こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

1982年1月 リンジー・バッキンガム 「トラブル」

2016-03-31 00:09:07 | 音楽帳

フリートウッド・マックに出会ったのは、FM雑誌+ラジカセという二大武器を手に入れて洋楽ポップスのベストテンを聴き出したころのことだった。1979年、シングルヒットした「タスク」。

その後、1982年シングルがベストヒットUSAでヒットしていくアルバム「ミラージュ」。
その成功もあってか、二人の才女 スティーヴィー・ニックス、クリスティン・マックヴィーのソロも発表され、違うタイプの2人の音にも出会う。

YMOに出会って以降、80年代前半はあくまでYMO中心ですべての寝食は動いていた。アメリカ中心にヒットするポップスは次第に主食じゃなくなり、リアルタイムのビルボードヒット曲は「副」として聴こえてくることになった。



その流れの中でリンジー・バッキンガムに特別注目した記憶や意識は、あまりない。
想い出すのは、1983年~のラジオ日本「サウンドプロセッサー」(22:00~)で、今泉恵子さん(スヌーピー)と大貫憲章さんの夫婦漫才のようなやりとりの合い間に掛かった「ゴー・インセイン」。1984年リンジー・バッキンガムのシングル。

その曲が掛かった後、大貫さんが、
『テクノフォークロックと呼んで欲しい。と本人が言っているそうだが、まーどーでもいいことで。。。』と言ったくだり。
つられて笑う。そんなラジオが鳴る、くたびれた1984年・夜の室内の感じ。

ジャケットだけは雑誌で見てきた1982年1月頃の作品「ロー&オーダー」。
「テクノデリック」「錻力の太鼓」等々に押されて聴けずじまいだった中身を確認するのは、パソコンを手に入れた後、21世紀初め頃。
昔のフォルダにそれらを見つけて、ここ最近聴いていた。

非中心である「副」に面白いものを見つけようとする姿勢は変わらず。
当時聴いてもピンときてはいなかったシングル「トラブル」は、シンセの音がとても魅力的で良く、この1カ月何度も聞いている。
理由はわからないけれど、「春がいっぱい」や「春咲小紅」みたいな「春っぽさ」を感じる。

■Lindsey Buckingham 「Trouble」1982■

これを聴くと、80年代がとうにじぶんの中で決着して終わってしまった後、87年にヒットしていた作品「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に繋がる。
シングルカットされた「ビッグ・ラヴ」や名曲「セヴン・ワンダー」などは、未だに好きな曲である。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1980年初頭 カーラ・ボノフ 「涙に染めて」

2016-03-28 23:50:41 | 音楽帳

春が近付いたせいだろう。
多少、家に戻ってからカラダを動かせる。ヘルニアの痛みは小康を保っている。ヒーターは付けているけど。
ふだん、外では歩きまくるけれど、室内ではネコのようにじっと丸くなって座している。

ゴミ屋敷の雑誌類をひっくり返すと「ポパイ」1980年2月10日号が出てきた。
思い出すのは、この雑誌に載った当時大学生だったお兄さんやお姉さんが自由を謳歌する姿へのあこがれ。それは、後にひねてしまった気持ちなど全く無くて、ひたすらのあこがれ。
そこにアメリカやニューヨークへのあこがれが重なっていたのは否定しようもない事実。

アメリカという国家の闇など知りもせず。
だいたいがSONYの画期的ウォークマンですら、絵ずらが浮かぶのは、Tシャツ&ショートパンツにローラースケート姿の金髪の女性が、ヘッドフォンで音楽を聴きながらウィークエンドを楽しむ姿。
そんな方向へのあこがれが、かつての日本にあったのは確かなことである。
こんな翌年にじぶんが、まさか暗く深いヨーロッパの魅力に引きずり込まれるなんか想像だにしていない。

