フリートウッド・マックに出会ったのは、FM雑誌+ラジカセという二大武器を手に入れて洋楽ポップスのベストテンを聴き出したころのことだった。1979年、シングルヒットした「タスク」。
その後、1982年シングルがベストヒットUSAでヒットしていくアルバム「ミラージュ」。
その成功もあってか、二人の才女 スティーヴィー・ニックス、クリスティン・マックヴィーのソロも発表され、違うタイプの2人の音にも出会う。
YMOに出会って以降、80年代前半はあくまでYMO中心ですべての寝食は動いていた。アメリカ中心にヒットするポップスは次第に主食じゃなくなり、リアルタイムのビルボードヒット曲は「副」として聴こえてくることになった。
その流れの中でリンジー・バッキンガムに特別注目した記憶や意識は、あまりない。
想い出すのは、1983年~のラジオ日本「サウンドプロセッサー」(22:00~)で、今泉恵子さん(スヌーピー)と大貫憲章さんの夫婦漫才のようなやりとりの合い間に掛かった「ゴー・インセイン」。1984年リンジー・バッキンガムのシングル。
その曲が掛かった後、大貫さんが、
『テクノフォークロックと呼んで欲しい。と本人が言っているそうだが、まーどーでもいいことで。。。』と言ったくだり。
つられて笑う。そんなラジオが鳴る、くたびれた1984年・夜の室内の感じ。
ジャケットだけは雑誌で見てきた1982年1月頃の作品「ロー&オーダー」。
「テクノデリック」「錻力の太鼓」等々に押されて聴けずじまいだった中身を確認するのは、パソコンを手に入れた後、21世紀初め頃。
昔のフォルダにそれらを見つけて、ここ最近聴いていた。
非中心である「副」に面白いものを見つけようとする姿勢は変わらず。
当時聴いてもピンときてはいなかったシングル「トラブル」は、シンセの音がとても魅力的で良く、この1カ月何度も聞いている。
理由はわからないけれど、「春がいっぱい」や「春咲小紅」みたいな「春っぽさ」を感じる。
■Lindsey Buckingham 「Trouble」1982■
これを聴くと、80年代がとうにじぶんの中で決着して終わってしまった後、87年にヒットしていた作品「タンゴ・イン・ザ・ナイト」に繋がる。
シングルカットされた「ビッグ・ラヴ」や名曲「セヴン・ワンダー」などは、未だに好きな曲である。