こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記 : えんぴつとノートの小宇宙

2011-01-31 21:41:13 | 雑記帳
今日の仕事には、自制・自省が働いた。
サーモスタットが機能。

ノートにえんぴつで“そぉっと…”いたずら書きしながら、思考をまとめた上で「こと」に当たり、また、時間を経て、またノートとえんぴつに戻る。

キャパオーバーと思えたところ(それゆえか?)、ノートとえんぴつのお陰で9:00―19:30、昼抜いた9.5時間で、気持ち的には120%、かなり上手いこと宿題を進められた。

やることやって、後ろ髪など一切無視して、さっさと19:30仕事場撤退する。

そして、とにかくこんなときは、とことん誰にも捕まらないように、19:34来た電車に飛び乗り、現場を走り去ること。
これ大事アルヨ。

***

しかし、上手くやっても計10.5時間仕事場に居たことになる。
これを24時間の内のりで割ると43.75%。

往復交通含むと52%。
上手くやっても半分以上。

最近、24時間をえんぴつで丸書いて、やっていたことを時間で割っていくと、俯瞰的に自分の使い方が、えんぴつによって判ってくる。

MZ師からもよく言われるが…。
いかに自分で定めた時間内におさめるか?
という目標から始めて、そこにフィットさせていくか?なる視点で「こと」に当たる。

大事な視点。

***

今日は、えんぴつでノートを「そっと」なぞっているとき、脳裏に、1981年愛聴していたタンジェリンドリームのアルバム「イグジット(=出口)」が流れた。

そこに何の因果があるのか?
よく判らないが。

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かたちんば徒然日記 : 101101から3ヶ月

2011-01-31 04:30:04 | 雑記帳
γGTP=470で「再度血を抜き、上回ったら即日入院」宣告から、11月1日アルコール絶ちをして、3ヶ月が経過した。
それまで飲んでいた9種のクスリと酒が相乗効果をして肝機能障害に至ったが、今は4種のクスリ(うち1つは漢方薬)に搾る事とアルコール絶ちで回復しつつある。

そこには、こんな「かたちんば」でも裏で支えてくれた人が居る。

歳が上も下も。

しかし、苦楽を共にしてきた人なら全員そうか?
といえば、この性格だから、そういうことは無い。
下町生まれの容赦無い口の悪さ等々のある自分。
仕事場というのは「メシを食うためのお金を得る場」だから、その中での関係だから、資本主義の手先と転向する者、周囲の状況に応じて切り捨てられることは多々あって当たり前。
そんな中、過去20年いろんな言い合いも経ながらも、本音で当たってきた人にこそ、そういう何か不思議な感情・仕事や関係性を超えた根底での結び付きが生まれている事を、この3ヶ月で知った。

***

しかし、長い悪友の抑鬱は根強い。
様々な本という良友や淡々と僧侶のように日々を送る事で、ある程度フラットに来たのだが、どうも先週24(月)からバイオリズムがおかしくなってきた。
身体的には、だるさ・重さが、精神的には暴力衝動と周囲が陰口を言っている幻覚とがあいまり、許せない事象への罵声と指摘が強度を増している。

正気に戻れば、やり過ぎたな、と自戒するが、その反省と居心地悪さが、ループして悪のスパイラルを起こしてしまっている。

***

ノンアルコールは肝臓には良いが、生きている以上常一定ある緊張感の糸がずーっと続き、切れ目が無い拘束感。
私が愛する街歩き散歩&写真・音楽・お風呂で少しは緊張緩和するものの、逆にそこで発見したヒントに興奮状態に入り、余計疲れさせてしまう。

本当は、1週間くらいぼーっとする休みが欲しいのが本音。

だが、なかなかたがわぬ望み。

また、難しい局面に来た気がしている。

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マーク・ノップラー 「アイリッシュ・ボーイ」'84.07

2011-01-30 16:03:45 | 音楽帳
毎年、夏になると聴く、マーク・ノップラーの「CAL」というアルバム。

その中の1曲、アイリッシュ・ボーイ。

さくりんさん、この曲が、かつて聴いた曲では無いですか?





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かたちんば徒然日記 : -110124~0130- 振返帳

2011-01-30 14:05:13 | 雑記帳
さくりんさんへ

返事を書けるだけの思考能力が無い自分。
また、お世辞でも何でも無く、とても安易に読み流せない、生きる機微を表現しようとしている文章に、対峙するには時間を要する。
少し時間を下さい。

***

28日(金)がさがさ言う周辺の電話とメールと会話の飛び交う中、次週に宿題持ち越しはカンベン願いたいので、よたよたになりながら、ガーッと2つの会合の要点をまとめて、夜遅くに出来上がると、関係者一斉一挙送信。

結果、仕事場に残るは1人。

誰も居なくなった後、雑事をさばく。
次週の予定を組むが、完全にキャパ・オーヴァーが判明。
23:00仕事場を出て、建物を振り返ると真暗で誰も居ない。

***

やっと人間の任務を終えて、エイリアンに戻る帰り道。

上野・浅草・東向島を通過しながら、夜の街を写真におさめつつ、闇世界に入っていく。



ここに居て何が悪い
人間ごときに言われる覚えはない

楽になる
死ぬ程楽になる
死ぬ程怠ける
人間のフリをしたエイリアン

外圧には突破あるのみ
叫ぶ
キチガイになることで
エイリアンは身を守る

悪辣な人間を憎み
必ず とことん追いかけ復讐する
刺し殺す 
必ず
これが超越

悪にこそ華がある
夜の闇に潜む

戸籍も名前も無くし
誰でも無くなる夜の闇に潜む

あらゆる目的を捨てる

「無為」
=何もしない
=無言の抵抗
=自由

***

どういうことか?
24-28 脳の動きがうまくいかない。

何をしても、アリ地獄のように、前に進まない。
ギアにドライヴが掛からない状態でも容赦ない。
その中、それでも走らざるを得ない。

温かくしていても、持病の首の回り全てのコリ→痛みが去らない。
また、近時、眼痛が激しくてやまない。
眼は真っ赤。
薬局で「ノイビタZE」を買い、過剰量服用する。
少しだけ眼痛は楽になる。

***

帰ると28(金)→29(土)に日付は替わっている。

適当にCDを掛け、聴きながら、深夜になってしまった夕食をコタツで食べる。
ノンアルコール・ビールを呑む。

音楽をひたすら聴く。
「食べる煮干」を食べつつ。

手元にあるCD等を聴く。
探す労力に費やすエネルギーも無く。

スパンダー・バレエ「パレード」のような軟弱ものから・・・
U2「焔」
ブライアン・フェリー「キス&テル」といった、核を持つ音楽まで。

気が付くと、朝8時を過ぎていた。

***

カプセルに入って活動停止。

目ざめると30(日)の10:15.

26時間の活動停止。

***

ノンアルコール・ビールを再び呑み出し。
濃い緑茶を飲む。

26時間後に動き出すと、外の空気と合致させるに時間を要する。

通常39℃のぬる湯の自分が、44℃の熱い湯に浸かる。
やっと少し潤滑が良くなる。

音楽

マーク・ノップラー「ザ・ロング・ロード」「アイリッシュ・ボーイ」
ロバート・ワイアット「アット・ラスト・アイ・アム・フリー」
ペンギン・カフェ・オーケストラ&イーノ「君の恋人が去っていく音がするけどたいしたことじゃないよ」

***

【エアチェッカー&カセットテープ愛好家の追憶】

さくりんさんの文章
『トレイシー繋がりでトレイシー・ソーンですが、
私のテープは
・マーク・ノップラー「   」
・ジェーン「It's a fine day」
・マリン・ガールズ「A place in the sun」
・モーリス・ディーバンク(FELT)と続きます。
ジェーンとマリン・ガールズは「PILLOWS AND PRAYERS」とは逆の曲順ですが、自分には断然この流れ。
陽だまりで過ごした後、野原を駆け抜けて家路に向かうと次第に夕暮れが…という展開です。』

かたちんば

「PILLOWS AND PRAYERS」は、2枚ともちゃんと全部聴けたのは、社会人になってからですが。。。

・「トレーシー」では、80年代にお世話になった人は、トレイシー・ヤング、トレイシー・ソーン、トレイシー・ウルマンの3人。
トレイシー・ヤングは、雑誌等には「トレイシー」としか書かれていませんでしたが、ポール・ウェラーが作ったレスポンド・レーベルの紅一点で、彼女のバックにはポール・ウェラーも協力しています。



