こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:坂本龍一&B-2Units Live 1982年5月5日放送

2023-05-28 15:00:00 | 音楽帳

ひさびさに取り出した古いカセットテープ。
それを久しぶりにじっくり聴いていた。
本日も極めて個人的な備忘録。

1982年5月のゴールデンウィークに「坂本龍一のサウンドストリート」からのプレゼントとして、特別に「B-2ユニッツ」のライヴが放送された。
この日少年は家族との夕飯時間をごまかし、自室でラジカセに向かい、60分のカセットテープを回していた。興奮を抑え入念にFMの電波を細かくチューニングし、18時の始まりを待ち、途中カセットをひっくり返すのにあたふたしながら、エアチェックした。
この特別番組を録音した60分のカセットテープは当時の少年には貴重な宝物で、繰り返し繰り返し大事に聴いていた。

未発表曲もあり、ライヴでは初めて聴く曲あり、多様なおもむきの曲を集めたバンド形式の演奏はとてもぜいたくで素晴らしかった。これをそのまま新譜として発表してもいいんじゃないか?と思うくらいの完成度の高いライヴだった。1982年も春をむかえると、YMOのメンバーそれぞれの音楽はまた新しい展開を見せていた。まさに「ココロは毎日が夢のような」まばゆい日々だった1982年。

ここには1981年YMOウィンターライヴ終了までの異様な緊迫感はなく、自由な空気の中で展開される曲たちは伸びやかで豊か。その音楽の姿は、当時よく見ていたカセットのインデックスカード(セザンヌやモネといった印象派の風景画)と自分の中で勝手に結びついていた。
会場は、NHK 509スタジオ。最後のピアノ配信コンサート「Playing the Piano 2022」と同じ場所。このライヴには6,000通応募があり、抽選で150人が選ばれたという。




■「B-2ユニッツ」演奏メンバー
坂本龍一
沢村満 (ソプラニーノ、アルトサックス)
ロビン・トンプソン (サックス)
永田どんべい (ベース/当時チャクラ所属)
立花ハジメ (サックス、ギター/元プラスチックス→解散、ソロ活動へ)
鈴木さえ子 (ドラム/元シネマ→当時フィルムス所属)

■演奏曲目
1. フォトムジーク(ピアノヴァージョン)
2. Demo#4
3. ジ・アレンジメント
4. ハッピーエンド
5. ザットネス&ゼアネス(ピアノヴァージョン)
6. Demo#6
7. H
8. Robins Eye View Of Conversation
9. Piano Pillows
10. サルとユキとゴミのこども
11. Dance
12. エピローグ(ピアノヴァージョン)
13. アンコール/in E

1.フォトムジーク(ピアノヴァージョン)・・・まずはこのライヴの始まりとして弾いてくれた教授1人のピアノ演奏。曲目は前年1981年4月8日に始まった「坂本龍一のサウンドストリート」のテーマ曲「フォトムジーク」。1981年夏の特別番組「坂本龍一の電気的音楽講座」では、この曲を実際作成する過程を見せてくれた。サンストリスナーみんなのテーマ曲。
2. Demo#4・・・のちに「レプリカ」というタイトルで「音楽図鑑」のボーナス盤に収録されることになった曲。「レプリカ」も良いけれど、個人的にはこの原曲「Demo#4」の方が自然で美しくて大好き。「レプリカ」もナム・ジュン・パイクの映像とのコラボレーションとして、野望強い当時の教授には意義深かったのかもしれないが、「Demo#4」の方が、ファーストスケッチの淡い色合いやにじみが優しさとして伝わってくる。
3.ジ・アレンジメント・・・1981年ソロアルバム「左うでの夢」では海外向けのロビン・スコット盤LPに収録された曲。(のちに立花ハジメのソロアルバム「Hm」に収録される。)これもロビン・スコットのヴォーカル版より、立花ハジメ、矢口博康、ロビン・トンプソンのサックス陣が素朴にメロディーを描いていく、このライヴヴァージョンの方が断然素晴らしい。この名曲を聴くと、坂本龍一という人がいかに優れたメロディーメーカーであったかがよくわかる。シンプルに重要なフレーズだけで曲を構成させていく技術。それは、尊敬したブライアン・イーノから学んだ制作方法でもある。

4.ハッピーエンド・・・シングル「フロント・ライン」のB面収録曲。YMOの「BGM」のセルフカバーはかなり音の輪郭をぼやかしているが、このライヴではその解体を進めて、ビートもリズムもない状態にまで崩したヴァージョン。途中からは音が低速で停滞し、音のパーツが分解されたままそれぞれが浮遊する。こういったダヴ的形態の「ハッピーエンド」はこれ以外で聴いたことが無い。(元々「ハッピーエンド」そのものがダヴ的だが。)教授がピアノ、そしてサックス陣、その後ろで「シュッ」と空を切る金属音はハジメちゃんが作った造形アート兼楽器「アルプス1号」。
5.ザットネス&ゼアネス(ピアノヴァージョン)・・・ご存じ「B-2unit」からの1曲。
6. Demo#6・・・サックスやシンセサイザーがミニマルなフレーズを奏でる。それらは波紋の広がり、モアレの重なりを産みながらランダムな音の風景を描いていく。「Demo#4」が「レプリカ」として発表された一方で、この「Demo#6」は正式な発表曲とはならなかった。良い曲なので、このライヴだけで終わっているのが実にもったいない。そう思う。

7. H・・・立花ハジメとしてのファーストソロアルバム「H」のタイトルナンバー。このラジオで初めて一般公開された。アルバム「H」は、ほぼこのライヴメンバーで演奏されていて、立花ハジメがリーダーだと「H」というバンド名、教授がリーダーだと「B-2ユニッツ」という名前に代わる。(ちなみに「B-2ユニッツ」というバンド名の命名者は立花ハジメ。)
アルバムプロデューサーは幸宏だが、アルバムでは幸宏は2曲しかドラムを叩いていない。稚拙な味が欲しいから、タイトル曲「H」では坂本龍一がドラムを叩いている、とMCでハジメちゃんが話し、笑いを誘う。
8.Robins Eye View Of Conversation
9. Piano Pillows・・・8、9ともにアルバム「H」より。
10.サルとユキとゴミのこども・・・アルバム「左うでの夢」の曲はライヴで演奏されたことがない、と思い込んでいたが、このライヴがあったことを数十年ぶりに想い出した。
11.ダンス・・・ダンスリーとのアルバム「The End Of Asia」収録の名曲。音の向こうに、自然と人々と生き物がいる牧歌的な風景が勝手に見えてしまう。
12. エピローグ(ピアノヴァージョン)・・・ライブ最終曲。後半「アルプス1号」が「テクノデリック」の工場音の代わりとなって鳴っていた。
13.アンコール/In E・・・ジャズ色の濃い1曲。これもほかで聴いたことが無いもの。
放送では途中でフェイドアウトとなった。

教授はMCで盛んにYenレーベル中心の話をしてくれていた。細野さんの新作「フィルハーモニー」、幸宏は「今、ロンドンに行ってソロアルバムを録音中(ぼく、だいじょうぶ)」。幸宏の初の国内ツアー情報では、ニューミュージックのトニー・マンスフィールドがメンバーとして参加といっていたが、結果的にトニーは出演せず、出ないと言っていた教授が特別ゲストとして出演した。
この「B-2ユニッツ」ライヴの後、教授は間もなくして映画「戦場のメリークリスマス」の撮影へと入っていく。私は「世界のサカモト」になんかならないでいいから、いつまでもこういった身近なところで、さりげなく良い音楽を奏でていてほしかった。そんな一方的な想いを当時勝手に持っていた。
ゴールデンウィークの連休だからといって、どこかに行けるカネも状況もなく、ひたすらエアチェックに夢中だった時代。
そんな自分にはこのライヴは最高のプレゼントだった。

■坂本龍一&B-2Units「エピローグ」1982■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:細野晴臣「フィルハーモニー」’82

2023-05-05 19:00:00 | 音楽帳


アルバム「12」は発売日(1月17日)に届いてからずっと聴いていたが、教授の死を境に、これ以上聴き続けるのが無理になった。こちらの心身が耐えられなくなり、いったんやめた。
その後、ぼうっとした日々が続いた。
「12」以外の何らかの音を聴き、すでに予約済みだったコンサートに行き・・・それでもぼうっとしていた。これは幸宏と教授の死に脳天を打たれた影響だろうか?実は痴呆症なのではないか?そんないつものぐるぐる思考に巻き込まれてしまう。しかし、そうしていてもラチがあかないので、亀のような歩みを一歩でも進めるために、最近また聴き出した「フィルハーモニー」について、雑記メモをまとめてみた。今回もあくまで個人的な備忘録として。

このアルバムを聴くと、1982年の初夏の空気を感じる。80年代において、この地点が幸福の頂点だったのかもしれない、などという錯覚。

A面
1/ピクニック
・・・アルバム「フィルハーモニー」は「フニクリ・フニクラ」「L.D.K」から録音は始まったらしい。そのスタジオに最新鋭のサンプリングマシン「イミュレーター1(ワン)」が届き、その日すぐにこの曲は出来たという。新しい機材/楽器が新しい音楽を産み出す。そういうことはよくある。そんな意味ではアルバム「フィルハーモニー」も、イミュレーター1(ワン)との出会いが産み出した一枚ともいえる。
「ピクニック」の出だしのコロコロした音、その後に始まるオルガン的なピアノ音のシークエンス。ゲルニカの影響も感じるが、同時にすごく日本的/和的な手触りを感じさせる。このアルバムと同じ1982年に清水靖晃は「案山子」という名盤を出しているが、すごく手触りが似ている。お互いにパクリがあったわけではなく、底通する空気が1982年に流れていただけだ。
2/フニクリ・フニクラ・・・19世紀イタリア登山鉄道の曲をテクノでカバーしたもの。「フニクリ・フニクラ」は細野さんがYMOのツアーの合間によく歌っていた曲とのこと。「白銀は招くよ」もよく歌っていたらしいが、こちらは幸宏がカバーしており「ぼく大丈夫」のミニアルバムに収録された。
3/ルミネッセント/ホタル・・・細野さん流ガムラン。ミニマルミュージックからの影響を素直に出している。涼やかな音は毎年私の初夏~夏の定番曲になっている。今年は早々と夏日をむかえ、愛聴している。
4/プラトニック・・・「I Love」というサンプリングされた声が延々繰り返されるが、愛や甘さとは無縁なハードな曲。この新譜発売当時、ラジオ番組ではアルバムから色々な曲が選曲されたが、この曲が掛かることはなく、私はLPレコードを買って初めてこの曲に出会った。そのせいで当時はアルバムの中で一番違和感がある曲だった。
5/リンボ・・・「せっせっせっ」といった拍子の音。この曲も「ピクニック」同様、わらべうたを想い出したり、教授の「左うでの夢」や、その源にあるアッコちゃん(矢野顕子)の曲を想い出したりする。
そういえば、1983年アルバム「浮気なぼくら」発売に応じて、深夜3時の番組「マイ・サウンド・グラフィティ」では改めてYMO特集が組まれ、3人がゲスト出演。その際、細野さんのソロ特集日には、この「リンボ」が選曲された。MCとのやりとりの中で、細野さんは「リンボ」を「前にも後ろにも行けない状態=地獄」と説明していた。高校生の自分は、やけに意味深な言い回しだな、と思っていた。YMO最終アルバム「サーヴィス」にも「リンボ」という曲があるが、これとは全く違う曲である。
深夜3時も回った時間、その静かな闇の中聴いていた記憶。

B面
1/ L.D.K(リビング・ダイニング・キッチン)
・・・過去作った曲をお蔵出しでリメイクしたもの。すごいカッコいい出来上がりとなった。昔作ったものがスライ(&ザ・ファミリーストーン)そっくりで没になった経緯を、教授のサウンドストリートで話していた。L.D.Kはこのアルバムが録音されたスタジオの名前。
YMO時代3人とも時間が無いせいもあり、スタジオに入ってから曲を作っていくスタイルだったが、スタジオ代が膨大に膨らんでいた為、YENレーベル発足時に、YMOのパトロンだった村井邦彦さんが自費でL.D.Kスタジオを設立。細野さんらが自由自在に使える空間となった。ここに細野さんは一人こもって「フィルハーモニー」を制作した。
2/お誕生会・・・細野さん&イミュレーター1&プロフィット5&MC-4だけのアルバム制作。そんな孤絶された世界に色んな人が慰問にやってくる。その人たちが残した一言コメントや呼吸音などでこの曲は構成されている。
私が初めてこの曲を聴いたとき、この不気味で不思議なエネルギーに驚いた。ピーター・バラカン先生が初DJだった番組「スタジオ・テクノポリス27」にデヴィッド・シルヴィアンがゲスト出演した際、この曲をリクエスト、「happy birthday・・・hosono」と言っていたのがとても印象に残っている。確かに細野さんじゃなければ作れないような世界観。
中村とうようさんもミュージックマガジンのレビューでこう言っている。
「・・・(お誕生会)もちょっと南アジア的で、ベルの音とプシュッというような電気音と遠くで聞こえる人声とから成る、ぼくにはビルマあたりの仏教音楽を思い浮かばせる、静けさの中に胸さわぎを秘めた音楽だ。」
3/スポーツマン・・・明るくポップなイメージだけども、今回聴くと「TAISO/体操」(テクノデリック)の続編みたいに聴こえた。幸宏の初ソロツアーでも、細野さんのコーナーとしてこの曲は全員で演奏された。
4/フィルハーモニー・・・この曲も「ピクニック」同様、イミュレーター1(ワン)が届いた日に出来上がったという曲。即興演奏から発展させたものだが、「ハッハッハッハッ・・・」という拍子は、まさかローリー・アンダーソンの「オー・スーパーマン」からの影響ではないよな?などと今になって急に思ったりした。1982年前半に細野さんは聴いてはいただろうが。
5/エア・コン・・・ブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポーツ」収録の「2/2(ツー・オーヴァー・ツー)」に酷似している。アルバム最終の曲として、「BGM」収録の「LOOM/来るべき世界」みたいに気流音が空中を舞う。
その音は全体を鎮め、音量を下げていき、アルバム「フィルハーモニー」は終わっていく。
背後で鳴っている音が、踏切の警報音のようで、黙示録的な隠喩のように聴こえる。



■YMO 「Sportsmen」(Live in London 2008)■
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽日誌:大貫妙子&坂本龍一「黒のクレール/アヴァンチュリエール」’81

2023-04-07 18:00:00 | 音楽帳


教授の訃報は幸宏と同じように、亡くなってから数日経った日曜に知らされた。
日曜晩から月曜はどこも追悼だった。
テレビやネットはいつもどおり。ひどい語り口も目についてしまい・・・という具合なので、目をふさいで通り過ぎた。
その中で信頼するラジオだけは慎重に選んで聴いた。いつも生放送の番組は、緊急事態を避けては通れない。そんな番組の1つ、ライムスターの宇多丸さんのラジオは、幸宏氏のとき同様、熱い語りと選曲だった。どこもかしこもひねれば戦メリばかりで辟易する中、「ライオット・イン・ラゴス」「パラダイス・ロスト」「ニューロニアン・ネットワーク」が選曲された。

長年YMO3人の存在があることを前提で生きてきたのがYMO世代。
その元少年たちの動揺は、語りの熱さのあちこちに痛みとして感じられた。

教授はすっかり世間では映画音楽家、ピアニストみたいな扱いになってしまったが、既成概念に対して果敢に戦った激しい作品、アヴァンギャルド、現代音楽作品、民族音楽の研究者になるはずだったがゆえのエスニックな作品、クラシック、ジャズもあればボサノバもありアンビエントもあり、歌謡曲も童謡も・・・全方位的にあらゆる分野に手が伸びており、その森の全容は一言では語り切れない。
宇多丸さんが意識する「B-2unit」などのすごさは全くその通りだが、私の個人的な想い入れとして、やっぱり好きで仕方がないのはメランコリックでロマンティックな作品。
そういった曲は、坂本さん自身の名義よりも、ほかのミュージシャンの作品に投影されているものが多い。



80年代の夜明け、YMOの出現と共に知ったファミリーの大貫妙子さん。
大貫さんの好きな曲はどれも教授が渾身の力で、心血注いだアレンジ曲ばかり。くもおさんが言うように、「自分の曲ではなく誰かの曲においても惜しまない音楽への愛」によく胸を打たれ、胸踊らされた。ひと昔前、セレクションCDをよく人に贈っていたが、大貫妙子さんの曲は(失礼ながら)クレジットを「大貫妙子&坂本龍一」に勝手に書き換えていた。2人の魂の共鳴した美しい世界が好きだった。

1981年マクセルのカセットテープのキャンペーン曲に大貫さんの「黒のクレール」という大名曲がある。とても切ない別れの曲であるが、これでもかというほどに感情に訴えてくる坂本龍一のロマンティックなピアノ・シンセサイザーとアレンジが美しすぎてたまらない。
このシングル盤はあくまでマクセルのCM用としてシングルカットされたものだが、何よりすごいのが、B面にも大名曲「アヴァンチュリエール」(LP「アヴァンチュール」からの1曲)が収録されていること。実質両A面シングルといって良い。この2曲は、坂本さんが関わった曲の中でも特に素晴らしく、忘れられず、愛してやまない。時を超えて残る名曲だと思う。


■大貫妙子&坂本龍一 「A・黒のクレール/B・アヴァンチュリエール」1981■



「黒のクレール」作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一
キーボード・ドラム:坂本龍一、ギター:大村憲司、ベース:細野晴臣


白い光の海を
眩しく船が幻を連れてくる
夏を追いかけて行く
二人の愛がさめるのがこわくて

あなただけを待ちつづけた
この海辺の家
幾度 夏がめぐり来ても
あなたは帰らない

愛の行方 うらなう時
The Card is Black
悲しく 砂の上にすべり落ちて
ちらばり
小波が運ぶ

誰も知らない島で
子供のように暮らすのが夢だった
一人渚を行けば
あなたの声が耳元に聞える

愛し合った日々思えば
心はさすらい
幾度 夏がめぐり来ても
あなたは帰らない

いつか風にくちてしまう
思い出も あなたも
走りさった時の中で
夕映えが永遠をうつす

「アヴァンチュリエール」作詞・作曲:大貫妙子、編曲:坂本龍一
キーボード:坂本龍一、ギター:大村憲司、ベース:中村裕二、ドラム:高橋幸宏


誰もが憧れる島
サントリン アイランド
永遠の眠りから
今甦る

波間に沈んだ
一夜の夢あと
潮風に聞く
ミノアの宴
何千年の時を越えて

遙かな海は
光に満ちあふれ
果てしない記憶と
出会う喜び

訪れた春の
フレスコの壁画
ユリとツバメと
男と女
あなたと私の Shangre-la

太陽の神に
祈りを捧げる
その時海は
ふたつに割れて
逃れる人々の道をつくる

once upon a time…
ロマンと愛に満ちて
恐れを知らぬ
冒険者達
さあ船出しよう 時を越えて…

「アヴァンチュリエール」を初めて聴いたのは、1981年5月19日のサウンドストリート。
ゲストに土屋昌巳氏を迎えての回だったな。。。
コメント (6)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽日誌:ジェームス・ホワイト&ザ・ブラック「オフ・ホワイト」‘79

