十一 情報科学と情報資本・情報権力(続き)
商用コンピュータの登場と情報資本の発展
コンピュータの開発には軍事目的がちらついていたが、やがて1950年代以降になり、商業目的のコンピュータ開発の動きも現れた。その点、世界最初に商用投入されたコンピュータはイギリス発のレオ・ワン(LEO I)であった。
これは元来、ケンブリッジ大学のチームが前回見たアメリカのエドバックの開発構想に触発され、エドバックに先行して開発した世界発の実用的なプログラム内蔵方式コンピュータとされるエドサック(EDSAC)をベースとする機種である。
レオ・ワンは後継機種も開発されたが、製造元のレオ・コンピューターズはレストランチェーンのJ・リオンズ・アンド・カンパニーが設立したもので、情報資本としては持続せず、イングリッシュ・エレクトリックに買収されて以降、転々譲渡された。
こうしてイギリスは商用コンピュータの先駆を成しながら伸びず、商用コンピュータ開発で初期の先導的な役割を果たしたのは、共にアメリカ資本であるレミントンランドとIBMである。
先行のレミントンランドは1927年から1955年までの30年弱しか持続しなかった事務機器製造メーカーであるが(55年以降、二度の合併を経て現ユニシス社に継承)、1951年に汎用性を持つ商用コンピュータとして、ユニバック・ワン(UNIVAC I)を製造販売した。
これは前回見たエニアック(ENIAC)の開発チームが設立した会社を買収して製造元となったものであった。UNIVAC Iは宣伝のため提携したCBSテレビの大統領選挙の結果予測に早速投入され、アイゼンハワーの当選予測を的中させて名を上げた。
UNIVAC Iはそれまでデータの出入力に使用されていたパンチカードシステムに代えて磁気テープを使用した点でも画期的なものであり、これはIBMほか競合社の製品にも取り入れられていった。
一方、IBMではアメリカ軍の気象予測用コンピュータ開発を極秘で進めていた。その結果、誕生したのがIBM 701である。これは事務的なデータ処理を高速で実行する中型コンピュータであったUNIVAC Iとは異なり、科学技術的な高度計算を実行するプログラム内蔵型大型コンピュータとして開発されたものであった。
IBM701とUNIVAC Ⅰの後継機種は競合関係に立つ主力商品として、軍用のほか民間企業でも使用されるようになり、商用コンピュータ初期の代表的な商品として定着した。特に、IBM 701は同社最初のメインフレームとして後継機種の基本型となった。
単なる製造元でなく、自身が研究開発企業でもあるIBMは1956年には高水準コンピュータ言語FORTRANを開発するなど、50年代から60年代にかけて商用コンピュータ開発の先導者であったが、それ以外にも、集積回路を開発したテキサス・インスツルメンツなど、広い意味の情報資本が大きく発展したのも1950年代のアメリカであり、この時代に今日まで続くアメリカ情報資本の繁栄の基礎が築かれたと言える。
これと対照的なのが、同時代の冷戦下でアメリカと科学技術面でもしのぎを削っていたソ連である。ソ連における情報科学の状況に関しては以前に言及したが(拙稿)、民間資本が存在しなかったソ連のコンピュータ開発は極秘の国家プロジェクトとして、国立研究機関を拠点に開発が進められたため、更新性や互換性に欠ける結果となり、閉塞・停滞していった。
最終的に、ソ連は独自開発をやめ、IBM製品の海賊版に依存するという安易な便法に走るようになったことで、結果的にIBMがソ連にも進出したに等しく、西側情報資本の技術力が敵対する東側にも及ぶ皮肉な結果となった。