そのアルバム「far from the hurating kind」は、NHK-FMの「サウンド・オブ・ポップス」<イギリスの個性派アーティストたち>という特集の2回目にアルバムの主要曲が流れ、それをエア・チェックしたテープをよく聴いていました。



夏の草原。。。
がさごそとカセットのヤマから出てきたテープのインデックス・カードは丘ではありましたが、馬は居ませんでした。
記憶違いか?
というと、そうでもなく、別のカードに、入道雲をバックに、丘の上に1頭の馬が居る写真はあったのですが、もったいなくて、それを切り抜かずに眺めていました。
「far from the hurating kind」の収まったテープのカードは写真のような丘。

自分の夏によぎる癒しの定番は、

・トレイシー・ヤング アルバム「far from the hurating kind」
・マーク・ノップラー サウンドトラック「CAL」
・トンプソン・ツインズ 「ストーム・オン・ザ・シー」「シスターズ・オブ・マーシー」
・ドゥルッティ・コラムの一連のアルバム
・ミカド 「ミカド」「パハザール」
・シャイニー・トゥ・シャイニー 「モーメント・トゥ・モーメント」「ザ・ガール・フロム・イパネマ」

などなど。



梅の花がもうすぐ、2月には咲けば、やっと冬ごもりから春が見え出します。
来週からの、向島百花園の「梅まつり」で梅の花に出会い、より春の兆しを、自らの中に感じたいものです。

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私のレコード棚から ⑤ Anna Domino 「トラスト・イン・ラヴ/リピーティング」'83

2011-01-28 12:00:00 | 音楽帳
自分が、7インチのシングル盤で、なおかつ、輸入盤に憧れて、探し出したのが、1982年~=高校1年生~の事と記憶している。

高校が、山手線の大塚駅と池袋駅の間に位置していたので、よく帰り道に、池袋に行った。
うちの高校は厳しいので、行き帰りの道でも極道先生に会ってしまい、シバかれたり、「こんな時間に繁華街でナニやっとる」と翌日には剣道場にて総括をさせられる事もあった。

そういうキケンを犯して、自分が通っていたのが、池袋の中心から少し離れた公園の向かいの2階にある中古レコード屋さんだった。
ここでは、デペッシュモード「ア・ブロークン・フレーム」、チャイナ・クライシスの「スクリーン・ダウン・アット・ミー/キューカンバー・ガーデン」の12インチなど、色々発掘した、自分の1つの基地だった。

***

ここで、7インチのアンナ・ドミノのシングルを発見した。
比較的安価で500~600円くらいだったと思う。

(当時、輸入盤屋さんでは12インチが1800円くらいした)

まったく、アンナ・ドミノという人も聴いた事無いし、情報は全く無かった。
おまけに試聴というのがお店では出来なかったが、このジャケットに惹きこまれて、決心して買った。



***

帰ってから、ターンテーブルに乗せて、聴いてみると、この上無い暗さ。

暗闇にポーン・・・ポーン・・・と叩かれるドラム
キリキリいうギター
ところどころで、ダブ的な処理

そこに、つぶやくようなけだるいアンナ・ドミノなる人の高いヴォーカル

実にヨーロッパらしい暗さに満ちていた。

また、聴いた事の無いヨーロッパの新種発見に、稀有なレコードを買っただけで満足していた気がする。

***



その後、ベルギーのクレプスキュール・レーベルが、アンテナやミカドやソフト・ヴァーディクトなどの存在から、我々のようなニュー・ウエイヴィーの脚光を浴びることとなるが、これを買ったのは、その前夜のことだった。

表示に、1983年となるから、たぶん高校2年生の頃に買ったのだろう。

A面はまるで時間が停止したかのような暗い4分24秒だったが、

B面の「リピーティング」は、中近東というかインド風の味付けがされていて、アンナ・ドミノのヴォーカルもA面より少し明るみがあり、曲全体に躍動感がある。

奥深きヨーロッパの憂鬱感が全体に漂っている。

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私のレコード棚から ④ Double 「ザ・キャプテン・オブ・ハー・ハート」'86.01

2011-01-27 12:00:00 | 音楽帳
レコード紹介とはいえ、今は真冬。

冬には、やはり冬に聴いていた、また、冬らしい曲を掛けるべきだろう。
しかし、冬には陰鬱な方向の音楽に、中身も傾くはずである。

そこを回避しながら、冬を心地良くさせる鎮静剤・鎮痛剤の音楽。
そういうものを紹介したい。



1986年1月発売のシングル、ドゥーブルの「ザ・キャプテン・オブ・ハー・ハート」。
自分は1年目の素浪人の冬。

***

この時点では「たぶん」だが、既に2年目の素浪人は決定していたものと思う。

先日、ゆとり教育で、人数も少なく、ほぼ全員が大学に「カネ」さえあれば入れる中、センター試験とやら<昔でいう共通一時試験>が行われていたようだが、ということから察するにも・・・
ひとおお~つ、ひとおお~つ、ひとおお~つ、試験を「当たり前だな」と思いつつも落ちてゆき・・・
坂を転がり落ちるように・・・
堕落した住所不定無職で宙ぶらりんのまま、街をひたすら徘徊する自分は一体、何者だ?
という死・社会の外側に落ちた存在感無きアウトサイダーだった記憶・・・

そんなさなか、震える冬と「私がこわい」心神状態の中、こういう静かな音楽を鎮痛剤代わりにしていた。

***



「ブルー」というファースト・アルバム自体は持っていないし、全体を聴いていないが、シングル盤であるこの曲は、当時ヒットし、イーノの「アナザー・グリーン・ワールド」からのB面後半の静寂、コクトーツインズ、プロパガンダ、クリス&コージーらの曲と一緒に特製カセットテープに収まっていた。

A&Mレコードということは、アメリカのバンドでは?
と思わせるが、ピアノ、ヴォーカル、ギター、ドラム、サックス・・・4人編成の奏でるこの曲の静寂感は、とてもヨーロッパ的なものを思わせた。



冬の夜。
静かな部屋で、この曲をひざまづいて聴くと、あの1986年の孤独な夜を思い出す。
明らかに夜聴き、魂を鎮めるための音楽なのだ。

***

この輸入のシングル盤は、神保町~水道橋に向かっていく辺りの富士レコード社で発見したもの。
ジャケット兼ふくろの中に(さくりんさんの表現借りれば)レコードがそのままゴロンと入っている。



想い出深き、冬の曲だ。

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かたちんば徒然日記 : 脳がカラッポの日本警察の晴れ姿

2011-01-26 23:42:26 | 雑記帳
2011年1月某日。

日本のほとんどのマスメディアが、裏の利権争奪を繰り広げるだけの馬鹿集団なのは、公然の事実。

そこに、警察庁も負けねえぞぉと、想定通りの馬鹿集団を見事に演じていたようだ。

『馬鹿と馬鹿とのコラボレーション実現!』

場所は、秋葉原。
ときは、先週末のウィークエンド。

全ては想定内。
だから、私は秋葉原に行かなかった。

仕事場でも「ホコ天行ったの?」とニヤつく馬鹿に「バ~カ。行くかよ。」

私は、秋葉原に幼い頃からオーディオ、レコード等を求め歩いて35年近く、街の変遷を見てきた。

車で集団に突っ込み殺人事件が起きた場所が、秋葉原の歩行者天国だったのは事実。

しかし、そこからが大笑いだが、歩行者天国禁止→厳戒体勢下での歩行者天国再開。

TBSラジオ「DIG」でも、その馬鹿丸出しぶりを揶揄しているが、脳が単純構造のマスゴミと警察。
もはや「天国」は名ばかりなり。
天国という名の檻と化したアキバに自由は無い。
渋谷,池袋,新宿…幾らでも突っ込む可能性ある地は山程。
街というのには猥雑さがあることが、それぞれを魅力的な街にしているが、過去を大事にしない再開発と浄化運動が、馬鹿な正義感が、街の魅力を踏みにじってゆく…。

