こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:ガゼボ「アイ・ライク・ショパン」

2020-09-29 21:00:00 | 音楽帳


ガゼボの「アイ・ライク・ショパン」を初めて聴いたのは、1983年11月15日の深夜。
幸宏のオールナイトニッポンでのことだった。ロンドンと日本を行ったり来たりのトシ矢嶋さんが、当時最新のレコードから選んだ1曲が「アイ・ライク・ショパン」。この曲を聴くたびに、あの寒い夜、深夜放送を支えとして楽しみにしていた秋を思い出す。

この時点では、ガゼボの存在を何たるか?知っている人はほぼ皆無だったはずである。
その彼が国内で知られることになったのは、翌年1984年3月のアルバム発売が契機だったように思う。
ガゼボのシングル「アイ・ライク・ショパン」のポップスとしてのわかりやすさ。情緒的なものに弱い日本人はすぐに飛びつき、オリコンチャートにまで食い込んできた。



この曲はメロディアスで明解なわりには甘さが過剰。
後味残るような甘さ。そのへんが、ニューウエイヴの軌道上でヒットしたというのに、みんないまいちノリが悪く、引いてしまう面だった。ひょっとすると、このミュージシャン、底が浅いんじゃないのか?という直感。

天辰保文さんは、シングル盤紹介コーナーでこう書いている。
「真面目に考えると、何も書けなくなってくるような曲で、ユーロッパの哀愁が売り物。
極端に言えば、リチャード・クレイダーマンの世界だが、そうとも言い切れない。
どこか気になるところもある。いずれにしても、話題は集めそうだ。」
YesでもNoでもない。そんな何とも言えない微妙な表現が、この当時この曲が存在した位置を指し示している。



このガゼボのヒットに目を付けたレコード会社は、早々に日本語版「アイ・ライク・ショパン」を小林麻美に歌わせた。
日本語訳にユーミンを起用、というのは、いかにもである。だが、当時のオリコンチャートを見ると実に面白い。1984年日本はすでに狂うようにめまぐるしい情報過多の社会に入っていたが、その割にはヒット曲の息が長かった。

7月6日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)6位、「アイ・ライク・ショパン」(ガゼボ)12位
8月3日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)1位、「アイ・ライク・ショパン」(ガゼボ)14位
9月7日・・・「雨音はショパンの調べ」(小林麻美)9位

しかし、まさか小林麻美の曲が1位になるとは、制作者も音楽関係者も思わなかった珍事件。
これについて、小倉エージさんは当時の雑誌上にこう書いている。

「・・・小林麻美の”雨音はショパンの調べ”が1位っていうのは、ちょっとばかり衝撃的な出来事。
さる友人が、この曲がヒットした理由について、プロモーション・ビデオを使ったCMの成果でしょうね、と解説してくれた。タナカ君、そうでしょ?いや僕もあのCMについちゃ、TVで流れはじめると、ン?てな感じで吸いこまれちゃう。
で、本編というのか、一曲分のプロモーション・ビデオを見る限りにおいては、先月号でもふれたけど、冷たい肌ざわり。というよりも、低血圧風のそれもん。
それもんっていうのは、いかにもの小林麻美的イメージってことで、バサッとしなだれかかる髪の揺れる音が聞こえそうな、ゾクッとするキンチョー感にナマツバのみこんじゃう。
その曲、ビデオを離れて聞く分には、なまめかしいぬくもりがそこはかとなく漂う雰囲気があって、有線なんかで耳にすると、ビデオとは違う世界が広がっていく。ともかく、ヒットした秘密を知りたい。」

***

なんだかんだと言っているが、じぶん個人には「アイ・ライク・ショパン」は想い出深い曲。
秋めいてくると、この曲が聴きたくなる。


■Gazebo「 I Like Chopin」'83■


■小林麻美「雨音はショパンの調べ」'84■

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音盤日誌:ステルヴィオ・チプリアーニ「アントラ」

2020-09-26 18:00:00 | 音楽帳


この一週間動いた分、心身の負担から珍しく昼まで眠ってしまった。
この一週間で気温は急激に下がり、夏もどこかに行ってしまった。
気が付けば9月も下旬、日没はすでに17時半を切りだそうとしている。
寒さのせいで、仕舞っていた長そでを出しては着て、厚手のくつ下を履いた。

たぶん、外はどんよりしている。。。であろう。
隙間からわずか見える数センチの視界、雨や風の音、子供の遊び声・・・
そこから、直感的に外の「どんよりさ」加減を判断した。
どんより、とは、空模様のことだが、病いがちだとすぐそこに引っ張られてしまい、
こころ模様までどんよりしてしまう。
まずいと思ったら、今ある状態ではない物語に滑り込むことだ。
例えば音楽やドラマや小説など。。。

***

室内にとどまり、カーテンの隙間数センチの白い空を見るといろんな音楽が浮かぶ。
映画「男と女」やヨーロッパのセンチメンタルな映画も見たいな、と思いながら、
いくつかのシングル盤を聞き、イージーリスニングや映画テーマ曲を聴いた。

男と女、パリのめぐり逢い・・・。
そのうち、ステルヴィオ・チプリアーニのセンチメンタルな名曲「アントラ」に出会えた。
ピアノの主旋律が美しい。
70年代の給食の時間など、どこかで聴いていたのかもしれないが、意識としては初めての出会い。
この曲について調べながら、繰り返し聴いているうち、日が沈んでしまった。





■Stelvio Cipriani「Antla」'72■
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夏の100曲 : スティーヴ・ハイエット「渚にて」

2020-09-19 18:00:00 | 音楽帳


夏らしく、秋でも聴けるレコード。
その1枚として、スティーヴ・ハイエットのアルバム「渚にて」もある。

初めてこのアルバムを知ったのは「LOO(ルー)」と言う日本キャパシティ発刊の雑誌上のことだった。1984年11月号の特集は「ボクたちの週末にバック・グラウンド・ストーリーを」。様々なジャンルの方に週末の過ごし方を取材したものが掲載された。
大貫妙子さんや小林克也さん、鈴木慶一さんなど、大声を挙げて主張しない方々の私生活が垣間見えた。
その中の1人として油井昌由樹さんは肩書きを「夕陽評論家」と名乗り、自らの文章で登場した。
この文章の途中に、スティーヴ・ハイエットのアルバムが出てくる。

「(夕陽を見るときの音楽について)・・・僕の場合は女性ボーカルのはいったスタンダード・ジャズ、ジョージ・ヒアリング、スティーブ・ハイエットの「渚にて」、増尾好秋の「グッドモーニング」などがよろしい。
2、3年前こんなことがあった。首都高速道路を羽田方面へ向っているときに、正面には鳥肌の立つ程素晴しい夕焼けが現れた。するとFENからこのシーンを待っていたかのように、ある曲が流れ始めた。この偶然の生んだ、一種のトリップともいえる瞬間のことは、今でも忘れられない。実はこの曲のはいったレコードを持っているのだが、思い出(?)を大切にするあまり、怖くて針を落とすことができないのだ。そんなわけでこの曲のタイトルは敢えて書かないことにしよう・・・」
(エッセイより抜粋 油井昌由樹)


(夕陽ではないが)自分は下町夕焼け大好き少年だったので、油井さんの文章と出てくる音楽にいたく刺激と感銘を受けた。

この頃、東京12チャンネルに「日立サウンド・ブレイク」という映像と音楽だけの30分番組があった。環境ビデオのはしり頃、映像と音楽を結びつけた魅力的実験的番組だった。とある日、油井さんがプロデュースした回があり、大貫妙子さんの「カイエ」に入った「夏に恋する女たち」のインストヴァージョンに続いて、夕暮れ時の海の潮の満ち引き・波のうねる七色の映像の中、スティーヴ・ハイエット「In The Shade」が最後にかかった。


■Steve Hiett「In The Shade」'83■

まさにサンセットに聴くに適したギターとアトモスフィアのみの静かな名曲。
もっとほかの曲も聴きたい。そう思ったが、アルバム「渚にて」はすぐに入手できず、この映像を何度も見て過ごした。
レコード屋さんをいくら巡り歩いても、「洋楽」「S」のコーナーには「スティーヴ・ハケット」のギター作品はあれども、「スティーヴ・ハイエット」は見当たらず。。。そんなことを繰り返してきた。

LPレコード「渚にて」を発見したのは、1983年から極めて遠い21世紀に入ってからのことだった。
神保町の中古レコード屋さんの外、300円・500円均一といった処分品のエサ箱。お店が通りに面しているから、ビュンビュン車たちがうるさく走る。太陽と雨とそいつらクルマが蒔いたほこりを浴びたレコードはひどく傷んでいたが、その出会いに狂喜して早速買って家に帰った。

スティーヴ・ハイエットはアルバムを発表した1983年時点、写真家だったという。
元々はプロのギタリストだったという彼は、このアルバムでメロウでブルージーなギターを弾いている。アルバムプロデューサーは立川直樹さん。CBSのはからいだろうが、ムーンライダーズの面々(!)や加藤和彦さんが全面的に協力している。

レコード裏、下の方にひっそりと「This Is A Guiter Album」と書いてある。
確かにギターを中心としたアルバムなのだが、ロックの人に多いテクニック披露会とは無縁。ひたすらゆったりと・・・まるでギターの練習をしている姿を撮ったそのままではないか?と思うくらいのゆるやかな曲もある。

それがひどく退屈か?と言えば、全くその逆で「ひどく心地よい」。
そのため、このLPは、手仕事や手作業をしている傍らや、もしくは隅田川のほとりをびっこで歩きながら、あるいは、消灯後就寝に落ちる前の室内だったり、と様々な場に流れていても邪魔にならない。
ブライアン・イーノが提唱した環境音楽のテーマ、「聴くこともできるし、無視してもよい音楽」。
それに実に合った音楽になっている。

「非」神経症的で、ある種良い意味のアマチュアリズムが、この音楽の自由さに結び付いている。


■Steve Hiett「By The Pool」'83■

A面
1/Blue Beach - Welcome To Your Beach
2/Never Find A Girl
3/By The Pool
4/Roll Over,Beethoven - Out Of The Beach
5/In The Shade
6/Looking Across The Street
7/Long Distance Look
B面
1/Hot Afternoon
2/Crying In The Sun
3/The Next Time
4/Miss B.B. Walks Away
5/Sleep Walk
6/Standing There

B1「HotAfternoon」は良明さんのギターに始まり、ぎこちないひきつった曲調、まるでムーンライダーズみたい。
最近、このアルバムがやっとCD発売されたらしく、一部の人たちの中で話題となっているという。また、このアルバム発表以降もぼちぼち作曲は続けていたらしく、それをまとめた2ndアルバム「ガールズ・インザ・グラス」が昨年、36年ぶりの新作として発表されたらしい。
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夏の100曲 : 高中正義「渚・モデラート」

2020-09-18 09:00:00 | 音楽帳


当時ビデオのCMで、よく流れていた1曲。
打ち寄せられる波の際に、砂で作られたサグラダファミリア。
まるで夏の終わりを物語るかのように、ひとけ無い渚、波とともに崩れ去る楼閣。

薬師丸ひろ子の薄く開いたくちびるには、パール系の薄いピンク。
印象的なピアノのイントロ、そして、後半に聴こえてくるコーラスに絡む、
高中正義とはっきり判るギターの音色。


■東芝ビデオ「ビュースター」CM 薬師丸ひろ子 '85■

高中さんとの初めての出会いは、1980年にパイオニアCMで「ブルー・ラグーン」を弾く姿だった。
そのカッコ良さと音楽への真摯さに胸を打たれた。

そこから約5年。
音楽の世界は80年代になってから、明らかに大きく変わった。
聴く者も音楽家もお互い変わりゆく世界の中で、この5年はたった5年ではない。
毎日変わり移ろっていった世界は、数十年分を圧縮したように重く長い。

もはや1980年から遠い遠い世界の中で、再び高中さんの音を唐突に聴いた。
そんな印象だったのを覚えている。
このシングルを含むアルバム「極東探偵団」は発売後すぐに発表されたが、チラッと聴くだけでやめた。

なぜなら、この偶然出会えた曲「渚・モデラート」を、良い想い出として残しておきたかったからだ。
シングル盤「渚・モデラート」は、今でもよくターンテーブルに乗せて聴く。
針を落として静謐な数分を味わう。そんなレコード盤でこそ聴きたくなる夏の名曲。


■高中正義「渚・モデラート」(東芝ビデオ「ビュースター」イメージ・ソング)'85年6月21日発表■

作詩/リリカ新里
作曲/高中正義 編曲/高中正義・新川 博
コーラス/EVE

I feel your radiation
Such sensation
Inspiration
The taste of your confection
Sweet temptation
Fascination

I'm sinking in the ocean
of emotion
Full of passion
Come show me the direction
To your love and affection

Over and over, crazy lover
Over and over
Dear little lover, undercover
This is your mother
Put on my make-up, never break up
Never give up, no
Bebop a loola shubi duwop
BebebebeeBop!
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夏の100曲 : ベック「モーニング・フェイズ」

2020-09-17 09:00:00 | 音楽帳


たまたま出会えたベックの「モーニング・フェイズ」(2014年作品)。
この夏、初めて出会えた1枚。長引く梅雨が明ける手前まで、歩くたびに聴いた1枚。
つい聴き惚れてしまい、ひたすらループしつつ、下町を歩くと、街の匂いや姿とこの音楽が見事にシンクロする。

東京五輪決定後、次第に潰されてきた東京。それでも昭和の匂いを残した街。
その匂いをネコのように探りながら、触感をたよりに痛みの塩梅を見つつ、ビッコを引きながら日々静かに迷い歩く。

ベックを聴くのは、デビューアルバム「オディレイ」以来。
そもそも「オディレイ」は、当時神保町のレコード店「JANIS」で偶然出会ったもの。
名も知らぬ音楽を店内で聴き、気に入ってその場で購入した。1996年のことだった。

かつて細野(晴臣)さんが、高野寛さんの番組「ソリトンSide-B」で言っていたセリフを思い出した。
「音楽っていうのは一音聴いただけで、それを創った人のスピリッツがわかる」
ベックの「モーニング・フェイズ」には、そのスピリッツを感じる。
多様な音楽を聴き込んだ体内から出てきた、静かなハーモニーと響き。

「オディレイ」当時、ハヤリの”ミスクチュア”という言葉に隠されて、ベックという音楽家の実体を掴み損ねていたのだろうか?
そんなことを思う。
アルバム「モーニング・フェイズ」の素晴らしさ。
この夏に出会えた作品を聴きながら、消えゆく昭和の街をさまよう。


■Beck 「Morning」'14■
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夏の100曲 : ヴァージニア・アストレイ 「いつかまた会える」

2020-09-15 09:00:00 | 音楽帳


ヴァージニア・アストレイが国内発売された1983年10月。
このとき彼女は23歳、もとはクラシック畑の方だった。
奥深いヨーロッパらしさをたたえた彼女は、幼少時代にフルートやピアノのレッスンを受け、15歳からマンチェスターの音楽学校に通ったのだという。

クラシックの音楽家になるつもりだった彼女は、その後兄からの影響でロックにも親しむようになり、結果的な音楽デビューは、1981年スキッズの「JOY」への参加という形となった。
その後、スージー&ザ・バンシーズやマリ・ウィルソンの作品参加と、活動が活発化。
そして1982年ソロの名義で4曲入りシングルの発表となった。その後2枚目の4曲入りシングルが出て、それらの曲をまとめたものが日本独自の編集盤「プロミス・ナッシング」となる。

「プロミス・ナッシング」は2枚目12インチシングル「Love's A Lonely Place To Be」と同じジャケットデザイン。そのジャケット写真は、彼女の透明感ある音楽世界とマッチしていて美しい。
A面1曲目「いつかまた会える」は、彼女のフルートと淡いヴォーカル、少年少女たちの合唱が永遠を奏でる。

”We Will Meet Them Again On The Hill”(あの丘の上で、ぼくらは、いつかまたきっと会える)。


■Virginia Astley「We Will Meet Them Again」'82■

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夏の100曲 : ヴァージニア・アストレイ 「過ぎ去りし夏」

2020-09-13 09:00:00 | 音楽帳


場所によるが、今週半ばにはセミの声を、一気にピタッと聞かなくなった。
太陽は日没が17時台に入り、朝夕の涼しい日々。

狂ったような暑さはなくなったものの、平日昼の温度は32~33℃を指していた。
でも、もう公園など野外にいても、ジリジリとした暑さはもはや無い。
たぶん幼い頃の夏はこんな具合だったんだろう。
こんな日を幼い頃は暑いと言い、今では涼しいと思っている、そんな感覚。

今までの流れなら、すでにパンク状態の都内随所が、さらに異常な人と騒ぎでごった返したはずの夏。大型催事が火に油を注ぎ、その前後に犯罪や異常が起きる可能性があった。
しかし、祈りが通じたか、未だかつてない静かな夏が終わろうとしている。

かすかに夏であり、秋めいても来た時期。
どちらの志向も持ち合わせた音楽には、例えばヴァージニア・アストレイの音楽がある。
彼女のレコードが初めて国内発売された1983年秋、アルバムには「It's Too Hot To Sleep」(暑過ぎて眠れない)といった夏の夜の情景描写もあれば、鐘鳴る森の道で聞こえてくるピアノ「A Summer Long Since Passed」(過ぎ去りし夏)もある。

うるさい世間や喧騒、救いようのない世界。
そこから離れた場所で、このレコードが静かに聴こえてくる。
その幸せを噛み締める夏の終わり。


■Virginia Astley「A Summer Long Since Passed」'82■

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夏の100曲 : ロータス・イーターズ 「心の痛み」

2020-09-09 21:00:00 | 音楽帳


ロータス・イーターズは1983年に2枚のシングル盤がヒット、アルバムは翌1984年に発表された。こんなシングル先行型のバンドは、当時多くあった。チャイナ・クライシスもそうだった。

アルバムが発表されるたびに、先行したシングルが何曲、それ以外の新作が何曲くらいか?
その比率を気にしていた気がする。
チャイナ・クライシスの2ndアルバム「Working With Fire And Steel」などは、既に発表済みのシングル多くてガッカリしていた音楽ライターの方が居た。
私はそうは思わなかったが、まあ、それはヒトそれぞれ、のこと。

ロータス・イーターズで初めて聴いた曲はやはりデビューシングル「The First Picture Of You」だった。
その後「You Don't Need Someone New」もシングルカットされ、幸宏さんの「オールナイトニッポン」やピーター・バラカンさんの「ポッパーズMTV」などの番組で紹介された。
「The First Picture Of You」は、エコーのよく効いたギターの絡み合う音色が美しく印象的な一曲だった。

自分が実際のレコード盤を手に入れたのは中古レコード屋さんで、「The First Picture Of You」の12インチだった。
A面がタイトル曲の5分半近いヴァージョン、B面はバンド名をタイトルとした「The Lotus Eaters」・「Stranger So Far」という3分程度の2曲を収録していた。



ロータス・イーターズがヒットしていた当時、LP盤を買わずに通り越した。
そこから年を経て、CD時代が到来。そんな90年代になってもなかなかロータス・イーターズCDは出なかった。
といってLP盤も中古屋さんにも出回らず、高価取引されていたらしい。「買っておけば良かった」と思っても後の祭り。そんなくやしさを噛み締めるレコードはあったが、これはその一枚だった。

自分の場合、結果的にLP盤を手に入れたのは、21世紀に入ってからのこと。
新宿と大久保の間にあるレコード屋さんで購入した。買って帰り、早速ターンテーブルに乗せて聴くが、輸入盤らしくプチプチ音が激しい。そのため、盤面を磨くが、何度やっても音は変わらず。。。

いじっていくうち、まさか、なことに気づく。ようく見ればジャケットも汚れた状態でスキャナーした形跡がある。
要は違法コピー盤だった。がっかりはしたが、聴ければよい、と自らを鎮めた。



LP「No Sense Of Sin(邦題:青春のアルバム)」は1984年6月に国内発売された。
夏も秋めいてきた8月終わり頃「クロスオーバーイレブン」でB面5曲目「When You Look At Boys(邦題:心の痛み)」が掛かり、エアチェックしたテープで何回も聴いた。

曲を構成する中で、若さゆえバランスを崩す面は常だが、この曲は最後の方でリピートする音自体がまるで伸びたテープみたいにうねる。その不安定感が妙にリアルで、彼らの裏側の影を感じさせた。
この曲が妙に引っ掛かり、アルバムを欲しいと思った。


■ Lotus Eaters 「When You Look At Boys」'84■

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夏の100曲 : ジャー・ウォーブル/ジ・エッジ/ホルガー・チューカイ「スネーク・チャーマー」

2020-09-07 19:00:00 | 音楽帳

ホルガー・シューカイ先生の関連作品として、スネークチャーマーという1983年の作品がある。別に夏である必要はないのだが、パーカッシブな音が心地良いこの作品を、この夏久々に聴いていた。

プリミティヴな木彫り風デザインのジャケットに、演奏者の文字が上部に並ぶが、そのタイトルがやたら長い。
『フランシス・ケヴォーキアン プレゼンツ ”ジャー・ウォーヴル、ジ・エッジ、ホルガー・シューカイ/スネークチャーマー”』

なぜこのようなメンバーが1枚のミニLPを発表するに至ったか?不可解だったが、まあ聴いて楽しければそれで良し、と当時流していた。今・2020年は、別の意味で、聴いて楽しければそれで良し、と思っている。
久々にLPを聴きつつ、ライナーノーツや雑誌をめくり、改めて経緯を理解した。

***

ジャー・ウォーヴルとホルガー・シューカイ2人の結び付きは、ジャキ・リーベツァイトと3人で実験的作品をすでに作っていたので理解するのだが、何よりもU2のジ・エッジがここに入っているのが不思議だった。
結論としては、U2の12インチ・シングルをケヴォーキアンがミキシングしたことがきっかけで結び付いたものだった。

1983・4年当時、ケヴォーキアンは12インチ・シングルのミキシングで活躍していたが、依頼したU2の2枚の12インチの出来具合に満足したアイランド・レコードが、彼に他のミュージシャンとの企画を提案。彼がウォーヴルとジ・エッジに声を掛けてセッションが始まったという。4か月の間に25トラックも録音した中より、このミニLPが完成した。


A面
1/Snake Charmer
2/Hold On To Your Dreams
B面
1/It Was A Camel
2/Sleazy
3/Snake Charmer (Reprise)

参加した3人とも、ここではフリーな場ということで伸び伸びと好きな演奏をしている。
特にジ・エッジは、U2では見られない一面を覗かせる。
A1はジャズファンクとでも言った世界。
A2は「クロスオーバーイレブン」で何度もあいだをつなぐ曲として選ばれたように、まるでシャカタクのようにフュージョン的、きらびやかで流麗な音が続く。マーセラ・アレンという女性ヴォーカルが入った8分半近いものだが、その長さを感じず、いつまでも聴いていたくなる。
細かく刻んだエッジのギターがメロディアスでまろやか。病気で心身困憊している今も、疲れた夜にはよく好んで聴く一曲。

B1は様々なパーカッションやピアノが打楽器音となって重なり合い、そのはざまに、ケヴォーキアン得意のスクラッチ音、シューカイ先生の描く音にはDシルヴィアンのソロアルバム1枚目と同じフレーズが出てくる。
B2だけは、ほぼU2のまんま、といった疾走感で激しく、アルバムの規格からは外れたものとなっている。
B3は、A1の再演だが、ウォーヴル・シューカイ・リーベツァイトで作った「How Mach Are They」のフレーズがピアノで繰り返される。
三人三様、この企画に乗っかり、楽しんでいるのが何よりもの1枚。


■Snake Charmer (Jah Wobble,The Edge, Holger Czukay)  「Hold On To Your Dreams」'84■

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夏の100曲 : チャイナ・クライシス 「ヒア・カム・ア・レインクラウド」

2020-09-05 21:00:00 | 音楽帳


チャイナ・クライシスにも夏らしく眩しい曲がたくさんある。

2人にとても共感を覚えるのは、国は違えど育った環境や感覚に近いものがあるんじゃないか?と思える点が多いからである。
それは一方的な想い入れや妄想だが、「Here Come A Raincloud」を聴いていると、屋根に乗って街の姿を一望してきた二人の少年の様が勝手に見えてしまう。


■China Crisis「Here Come A Raincloud」'84■

小中学生の頃、生まれ育った下町・三ノ輪の家には屋根の上に物干し場があった。
高所恐怖症の自分は、よく怖がりながらもヒト一人幅しかない狭い階段を上がって、スノコの床と四方を錆びた鉄パイプで囲まれた(6畳間くらいか?)場所に行った。

開放的なその場所では、一晩掛けて月食を見たり、小さいながらも隅田川の花火を見たりもできた。
また、土曜の晴れた昼下がりなぞは、青空と白い雲のゆくえを見ているだけですがすがしく、風吹くその場で過ぎゆく時を忘れることが出来た。

かなたを見ると、三ノ輪から地上に出た地下鉄日比谷線が南千住駅に入っていく姿や、国鉄常磐線や隅田川車庫の貨物電車が走る姿が、まるでミニチュアみたいに動いて見られた。
一望すれば工場と煙突、どうということない民家が界下に身をよせあっていた。
高いビルやマンションなど無かった時代のこと。
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