こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2011年11月30日 水曜日 十一月の旅人2

2011-11-30 07:34:14 | 写真日和
精神的な意味での親離れには時間を要する。
特に、男と父親は坂本龍一の例にもあるように恐怖と恨みがつきまとう。
自分も5年くらい前にやっと、父を肉親ではなく、いわば他人という対象距離を持って接することが出来る歳になった。
過去の様々な確執はあっただろうが、お互い共に既にそこから遠い距離の地点に来ていた。

23日の祝日が、お袋さんの誕生日で兄夫婦と5人でお祝いした。
その前日から実家に泊まった翌朝に、親父がよく歩くという近くの川の土手を2人で歩いた。
そんなことは、とても少ないことだが、もうお互いこの世に居る保証は明日すら無い。


































自分「鴨たちの楽園だね。」
親父「いつも歩きながら、数を数えている。今日は1ダースだな。」
自分「本当かよ(笑)」
親父「本当は、渡り鳥だからどこか行かないといけないのに、サボってるんだ。」
自分「そうじゃないよ。ここが彼らが発見した楽園なんだよ。」

親父「おまえ、写真撮るのに止まってばかり居たら、ウォーキングにはならないよ。」
自分「それでええねん。こんなキレイな花や風景があるのに、撮られずにいられないよ。
それを止まって愛でるのが大事なんだよ。」

時間が経てども、あいも変わらず噛み合わず成立しない会話をしながら歩いた。
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2011年11月28日 月曜日 山椒魚の夜間飛行 とある陸夜

2011-11-28 21:23:03 | 写真日和
藤原新也さんの「書行無常展」に行けなかった方のために、ネットで拾った写真を掲載させていただく。
2010年から2011年に掛けて、まさに藤原新也が死に物狂いで駆け回った地の写真・言葉・書・・・の瞬間断片の集積。
ネットの画面では、現物の書を読み・ぐうっと近寄って視るには程遠いが、若干なりとも空気が伝われば。。。。

■インド
四十年ぶりに、再び訪れた印度・バラナシで筆を振るう。
この印度のコーナーには、YOUTUBE動画でも有名な細野さんのマーキュリック・ダンスに収められた曲が使われていた。












■2010-2011日本
自分は知らなかった人々とのコラボレーション。

YOUTUBEでダンスを踊る長野のネットアイドルと藤原新也の書。


AV女優の晶エリーという人の髪の毛を筆にしてしたためた書。
これと異なる大きな画には、更に花がばらまかれた。


■三陸円顔行脚、そして、死ぬな生きろ
3・11後現地入りした藤原新也は走り続ける。各地で絶望に震える魂を鎮めるため、円顔を筆でしたため続け、書を、そして文字を紡ぎ続ける。








「死ぬな 生きろ」と筆を入れた卒塔婆を、青木ケ原の樹海に刺して回る。


渋谷スクランブル交差点のオーロラビジョンに映された「死ぬな 生きろ」。そしてそこを交錯する人々にシャッターを切る。

このコーナーでは、実際に渋谷で撮影を行うシーンを納めたビデオが映写された。
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2011年11月26日 土曜日 山椒魚の夜間飛行 とある伍夜

2011-11-26 22:59:07 | 写真日和
寝ている間に、何度か体感地震を感じた。
それは夢か現実かは不明。

何度か目覚めながらも、結果8:40に身を起こした。
雲一つない晴天。
何枚か、寝起きにシャッターを切り続ける。

今日は、珍しく洗濯も早々に済ませて、「とある」事情で浅草に出る。
今日も賑わう浅草をしばし放浪。
しかし、冬至に向かって日に日に太陽は短くなってゆく。
四時ともなれば、闇が覆い出す。











浅草で用事を済ませるまでは、賑わいも心地好く、比較的精神の底流は安定していた。

その後、藤原新也さんの「書行無常」展が明日までなので、電車で末広町に向かう。

そこで、とことん打ちのめされる。


入口を入り、受付をして、五百円を払って前を見ると、藤原さんご本人がいらっしゃる。
しばし、唖然。
2001年に、デヴィッド・シルヴィアンの中野サンプラザのコンサートホールで、遠い目をした藤原さんにお会いして以来。

中に入って見ているさなかでも、急に1メートルの距離に藤原さんが居て驚く。
自分の作品を見たり、関係者と話されたりしていた。

自分は思い切って、声を掛けてせめてポートレイトの1枚でも収めさせてもらいたい衝動がムクムクと来たが、作品を見たあとだったので、逆に声が掛けられなかった。

私は、インド、東北での写真と書を見て、特にその震災後に息せき切って走る藤原さんの「その場・その瞬間」=全ての秒で生きる様の形跡に目頭に熱さを覚えた後だった。
距離は1メートルだったが、声を掛ける資格は無い、と言ったら過大評価かもしれないが、掛けるべき「ことば」が自分には無くなっていたのが事実だった。

まるでお経の本のような、パラパラ短冊を折りたたんだ和紙に染められた、藤原さんが現場で託した即興の書には、沈黙した。
足も手も折れ、絶望し、打ちのめされ・・・と長く続く最後に、「それでも」・・・死ぬな生きろ。

全てをなげうって表現された瞬間に、何を言えるのか?
私にはことばが無かった。
またもや、自分は藤原さんに掛けることばを10年経っても持てなかった。




再び受付に戻り、藤原さんのポストカードを数枚買った。


打ちのめされたまま、喫茶店でコーヒーを呑み、一服付けた。


歩き、そして、アメ横を見つつ、帰路を辿る。




明日夕方四時で終わる展示会は、帰った後知ったことだが、藤原さんの意向で急遽変更し、入場可能な限りの人の前で、即興で書をしたためることになったという。

日々現場に足を運び、来る人との会話や空気を通じて、藤原さんの中に湧き上がった何かがそうさせたのだと思う。

死ぬな 生きろ。
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2011年11月25日 金曜日 山椒魚の夜間飛行 とある肆夜

2011-11-25 23:39:24 | 音楽帳
ポリスとの出会いは、1979年の「白いレガッタ」収録の「孤独のメッセージ」。

当時、土曜日の昼にFM東京でやっていた「ポップス・ベスト10」。
中学に入って買ってもらった宝物のラジカセで、毎週、学校から帰って聴いて、チャートをノートに付けながら。
「ウォーキング・オン・ザ・ムーン」もレゲエのエッセンスが入った浮遊感ある曲で、チャート・インして好んで聴いた好きな曲だった。

その後の「ゼニヤッタ・モンダッタ」を映像を含めて見聴きしたのは、雪降る寒い冬の印象が記憶の残像。


実のところ、ポリスで一番好きなアルバムは、1981年冬の「ゴースト・イン・ザ・マシーン」。

「シンクロニシティ」ではない。

「ゴースト・イン・ザ・マシーン」全曲が良いとは言わないが、このユーウツさとダークさは、YMOの「BGM」「テクノデリック」等々が出た1981年らしいアルバムで、それまでのファンキーな面の曲もある一方で、ヨーロッパ的な面が垣間見れる曲が多数存在し、そこにこそ自分がハマった。

「マテリアル・ワールド」「マジック」「シークレット・ジャーニー」そして「インビジブル・サン」とたまらない曲があるが、「暗黒の世界(ダークネス)」は特別。
中学三年生の独りの受験部屋の漆黒の闇の中、静かな部屋で机の灯り・ヘッドフォンを付けてクロスオーヴァー・イレヴンをエア・チェックする中かかったこの曲。

寒い寒い冬。
暖房も無い震えながらの部屋のキーンと張り詰めた空気。

そして、いくつか受験をする中、この年出来たという埼玉県の某高校。
試し受験という奴で行った初めて降りた駅。
何も無い田舎の駅。
そこから荒野の一本道をこごえそうになりながら歩いた。
受験を終えて帰る道だろうか?
すごく時間が遅くなり、暗い道を・一本道を・誰も居ない中歩きながら、脳の中でこの「暗黒の世界(ダークネス)」がお守りのようにな鳴っていた記憶の断片。

小学生から中学生に入って、さらなる闇の世界に迷い込み、首に損傷を受け、追加で精神的なナゾの抑鬱が始まり、目の前の暗い中、暗中模索になりながら、「これからは自分を独りで生きねばならないんだ」と自らの孤独を自覚しながら、歩いた一本道。
十五歳の冬。

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2011年11月24日 木曜日 山椒魚の夜間飛行 とある参夜

2011-11-24 22:28:59 | 音楽帳


サブ・サブというユニットを知ったのは、ハウス〜アンビエントのオムニバスCDで聴いた「パスト」。

パスト、つまり「過去」。
ナイーヴな曲調は、タイトル通りのもので気を惹かれた。
その後、JANISでこのサブ・サブの1994年のアルバム「Full Fathom Five」を発見。
ジャケットからは余り良い印象を抱かなかったが、「パスト」が収録されていることから購入。
聴いてがっかりした記憶がある。


***

87年以降新しい音楽に接点を見い出せずに居た自分は、ユーロビートを蔑視していたが、そのダンス中心の為の音楽が、90年代前夜に化学変化を起こす。
その延長線上に現れたハウス、そしてイーノの概念を発展させたアンビエント。
ジ・オーブ、808ステイトの出現で、80年代テクノ以降の発展系の流れが復活し、繋がった。

とはいえダンスフロア向けを指向した音楽には興味は生まれなかったが、これを起点として多様な音が水面下で動き出す。
その流れに1993年再生YMOの名盤「テクノドン」もあった。

サブ・サブも、その1つなのだろうが、「パスト」で流れた音の調子はバリエーションの一端だったらしく、アルバム全体は、ダンス寄りのものの曲が多く、黒人ヴォーカルが入ったものなど「ああ、こういうもの、よくあるよね」という曲などが多く入っている。
とはいえ、デジタル・テクノの匂いある曲もある。
ただ、1曲目に入った曲「コースト」は、808ステイトが作ったのでは?と思うほどにそっくりなパクリ曲。

ということで、このアルバムを買うことはオススメしないが、「パスト」だけは一聴願いたい。

■Sub Sub 「Past」■


「コイソモレ先生は、ワガママなヘンクツオヤジで、
友達もあまりいなくて、いつも丘の上に立っていました。」(しりあがり寿作品より)
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2011年11月23日 水曜日 十一月の旅人

2011-11-23 08:09:36 | 写真日和
疲れているのに、アラーム無しできっちり7時過ぎに目覚める。
体にクセが付いたということでは、良い状態なのだろう。
とは言え、起きた段階で抑鬱がよどんでいるのには変わりない。

空は雲一つない突き抜ける青空。
起きる間際に、夢の中で、河合その子の「緑のポインセチア」が流れていた。
深夜「サンプラザ中野のオールナイトニッポン」で、この曲を聴いた浪人のとある夜。
ひとりぼっちのクリスマスの夜を歌ったこの曲は、その後、冬の定番メニューとなった。
夢に季節を示唆された朝。


コチャコ。


零壱弍参肆伍陸漆捌玖拾・・・。


ほうれん草・チーズ・たらこのパスタ。


枯葉。


秋空雲。


須田町の夜。


新宿線ホーム。


車窓から。


バラ。


工事中。


車窓から、その2。


枯葉、その2。


LIGHT IN DARKNESS。


剥げた看板。


夜に住まう人。


癒しの物たち。


コチャコ熟睡。


朝の一曲。


ワインバー。


夜のネコ。


神保町のキツネ。


90年代後半、引越段ボールに色んなモノを貼り込んで色を塗った。
その段ボールを切り取る。
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2011年11月22日 火曜日 山椒魚の夜間飛行 とある弍夜

2011-11-22 22:31:43 | スケッチブック

誰かになにかを伝えたい人。音楽が好きな人。とにかく誰でもいいです。
旅と音楽を愛するわたしと友達になってください。とにかく、誰でもいいので手紙ください。ずっと、手紙待ってます。
切手入りだと嬉しいです。(A市 HG 15歳男)

メディアを通してでしか、自分の存在を確認することができません。不安です。
いっしょに考えてくださる方、お手紙ください。(B市 チエ 18歳女)

最近、空虚なものが心の中に広がり続け、何もかもが無に思える自分ですが、友達が欲しいです。
きたない飲み屋に連れていってくれるお兄さん的な人、手紙ください。(C市 E子 21歳女)

精神の臓器があると思っている人、手紙ください。
哲学、宗教、革命、どんな類でもいいですが、かしこい人はいやです。(D府 座敷子 25歳)

***

こんな「文通」の通信欄。
古いと笑う人が居られたら、キミは安心。ボクは不安。
今はネットで瞬時にコミット出来るが、求めていることは同じ。
目的は様々。
ただヤリたいという下ココロ、淋しい中での同志を求めるもの、同じ趣味嗜好を持つ人へのサイン、宗教団体の勧誘の一端・・・。

自分は、小学校時代以降もらった年賀状や手紙をほとんど捨てずに持っている。
そんな中に混じって、自分もこういう文通通信欄に載せた相手からもらった手紙が残っていたりする。
今では情報要素が電子媒体で見分けが付きやすいが、当時は砂漠のように繋ぐ媒体が少ない中であったので、もらった手紙は逆に自分に突き付けた。
「自分と同じ趣味嗜好なんて持つ人など居ない」のだと。

ナンパなり出会い系と呼ばれるものを笑えないのが、実は肉欲こそが他人とコミットしやすい一番早い手段かもしれないこと。
精神という見えないものでコミットするのが如何に難しいか。その距離の遠さ。
らもさんが「セックスで始まる恋」で言わんとしたことのように、まずは肉体で確かめて、そこから始めれば良いというのは、ある種真実かもしれない。

***


人間には一人になりたい時と、一人では居られない時がある。
但し、一人ではこの世では生きてはいけない。
社会に取り込まれながらも、如何にして居心地の良い日々の配置と他人との距離感を獲得するか。
それが課題。


孤独は時に心地好く、時に悲惨になる。気まぐれだが、そんなものだ。
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2011年11月21日 月曜日 山椒魚の夜間飛行 とある壱夜

2011-11-21 22:02:27 | スケッチブック

何かとてつもないワナにはまっていた。

過去のインディーズ、サブカルチャー。
大きな流れの流通に呑み込まれるのを拒否した記憶はいずこ?

本流の流れに従順に飼い慣らされるのを否定・無視すると言いつつ。
生まれたインターネット世界ですらも、こんにちでは、1つの流れがその中に出来てしまった。
そういう中に、自分も呑み込まれていた。

どうやら、今の自分に大事なのは、ケータイをいじることでもなく、情報にめざとくなることでもない。
誰も見向きもしない神保町の片隅で眠っている本を開いてみたり。
ゴミ屋敷の残骸の中に見つけたモノをムシメガネで、しげしげと眺めて何かを発見したり。
そんな類のことのようだ。

といいつつも、時間の多くは社会に掌握されている。
拘束から逸脱することには矛盾がある。

とりあえず出来うることは、権力闘争に明け暮れる人々を冷視しつつ、自分を進むこと。
分担分のことはちゃっちゃと、文句インネン付けられないよう、はようやって・・
イノチまで取られないようにせえへんとな。

男気だの・・熱意だの・・マインドだの・・
よくわからんうんちくゴネる、笑っちゃうアホが居るが、笑うしかない。
そこ、まで言うなら、あなたイノチ掛けるんですね?
そう尋ねれば、彼らの語る芝居は用意周到。
しょせんは芝居で、酒飲んでバクチして仲間でつるんでいるだけ。

そういう近くの毒を笑って流せ。


山椒魚は水辺に住むが、夜になると、ジャマの居ない夜間飛行に出る。
飛行だから空という訳でもない。夜の闇の波間に漂うだけ。

刻の流れは早いもの。
YMOの「テクノデリック」が発売されてから、今日で30年目の夜を向かえた。


■YMO 「灯」(Light in darkness)
1981年11月21日発売「テクノデリック」より■
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2011年11月19日 土曜日 リハビリ・雨 山下達郎「2000トンの雨」

2011-11-19 11:01:07 | 音楽帳

一週間の仕事を終えて、家に帰る道々、電車の中ではあくびが止まらない。
帰って日本酒を、コップ2杯も呑めばかなり酔ってしまう。
酒を余り飲まなくなったせいで、酔うのが早くなった。
肝臓を壊した時のガンマGTPの半分の数値には戻ったものの。
肝臓のみでは無くて、一旦ぶっ壊れたカラダというのは、ある一部の臓器の一部の数値て判断は出来ないようで、いろんな場所に、いろんな不具合が生じ出す。

四十五で自死した三島由紀夫が、四十を過ぎてから盛んに美輪明宏にカラダのチカラが落ちたことを嘆いていたという。
永遠の青年でありたかった三島は顕著に、そのチカラの落下速度に対して神経を極度に使い、「老いる」ということへの恐れを抱いていた。

そういう吐露が出来るのは、彼に寄り添って身近に居た数人に限られたが、美輪には三島は自分を開いていた。
というか美輪の勘の鋭さ、彼に投げ掛ける言葉、それがことごとく彼の見せてはいけないと思っている心中を見抜いていた。
ゆえに、美輪に心中が見えてしまっている三島は、美輪に身を投げ出さざるを得なかったのかもしれない。

美輪は、老いに恐れを抱き出した四十過ぎの三島に「あなた、死ぬ気でしょ。死んじゃダメよ。」と言ったらしい。

***

金曜日の夜ともなれば、日々見たり聴いたり出来ないものを見聞きしているうちに、夜明けが来てしまう、ということを繰り返してきたが、近時は2時頃になると寝てしまう。
凍てつく夜だったのもあり、毛布にくるまって日本酒を呑み、昨夜も2時過ぎ、暗闇で幸宏のオールナイトニッポンのmp3(カセット起こししたもの)を聴きながら眠りに堕ちた。

朝、9:40に目覚めると、外は雨。
しかし、雨の朝にしても、えらく光が暗い。
この週末が雨天であることは、天気予報で知ってはいたが。

達郎さんのアルバム「ソノリテ」の中でも特に好きな「2000トンの雨」を、今日の1曲目に選んだ。
この曲は、鬱にまみれて混沌とよどんだ頭の中、朝の一曲としてよくかける曲でもある。



見えるものは 指の間を
つたって落ちる 雨・・・

道の向こう そびえ立つタワー
もうすぐ空へ 届くだろう・・・

ボクの 想い何ひとつ 伝えるすべも 無いのに


心少し 洗われたなら
救われる時 あるだろうか・・・

今は 耳を澄ますだけ
炎と 雨の響き・・・

ボクの 想い何ひとつ 伝えるすべも 無いのに


2000トンの雨が降れば ボクは 今日も一人
2000トンの雨が降れば ボクは 今日も一人
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2011年11月17日 木曜日 リハビリ・癒しの人よ

2011-11-17 22:16:02 | 写真日和

山瀬まみちゃんは、80年代から今に至るまで好きな女性の一人。
まあ、愛するネコにまで「まみちゃん」と名前を付けたくらいのものなので・・・。

キュートでチャーミング、可愛いのもあったが、それだけではない。
元々、手が器用な人ではあったが、料理が大好き・家事が大好き。

いっとき、大きくパンパンにまで太った時には驚いたが、そのままでは無くて戻ってきてもらって安心したこともある。

まみちゃんと結婚したい・・・ありもしない妄想を抱いたことは多数ある。
そうしたら、あっさり結婚されてしまったが、この人が奥さんだったら、幸せ以外の何も無いバラ色の生活だろうな、と未だに旦那さんをうらやましく思う。



この人を見ていると、堅苦しい「生活」というコトバでは無くて「暮らし」という柔和な表現が浮かんでくる。

この人が、その場に現れると、そのとたんにその場がぱぁーっと明るくなる。
そして。柔和な癒された空気が広がっていく。この人にしか無いムードの持ち主。

本屋さんで、お見かけしながら、まだ手に入れられていない本「おいしく暮らそっ」と「おウチが大好き」。
確か、なぜこの本を三省堂で立ち読みしながら、買う判断をしなかったか?
そう記憶をたどれば、表紙があまりにも素敵だった割には、本の中に彼女の暮らす姿の写真が少なかったからのような気がする。

と思って検索していたら、とある方が、かなり硬派ないでたちをしながら、それに反して彼も山瀬まみちゃんのファンらしく「・・まみちゃんらしいキャワイイ写真が少ない」とお嘆き。
人というものは分からぬものだ。その硬派と文章でデレデレな少年の様がアンマッチしていて、つい微笑んでしまった。
意外と隠れファンという方が存在するのかもしれず、彼女に癒されている人も多いのかもしれない。
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