当時は、夜な夜な小学生から続いた深夜ラジオ、そこにやっと手に入れたラジカセでカセット録音。
「夜はともだち」に「スネークマンショー」に、あるいはビルボードのチャートを追っては、毎週ノートにベスト・テンをペンで書く。
思えばYMOですら、まだアメリカを向いていたんだから。。。翌年3月に反逆的作品「BGM」に至る道をこの時点では当人たちもじぶんも分からない。

【これは加藤和彦さんの「パパ・ヘミングウェイ」録音風景の記事。バハマはナッソー、コンパスポイントスタジオ。
左から2番目・教授が短パン姿でくつろいでいる。この後ワールドツアー~BGMという生命の危機を誰もが感じないゆるさ。】


【同時期、ナッソーのコンパスポイントスタジオで録音されたロバート・パーマーの「シークレッツ」。
この南洋のアイランドレーベルが、アート・オブ・ノイズに繋がるとも思っていない。】


お兄さんやお姉さんのバイブル「ポパイ」のページをめくるたびに、そこに夢の世界があったことを、今夜ページをめくりながら思った。その雑誌のページに載ったカーラ・ボノフの広告をしげしげと見てしまい、シングル盤かたまりをがさごそと漁る。
好きだったシングル「涙に染めて」。

当時、終わろうとしていたイーグルス、コマーシャルで知ったJ.D.サウザー、リンダ・ロンシュタット、そんな一派の音楽の一つにカーラ・ボノフが居た。(一方では、ボズ・スキャッグス[&TOTO]といった『シティ・ポップス』。)
どれも毎週のベスト・テンで知った音楽。テクノとウエストコーストが共存する世界。
(思えば、ジョン・レノンの「ダブル・ファンタジー」を知ったのも「ポパイ」だったような、それを増幅させたのは、当時好きだった桑田さんのラジオだったような気がする。)

■Karla Bonoff 「Trouble Again」1979■
カーラ・ボノフの横顔とスカートから少し覗かせた脚。
きれいなお姉さんの写真と歌に酔い、ドキドキしていた。なんとウブな童貞だったことか。

今日は今日で、日中あくせくとまったく別の世界に身をさらしていたのに、夜に一冊の雑誌との再会で気分は良い意味で変わってしまった。あこがれや恋ごころは、極めて単純で、心を開かせ素直な気持ちに繋がっていく。

「涙に染めて」が入ったLP「ささやく夜」はおおらかな曲そろい。
そんな中には、有名な曲「The Water Is Wide」のカバーが入っていたりする。
アメリカの多くの女性ヴォーカリストの作品には、カントリーとくくるには失礼な(ある意味)洗練され切れない”いなか娘”っぽい影が見え隠れして、そこが好きだったりする。

子供の頃、土曜日の夕方NHKテレビでやっていた『大草原の小さな家』を想い出して切なくなる。
話し出すとキリがないので、今夜はこのへんで。。。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年3月27日 日曜日 「にちようび」

2016-03-27 12:20:29 | 音楽帳

テレビを視なくなってもう何年も経つ、と言った。
なぜ再度興味を持ったか。今は、テレビという箱(というより板?)じゃなくても、インターネット上でテレビを視られる。
そこで昔と変わらないタモリ倶楽部の姿や、NHKの「ドキュメント72時間」などに出会い、じぶんを救うもの・生きるすべとなるものは”まだここにある”と思った。

テレビ箱は、点けるとこちらの意志と関係なく、自動的にひたすら流れて行ってしまう。
いっぽうインターネット上で視るテレビはこちらから”見に行っている”。
だからと言って、どちらが良くてどちらが悪いとも言えない。ラジオはずっと流しているし。

昔「テレビばかり見ていると馬鹿になる」と子供は言われた。それはある見方では正しい。
この言葉が違うのは、「テレビばかり」という箇所で、今は何も箱としてのテレビじゃなくても色んな方法で見られる。
むしろ「テレビばかり」のテレビの文字を入れ替えると、よりいっそう事実に近い。

「○○ばかりしていると馬鹿になる」が正しいのかもしれない。
○○に入るのは、テレビのみじゃなく、ネットやゲーム・・・あるいは仕事、果ては思考だったりセックスだったり。要は、何でもいい。忘我できるものがあるのは良いけど、そればかりやってバランスを欠いてしまうことを指す、と解釈する。

***

テレビには過剰な演出があったり、あたかも現実という割には映像によって歪曲されることが多すぎる。それが視なくなった一つの理由でもある。
これは事実だろう。スポンサーが居て、1つの番組に編集しなければならなかったり、意図を伝えたかったりした際に夾雑物が混じる。

ふりかけられる調味料がさじ加減次第で全体変わってしまう、という点では何事にも通じるが、象徴的に見えやすく語りやすいのが「テレビ」なのだろう。
料理と同じで、ほんの少しの味の差が全体を決定させてしまう結果がある。

これは絵を描くこともそうで、それを細やかに語った一例は大竹伸朗さんの著書にある。絵を描く過程で、いつのまにか自分が自分をダマしにかかる境い目が来るが、それをどう振り切るか?といったプロセスは実にリアルで示唆に富む。

***

今朝。
ねむりつかれて目を覚ます。外はどうやらくもりのようで、室内の照度は低い。
室内は相変わらず汚いな、と思う。でも、どうやらこれが一応目の前の現実。それを片づけるには容易でなく、少しやっては疲れてしまい、外に旅立つ。そんなことをもう何十年もしている。

数十分前に目醒めはしたものの、ダルくて横になって、ラジオを小さいボリュームで点けながらうとうとしていた。
今日は彼女に会えるだろうか。連絡をしようとしながら躊躇し、外に出る時間までに何をして、何をしないか、を考えよう。
ふだんは何でもやり過ぎなのに、今日はずいぶんご立派で・計画的ですな、と自らに言う。

***

現実、とよくクチにしてしまうことが多いが、現実はひどくウソくさい、そう感じることが多い。
それを突き詰めていくと何が本当か?本当とは何か?などと思考のスパイラルに入る。
現実、と言っても、テレビではない実社会ですらウソくさい場面が、対峙せざるを得ない仕事場や生活の様々な場面に登場する。

戦下の現実を基準にするとすべては幸せなものだ、という認識もあるが、
一方ではそういったことを除いても、目の前で拭い難い事実に面することもある。歩いて出会う老若男女、日々出会ういろんな人の生きざま。

仕事に就いていない人から見える働いている人の姿。
病気の人から見える健康な人の姿。
基点が異なれば、世界はまったく別の姿に変貌する。

***

きれいごとを抜かしたくもないが、ひどく「現実的」になってもいけない。その頃合い。
じぶんと周囲の世界が、国とか経済・社会とか世界なんて視えない広さにコトを広げざるを得ないとき、途端に足元がわからなくなることがある。

そんなとき、好きなブログによく訪問する。さじ加減やバランスにおいて学ぶことが多い。
それらの人は別段”世間”的に有名でもなんでもないけれど、教えられ、時に励まされる。

日曜日がいろんな顔をしてくる中、今日は憂鬱なほうかもしれない。日曜日がよく見せる表情。
大貫妙子さんのこの記事は、1984年11月の雑誌「LOO」に掲載されたもので、よくこのページをめくる。

浮かない日曜日。
そう言ったらおしめえよ、といった気分調子の日には、こんな静かな世界を基調にすればいい。

■Steve Hiett(& Moonriders) 「Blue Beach - Welcome To Your Beach」1983■


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年3月23日 水曜日 80年代の風が駆け抜けた夜

2016-03-24 00:14:03 | 音楽帳

帰ってラジオを点けると、鈴木慶一さん「サウンドアベニュー905」最終回。
ああ、しくじった。もう始まっていた。そうして、急いでバッグをまさぐり、ラジカセにUSBメモリーを差し込む。
番組途中から録音ボタンを押す。

