こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏に向かう日々と100曲: 映画「トノバン」

2024-07-27 18:30:00 | 音楽帳

備忘録。

アーチストの死を商売にしてしまう流れがイヤでたまらない。
過去で言えば例えばイアン・カーティスだったり、フレディや尾崎だってそうだけど、亡くなったことを受けて、それまでのその人の音楽や存在のあり方を捻ったり、一転修正しながら神格化したりたてまつったり。。。リスペクトしてるんだとか色々言うわりには、結局しょせんはカネもうけ目的の野郎が多すぎて。。。

加藤(和彦)さんの映画をやる、と初めて聞いたとき、そんなイヤな流れを連想した。幸宏や教授が亡くなったこの一年ちょっと、そこに加藤さんを引っ張り出してきて絡めて、誰かまたヒト商売たくらんでいるのか?と、苦虫を噛み潰したような顔でいぶかしく思った。

テレビ、ラジオ、音楽媒体、ゆーちゅーぶ等ネット、出版物、etc・・・アーチストが亡くなると共に、死の商人が活躍しだす。この一年、幸宏にしろ教授にしろ、うんざりするような企画で、企業のみならず一般人までもがヒトかぜきしようとする様を横目で見てきた。自分は「そんなものに左右されたく無い。黙って作品に対峙し、今までどおり作品を味わいたい。」と見えないふりをしてきた。

映画「トノバン」の企画を知ってから、その映画に漂うカネのにおいはどんな具合だろうか?中身の真偽は如何に?と悩んだ。そして、悩みの末「観なきゃわからないじゃん」と、結果的に映画を観に行った。終わるギリギリ、7月21日(日)に。

迷ったわりには、素直に観て良かった、と思えた。
観るとわかるが、カネもうけの企画ではなかった。
そのことに安堵した。

企画・監督の相原裕美さんはビクターにいた音楽業界の方で、以前に制作したドキュメント映画の際に出会った幸宏から言われた言葉が心に残って、2019年にこの映画制作を始めたという。その言葉とは「トノバン(加藤さん)ってもうちょっと評価されてもいいんじゃないかな」という言葉であり、この映画のエンドロールには「インスパイアドby幸宏」というクレジットが出てくる。

映画は、オールナイトニッポン55周年のスタジオ風景、その番組開始時期に掛けた「帰ってきたヨッパライ」をめぐるはなし、そして、加藤さんの相棒・きたやまおさむさんのインタビューから始まっていく。様々な映像やインタビューを作為的につなぐ語りは特にない。それが相原さんがこだわった作り方。映画制作過程で教授や幸宏の話しが欲しいと思ったときには、既に2人はそれが叶わぬ状態で、過去のインタビューからの抜粋となったらしい。

自分にとっての加藤和彦さんとは、映画の最後の方で出てきた高野寛さんが話したことに近い。少年時代に夢中になったYMOがきっかけとなり、メンバー3人が関わってきた音楽を追体験する中、幸宏の関わってきたミカバンド、そして加藤和彦さんの作品と出会うことになった。

私個人はやはりヨーロッパ三部作に圧倒的迫力を感じる。全てをかけて現地に入り込み、コンセプトアルバムを組み立てていく。その地で制作するやり方はブライアン・イーノを思わせる。この三部作のアルバムにはとても好きな曲が多い。

しかし、高野さんも言っていたが、フォーククルセダーズ〜ミカバンド〜三部作〜・・加藤さんの経歴が自分の中でどうしても繋がらない。ミカバンドですら好きな曲と、自分としては肌に合わない曲があり、加藤さんという人の実像が自分の中で焦点を結びづらい。

この映画では、きたやまおさむさんが「こぶのないらくだ」という曲を引き合いに説明した。らくだの中にはこぶの無い奴もいる。なのに、らくだとはこぶのあるものだ、というレッテル貼ってこぶのないらくだは除外してしまう。言ってみれば加藤和彦とはこのこぶのないらくだそのもの。
常に居心地の悪さを抱え次から次に新しいスタイルで音楽を作るが、一般的な分かりやすさをもたないから、どこに行っても明快な彼の居場所とならない。

周囲関係者の貴重なインタビューで初めて知ることも多く、すごいメンツが次々に出た末、2時間超の映画はあっという間に過ぎていった。そして、充実した内容と共に終わると立ち上がれない重さも感じた。ただ「あの素晴らしい愛・・」の新録音で閉じるという最後十数分には「あれれれれ。。?」となった。
映画を見てから一週間、昔のアルバムを引っ張り出しては聴いている。今まで聴き込めていなかった曲も改めてじっくり聴いてみる。

そして、アタマは勝手で無作為、芋づる式に、加藤和彦さんと交流があった今野雄二氏の自殺、(中村)とうようさんの自殺、と続いてしまった数年の流れを思い出していた。みんなそれぞれであってお互い相互関連は無く、あくまで私の中で気になっていることに過ぎないのだけれども。なんで死んでしまったんだろうか、という問いをめぐり、アタマの中でそれぞれの生き方や顔を思い出しながら悶々としていた。

最近夜寝ても深く眠れない。ずーっと横になる中、脳裏にパパ・ヘミングウェイの「スモールカフェ」がループになって呪文のように流れていて止まらない。

■加藤和彦「SMALL CAFE」1979■

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夏に向かう日々と100曲: サマー・オブ・2024 ”僕の宗教”

2024-07-18 22:45:00 | 写真日和

本日も個人的備忘録。

今のじぶんは、光熱費の支払いすら困るくらいの“すずめの涙”程度の収入で生きている。

物価は高騰するは、医療費はかさむは・・・。毎月赤字で生きているこの数年。

しかし、そんな“カネ“のゼロの数ばかりながめ、プラス/マイナスにだけ注視して生きていてもまるで味わいの無いコスパ野郎の人生みたいで、”後は死ぬだけ”な生活になってしまう。ということで、出来るだけカネはあまり気にしないように、”まあ何とかな~るだろう~“と植木等ばりの適当さで生きている。結果がどうなるかは神のみぞ知る世界。。。

***

・・・絶望に満ちた現代のこのクニは、無理矢理祝日を動かして連休を増やしてきている。やたらクニが作り出したそんな最近の祝日や連休は、基本“カネ“を使わせるためにある。本来はそれに忠実に従い、カネを落としてくれる”正しい家族”だけがレジャーを楽しむ時間なんだろう。

自分みたいな貧乏人は小さい頃から”正しい家族”が行くようなレジャー場所など無縁で育った。昔の用語「ヨソはヨソ/ウチはウチ」ではないが、家族が全員でにこやかにどこかへ一緒に行く、なんていうこととは無縁であり、行きたくもなかった。一緒に行った数少ない機会も、全員がバラバラで、問題行動や喧嘩やいさかいなど、想い出すにも恥ずかしいありさまであった。

今の自分らはクニからすれば”正しい家族”ではない“まがいものの家族”。

どこか代表的なレジャー場所に行くことについて、大して価値を見い出していない者同士が集まった家族。まあそれでも、たまには”正しい家族“が行くような場所に行って、NHKニュース記事の映像のバックに流れるみたいな、そんな人たちがするような笑顔のふりをして楽しんでみるのも良いだろう。。。

ということで、・・・肺炎にやられてダウンしていた数週間を経て、治癒へ向かうさなか。。。この連休(13-15日)に”ちかてつ博物館“に行ってきた。入場料は、おとな一人当たり220円と懐に優しい。

実は、自分は小学1年生のときから小中9年間も越境入学を強いられ、地下鉄で下町から赤坂まで、蒼い顔でゲロを吐きながら1時間かけて通学していた。まだ身の回りもロクに分からない6歳児のときからのそんな通学経験によって、かなり長い間地下鉄に夢中な“ちかてつ少年”だった。

しかし、その割には”ちかてつ博物館“は初体験だった。

・・・というのも、この博物館が出来たのは1986年のこと。もう自分はすでに大きくなり、“ちかてつ少年”ではないところに居たからである。それでもいつかは一度は行ってみようと思いながら来られなかった博物館。。。

この博物館がある葛西駅という場所は、絶縁した会社に依存した社畜が多く住まう鬼門だが、そんなクソな悪縁は吹いて飛ばし、思い切って38年目にして初上陸してみた。

★本日の一曲

この曲は1990年当時、小林克也さんサイドがnack5で放送していた“続・スネークマンショー”でコントのはざまに掛かったもの。80年代から90年代に向け学会等新興宗教がバブルの如く巨大に膨張し、勢力を伸ばしていた。そんな怪しい時代の中、空気を引き裂くように、あえて軽~く安易な歌い方でもって 宗教(あるいは人や思想を妄信するありさま)を揶揄している様が心地良い一曲だった。半分笑いつつ好きになったこの曲。エアチェックしたカセットを一時はヘヴィーローテーションでかけていた。今聴いても大槻さんのこの唄は素晴らしい。

本日11:00、東京の梅雨明け宣言アリ。そんな夏の日の始まりにも景気付けにも良い曲かもしれない。。。

■筋肉少女帯「僕の宗教へようこそ (Welcome to my religion)」1990■

わたしは“ゆりこ教“でもNo.2の応援団でもない。そもそも彼らには投票していない。

いくら狂っても、そんなおかしな宗教は信じないし所属しない。

コメント (2)
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夏に向かう日々と100曲: サマー・オブ・1984

2024-07-17 22:10:00 | 音楽帳

事実の検証はしていないおぼろげな記憶。

あくまで私の体内の何となくの残存感覚。

コトはたぶん1984年の夏のこと。

その夏は暑くなると予測され、実際7月は日々暑くなっていった。夏が次第に盛夏に向けて進むと共に「これはやはり予測どおりに猛暑になるかも」という恐れが確信に変わりつつあった。

そのとき自分は高校生で、ひ弱なクセして無理して入ったバレーボール部の夏季練習もあったはず。。だが、そのことは全く思い出せない。その代わりに、敗戦の日(8月15日)あたりの夏休みの感触がよみがえるのだ。

猛暑になるかも、という恐れを抱かせた夏の気温は、予測を裏決り、8月中旬辺りから急激に降下し始めた。何か空にうっすら雲がかかった日が何日もあった気がする。

そんな8月。猛暑のはずが冷夏みたいになった、ある日。

レコードを買いに行こうと急に思い立って、電車に乗り、秋葉原・石丸電気レコード館へ向かった。デペッシュ・モードの国内盤LP 年「コンストラクション・タイム・アゲイン」を正規の値段(2,800円)で買った。

このアルバムは1983年8月発売され、自分は発売直後ラジオで半分くらいをエアチェック。その曲をカセットで愛聴。→そして、実際のLPはこのように1984年夏に買った。

「コンストラクション・タイム・アゲイン」からエアチェックした曲は、密着型ヘッドホンではかなりアタック音が強かったのだが、いざ買ったLPレコードではさらっとした音に聞こえた。我が家の重いスピーカーで聴く彼らの音は、デジタル/テクノであるクセに、ドライでさらっとして、まるでアコースティック楽器のような感覚で、A面・B面すうっーと風のように通り過ぎた。

この軽いドライな手触りの音、想定外(暑くない8月後半)の陽気、淡い空の水色、それらは混じり合って、記憶の底に沈殿している。

あそこから40年目の夏、久々、再び「コンストラクション・・」を繰り返し聴いた。

野外ではスマホのiTunesにCDから入れたmp3をイヤホンで聴き、帰ってはLPレコードで再び聴いた。

一般人も音楽関係者もよくこのアルバムを大仰な語り口で話す。私もデペッシュ・モードへの愛着はひと一倍あるつもりだが、だからと言って私はそんな劇的大仰さでは語らない。

あまりロック的なものやうるさく躍動的な曲が肌に合わない自分なので、半分くらいの曲はあまり好みではない。好きなのはそれ以外の楽曲。

アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンからの影響で始まった物体を叩いた打撃音、それを楽器として用いる方法がこのアルバムから展開されていく。物体の打撃音はサンプリングされ、あちこちにちりばめられ、シークエンスされていく。そんな自宅録音みたいな原始的な行為が「単なる実験」に終わる音楽も多いが、デペッシュ・モードが使うと結果的にはポップス的な範疇におさまった。それこそノイバウテンみたいにもっと崩れて良いと思うのだが、お行儀よく、そこまで崩さず済ましている。そのへんが残念でつまらないと思う部分も大きい。ただ、この時点ではまだ通称“インダストリアル”の実験1枚目。

a-3「パイプライン」などは、うまくいった新境地だろうか。ボールの落下音とか細かなサンプリングが部分を成し、危ういバランスの上で次第に連なったシークエンスを刻んでいく。薄暗いトンネル工事の様相、この不完全感は今でも好きだ。

でも、この曲が入ったA面より(このアルバムから参加した)アラン・ワイルダーが創った2曲が入ったB面の方が好きかもしれない。相変わらずメロディアスな箇所が随所に見られ、彼ら何人かのコーラスがハーモニーとなって響くところが実に若々しくて美しい。

夏のイメージからは程遠いはずのデペッシュモードだが、夏になるとこの3枚目を思い出す。ハンマーを打ち下ろす男の背景にそびえる山と青空。そんなジャケットを視ながら、汗をかいてレコード盤を聴く。

■Depeche Mode「And Then・・・」1983■

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夏に向かう日々と100曲:鏡面界

2024-07-06 21:50:00 | 音楽帳

前回(6月30日)以降も熱・セキ・頭痛などがしつこくまとわりついてきて、夜もろくに寝ないままの日々が過ぎ・・・家の者からも「セキがうるさくて眠れん!」クレームと共に「心配だ」「カラダおかしくないか?」と言われ、再度病院へ行く。

そこでやっとわかったのがひどい肺炎との結果。即入院レベルであり、今までそうして生活活動していたこと自体が不思議であり、すぐ仕掛りは中止して休息を!。。。と言われた。

医者と話し合いの末、入院は回避したが、抗生物質服用してひたすら休息を取れ、との指示。

やっとほんの少しリハビリ兼ねた仕事も始めたのに、それらも中止。

***

検査後診察でいきなり「入院レベルの肺炎」という想定外の言葉を浴びせられ、遠い目になるメンタル。・・・その一方、ここ数年クスリ断ちを自らに強いてきたのに解熱剤等を服用するしかなく、いざ服薬したら一気にカラダがラクになったかのような錯覚。

そのお陰で、金曜の病院帰りは汗だくでおさんぽ。青山から赤坂へ、そしてミッドタウンのあたりまで、ぐるり一周してしまった。私にとって、室内に居る苦しみより、約束事決めずに野外を自由にさんぽするほうが休息。

ただ、何も36℃の猛暑の中そんな歩かなくてもいいじゃないか、と友人等々に言われる通り、相変わらずイカれている。

今日も、旧ジャニーズの事務所前を通過する

とんだ誕生日であり、とんだ7,000日目である。

***

外はすっかり夏の日。空の蒼さは、また過去聴いていた音楽への回路を開く。。。

ハロルド・バッドの関連を今度は引っ張り出して聴いていた。イーノとの二枚、コクトー・ツインズとの共作等々。。。そこで今頃になって、彼が2020年亡くなっていたことを初めて知った。

1982年、高校生だった夏、ぼろぼろだった心身にイーノ&バッドの「鏡面界」はひどくしみ込んで、キズを癒してくれた。ハロルド・バッドはキズだらけだった十代の自分が、とてもお世話になった人の一人であった。「お世話になりました。」

a-1「ファースト・ライト」は長嶋茂雄さんが出た時計CM曲だった。「日立サウンドブレイク」でも盛んに使用された曲でもある。アルバムで一番最初に聴いたのはa-4「アバブ・チェンマイ」だった。1981年11月に「クロスオーバーイレヴン」でエアチェックして聴いた。

それ以外は、立川直樹さんがマンハッタンに居るイーノを訪ねたスペシャルで掛かった曲もいくつか。。。秋葉原の石丸電気レコード館で買った輸入盤LP「鏡面界」は少し安かった。安い分、ジャケットにはカットアウトの印がついている。

 

■Harold Budd / Brian Eno 「Not Yet Remembered」1980■

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