そんな一方では、迷宮入り事件は山盛。
警察は、何一つ仕事をしていない。

所詮は、低脳体育会系人間が考える次元の低さ。

役割任務果たさぬクセして、平気な顔して、税金でメシ喰う警察も民営化すべきである。

さかのぼれば、近世の魔女刈り、911事件に於ける証拠無き戦争突入、そして、今進行する世界的タバコ刈り・全廃キャンペーンに於ける詭弁と扇動…
この系譜に秋葉原歩行者天国再開も位置付けられる。

時代は変われど、同じ過ちにはまっていく。
直感的にそう思う。

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私のレコード棚から ③ 富沢聖子 「コロニアル・ホテルの出来事」'84.07.20発売

2011-01-26 12:00:00 | 音楽帳
マーブル・ディスクでシングル盤(EPレコード)を探している中で、聴いたことは一切無いが、気になったものがあったので買った。

それが、この曲。
何が、買う要因だったかというと、日本航空のキャンペーンソングだったという点に限る。



聴いてみると、八神純子さんのような声の色・曲調はボサボヴァ風、オーケストリングにつまびくヴァイオリン、刻むサックス。。。

脳裏に浮かんだのは、荒井由美の「青春の後姿を、人はみな忘れてしまう。。。」のあの曲。
とても曲調は似ている。

全体に穏やかでムーディー。



歌詞をじっくりと読みながら聴く。

日本航空のキャンペーンソングということで、夏の避暑地への独り旅の模様。
そのホテルでワインを飲みながら、異国のギャルソンに「身をゆだねたのよ」らしい。

【ここからは、みうらじゅん先生譲りの口調になってしまうが】曲調に乗せてしら~っと聴いているとついうっかりしてしまうが、隠語で語りながらも、かなり過激な内容となっている。
日本航空は、こういう「パラダイスでの誘惑」などと言い換えながらも、異国に脱出することでオープンになってSEXしてしまう女を煽動しているのか?
などと個人的に、ふと想った。



「焼けた肌のコントラストを くちづけでたどる あなたらしい愛し方に 目を閉じた私」
実になまめかしい。

そうして、日本に戻って来ているクセをして、忘れられない・帰りたいと言う。

さかんに「愛」と言葉には出るが、この相手に合う為に帰りたいのではなく、全体としては、そうなってしまう雰囲気をかもし出す「その国」にまた行って同じ目に会いたいという総括となる。

こういう曲が、キャンペーンソングというのも、非常に面白いことである。



このレコードは、1984年7月20日発売とのこと。

私は、夏の暑い盛りを、高校2年生で、御茶ノ水の某予備校の夏期講習に行きたくも無いのに行かせられていた頃となる。
もしくは、右翼高校の排球部の学校での合宿で血を吐く想いでシゴかれていた頃。

既に、生きることの意味に哲学的迷走に入り、抑鬱でもあった。

当時の思い浮かぶシーンは、エアコンを入れた部屋で、土日の休みに、大きな窓のカーテンを全開にして、イスに座って特製のカセットをかけながら、蒼い空を移動していく入道雲を何時間も鑑賞し、心身ともに疲れ切った状態を癒していた。

具体的には、
・マーク・ノップラー(ダイア・ストレイツ)の映画「CAL」のサントラで、牧歌的にギター中心に奏でられたケルト民族色強い「ザ・ロング・ロード」という切なくも美しい曲。
・ドゥルティ・コラムの「キャサリン」「フェイバリット・ペインティング」「フランチェスカ」
・さくりんさんも好きなフェルトの「ニューイングランドの説教師」
・ミカドの「パラザール」

などなどを聴いていたように想う。
この土曜の時間をとても愛し、日没までの自然が織りなすショーを大事にしていた。

***

当時、この曲を聴いていたら、この女への嫉妬から気が狂っていたかもしれない。
(というより、既に、気は狂っていたが)

いかに同時代に共存しながらも、この曲と童貞青年の自分がかけ離れていたかを、26年半後の今、認識した。

■書いているうちに、タイトル・テーマである「レコード」から逸脱してしまった。
まあ、こういうのが、分裂症患者特有の事象で、仕方の無いことだが。。。。

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U2、ブライアン・イーノ、ラノワ&リリィホワイト「名前をまだ持たない通りで・・・」’87

2011-01-25 12:00:00 | 音楽帳


無意識に血塗られたアメリカを想起させる意図的仕掛けのアトモスフィアとコードが低音に奏でられる。

巨大なモンスター=アメリカという不毛の地でも、自分は自分たちの軸のブレない花を咲かせると言う断固とした意志。

えりを正すような荘厳な響き。

誰にも超越不可能なイーノ独自の拡がるエコーに、ジ・エッジのギターがループを起こしながら絡まり、そして本編の曲が走り出す。

U2の4人、イーノ、ラノア、リリィホワイトが融合し、化学変化することで産まれた、不毛の地に咲いた花。

その結晶として結実した「魂」の歌。

自分が逆境やどん底になった時。

この曲に耳を静かにそばだて聴く度に、自分の魂は震え、気は「それでも・・・・」と新たな魂を自分の体内に産み出し、再び奮い立つ。


【U2、ブライアン・イーノ、ラノワ&リリィホワイト「Where The Streets Have No Name」’87】



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私のレコード棚から ② Dip In The Pool 「黒いドレスの女- ritual-」 '87.03

2011-01-24 12:00:00 | 音楽帳
80年代の中で、ディップ・イン・ザ・プールについて記憶におぼろげだったことの1つは、うつむき加減のメロディと空気感を持った曲だった。

それが、どこで聴き、何という曲だったのか?

まるで水面の些細な波紋を佇みながら、呆然と見ているような曲。

私は、それを辿ってディップ・イン・ザ・プールのレコード、CDを買っては聴いたが、私の脳に刻まれた曲にはぶち当たることはなかった。

***

それも、2011年1月の真冬、マーブル・ディスクで眠ってたEPレコードに拠って一挙にフラッシュバックした。

買って帰り、針を落とすと、やっと「この曲だ」という確信。



その曲とは「黒いドレスの女- ritual-」というもの。

この曲はしかも「黒いドレス」という映画の主題歌だった。

私は多分、この映画のCMで、この曲を聴いたのだった。

1987年3月14日に公開された映画という事は、自分が精神破綻後、大学も決まり、池袋のとある大学の中にあるところにクスリをもらいに行きつつ、毎晩、イラストを書くことに全てを預けていた頃。



なぜか、この曲の想い出のかけらには、昼のシーンが結びついている。

ぽっかり空いた・昼の白昼夢・・・刻が停止したかのような時空

久米宏?「おしゃれ・・なんとか」という番組がテレビから流れ、
FMでは、細川俊之が「ワールド・オブ・エレガンス」で例の声で「君はなぜ、そんなにも美しいんだろうか・・・マロニエのような・・・」

そんな不思議な「祭りの後」=ニュー・ウエイヴ終焉後の、おぼろなイメージの系譜。



このEPレコードで初めて知ったことだが、ぬあんと、佐久間正英さんが作曲だったんだ!
佐久間さんといえば、プラスチックスの実質ウラで音をプロデュースしていた、プラスチックスの中での唯一のプロの音楽エンジニア。

佐久間さんのソロのアルバムもCDで持っているが、稀有な才能を持った人である。



映画の「黒いドレス」は見たことは無いが、80年代における角川映画というのは、魅力に満ちたワールドだった。
いまやピューパのヴォーカルで、アンチエイジングそのものを具現化した姿で、「劇的にかわいい」と思わせた知世ちゃん主演の映画。

当時の知世ちゃんには、女の子へのピピッと来るものを少年は感じていなかったが。



カリスマ的で人間離れした存在感と魅力を持った甲田益也子さんが、音楽ユニットを結成した事は、1つの大きな事件だった。
そして、その透明感と佇まいを持ったヴォーカルは、ポジショニングは異なるがコクトー・ツインズのエリザベス・フレイザーとも見えない水面下の水路で繋がっている。

自分の嫌いな(戸籍上まだ繋がる)家族の者。そいつらはディップ・イン・ザ・プールの存在に惹かれた者どもだが、以前に話していた際に、彼らが言った。
「なんでディップ・イン・ザ・プールが、あれほど稀なるポジションを位置しながら、セールス的にいまいちだったのか?」と独り言のように言った。

うちのレコードの巣窟に「太陽のしっぽ」を発見したときに「おおお!」と唸っていた彼らを思い出した。
「少し静かに聴かせてくれ」と私は無言でいいたい。



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