ホントは、昨年師走からAMがFM放送開局して、もっと良い音で録音できるはずなのに・・・
間近に見える空塔から発射される電波を拾いやすいはずが、TBSラジオのFM波をうまくキャッチできない。
そんなわけで、40余年付き合いの長い友だち・TBSラジオは、今でもAMで聴いている。

中高生時代みたいに万全な状態じゃないから、こうやって途中から・・・とか、チューニングが合わないまんまでも、ともかく聴ければ良いじゃないか、と思っている。
それでも、聴いているうちそれだけでは物足りなくなり、ついスイッチ押す。
そんなことが多い。記録癖、溜め込み癖は治らず。

***

なあんだ、と思う。中高生時代と何一つ変わらない。
でも、昔より多少のお金がある自由はぜんぜん違う。
USB録音は、編集や消去も容易なうえ、カセットテープ時代より大してお金がかからない。

後から聴くのかい?
と思うが、昔カセットテープで聴いていた頃より、今のほうが繰り返して聴いているものが多い。
それは野外に持ち出せるポータブルmp3プレイヤーのおかげ。SONYウォークマンを買うお金は無かった少年も、今ではそんなぜいたくを楽しめる。
外で録音したラジオ番組を何度も聞けるしあわせ。

***

実は、今月入って早々、友だちみたいだった同僚後輩が突然死してしまった。
それとき浴びたパンチは、じわじわボディーブローのようにこたえていた。また春に大事なものを失う。

精神が狂気に向かうときがある。
ときおり迫る発作的なものが訪れる。ヘルニアの痛みやしびれ、今日は時折耳鳴りに視野の異常。
黙っていてもつらいだけ、で鎮痛剤に手を伸ばした。

そんな日の夜に、慶一さんの愉しいラジオはありがたかった。こころが救われる想い。
昔から生粋の東京シャイネスボーイ・慶一さん。そのラジオは理屈抜きで音楽の楽しさを伝えてくれた。
「サウンドアベニュー905」始まった頃、”現代版サウンドストリートだね”と距離を感じていたが、気付かぬあいだに「今日は何曜日だっけ?」としょっちゅう聴くことになっていた。

昔聞かなかった元春さんの日には、当時と違って誠実な語り口に胸打たれ、
ピッチカートファイヴが受け入れられず避けていた小西さんの日にも、まるで少年みたいに好きな曲を嬉々として掛ける小西さんの様にこころが動いた。

***

今日の慶一さん放送は、元有頂天・ケラさんとの新人バンド”ノー・ライセンス”の曲紹介。行進曲みたいで、いいかげんで、それがとても明るく活力を感じ面白い。
おととし夢の島で、横なぶりの雨風の中演奏した2人のデビュー。
聴くわたしも彼らもびしょぬれだった夏の夜を思い出す。

中高生の頃、教授、コニー・プランク、ホルガー・シューカイが関わったPhewや突然段ボール、フリクション含むPASSレコード・・・またはゼルダ・・・等々、真のアンダーグラウンド音楽が魅力的だった80年代初頭を味わっていたが、有頂天は断裂されたその後。

80年代後半「イカ天」バンドブーム同様、当時は否定的にしかとらえられなかった。
むしろケラさんは、脚本家・ケラリーノ・サンドロヴィッチ=ケラと知らずに、友人と芝居を視ていたほうの印象が強い。そんなケラさんと慶一さんが、数十年を経て繋がる事態が起きるとは思ってもみなかった。

***

夢の島ライヴでお腹が出て太ったケラさんの姿には隔世の感。
けっこうショックではあった。と同時に、じぶんが勝手に恋焦がれていた緒川たまきさんを奪っていった恋がたき、であることもよぎった。

