こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年6月30日 土曜日 Human Audio Sponge 「Everybody Had a Hard Year」'07.5

2012-06-30 09:41:39 | 音楽帳


朝が嫌いな自分がすがすがしい目覚め。
またもや、鳥さんたちのかわいいおしゃべりに、自然と7:30意識が戻る。

1時にラジオを掛けて眠った。
右を下にして、エビ型横寝で。

とてもよく眠った感覚。
毒が抜けたように。
実に珍しい。

それは、余計なことへ「あきらめ」を持って、チカラが抜けた状態ゆえか?
そう考える。
部屋にやさしい朝日が、木漏れ日のように満たす。

腰の異物感は変わらないが、痛みは小康を保っている。
カラダをひねったり・無理しなければ大丈夫。
耐えられる。
造影剤を入れたCT撮影まで、超えられる自信。
お茶と鎮痛剤を飲む。

窓を開けるとさわやかな涼しい風。
良い日だ。









***

愛する曲を、掛ける。
2007年5月にパシフィコ横浜で聴いた、ヒューマン・オーディオ・スポンジ。
何度でも、素晴らしい曲は、永遠に聴き続ける。
劣化しない永遠。

■Everybody Had a Hard Year■





仕事場の息抜きは、りらっくま・こりらっくま・キイロイトリのカレンダー。


ノミの季節がやってきて、コチャコさんもノミよけクスリで夏の準備。


クロちゃん。








天の川、そして、大祓用の輪くぐり。





























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2012年6月28日 木曜日 いま改めて・・・「自転車でおいで」

2012-06-28 23:28:27 | 音楽帳
背中痛は、鎮痛剤の一助もあり、小康状態。
とは言え、異物は、左ハラの内部に住まっている。
医者は「カラダを動かさな過ぎるのも避けて」などと、難しい注文をしたが信じてはいない。
何より、動かせばそれだけで飛び上がるような痛みを感じるだけの中で、信じようもないのが現実。

***

43歳の細野さんファン様へ

お便り、ありがとうございます。
おっしゃる通り、苦境と裏返しに、それをも自らのエキスとしようとする自分も、欺瞞に満ちた。。。
所詮はニンゲンなる、本能が壊れた奇妙な生き物。

YMO、というか、イエローマジックオーケストラとの出会い。
少ない手持ちで、レコードを買うお金を、カセットテープに投入したこと。
FMラジオと雑誌、そして、クロスオーバーイレブンが、貴重な音との接点。
どれもに「うんうん」とうなづきながら、自分との相似形たる当時の音楽リスナー像が見事に浮かび上ってきます。

唯一違う点。
ボクが棲息していたエリアは、電波状況が悪くて、チューニングにとても苦労しました。
日によっても違って不安定でした。
ただ、おっしゃる通り、夜が深まるほどに、余計な電波が無くなるせいか?
クロスオーバーイレブンが始まる頃には、純度の高いホワイトノイズに変わる。
密閉型の高いヘッドフォンを装着し、あの「サー」っという音のベストポイントを探して、1ミリ単位で調整していた深夜を思い出します。

同じだな。。。とリアルに思ったのは、歌詞への無関心。
音楽との蜜月を過ごした中高生の頃、音楽=歌詞抜きの世界でした。
歌詞はむしろ邪魔な存在で、浮遊しようとする障害物でもありました。

中学生で、疲れやだるさを認識し出したころ。。。
音楽は、自分にとって、唯一「 甘えられる 寄る辺 」なる存在となりました。
そこに、この世には無い自由があり、制約なく空を飛べる世界を発見しました。
イーノの発見も、その点での深い共鳴ゆえのものでした。

「ロック嫌い」や「ロックそのものを理解出来ない」感覚も、そこに根差しています。
メッセージ、攻撃性、外部からの強要。
当時、自分にとってロックとはそういう存在でした。

ある地点から、歌詞への着目、そしてロック的なものへ向かって行きますが、それはおいおい。。。
(。。。とは言え、語れぬまま死を向かえるかもしれませんが、今はそのエネルギーがありません)

***

文学少年だった兄への反感・拒絶もありましたが、
コトバよりも絵・写真・イメージのほうが偉大なる確信が、自分の根幹に巣食っています。

カメラをやりたい。
それは、相当前から温めていた構想。
しかし、お金が無い。
その一方で、想い出・過去はひたすら瞬間瞬間消えていく。

そのジレンマが、大学以降に爆発に至りました。
優れる・優れない。。。そういう価値では無い、生きていた瞬間瞬間を定着させる。
記録と記憶を写真に宅しています。

***

スケベ根性ですが、まだ痛みが無い日に近所をブラブラした際の写真を、休みにリサイズしたものの、整理付かぬまま、お便りに「好い気になって」オクラ出しします。
新しい帽子が気に入って、それが起点で散歩に至った道です。

曲は、歌詞への着目が産まれたのちに出会ったものですが、今、再度、今夜の記録として聴きたいと思います。
この曲は、下町で生まれ育った自分に、どうせ死ぬなら下町で死んで行きたいという想いを認識させるものです。
















































オマケ:1996年の写真。
左から、まみちゃん・正ちゃん・コチャコさん。


■矢野顕子・佐野元春&坂本龍一 「自転車でおいで」■
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2012年6月28日 木曜日 ローリング・ストーンズ「友を待つ」

2012-06-28 01:07:38 | 音楽帳
つい最近、お世話になった後輩が、すい臓ガンで亡くなった。
その記憶がまだ鮮やかで、この一日半はパニックになっていた。
体重の激減+倦怠感+左背中痛=すい臓ガン=手遅れ。
どこを探しても、そう書いてあった。

しかし、辛気臭くもなっていられない。

この鈍痛が、今も背中にあっても、その事態にどんな結果の待ち方をしようと、結果はすでにココにあり、それは変えようがないのだから。

病院から仕事場に戻り、今夜リミットの資料を仕上げて、人が少ない電車に乗る。
帰って暗やみの方が心地よい中、缶ビールを一本痛飲す。

ローリング・ストーンズの好きな曲が、勝手に脳から流れている。
「エモーショナル・レスキュー」で新参者として、中学生でストーンズに出会った自分も、もうすぐ三島由紀夫が死んだ 歳を超える。

その次に出たアルバム「刺青の男」に入った「友を待つ」。
歌詞は知らないが、このスローな、そしてウェットさも感じさせない曲。
いつも、この曲を聴くと、人々が通り過ぎる街角に座って、友達が来るのを待っているシーンが浮かぶ。

そこには、恋人同士が待つような、腫れた・惚れたの、一時的な熱病等々の甘いものは一切無い。
友人同志の、子供時代も、オトナになっても変わらない何か。
その感覚が、この曲には見事に表現されている。

そう、勝手に思っている。
長文を書ける環境には、今無い。
今夜は、この好きな曲を聴いて、横になろう。
この地球という島では数少ない、見えない友達に向けて。

■ローリング・ストーンズ「友を待つ(waiting on a friend)」■
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2012年6月27日 水曜日 鳥さんたちのおしゃべりを聴きながら

2012-06-27 05:32:50 | 雑記帳
明け方、4:30。
まだ、人々の多くが眠る、喧噪前の世界。

刻のスキマ。

まるでおしゃべりしているみたいに、鳥さんたちがうれしそうに鳴いている。

ニンゲンのカタチをした自分は、エビのような形。
横寝で右側に丸まっている。
敷き布団に右半分の顔は埋まる。
左の耳で、鳥さんのおしゃべりを聴いている。

身動きが取れない。
左腰背中側。
へそあたりの激痛。

カラダがいつもコリコリの自分。
コリには慣れっこ。

しかし、この一週間、次第に、各部位のコリが去る一方、この左背中下部の腰上は激痛に向かう。

日々の痛み、身動きの取れ無さを、周囲に黙り・誤魔化してきた。
だが、ここニ日。
日中の波はあれども、誤魔化せない痛みのレベルへ。
歩くのもままならない。
手持ちの鎮痛剤を飲むだけで済まない。

さわると腫れ。
いつものコリみたいな外側では無く、もっと内側からの不気味な鈍痛。

寝ても、エビ寝しか体勢を取れない。
かなたからうっすらイーノ&バッドの「鏡面界」が聴こえる。

手に握りしめた携帯電話しかいじれない。

仕事は絶え間無く容赦無いが、医者に行く。

単なるぎっくり腰、それとも、すい臓、ガン…。
不明・不安。
何が待ち受けるか。

いっときも早く診てもらうしか手が無い今。
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2012年6月25日 月曜日 怖いもの

2012-06-25 22:02:43 | 雑記帳


小さい頃は、ユーレイ・UFO・宇宙人や様々なUMA(未確認生物)の存在を信じていた。
夢中で、その手合いの本を読み、番組を見て、同級生と話し、怖がった。

そこから数十年の今。
四十代半ばになった自分。

ゼロだとは言わないが、小さい頃信じていた、これらへの熱・怖さはほとんどない。



***

霊魂。
日本が大事にしてきた、「たましい」への念は日本人として捨ててはいない。
また、死んだネコ、茶介くん・ピー助・正ちゃん・まみちゃんなどの魂が、どこかに在って欲しいとは願う。
ただ、今の自分にはユーレイとは、人間が作り出した幻想なのだと思っている。
疲れたり、精神が弱っていたり・・・そんな際の幻覚や思い過ごしなのだろう。

UFO・宇宙人。
これは、ほぼ確率的にゼロだろう。
地球なるものが、極めてまれなる巡りあわせで産まれた星。
その広大な外に何かが・・・というロマンはあるが、ヒトの形をしていたり・宇宙船を飛ばしたりしているわけは無い。
そうあって欲しいと願う想像の産物だろう。

UMA(未確認生物)。
これが一番「ありそう」なものと思う。
絶滅したと言われてきたシーラカンスが見つかったり、単純に人間が未だに把握していなかった種類の生き物を見つけることはある。
それは、ありうるだろう。





***

小さい頃、怖がってきたこれらのものに思いをめぐらせながら、四十代の最近つくづく思うのが、ユーレイ・UFO・宇宙人・UMAなんかより「人間が一番怖い」。
(いや、自然が一番怖いのだろうが・・・・・)

日本は、日々戦争・虐殺・粛清に満ちた海外の国々に比べれば、極めて平和な国である。
しかし、何も起きていない訳ではない。
特に、ネット社会以降の日本で起きていることのありさまは、言うまでもない。

***

自分が地上波のテレビをたまにしか見なくなって、かなりな年が経つ。
全く知らなかったのだが、YOUTUBEのお蔭で「トリハダ」という深夜番組があったことを、最近知る。
(「トリハダ」と言っても、自分が好きな鳥肌実せんせいではない)
ウィキペディアで調べると、2007年より断続的に放映されたものらしい。

この「トリハダ」を知ったのは、5月頃。
そこから一話一話見るうちに、引きずり込まれてしまい、アップされているものを全て見てしまった。
ドラマにありがちなウソ臭い予定調和的演出が比較的少なく、病んだ現代人の投げやりなコトバや態度・生活臭が、現実のリアリティに近いものを感じさせる。
実のところ「人間が一番怖い」現実が、よくよく伝わってくる。

■「トリハダ」より 『気づいた時が恐怖の始まり』■


【大好きな「時効警察」に出ていたサネイエさんが出演している】
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2012年6月24日 日曜日 ブライアン・イーノについてのメモ

2012-06-24 15:49:45 | 音楽帳


イーノのことばかり語るが、それはやっぱり自分が中学生の頃にイーノを知った驚きに帰する。

1982年マンハッタンのイーノの家(マンションの一室)に、立川直樹が行ったインタビューのテープを未だに大事にしている。
そんな中で、イーノは「持つLPレコードは5枚で十分ハッピーになれる。舞い込んだそれ以外のレコードは、何らかの形で処分してしまう。」
と言いながらも、イーノは一方で、カセットテープはたくさん持っていた。
それは、今で言うフィールドレコーディング。
自然界の音とか、都市の音。

元々、イーノは自分をミュージシャンと呼ばないでくれ、自分はミュージシャンではないという。
カセットテープの可能性からスタートして、その実験から様々な音楽を創ってきた。
それがイーノしか創れないエコーだったり、独自のアンビエントだったり、自動生成されるエンドレスな「ディスクリート・ミュージック」や「ミュージック・フォー・エアポート」だったり。

彼が集めたカセットテープを元にして「オン・ランド」が1982年に発表される。
ビル・ラズウェルやニューヨークのミュージシャンを招集して「オン・ランド」は作られたが、そこには、メロディやビートや有り体な音楽にありがちな構成が一切無い。

アンビエント・シリーズの4として発表された「オン・ランド」。



1が「ミュージック・フォー・エアポート」。
2が、ハロルド・バッドとの競演の「鏡面界」。
3が、ララージとの「発光」。

当時「オン・ランド」は音楽評論家から、さんざん叩かれたが、自分は「大地の音」をイーノがマンハッタンという大都市で感じた、地球のうねりとして聴いていた。

ちょうど30年前の今頃、当時はまた仕方無く我慢して従っていたクソ兄弟が買って貸してくれたロキシー・ミュージックの「アヴァロン」と共に、「オン・ランド」を聴いていた。
「オン・ランド」の1曲目に入った「リザート・ポイント」を聴きながら、行ったことも無い大都市マンハッタンのカオスに、東京に居て想いをはせていた。

■Brian Eno 「Lizard Point」■


余談:イーノは、立川直樹とのインタビューで、ゴスペルが大好きで、ふだんはゴスペル・ミュージックのカセットテープばっかり聴いているよ、と言っていたのを思い出した。
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2012年6月23日 土曜日 かたちんば徒然日記

2012-06-23 12:31:54 | 音楽帳


■タルコフスキーの「ノスタルジア」を観ながら

つらづらと。
ジョン・ライドンは「ロックは死んだ」と言って、パンクを通過し、さらにパブリック・イメージ・リミテッドでロックの解体・手術に専心する。
その末。
我々が託したはずのニュー・ウエイヴすらが破綻を迎える86年。
坂本龍一やビル・ラズウェルらとの作品「アルバム」で、ロックに輪廻転生・回帰していく。
時の流れなるものは不思議なものである。



ブライアン・イーノも、80年代の頭には、これ以上(当時の)ロックには拡張性は無い・むしろロックよりもお寿司の方が興味がある位だ、とバッサリ。
ロックへの嫌悪感をあらわにする。



沈黙と静寂の世界にしか、ドリーミーなものは潜んでいないと言う。
そうしてロックを拒否してきたイーノが、イーノ信者のU2のボノの説得に折れて84年「焔」以降のU2に関わっていく。
イーノは、その矛盾を、ボノの目の輝きに打たれて仕事を引き受けたと言い、これはロックではなくソウル。
そんな認識の下、共同作業の中「ヨシュア・トゥリー」が産まれる。

ジョン・ライドンもブライアン・イーノも共に優れたアーチストであり、インテリジェンスを持った人。
ロックを否定しつつ、過去形ではないロックではないものの、そこに回帰していった不思議な円環。



■ロック・パンク・ニューウエイヴ以降

時代なるものは不思議なもので、死んだはずのロック以降、70~80年代・その後産まれた新しい音楽すらも、拡張性の限界とぶつかる。

停滞時期はあれども「まさか」という展開が、その後に発生していく。
ユーロビートなどはクソ以下だが。
だが、である。
踊るための音楽が、そのエッセンスを元としたハウスミュージックを産み、そこから新しい定義でのアンビエントを派生させ、エレクトロニカに繋がっていった。

ロックも、単なるゴッタ煮以上のものではミックスチュアを経ながら、旧態依然ロックではない形の新しいロック(という言語を使うか否かはともかく)を産んでいく。

まさに何が起きるかなんか、誰にもわかっちゃいない。
自分すらも、ロックを毛嫌いし・最低の音楽と思いながら・ロックの解体に自分を託していた中高生を経て。



「音楽の進化は終わった」と思った時を越えて、新しいいぶきは意外な形で産まれて行く。
そんなものに出会えるとは思わなかった、というのが本音である。

***

明日生きているか、なんか分かったものじゃあないが、歳を取り・長く生きることは、新しい概念や新しい観点と出会える。
そういう喜びに気づいたのは、30代終わりから今の40代への、私の中の流れ。
ハタチの「あの日」死んでいたら、こんな所産には出会えなかったわけで。
そう思えば、生きられる以上、自らで死んではならないと思ってはいる。

だからと言って1秒後、どう変化するかは自分含めて誰にも知る由は無いのだが。

***

夏になれば、ずっと集めてきた細野さんのアルバムを聴く。
夏はまだだし、去年も紹介したものだが、聴きたくなったときが「聴きどき」。

95年のアルバム「N.D.E」(臨死体験)より「ヘリオセラピー」を聴く。


**********

15:00追記:
梅雨にしては、涼しくて過ごしやすい日。
適度なくもり。
缶ビールをシュポッと開けて、ぐびぐび飲みながら、だらだらしていた。

そんなうちに、昨年テレビに細野さんが出ると知って観た、日曜日の夜の番組。
刺激された、あの番組がYOUTUBEにアップされていたので、何を意味しているかを理解出来るヒトのみに送ります。

■細野晴臣さん・いとうせいこうさん、上野公園にて 2011年9月■








細野さんは、自分にとって生き神さま。
そのことを再度認識する。
細野さん・YMOに会わなかったら、自分の人生は明らかに違う経路を辿った。
また、2012年に生きていなかったであろうことは、まぎれもない事実。

細野さん 「悲しみのラッキースター」(2011年「ホソノヴァ」より)■
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2012年6月22日 金曜日 須田町-その2

2012-06-22 06:52:28 | 写真日和






































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2012年6月21日 木曜日 須田町-その1

2012-06-21 07:15:05 | 写真日和
病院で検査を終えて、街をくねくねうろうろする。
日が長くなったのは幸い。
足は須田町に向かう。
かつて東京の中心として栄えた場所。
東京駅になるはずだった万世橋が在った地点の鉄道博物館は、さいたまに移動され、その場所にはにょきにょきビルが建ちつつある。





































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2012年6月20日 水曜日 本郷給水所公苑-その2

2012-06-20 06:56:50 | 写真日和
台風のニュース。
どこで「今」何が起き、何に注意までは、リアルタイムを伝えるニュースの役割。
そこから先は、見なくて良い。

恒例となった、ホネが折れた傘をさす人の様。
報道者自らその中に立って、いかなる「ひどい」状況かを伝える。
たぶん、イジメか罰ゲームなのだろう。
いつものようにプロデューサーは「木村!お前は新橋。高橋!お前は新宿駅行って、例のシーン撮って来い。」
木村、高橋は現場に向かわされる。

真剣な表情の木村、高橋。
「不安な夜を迎えています」と語る現場映像のバックでVサイン。
ふと見えたものに垣間見える、ニンゲンの本性や象徴的映像。
そんな思いが、つい頭をかすめる。
しかし「まったくそうですね」と同意する必要があるのだな。
そう自分に思い込ませて、大きくうなずかせる。

***

雨風とは無縁なる、おだやかな本郷給水所公苑の「その2」。























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