ってどうやら「ひとつ」ではないかも知れないと・・・疑念を持つようになる、
〆の言葉は「ええねん・・!ええねん・・!どうでもええねん・・!」・・・になる、
これを、少し、「遠回しに」唱えると、諦め切れない自分と「こりゃ・・あかんかな・・?」・・という自分が
しっかり見え隠れする、
都の責任者は、人の弱さを露呈した形となってしまった、
根っからの政治屋さんではないので、本意ではないことを表現しようとすると、すべて「顔」に出てしまう、
ある意味、正直な人柄だと言える、
名だたる政治屋様方のお「顔」を思い出して下さい、1億やピーナッツ3個くらいでは「ピクリ」ともしない
方々ばかりでした、権力を持てば、そこに群がる小魚も数え切れない、それは資本主義・共産主義・社会主義・・・・
『しょうがない』・・・のか・・・?
「性(さが)』・・・・?
行って見たはずだ。売れ残ったモノだろうか? あまり注目
されていないモノばかりだったような気がするけど、各校
に配布されたんじゃないかな?
僕は国立競技場 サッカーの決勝だった。そのころはサッ
カーは全然人気無かったよね。.ルールさえ知らなかった。
ヤンマーの釜本 三菱の杉山 注目されたのはメキシコ
オリンピックの頃かな?
お元気でいらっしゃいますか・・・?
きっと、スタジアムがあんまりガラガラでは
国の沽券(面目)に関わる事なので、教育的配慮と
いう理由を無理矢理くっつけて、スタジアムを埋め易い
(手っ取り早い)教育現場に動員をかけたのでしょう・・!?
私は中学でサッカーをしていた事が有るので、
ペレ・カマモト・スギヤマは神でした、
当時の運動部は熱血先輩が仰山おって、
野球部に入れば、ケツをバットでしばかれるし、
サッカー部に入れば、屋上から投げるボールをヘディングさせられました、
それが普通の時代でした、
これから、大阪に出かけます、
しばらく ホナ・サイナラ・・・