2023-04-02 15:30:00 | 音楽帳

本日も備忘録。

振り返ると、1979年発表のこのアルバム「Off White」は、FM雑誌の新譜コーナーのモノクロ紙面でジャケットだけは見た記憶がある。ただこのアルバムがFMで特集された記憶はない。
とあるきっかけで気に入った曲「オールモスト・ブラック」は70年代終わり~80年代初め頃、まだ混沌とした時代の移ろいのただなか。その紫煙の中で掛かっていた音楽の匂いや雰囲気を感じさせる。1981年4月に始まった「坂本龍一のサウンドストリート」で、教授が1981年早々にかけてくれた様々な音楽にも通じるゴッタ煮感覚がここにはある。(というか実際番組でかかったように思う。夏の「電気的音楽講座」だっただろうか?。)

このアルバムを聴いたのちに、ジェームス・ホワイト&ザ・ブラックを調べてみると、ブライアン・イーノが監修した「No New York」に入っていたザ・コントーションズのリーダー、サックス演奏者ジェームズ・チャンスの別名義のバンドだった。
イーノの「No New York」は持っているというのに、すれ違っていた。



どこかで聴いたようなこのバンドを久々に聴いたのは、ユーチューブだった。
70年代後半のTBSラジオ番組「夜はともだち」の1コーナー「それゆけスネークマン」で彼らの曲「オールモスト・ブラック」が掛かっていた。えらく気に入り、いろいろ調べるうちに1枚丸ごとiTunesに入れて聴くまでになった。
アルバム「Off White」は、1曲気に入ったら、全曲聴きたいと思わせる1枚。

バンド名に始まり、アルバムタイトルや曲名にはやたらホワイトにブラックと皮肉めいた言い回しがされているが、白人音楽だの黒人音楽だのを超えたところで音楽が響いてくる。多様なスタイルが混じりスープ状に融け合った中で演奏される音楽は、とてもワクワク感に満ちた自由さがある。ディスコ、フリージャズ、ファンク、パンク、アヴァンギャルド・・・色々な言い方も可能だろうが、そんなカテゴリーすることが馬鹿らしくなるほど自由な1枚。聴いて損はない。
ヴォーカルは、ジェームス・ホワイトだけでなく、曲によって女性ヴォーカルが混じる。そのヴォーカルにはスリッツとか(「ラ・ヴァリエテ」などの)ウィークエンドとかを思い出す箇所がある。BUT!1曲だけリディア・ランチが例のあえぎ声のヴォーカルを取っていて、室内やスピーカーで聴いていると周囲に誤解を受けるので音量等にご注意を。


■JAMES WHITE & THE BLACKS「Contort Yourself」1979■
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音楽日誌:スネークマンショー「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」'81

2023-03-30 09:30:00 | 音楽帳


スネークマンショーの2枚目アルバム自体の発売は、1981年10月21日。坂本龍一のサウンドストリートには、発売前日10月20日にメンバー3人(桑原茂一、小林克也、伊武雅刀)してゲストで出ていた。
しかし、私がこのアルバムを丸ごと全部聴いたのは、数ヶ月後、1982年3月友だちの家でだった。

***

小中学生通じて仲良く優しくしてくれた田中くんが、「卒業前にうちに遊びにおいでよ、母さんもぜひ来てよ、と言ってるんだ」とお招きしてくれた。

田中くんは江東区の川の近くのマンションに住んでいた。
田中くんにはお父さんが居なかった。それがなぜか?いきさつを知ることなく9年も付き合ってきた自分。
田中くんのお母さんはおおらかで優しい人だった。白いジャケットにパンツルック、大きめのサングラスをしていた姿が浮かぶ。バリバリはたらき、おしゃれでさっぱりした明るい女性。イメージとしては作家で当時ラジオもやっていた落合恵子さんが近いだろうか。