別に個人的付き合いがあったわけもなく、一方的妄想だが、高野寛くんとの放送「ソリトンSide-B」に映る天使のような姿が忘れられない。

いろいろが頭のなかに駆け巡りながら、結果的に愉しい夜となる。
2年前に聴いたときは何とも思わなかったノー・ライセンスも、なかなか良くてCDを欲しいと思った。

■大村憲司 「THE PRINCE OF SHABA」1981■
毎年、春がやってきたら必ず聞きたくなる1枚。永遠に離れられない。

書いて作業しているうちに、魂の在り処を見つけたようで、少し楽になる。
春は来ており、桜や白モクレンを見上げる夜になった。














コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

1996年2月18日 日曜日 坂本龍一 「ABC(朝日放送)朝のテーマ曲」

2016-03-22 23:54:30 | 音楽帳
ずいぶんとテレビを見ない暮らしが続いていた。
物理的事情や中身への疑問など理由はいろいろだが、ここ数年、実家や病室で身近な人と選んで観る番組は楽しい。
意固地な性格はついゼロか100かに傾くが、そんな選択ばかりが重なり修行僧みたいになっていた。

極から極へという方法は正しくない。そう思いつつあった。
それに、昨年後半、ネット動画で視た(今の)タモリ倶楽部が面白く、まだこんな世界にも生き生きとしたものを知る。

テレビを再び見られる環境設定はしていないし、長く観る時間もないのだが、
その前に。。。と電気屋さんから中古ビデオデッキとコードを買い、この休みにそれをパソコンにつなぐ作業をした。

段ボール箱からビデオテープを出して、試しに1本観てみる。ひさしぶりに視る映像。
1996年大阪を去る前に観ていた番組の断片が録画されていた。
大阪の小さい部屋で、間借人は古っちいテレビで、気になるものをランダムに録画していた。そんな1本。

思わず「なつかしい」。
ふだんあまりこの言葉を使わないのだが、出てきたのがABCテレビ朝始まりの映像。
5時57分から放送開始の6時までのイントロは、教授の曲。

初めて知ったのは、その小さい部屋で阪神淡路大震災に遭った1994年頃だったか?
眠れ(ら)ない夜明け、偶然、この教授の曲に出会った。

今夜見た1996年2月18日の5時台のNHKニュースは、大雪の映像。
そして教授の曲の後、6時に始まったABCテレビ。その最初の番組が「おはよう浪曲」だったことにほっこりした。




















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年3月21日 月曜日 井上陽水 「United Cover2 Live」

2016-03-22 01:06:30 | 音楽帳

この休み陽水さんのライヴを聴きに行く。
熱心なファン・友人MZ師が昨年観た「UC2」コンサートの話しを聞き、キップを取ってもらった。

初めてお会いする奥さんと三人という不思議な組み合わせ。
彼らにとっては2回目のライヴだったが、まったく選曲が違うらしい。
飽きやすい陽水さんだから、何回も同じセットリストはかったるいんだろうね。。。そう会話しながら、それが演奏する側にはどれだけ大変か、を思えば、実はとんでもないサービス精神とも話す。

陽水さんは、何も変わらないかのようなゆったりさ。
そんなふらりとした様相でいながら、アグレッシブに「今」に打って出る。
その前進する姿は”円熟”とか”懐メロ”とか云う言葉すらせせら笑う。

拓郎さんの「リンゴ」をカバーしたいきさつとライバル扱いされたフォーク時代を振り返りながら、友人とはいいずらいが。。。着かず離れずというお互いの関係を語りつつ、語尾はあいまいにたぶらかす。

井上陽水らしさ、その一つはこういった断定を下さないこと。
それは人生の途中で体得したことだろうが、多くの誤解や離れた異見や・・・プラスもマイナスも聞こえているのかどうか解からぬまま。
歌詞にも曲の解釈にも「知らないよ」と言いながら、多くのふくらみを持たせながら、当人は言葉でくくろうとする人の手からするりと抜けていく。

(渋谷陽一さんだけではないが)D・ボウイが変わり続けることで、多くの作品を産み出していけた才能を話すが、同じことを陽水さんに思う。
変幻自在になんでも乗り越えられる、というかのように核心に迫ることは語らず、サングラスから満面の笑み。
多種多様な楽曲をさらりと演奏する。それが、いかにも陽水さんらしい。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューウェイヴ・カセットシリーズ ナンバーなしB面 1982年1月12日 

2016-03-19 00:23:05 | クロスオーバーイレブン

ナンバーを付けたカセットテープ以外に、(未完)のまま終わってしまったものがたくさんある。
エアチェックして聴いていたけど、後日とある夜、特番やライヴ番組などが迫り、手元にカセットがそれしかなく、泣く泣く上書きしてしまった。。。
というパターンが一番多かった。

みうらじゅん先生が夜な夜な作詞作曲して録音した、自作DT(童貞)フォークのカセットテープに、B面途中で終わり=「未完成」としたものがある。その理由は、ジョン・レノンに影響を受けた結果とのこと。

じぶんはそんな理由ではなかった。

今ではインデックスカードだけが残る中の1本が上の写真。
(A面はのちのちとして・・・)B面は、1982年1月12日(火曜日)の「クロスオーバーイレブン」を録音したもの。

火曜日ということで、この日は教授の「サウンドストリート」~「ふたりの部屋」を聴いた後のことになる。

当日は、カセットNO.5のB面に3曲収め、ナレーター横内正さん(津嘉山正種さんの前任)の語りの合い間にカセットを即入れ替えて録音したものと思える。

タンジェリンドリームの「イグジット」は、この日初めて聴いた。
この辺の時期に買ったミュージックマガジンの「1981年ベストアルバム」で、LP「イグジット」を挙げる人が多く、この後1982年にレコードを買うことになる。

先週から今週に掛けて、mp3プレイヤーでひさしぶりに「イグジット」を一枚通して何度か聴いた。
35年経った今でも素晴らしい作品。
タンジェリンドリームの作品群は、80~90年代に渡る際起きた”ハウス/アンビエント”以降の流れの発生源の1つ。彼らにもじぶんらにも大きな影響を与えた音楽。

■Tangerine Dream 「Exit」1981■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ニューウェイヴ・カセットシリーズ ⑦ 1982年1月14日

2016-03-18 00:41:11 | 音楽帳

この頃になると、何本かカセットテープが同時進行する。
埋まって仕上がったものから”No(ナンバー)”をふることになる。

キング・クリムゾンの「Matte Kudasai」は、エイドリアン・ブリューが作ったスロー・バラード。
日本語の「待ってください」という言葉の響きがとても美しい、ということから産まれた曲。実際は”待っていてください”という意味。
家路を辿った先にある幸福。

■ジョニ・ミッチェル 「ナイト・ライド・ホーム」1991■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年3月17日 木曜日 砂原良徳”Liminal”・・・&”Liminality”

2016-03-17 23:28:14 | 音楽帳

砂原さん「Liminal」を通して何回も聴く。
ネット上で各曲聴いていたときと違う聴こえ方。
作品発表当時のインタビューを再び読み、「Liminal」の語源より「リミナリティ」について考えたりする。

*リミナリティ:境界状態(人が社会から逸脱している状態)。人々が、所属する社会を移動する途中、境目。
日常生活の規範から逸脱し,境界状態にある人間の不確定な状況。
例として道化・トリックスター・シャーマン・修行者などの位置・状況。

それを調べていくと、阿部謹也先生の名前がちらほらする。シンクロする。
たまたま最近読みだした本は阿部先生の「世間とは何か」。1月親の見舞いの合間、神保町の古本屋で偶然出会ったもの。1995年の著書。焼けた本の姿と匂い。まだ読みきれていない。

世間さま、とよく馬鹿にした言い方もするが、いまやそれがこのクニ様のご中心であられる。くわばらくわばら。。。そんなことが適当に脳に浮遊すると、街をふらつく折・古本屋の寒空・100円均一処分本に見つけたりする。不思議なもの。

同時並行でパラパラめくる本が、寝るそばに積んである。
そういった本が、ぐるぐる回って止まらない雑念循環に歯止めをかけるのか?あるいは混乱を促進させるのか?
まあ、そんな大して難しいことより、生きるヒントが一行でもあれば、と思う。

池田清彦さんの「やがて消えゆく我が身なら」、みうらさんの「さよならわたし」、中井久夫さんの「世に棲む患者」、あるいは養老孟司さんの本などなど。。。適当に積み上がる。

***

「Liminal」をずーっと聴く中、入れ替えされる安価mp3プレイヤー内に教授(坂本龍一)の曲がありて、これまた不可思議な視点を見つける。
「Liminal」(2011)を「Love Beat」(2001)の延長線上でしか聴く発想しかなかったが、教授の「B-2UNIT」と交互に聴くうち、とんでもなくオーヴァーラップすることを発見する。点と点が線になる。

教授も砂原さんもココに至る経緯・経路は違うが、カチッとした予定調和世界への違和の表明という点は同様。「B-2UNIT」は、形式に従った資本主義音楽にうんざりするとき、原点確認も含め聴きたくなる。

「B-2UNIT」後、ポップスのフィールドに接近していく教授。
砂原さんはその逆の流れ。意識/無意識を超えて”今”を音に落としたときに、彼が何の作為もなくB-2UNITに酷似した音を鳴らしたことがとても興味深い。

■坂本龍一 「E-3A」1980■

15日深夜、痛みの果てで結局イーノ&バッドの「鏡面界」という処方箋に辿り付いた。あるいは、元々録音機として買ったmp3プレイヤーで、フィールドレコーディングした野外音を聴いて痛みを鎮めていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年3月15日 火曜日・深夜 Beatniks ”Exitentialism”

2016-03-16 01:20:00 | 音楽帳

2016年3月15日 火曜日 晴れ 4℃/14℃
ヘルニアからくる眼や頭の痛み、しびれが強いここ数週。
三寒四温、春の芽が吹き出したというのに、冬に逆戻り。
つめたい雨や不安定な陽気が続き、調子を崩す。

夜、ふだん眠るより前の時間に明かりを消し、横になる。
珍しい時間。横になると、首への負担が軽くなる。身動きできない。”天上”を視て、入院中のお袋やアンビエントを発見したイーノのことを想う。

ラジオが聴こえるか聴こえないかのレベルで鳴る。
ヒーターのあったかい色味が、ぼんやり空間を満たす。
その明かりの下で、手が届く位置にあった雑誌ミュージックマガジンをめくり読む。こころが落ち着く。

YMOとムーンライダーズのエッセンスの合体ブレンドの奇妙さ。
北中正和さんが書いたビートニクス「出口主義」。

ヨーロッパ的な感触、ルイス・ブニュエルの映像。
そこにイーグルス「ホテル・カリフォルニア」が重なり、同時にYMOの温泉マークが亡霊のように浮かび上がる。
そんな北中さんが想ったイメージは、当人(幸宏・慶一両氏)たちも思っていたはず。
当初あそびで始めた目的を持たない2人の行為は、実験過程で奇妙な音像を描き出していく。

意識外の領域に踏み出していくことでは、イーノとフリップ、イーノとD・バーンが産み出した不可解な狭間の時空の響きに似ている。

音楽というものも、最終的に商品・アルバムとして世界に提出する段階で「まとめ」をしてしまい、微妙なニュアンスを殺してしまうことが多い。
だが、別に流通に乗せるために世界に提出する必要もなく、売れる必要もない。

形になるかならないかのレベルで漂っている「なにか」。
宙を舞うそれを何とか瞬時手に掴まえ、形にしたい。
そんなものが、70~80年代へ向けたインディーズの思想だったはず。

あんな未知の「何か」を観たり聴いたりしたい。
そんな想いは、今も可能。
それは90年代以降で言えば、例えばCDショップで出会えたトータス、レディオヘッド等々への喜びでもある。

■Beatniks 「詩人の血(Le Sang du Poete)1981■

ぎちぎちの監獄が完成してしまった2016年東京の片隅で、黙ってシステムに抵抗をしながら夜闇を過ごす。






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする