こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年2月27日 水曜日 アポジー&ペリジー 「月世界旅行」'84

2013-02-27 22:46:54 | 音楽帳
脳みそが痛い。。。
というのは大げさで、あいも変わらず頭痛・頚痛が激しい夜なので、ノーテンキに無理矢理なろう。

満月は昨夜だが、月がきれいな夜。
ゆる~い写真・ほんわか写真等々ランダムに、アポジー&ペリジーの曲と共に載せる。































■アポジー&ペリジー 「月世界旅行」1984(YENレーベル)■



お聴きになって分かる通り、戸川純ちゃん・三宅裕司さんの声。
細野さんが創った曲。
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2013年2月25日 月曜日 「浦島太郎」

2013-02-25 22:50:55 | 写真日和

急遽、仕事で昨日午後・東京を発ち、大阪へ。
ヒト仕事を終えて、トンボかえりで夕方、東京に戻った。

引き裂かれるようにして三ノ輪を去った15歳のじぶんのように、引き裂かれるようにして大阪を去った29歳のじぶんは、それらが変わり果てた姿を正視出来ない心情から、大阪には行きたくはなかったのだが。。。

学生時代に買った谷川俊太郎さんの詩で、痛いほど分かるものがある。
「・・・透明な過去の駅で、遺失物係の前へ立ったら、僕は余計に悲しくなってしまった。。。」
まさに昨日・今日のじぶんの浦島太郎状態と同じだった。

今日は往路の写真の一部のみ。。。



東京駅

富士山



夕暮れ

名古屋通過

雪の風景に驚く



新大阪着

変わり果てた梅田の姿



月夜の梅田
■China Crisis 「Stranger By Nature (生まれつきの異邦人)」1989■
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2013年2月24日 日曜日 2月下旬の神保町界隈

2013-02-24 12:47:35 | 写真日和

もう少しすれば、桜が咲く。すでにもくれんは、咲く手前まで膨らんでいた。

チャイナ・クライシスの1989年作品「デイリー・オブ・ア・ホーロー・ホース」より1曲。「シンギング・ザ・プレイズ・オブ・ファイナー・シングス」。
当時、大学生のじぶん。時代は空虚で、音楽も空虚な中、クロスオーバーイレブンで、このアルバムより「デイ・アフター・デイ」という曲を聴いた。
そのゆったりした流れに、熱気を持った時代が遠くになり、じぶんが愛したチャイナ・クライシスも遠くなったものだなあ。。。と目が遠くになった記憶。
このアルバムは、昨日話した通りのウォルター・ベッカーがプロデュース。

時代と切り離して、このアルバムの良さが分かったのは、大阪に行った90年代以降のことだった。
YOUTUBEの映像は、2005年のライヴより。目頭が熱くなる。「私」の中の蒼き青春は、歳とは無縁に、生きている限り永遠である。
「私」は音楽等アートの中では、タイム「WARP」することが、未だ可能である。

■China Crisis 「Singing the praises of finer things」1989■































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2013年2月23日 土曜日 Fra Lippo Lippi 「Angel」'87

2013-02-23 10:25:09 | 音楽帳

朝9時、光が差し込む中起きる。
ぐわあっー、と声を出して身を起こし両手を伸ばす。
天階に行って外を見ると、雲ひとつ無いドピーカンの青空。温度は低いものの。

昨夜は、死んだように23時に眠りに堕ちた。10時間睡眠。
18500歩と歩きすぎてカラダじゅう痛く・疲れが消えたワケでもないが、良い朝だ。
■Fra Lippo Lippi 「Angel」1987■

じぶんのなかでの日々進行音楽・ニューウェイヴが終わってしまった1987年のフラ・リッポ・リッピの「エンジェル」を聴く。当時はリアルタイムで聴かなかった曲。

深い深い緑茶を入れて飲みつつ、聴く。エーゴがしゃべれはしないが、わかりやすい詩で聴いていても、おおよそ分かる。

彼女の身の振る舞い・仕草がまるでエンジェル/天使のように見える。
もしまた会えるならば、また会いたいな。
じぶんも街歩きの最中に、そんなステキな女性とすれ違うことが多い。

ノルウェーの出身であるフラ・リッポ・リッピ。
80年にジョイ・ディヴィジョンの影響と・出生である北欧・ムンクを産んだノルウェーらしい暗さと・パンキッシュな痕跡を残したアルバムにスタートし、自然や静、そして彼らならではの内に秘めた情感を、次第にニューウェイヴの軌道上で、いろどりある音として開花させた。

しかし、この1987年のシングル「エンジェル」にも反映するように、極めてソフトな・「ポップス」と呼ばれるでもあろう所に辿り着く。甘い甘い世界、そして、ある種空虚。
それは時代の進行とは無縁ではない密接な中での流れ。

個人的には「スモール・マーシーズ」(2枚目)「ソングス」(3枚目)をすり減るように聴いたので、それ以降のフラ・リッポ・リッピを聴くことは無かった。
それは、チャイナ・クライシスの流れとも似ている部分が大きい。

と思えば、「ライト&シェイド」(この「エンジェル」収録)もスティーリー・ダンのウォルター・ベッカーのプロデュース。
スティーリー・ダンが大好きで、ウォルター・ベッカーにプロデュースしてもらい、ニューウェイヴから離れていったチャイナ・クライシス。
2つとも、同じヴァージンレーベルのバンド。
共に、音楽の中で聴こえるギターの音色・響き・コードが、全く同一。

「ライト&シェイド」以降のフラ・リッポ・リッピを聴く気になれたのは、21世紀に入ってからのこと。
こんな穏やかな晴れの朝には、良いだろう。







みんな一緒に記念撮影。これからもずっと一緒に。よろしくね。
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2013年2月21日 木曜日 「He Makes Me Wonder」

2013-02-21 23:47:49 | 雑記帳

「めめしい」なるコトバがある。語源は「女々しい」。かつては「女の腐ったような」。
明らかなる蔑視から見えた視点から出来たコトバ。
じぶんは「女の腐ったような」など・ふだん使わないが、だからと言ってフェミニストでも一切無い。単純に「色」に弱い男なだけである。
いつも思うのが「女の腐ったような」ではなくて「腐った人間」がしっくり来る。
また「女々しい」もウソで、「男々しい(めめしい)」もある。

この2月後半に差し掛かると、毎度、仕事場で目にするのが、ヒソヒソヒソヒソ・・・あちらだ・こちらだと、人の生活を左右する「人事異動」について、全く楽しそうに・嬉しそうにウワサ話や予想屋が、それをツマミに、仕事は片手間で一杯やっている姿。「ヒトの不幸は、蜜の味」とはよく言ったもので、下劣極まりない。

こういう人間どもは、いったい、産まれて・・・そして、死んで行く、自らの生命をどう捉えているのか?疑問で仕方がない。あんたの人生は勝手にすれば良いが、仕事で終わって良いのかい?後に何が残るんだい?
そう尋ねたい。まあ、しょせんは「他人」なので勝手に生きて・勝手に死ね。

じぶんが嫌う「群れ」ることが大好きな「腐った人間」たち。
おどらされたまま、産まれ・なにもわからない/知ろうとするつもりもないで、平気で死んで行くヒトの通夜になど行くと、「いったい、このヒトの一生は何だったのだろうか?」という「無意味」なるコトバが、泣く親族が居ても思ってしまう。

産まれ・死ぬ謎、不条理への、何のあらがいもせぬまま去っていく者は、酒とバクチとくだらない「人間関係」とやらに【率先して】絡め取られて・それを愉しむ「ヒト」が多い。そんな中、やはりじぶんはエイリアンと自覚する。

「人間は独りじゃ、生きていけないんだから!」などと渡辺美里じゃああるまいし、幼稚な類に属する人間関係の重要さを説教するヒトが居るが、そういう者からは、じぶんは「世捨人」に見えることだろう。
しかし「あなた方の居るほうの、くっだらない岸には行きませんよ」。
そういうゲームが好きで仕方が無い「ヒト」とは一生相容れることはないだろう。
お互いが一定の距離を保ちつつも、糸を感じて・束縛しあうこともなく付き合える「仲間」以外の死はどうでも良い。

「私」が、粘着質である事実は認めるが、想いはそんな感じだろうか。。。

「おまえが言うなよ」と思われる面もあろうが、しかし、そんな「めめしい」話を陰でする時間があったら、じぶんは音楽を聴いたり・街を歩いて写真を撮ったり・本を読んでいたい。
■土屋昌巳 「ホライズン」1988■

【一風堂~ソロに一貫して漂う、土屋さんの好きなジプシー感覚。その中の1曲。】


























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2013年2月19日 火曜日 David Sylvian 「Late Night Shopping」'03

2013-02-19 23:19:42 | 音楽帳

■David Sylvian 「Late Night Shopping」(From『Blemish』2003)■

Ask me I might go
Why not take me with you?
Ask me I might go
Late night shopping・・・

We can take the car
No one will be watching
We can lose ourselves
Late night shopping・・・

Tell me what we need
Write a list or something
We don't need to need a thing
Late night shopping・・・

尋ねてくれたら 行くかもしれない
どうして、連れて行ってくれない?
尋ねてくれたら 行くかもしれない
深夜のショッピング

車に乗っていこう
誰も見ていないから
じぶんを失ってもいい
深夜のショッピング

何が要るのか、教えておくれよ
リストに書いてくれてもいい
必要なものがなくても構わない
深夜のショッピング

【1988年のじぶんのノートの裏表紙に、万年筆で書かれたいたずら書き】
既に失ってしまった、もうそこに居ない誰かに、まるで妄想のように、空気相手に独白し、尋ねて/聞いてみる。自問自答の世界。
デヴィッド・シルヴィアンのそれまであった、深遠な遠き何かを探っていく世界は無い。
ここには、淡々と過ぎ行く痛い刻(とき)の静けさ。しかし、それゆえの身近な範囲1m世界の安堵・諦念がある。
そこには見えない深海も天空も無い。地上1mちょっとの世界に、ごくごく見えるフラットな日常。
身近な「私」生活の周辺の温度と、そこからこぼれ落ちる肉薄したありのままの姿が語られる断片。それまでとは違う形での内省的世界。
茫然自失としながら、深夜のショッピングカートを押していく彼の周囲には、雪が積もっている。

深夜1時消灯。
睡眠薬を服用しながらも、明け方5時半に起きてしまう。寝た気もしないまま、以後眠れず。
外はまだ真っ暗な中、洗濯・洗い物を済ませる。次第に「世」は明けていくが、空は真っ平らな白いのっぺらぼう。
緑茶とタバコで一服し、お湯を溜めて浸かり、髭を剃る。
7時早々につくばに向かう道は、比較的暖かい。早い時間というのに、早起きの人々が電車に乗っている。
ひと仕事を終えて、都内に戻ろうと南千住で降りると、天候は一変し、突風と手がかじかむ冷え込み。
そして、粉雪が舞う。倦怠感を覚えながら、地下鉄はあっという間に都内中心へと身を運ぶ柩(ひつぎ)。
傘を持たないじぶんは、雪の舞う中、仕事場にそのまま戻る。

外界と断絶された場所で、再び仕事をし、9時近くまで。
橋を渡り、夜道を歩き、光るいくつもの酒場を抜け、電車で帰路を辿る。
夜の買い物を終え部屋に戻り、タバコを吸い缶ビールを開ける。






























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2013年2月18日 月曜日 高木正勝 「Journal For People」'02

2013-02-18 22:10:25 | 音楽帳

1996年3月末に、第二のふるさととなった大阪から、引き裂かれるように、再びシャバ=東京に戻ったじぶん。
それからしばらくは、元々東京の者であるにも関わらず、大きな違和感を覚えながら、何か浦島太郎のような気分で居た。

聴く音楽の方は・・・と言えば、毎週聴き始めた深夜番組「電気グルーヴのドリルキングアワー」と共に、1997年発表のアルバム「A(エース)」で、初めてきちんと彼らの音楽に対峙する。

そんな事件もあったが、80年代の1日1日がめまぐるしい、という世界ははるか遠くにあり・・・・・
また、初めての異国の地・大阪で、生きるために死にモノ狂いだった1991.4~1996.3の、密度濃い20代後半の激動の日々にもサラバを言い・・・・・
砂を噛むような「終わりなき日常」がひたすら続いていた。

1996年4月8日。
コチャコから産まれた、まみちゃん・正ちゃん・シロちゃん・ウリちゃんの、生命の息吹と共に過ごす幸せが、いきなり始まりはしたのだが。。。
それとは別にして、戻った「よそいきの顔をした」東京への違和感は、しばし容易に去らないものであった。

改めて、魔界・東京の街への放浪を続ける中、毎週のように通る神保町。そこでは、ひさしぶりのジャニスに、よく立ち寄っていた。

そして、21世紀に入って、お店で偶然に掛かった音との出会い。
ウルリッヒ・シュナウスのファーストアルバム「FarAwayTrains Passing By」(2001年)。
じぶんの中に広がる解放感、そして、新しい時代のテクノの息吹を感じた。
そのジャニスで初めて知った用語「エレクトロニカ」。

そして「細野さん、何も制約が無い中で、音楽を創りたいな・・・」という幸宏。
ソロで行き詰まった中、細野さんは幸宏の要望に応えるような形で、リハビリテーションを兼ねて「スケッチ・ショー」という2人のユニットを作る(2002年)。
しかし、しばらくの間、じぶんはそれを遠ざけてきた。

元々、石野卓球の師であったYMO。
そのYMOの中の2人が組んだユニットを、彼主催の「ワイヤー」なるテクノ・フェスティヴァルに「新人」として出演させたのも含めて、大きく時代が変わってしまったことを目の当たりにし、むなしくなった。

それが、わたしの本音だった。
YMOでは無い・片手落ちの感が、しばらくは否めなかった。

ビートルズのマニアが、その夢の時代の再現を願って、うなされるように心に抱いていた「再結成」。それは、ジョン・レノンへの銃弾と共に砕け散った。
決して「単なる再結成」などという安っぽいものが、じぶんの心を癒すとは思えなかったが、だからと言って、欠落してしまった「何か」を埋める代償が無いまま、じぶんも時を刻んでいた。

「それでも!」と、スケッチ・ショーのアルバム「オーディオ・スポンジ」を聴き込み、その後のシングル「Ekot」を聴き、YMOでは無いけれども、ここには現在進行形の2人の姿があると認めるにいたった。

そして恵比寿のオールスタンディングのスケッチ・ショーのライヴを聴きに行ったじぶん。
そこで知ったアオキタカマサくんのエレクトロニカに「目を覚まし」。。。(「シンプリー・ファンク」には特に。)
同時期ごろに、出会った高木正勝さんのアルバム「Journal For People」(2002年)を聴いて、「目からウロコが落ちた」。
(ジャニスで借りた、その前の作品「Pia」には、特に響くものが無かったが。)

「Journal For People」は音だけではなく、映像作家としての高木正勝さんの優秀さも光る一枚。

その後、2003年に突如現れたデヴィッド・シルヴィアンの新譜。
ジャケットのイラストも、そして、音楽の中身にも「ええっ?」というびっくり。
それまでのデヴィッド・シルヴィアン像から、大きく変化した名作「ブレミッシュ」の誕生。

その「ブレミッシュ・ツアー」(2004年)を昭和女子大学・人見記念講堂に見に行くと、ぬあんと、予約した席は、一番最前列のセンター。
目の前に、デヴィッド・シルヴィアン、スティーヴ・ジャンスン、そして、映像とキーボードを担当した高木正勝さん。
その当たりから、どんどんとエレクトロニカへとじぶんは傾斜していった。

■高木正勝 「J.F.P.」2002■


単に「エレクトロニカ」とカテゴライズされたものではなく、音楽としての芯があるので、10年経って聴いても、今でもこのアルバムは心地良い。
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2013年2月17日 日曜日 向島・曳舟あたり

2013-02-18 00:30:31 | 写真日和
情けない。昨日の昼、食事を摂ったら寝てしまい・・・そのまま冬眠状態に。
駄目にんげんである。

ということで、今日は午後、ネコ・パトロールに向かう。あてどもなく。
昨日のような突風は無かったが、それなりに冷える日ではあった。
出会おうとうろうろすれば、出会えないもの。
しかし、冷える日にネコが居ない、というのは、ネコの賢さを示している、と解釈したい。どこか冷えを回避出来る場所に、彼らは居るはず。。。

今日出会ったノラちゃんは1人のみだった。

エサをあげるまでもなく、さぶいというのに元気で飛び跳ねて去っていった。

帰路の途中で食材を買って、家に帰って料理。それを食べると、また意識不明になる。
起きると23時すぎ。溜まった疲労が取れない。

またか。。。と思われるだろうが、デヴィッド・シルヴィアンの『ゴーン・トゥ・アース~遥かなる大地へ~』より、「アンサード・プレイヤー」が聴きたくなる。
■David Sylvian 「Answered Prayers」1986■

本日ふらふらした向島・曳舟界隈の写真より数枚。
ひどい再開発惨状も見たが、その写真は、今日は一部よける。

冷えるものの、春が間近に来ていることを、肌が感じる。
生き物たちよ、あともう少しだ。





























好きな鳥・すずめさんたちが、みんなで寄り添っていた。















今日で、愛しのコチャコが亡くなって3ヶ月が経った。
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2013年2月16日 土曜日 「向島地蔵坂通り」(2月11日撮影)

2013-02-16 10:21:45 | 写真日和

昨夜、ぼーっとしながらアニー・レノックスのソロアルバム「メデューサ」を繰り返し掛けていた。
このアルバムの中でも、特に美しく素晴らしく・祈りと諦念を含んだこの曲だけは、どーしても紹介しておきたい。
アルバム最初に入った「ノー・モア『アイ・ラヴ・ユー』」。
■Annie Lennox 「No More [I Love You's]」1995■

外は北風の突風。ネコたちは大丈夫だろうか?午後になったら、会いにいく。




11日の祝日にぶらぶらと歩いた向島地蔵坂通りの写真を添える。
歩く。
ひたすら、悶々としつつ歩け。
































***


「いざ、向島へ」と出発する永井荷風先生の、いつもの正装。
大好きな一枚。
じぶんが撮られるのが嫌いだった荷風先生の笑顔。
たしか、木村伊兵衛さんによって撮られた写真と記憶している。
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2013年2月15日 金曜日 「ダウンタウン・ライツ」

2013-02-15 23:03:59 | 写真日和

「ザ・ツーリスツ」にはじまり、そこから、いっときは恋人関係にあった2人で組んだユニット「ユーリズミックス」。
その後、80年代を経て、ユニットを解消した2人。

80年代のニュー・ウェイヴにおいて、説得力を持つ女性ヴォーカリストの中でも、忘れえぬ存在、アニー・レノックス。
1995年発表のソロアルバム「メデューサ」は、多くのカバー曲が占めていた。
プロコル・ハルムの「青い影」、トーキングヘッズの「テイク・ミー・トゥ・ザ・リヴァー」、プリテンダーズの「ラヴ&ヘイツ」等々・・・。

そんな中、80年代ニュー・ウェイヴの終焉近くに、「素(す)」の姿で朴訥と歌う様が、多くの人の心を掴んだブルー・ナイル。
そのブルー・ナイルの原曲自体が素晴らしいゆえだが、原曲の良さを殺すことなく歌う、アニー・レノックスの「ダウンタウン・ライツ」。

次第に侵食されて味が消えていく下町・北千住のともしび。そこにたむける花として、この曲を捧げる。
都市は、街は、変化・変容、し続ける。
■Annie Lennox  「Downtown Lights」1995■


































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