お招き頂いたマンション。今では身近に見なくなった、信頼し合った母子の家。
そこは、なんてことないけど微笑ましい生活感にあふれていた。

用意してくれた手料理を食べながら、田中くんがBGMとして掛け出したのがスネークマンショーのLPレコード「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!」だった。
「これ買ったんだ。持ってる?」そんな事を田中くんは私に尋ねた。
私はまだ持っておらず、初めてA・B面通しでLPレコードを聴かしてくれた。それは良いのだけど、スネークマンショーのブラックなコントはどれも「愛」という名が付きながら、女性のあえぎ声や性的な内容に満ちていた。そのレコードをステレオで、それなりの音量で流している。それを聴きながら田中くん親子と私の3人で食卓を囲む昼下がりの風景は、コント並みに、なんとも珍妙だった。
それを流す田中くん。「やめなさい」とは制止せず、おおらかなお母さんの姿。私には初めて見る、寛容な家庭。

春の陽気。少し開けた窓から近い運河が見えた。
海が近く、潮の匂いがカーテンを揺らしていた。

さんざんお邪魔した後の夕方、2人に手を振られて、夕陽が当たる中、赤みを増していく帰り道を歩いたことがついよぎる。



備忘録にしても、またもや大きく脱線。。。
このアルバムは、ファーストアルバム「急いで口で吸え」のヒットから企画されたものだが、ラストアルバムと銘打たれている。コントのいくつかはTBSラジオ「夜はともだち」内のコーナー「それゆけスネークマン」で聴いていたものがリメイクされていた。

コントと音楽が交互に織り成されていく構成は1枚目「急いで口で吸え」同様。スネークマンショーとして桑原茂一、小林克也、伊武雅刀の3人に加えて、戸川純ちゃんなどがゲスト出演。彼女は、まだYENレーベルからゲルニカとして出てくる前なので、当時の自分は彼女が誰なのか?わかっていなかった。

音楽は、名選曲家である桑原茂一が選んだ曲たち。
コントとの合わせ方がいつも通り職人芸。ともに「愛」というテーマで貫かれている。

ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラブ」。この曲は、彼のソロアルバム「ムーヴィーズ」が国内発売されるより前だった。コント「どんぐりころころ」で「・・イィ気持ち・・」と戸川純ちゃんがあえぎ応じながら、最後は言葉も出せなくなり性に堕ちていく。その数秒後「ペルシアン・ラブ」へ入っていく繋ぎの絶妙さ。
リップ・リグ&ザ・パニックも初めて聴くバンドと曲だったし、インドネシアまで飛んで収穫してきた現地の歌謡曲やガムランもエスニックな最先端を追いかける茂一さんらしい選曲だった。
元プラスチックスのトシとチカが作ったユニット「メロン」は、一過性の軽いお遊びと思っていたら、実は本気モードだったと知るに至ったバンド。ここに入った2曲は南洋チックで、個人的な関心は何よりもギターでエイドリアン・ブリューが参加していることだった。細野(晴臣)さんがミックスでクレジットされている。





1枚目に引き続いて繋がり深いYMOの面々の協力。
1枚目のプロデューサーは細野さんと桑原茂一だったが、2枚目は桑原茂一1人のクレジット。

そして、何よりこのアルバムで一番好きな曲は「今日、恋が・・」。翌朝の幸宏の訃報など知らぬ深夜、眠れぬ中、湯治先の寝床でi-tunesに入ったこの曲を聴いていた。そもそもこのアルバムを一枚通しで再び聴こうとしたのは、特にこの一曲が聴きたかったからだった。

アルバム「サラヴァ」を思い出させるような世界。美しいオーケストレーションは坂本龍一。
サウンドストリートでは茂一さんが「フランシス・レイに捧ぐ」と言い、咲坂さん(小林克也)は「さすが、坂本さん」と言っていた。高橋幸宏と坂本龍一の美しい競演。2人が揃えばいともカンタンにこんな美しい曲がパッと出来たあの時代。いいえ、今だって才能溢れる2人が創作すれば、いくらでもこんな美しい曲は出来るはずだ。

毎年春、卒業の季節になると、この曲を聴きたくなる。




■高橋幸宏「今日、恋が」1981■

Composed:高橋幸宏
Arranged:高橋幸宏・坂本龍一
ドラム:高橋幸宏
ピアノ、ヴァイヴ、ティンパニー:坂本龍一
ギター:大村憲司
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする