こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年5月29日 木曜日 暮らしの風景 ~とある日曜の道端で~

2014-05-29 22:38:58 | 雑記帳
今、フダンソウという草を育てている。
漢字では不断草と書く野菜。
この休みの日曜日に、86歳の「かあさん」からもらったものである。

「かあさん」は、これをお味噌汁に入れたりして、食しているという。
フダンソウ以外にも、植えたニラを抜いて、匂いをかがせてくれた上「持って帰れ」と持たせてくれた。

仕事の無い日に、島めぐりをするのは、今の愉しみだが、花草が美しく咲き乱れる季節には、道端に咲いたお花や青々した草にシャッターを向ける。
特に好きないつもの道や角っ子の今日は、どんな具合になっているかな?」。

日曜日にも、とあるお気に入りの道、10m近い長さに植わった花草を眺めていた。
ところ狭しと色んな種類の花草が、どんな季節にも眼に潤いを与えてくれる場所。

写真を撮るため、自転車に乗った方を見送りつつ、人のじゃまにならない状況になってから、シャッターを切った。
対象は、アジサイである。
そうすると、後ろから86歳の「かあさん」が。。。

自分は、「いやぁ、とっても鮮やかな色をしていたもので。」と、煙たがられた場合の言い訳をしつつも、営業トークのように「かあさん」に声を掛け・口上を述べていく。
しかし、「かあさん」の方は、自分を不審げとは思わず、「私がみんな育てとるんよ」と話し出した。

【「かあさん」作のきゅうり】
「かあさん」からの講話説教は、道端で約1時間半に及んだ。
説教とは「叱られた」という意味では無い。
どう生きるべきかを、「かあさん」の人生を聞いていった結果のことである。

本当にたくさんの種類のお花と野菜たち。それを全部説明してくれて、この20年近く掛けてここまで広げてきた経緯を聞いた。
86歳とは思えない声の大きさ。気取りが一切ないべらんめえ口調と大笑い。
ただ音量が大きいのでは無い。ハラから出ている声である点がすごいのだ。

途中、自転車で寄られた近所の奥さん。2人で見るアジサイの前に、自転車が止まる。

「どーしたら、こんな色良く咲くの?
こないだ墨田区(催事などでだろう)からアジサイ貰ったけれど、全然花が咲かないのよ。
どうしたらいいの?」
かあさん「何、上げとるん?」
奥さん「何って。。。お水。」
かあさん「水しかやっとらんのかいな!?」
奥さん「そうよ。」
かあさん「そりゃ、咲かねえわな。」
奥さん「じゃあ、どんな肥料がいいの?」
かあさん「咲かねえな。こんな時期になってから、肥料上げたって手遅れだわ。
うちのアジサイ、色が良くなった頃合いで、またおいで。1つ上げるから。」

「かあさん」の育てた花草は、どれもが元気で、花は確かに美しい。
だからこそ、自分はこの道が好きで、よく立ち寄っていたのだった。

土も、それを防御する板も、工事現場に行って、現場の人に断りを入れた上で貰ってきたという。
雨の日、風の強い日、カンカン照りの日、、、毎日毎日、4~5時間もかけて面倒を見るのだ。

かあさん「そりゃあ、もう40歳まで苦労多かったからねえ。
もう仕事を引退したから、時間を掛けられるんだけどね。」

元々は、押し花教室に通ったのがきっかけだった。
お花を扱っているうち、興味が深まり20年前に少しづつ始めた園芸が、次第に種類を増やしながら広がっていったらしい。

さすがだなあ、と思ったのは、四季おりおりの花と草を上手に配置していること。
花や草は、それぞれが輝く季節を持っている。
「かあさん」はそれを熟知の上で、春夏の中では、空いた場所に秋冬ものを育て出し、四季おりおりに季節を感じさせる花草が見られる工夫。

「自分も、昨年はゴーヤを育てたりしまして。今日も、色々道具を買ってきたんですが。。。
いろいろ調べては、プランターで育てているんですが、なかなか難しいですね。」
ちょうど手に持っていたのは追加購入したプランター。
かあさん「そんな調べても分からんよ。自分で育ててみて実体験しながらじゃなきゃ。」

最後の頃、話していた会話が印象的だった。
「さっき来た奥さんみたいのに、花なんか咲かせられるかいな。
水だけ上げたってダメさ。草だって旨いメシだって喰いたいときだってあれば、酒も呑みてえわな。
人間だってそうだろ?
お前喰いもんとカネ置いとくから、勝手に生きろ、って具合じゃ、ロクなヤツは出来ねえ。

毎日毎日愛情注いで育てるから、花だって咲いてくれるんだ。
全部の生き物の基本は植物。植物が二酸化炭素を酸素にしてくれている。
それで、あたしもあんたも生かされておる。」

自分「はい。そうでございますねえ。」
まるで映画「男はつらいよ」での、御前様演じる笠智衆さんに教えを乞うて、下を向いた寅さんの図のような風景。

「大荒地野菊というのがあって、そんな隙間にゴーヤが。。。」という点は、「かあさん」に徹底的に言われて帰り、菊はプランターから抜いて、離れた場所に、持っていた鉢に植えた。

手を掛けて上げねばならない草と、自ら風来坊として放っておいても育つ草は分けねばならない。
そうして、帰った勢いで整えたベランダのプランターはきれいになった。
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2014年5月28日 水曜日 音楽風景 ~デヴィッド・ボウイと自分の備忘録 その1~

2014-05-28 22:16:40 | 音楽帳
今夜も行き当たりばったりで、紆余曲折なままの自動筆記。

自分がデヴィッド・ボウイに出会った印象は、1980年当時、二週間ごとに本屋さんで購入していたFM雑誌「FMfan」の表紙。
そこに幅一杯に印刷された「スケアリー・モンスターズ」のジャケットデザイン。
その秀逸さ。
たぶん、その前の「ロジャー(間借人)」(1979年作品)のジャケットも、雑誌広告の白黒では見ていたはずだが。
手にした雑誌、カラー写真のイメージ。

「スケアリー・モンスターズ」発表の頃、「JUN(じゅん)」なる焼酎のCMに、ボウイ自身が出演し『・・・クリスタル・・・ジュン、ロック、ジャパン・・・』という語りと共に、大きな氷と焼酎の入ったロックグラスをひとくち含んでいた。
バックに掛かっていた曲は、後になって「クリスタル・ジャパン」という、ボウイ自身のオリジナル曲であることを知る。

その後、MTV(=プロモーションビデオ)と呼ばれるようになるが、そんなブーム到来前、「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」(=灰は灰に/スケアリー・モンスターズ収録曲)の完成度高い映像に出会った。
曲も良ければ、映像も良い。

当時は、それを録画出来ないので、フィルムカメラで画面にシャッターを切った。
このMTV「アッシェズ・トゥ・アッシェズ」は、その後たんまり作られたプロモーションビデオの中でも、ウルトラヴォックスの「ヴィエナ」と並んで特筆すべき作品だろう。

***

自分がきちんとボウイのアルバム作品を、全曲通して聴くことが出来たのは、1981年秋以降のこと。
(三ノ輪を夏に去ったのち)孤独な部屋で、当時みうらじゅんさんばりに髪が長かった、東大生の兄と過ごす、夜の時間。
実は、そんな兄のお陰で、ボウイの作品と向かい合えた。

キチガイ親父からの指示あって、6つ上の兄から、夜な夜な受験勉強の家庭教師の指導を、無償で受けていた。

6つも歳が離れているので、仲が悪かった2人。
その親子のような距離の中、唯一無二の兄弟2人。
その2人が距離を縮めたのは、この時期だった。

***

夜な夜な時間を過ごすうちに、話しは勉強から音楽ばかりへと移ろって行った。
ここで、初めて兄と、音楽を経由することで通じ合えた、最初の時となる。
兄が持っていたピンクフロイド、イーノ、ボウイ他さまざまなミュージシャンの、LPレコードを借りることが出来た。
ボウイに関しては、アルバム「ロウ」「ヒーローズ」を借りる。

ヒーローズの冒頭。
「ビューティー&ザ・ビースト」が始まるイントロ。。。

■David Bowie 「Beauty And The Beast (美女と野獣)」1977■
ゴウゴウというバウンドする音。
地上すれすれを低空飛行するベース。
まるでナイフそのものの鋭さを持ったボウイの声の際立つエッジ。
そのかっこよさ。

二人で針を落としたLPレコードを聴きながら、「Something In The Night、Something In The Day・・・というセリフが好きなんだよね」と兄は語った。

繰り返し聴き込んできたがゆえに・傷んだLPジャケットのありようが、兄のこのLPへの想いと繋がっている。
そう、自分の手触りは感じていた。

鋤田さんの撮影したジャケット写真。
瞳孔の開き方が左右異なる、片目が視えないボウイのマナコを眺めていた。

***

兄から借りたLPレコードを、カセットテープに録音して聴いていた。
そんな中で「ロウ」も「ヒーローズ」も、「ビューティー&ザ・ビースト」などの優れた曲はあれども、イーノが導いたインストゥルメンタルが占めたB面が聴く中心だった。

【カセットテープで聴いていた「ヒーローズ」。そのLPを手に入れたのは、1982年1,800円で再発されたもの。秋葉原の石丸電気で購入した。】
当時、アルバムタイトル曲「ヒーローズ」を、当時は「とっても好き」とは思っていなかった。
それは「キミは一日だけヒーローになれる」と言っている。
そう思い込んでいた歌詞が、むずかゆく、心の深いところに響かなかった。

絶対に・永遠にありえない・たわごとを語る「80年代から今に至る中、日本の音楽家(?)たちに散見される」歌を思い出してしまう点。
その違和感が、このボウイの曲の片隅にあったのは事実だった。

だが、今になって歌詞をよく読み、音を聴くと、当時誤解をしていたことに気付く。
安っぽい「夢はきっとかなう」だの「夢をあきらめないで」などという歌などでは一切なかった。
それを教えて頂いたのは、vestigeさんのとても素敵なブログ「およげ!対訳くん」だった。
アドレス : http://oyogetaiyakukun.blogspot.jp/2013/02/heroes-david-bowie.html

今夜、久しぶりに聴いたボウイの「ヒーローズ」。
イーノが描くアトモスフィア。バックで鳴るジェット気流のような「ずぼぼぼぼぼ・・・」という音。
その音は、曲構成に奥行きを持たせている。

vestigeさんのブログで訳詞を読むことで、知らなかったこの曲の本来の意味が分かり、耳が大きくなって行く。

■David Bowie 「Heroes」1977■

ブログという停泊場
怪談の若い語り手に、牛抱せん夏(うしだきせんか)さんなる方がおられる。
この方が出演された過去のWEBラジオ番組で、なるほど、と思った下りがあった。

ブログってなんだろう?と最近思う、そんな傍らで、彼女が喋ったセリフを思い出していた。
「夜遅くに、疲れ帰宅してから、寝るまでの間に、つい見に行ってしまうブログがある。
さりげない文章に、ほっ、と安堵する魅力がある。」

そんなブログに生命力をもらう。
明日なき世界でのささやかな推進力が産まれる。
彼女はそういった意味合いのことを語っていた。
とても頷ける、良いお話しだった。

***

とてもではないが、常にバランスを欠いた片翼飛行を続ける自分自身とこの場、が持ち得ない魅力をたくさんの方が持っている。
そんな素敵なブログに、最近出会える機会が増えた。

私も牛抱せん夏さんの言葉を思い出しながら、疲れ切った夜に、そんな場所に訪れる。
マスメディアで報じられるコトばかりに熱心な方が居る一方で、どこにも載っていない個人の内面や日常を、何の作為もなくして表現出来る方々に、とても親近感と敬意を持つ。

更新されていく内容には、肩のチカラも感じずに、語ったり・撮ったり出来る才能。
そこにあるのは、「本当の暮らし」。

それは、決してお金を貰った対価としての売文家などでは表現出来ない領域なんだと思う。
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2014年5月27日 月曜日 暮らしの風景 ~雨の朝~

2014-05-27 05:46:18 | 雑記帳

窓を少し開けて眠っていた。
夜に降り出した雨。永遠と降る。
そんな中眠ってしまった夜。

この時節、夜明けは4時にはやってくる。

不意に目覚めると、ひたすら降る雨の音が聴こえる。
カラダは横になりながら雨の音に耳を傾け、しばし過ごす。
雨音が、次第にタルコフスキーの映像の雨音に聴こえてくる。

かつて東西ベルリンの境目でイーノと共同生活をしていた、デヴィッド・ボウイが影響を受けたその後に語った話しが浮かぶ。
夜、音楽を聴かず、水道からしたたり落ちる水の音、開け放った窓の外で鳴る虫たちのざわめき。
そればかりを聴いていたボウイ。

■ボウイ 「苔の庭」1977■
二度寝出来ず、植えた植物たちに向かい、雨に打たれる様を見て、葉っぱをさわる。
青々した葉っぱ。

顆粒の栄養剤を撒きながら、それぞれの育ち具合を見る。
それぞれの内発的自力具合が見える。
ピーマンくんが、ぐんぐんと育っているのが良く分かる。
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2014年5月25日 日曜日 暮らしの風景 ~二番目がいいんじゃない~

2014-05-25 23:22:42 | 雑記帳

疲れが取れないのは今に始まったことではなく、365日大抵心身のどこかには異常をきたしている。
だからといって、考えても仕方が無いので、今週も何も目的決めずに外に出て、風に吹かれてアテどなく。

昨日土曜日は、迷路をおもむくままに歩いているうちに京島へ。
再開発で丸ごと潰された地、それにイナカモンが集合するスカイツリー接近を回避しつつ、商店街に入り、人側に主導権がある世界に逃げ込む。

お花屋さんのおじさんと話しながら、ピーマン、ゴーヤ、朝顔の苗を買った。
グリーンカーテンを巡って「ああ、それじゃダメだ。もっとこうした方がいい。」とおじさんにアドバイスを貰う。

風はさわやかだが、太陽の陽射しはきつし。酒屋さんに入って、おばちゃんに『好きなモノ、いくらでもどーぞ』と云われ、お互い笑い・やりとりしながら、小銭入れからお金を出す。
冷えた缶ビールを持って、田丸神社の境内の木陰に座って呑んで休憩する。
何かくれよ、と鳩ポッポたちが近付いてくる、午後の昼下がり。

ビールをグビグビやり・ノートにペンを走らせつつ、ついぞ商店街ですれ違った巨体の方は、俳優の渡辺哲さんじゃないか?と思っていた。
「まさか。。。なんで、土曜の昼に、渡辺さんがこの地に居るんだ?」という疑問はあるが、あのカラダの大きさ、福耳の大きさ、気取らなさは、どう考えても。。。などと思ってしまう。

結論は、他人の空似だろうが、昨日の晩、とある動画サイトで、渡辺哲さんの出ている2時間ドラマを見てしまう。

【渡辺哲さん】
自分は、B級ドラマが好き。
「B級なんて失礼」という方が居るが、過去にも述べたように、深く考えすぎず、ある程度起承転結の道が想定されている安心感がある。

毎週、そんなサスペンスの中で、必ず誰かが殺される事件が起きている。
だが、「あくまでフィクションなんですよ」という往年のパターンを踏んでいるから、そのような血なまぐささは所詮架空と思える。
このことが重要であり、エンターテイメントゆえにB級である必要がある、と考える。
どこかのメイン(A級?と一応された)ドラマを巡って、ああだのこうだの。。。とどっちもヒートアップする「一部のみの方々」が居るが、一切関心が無い。

さてさて、自分が見た2時間サスペンスだが、渡辺哲さんだけではなく、中原丈雄さんまで出ていて、楽しめる一作だった。
名脇役である蟹江敬三さんが、唐突に亡くなったのには唖然としたが、お二人には、今後も味のある役者として芝居をして頂きたい。

【中原丈雄さん】
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2014年5月23日 金曜日 暮らしの風景 ~パンク脳~

2014-05-23 23:53:14 | 音楽帳

先日、最近聴いていて・ついなごんでしまう赤江珠緒さんの番組「たまむすび」(TBSラジオのお昼)で、ピエール瀧さんが興味深い話しをしていた。

ビデオもCDも無い・情報が少ない時代だったからねぇ~、と中学生時代を振り返りながら、赤江さんに尋ねられた瀧さんは、当時はひたすらクラフトワークを何度も繰り返し聴きながら、毎日3~4時間くらいプラモデルを作っていましたよ~、というくだり。
たくさんのものがあることの反対側として、同じものを繰り返し繰り返し聴くことで深く入り込む。
別に、それでひもじい・・・ということもない。むしろ満たされている。

同様の話しとして浮かんだのは、石野卓球さんの話。
毎日毎日、YMOを繰り返し聴き過ぎていて、「おかん」から「YMO禁止令」を下され、「YMOのレコードは1日何回まで」と制限される。

卓球さんが静岡で制限令を受けている同じ頃、下町に住む自分は(プラモデルは卒業していたけれども)同じように1日じゅうYMOを聴いていた。
「おかん」からは何も言われなかったが、テレビなどでは『テクノ・ミュージックという、コンピューター音楽なる”無機質”な音を聴き続ける少年は、一体どんなオトナになるのか憂慮して止みません』と言われる始末。
本人の中には『無限』が充満している、というのに。
まあ、それはともかく。。。

また、別で思い出すのは、細野さんのラジオでの発言だったか?「当時は、レコードもそんなに多く買えなかったから、その分・一枚一枚を、何度も聴き込むようにしていた。」


1982年の今頃、「サントリー・サウンド・マーケット」(FM東京の夜の番組)で、一週間ぶっ通し、当時ニューヨーク・マンハッタンのアパートに住んでいたブライアン・イーノのインタビューが音楽と共に掛かった。
現地にて、インタビューをしたのは、立川直樹さん。

「・・・持っているレコードは、何らかの形で処分してしまうので、自分のレコードライブラリーはいつも10枚程度。
しかし、その10枚で、自分は十分ハッピーになれる。

・・・都市の情報、プレッシャー、ストレスに疲れたとき。
灯りを消した部屋に座って、静寂の時間を過ごす。
そうした時間を過ごすと、自分の中に何かが戻ってくるんだ。」(ブライアン・イーノ)

イーノの発言には、都市生活者なら共通する感情に満ち満ちていたが、彼が、今、どう思い・どう考えているのかに夢中だったので、これらの発言は自分の奥底にひどく響いた。

いつもは、ダビングなどをまじえつつ、会話をカットして音楽のみをカセットテープに収めていた自分が、むしろ音楽よりもインタビュー部分を多めに保存した初めてのカセットテープだったかもしれない。
持ちカネの少ない制約の中で、買ったカセットテープにしては、あまりありえないものだった。
それくらいに重要だった。

放っておくとモノを溜め込んでしまう性格の自分。
泣く泣く捨てたり(「おかん」に勝手に捨てられたり)、売ったりしながら、モノにサヨナラを言っては、後に後悔したりもしたが、最近、掃除をしながら「なんで、こんなモノまで取っているのだ?」と自らに問ったりする日々である。

「いつかは、ノートに貼り込むから」と、それを今までは捨てられずにいたが、では取り置きしていたら、どうなるか・・・も考えて、第一次身辺整理(Byみうらじゅんさん)をせねば、と、ある程度決断を下しつつある。
それを、いっときハヤった「断捨離(だんしゃり)」などという、平成お気軽主婦の行為と並列にされたくはないのだが。

***

話しがそれてしまったが、伝えたかったのは「捨てるか取っておくか」ではなくて、新しい情報摂取が全然ハッピーには繋がらない、ということ。
それが、ピエール瀧さんという同世代の肉声回路を通じることで、体内にすっと入ってきた。

テレビを見ない・無駄なニュースやアカの他人に耳を傾けない等々、この十年程度で、自分の暮らしはガラリと180度変わったものの、まだ落ち着きがない。
その証拠がチラシやポストカード集めだったり、色んな部分に現れている。

とは言え、このブログにも現れているように、気が付けばいっつも同じ音楽に戻っている。
YMO、イーノ、ロキシーミュージック、トーキングヘッズ、ジャパン、PIL・・・等々とその周辺。
まあ、全部繋がっているのだが。

一方では、残りが少ないからゆえ、未開領域にある世界の音楽は見聞し続けたいが、だからと言って、それが自分にとって最後残る10枚のアルバムとはならないだろう。
本当は、もっとたくさんのアルバムが好きなので、せめて1ケタ上の100枚にして欲しいけれども、中学生当時の自分が100枚なんて聞いたら驚くだろう。。。

そう言いつつ、今日は一日、リップ・リグ&パニックを聴いていた。
スネークマンショーと桑原茂一さんのセンスの良さを思い出しながら。

■Rip Rig & Panic 「The Ultimate In Fun」1981■
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2014年5月22日 木曜日 暮らしの風景 ~雨ニモマケズ~

2014-05-22 21:52:20 | 雑記帳

「すっかり消費フル回転させろ」社会では、石油を使ったプラスチックゴミだらけ。
それは、他人事では無い。己も例外ではありえない。
何かを買いに行って、「そうではないモノ」にぶつからないようにすることは、もはや不可避である。

むしろ「プラスチック使い捨て容器を避けたモノ」を手に入れる、その熱心さだけで疲れてしまう。
エネルギー量が少ない自分は、そこまでの根性が無いので、ある程度のところであきらめている。

***

「もったいない」という想いが心の中にあったとしても、時間や諸条件が環境の方から迫ってくる中、一定の妥協無しには生きてはいけない。
決して0か100かでモノを判断してはならないし、果たして「もったいない」とよぎる心境と、自ら行う行為・行動が、地球環境とどのような回路で繋がっているのか?は明確にはなっていないのだし。
そう言い訳をしながら。

追記:過剰に罪意識を抱く日本人へ、抜け道的恩赦としての装置が「リサイクル」という用語となっているのは事実だろうし、これまた自分も例外ではない。

***

さまざまな書・文筆で、ライターさんが指摘している通り、今盛んに「エコ」とか「環境・・・」と言う手合いの半分はウソなのだろう。
よく「環境系」を打ち出した展示会に向かうと、一服付ける喫煙場所で、主催参加側の連中が話す内容が聞こえてくる場面に出くわす。

その会話に聞こえるは、さまざまな企業の雇われりーまんたちの本音。
「カネの源泉として環境ビジネスに関わっているだけで、実は・・・」という類のもの。

自分は見に来た観客であるのに、そういう人を目の前にして、内実を吐露してしまっている状況。
それが意味するのは「みんな、本当のことを言えないだけで、そういったことが、この世にはあふれている」という「現実」の一端を示しているに過ぎない。
お互いの化かし合い、はヒト社会の底に流れるカルマで、変わりようもないのは今更だが。

「お前も、他人の事は言えないだろ?」と言っているのだと考えた方が良い。

自分「そうだね。キミの言う通りさ。
でも、ついクチざわりの良いコトバを衣(ころも)に着て、偽善者のフリをしたくなる。そのクセは、自分だけとは思わない。」

***

あまりにひどい我が”ゴミ屋敷”も、これから温度が上がってくるには耐えられないだろう。
という状況になった今週。
数年ずっと重い心身だったところからやる気になって、掃除を少しずつ進めている。

部屋の細くなったケモノ道は、その道幅が広がって、次第に広場に近付いていく。
「掃除も疲れるから。1日約1時間を上限にね。。。」
などと、自らに「キリ」を付けながら、無理の無い程度でちょびっとずつ片付けている。

***

毎朝は太陽が昇る時刻が早くなり過ぎてきて、スズメたちの会話も伴い、4時半から5時頃に起きてしまう昨今。
太陽とすがすがしい涼風を浴びながら、プランターに植えた植物に水をやり、お茶を淹れて飲む。

・・・と書くと、あたかも「健康病」なる妄想に憑りつかれた現代病者のようだが、自分の場合は、確かに朝は今迄に無いモノを感じながらも、実のところは寝不足で不眠気味。
眼痛に老眼と目のかすみ等々含めて、日中変動が激しい。

日中変動が激しい。。。と下手に言うと、
「今年は、日によって温度変化の度合いがひど過ぎるから、それがカラダの負担・疲労になって溜まっている。」
誰もがクチを揃えて言う。

こちらは「それが要因では無い。天気の方は、今までの気象データー解析などしていないから、果たして今年だけの問題なのか?は、自分には分かりかねる。」としか言えない。

***

朝まだ寝たいが二度寝出来ず、思い立って最近、やっていることの一つ。
茶葉で淹れたお茶を冷まし、ペットボトルに入れて、持ち歩くこと。
どんな淹れ方が、美味しい冷や茶になるか、を毎日試行錯誤している最中。

伊藤園が持っていたお茶の領域に一石を投じたのは、キリンの出した生茶だろうか。
あの甘味と美味しさは魅力だが、やたらとペットボトルを買うのを避けたいのもあり、こうして何かをボトルに入れて持ち歩き出したのはここ数年のこと。

洋服みたいに、ボトルを包み込むように着ているモノは、仕事仲間がくれたカバー。
庶民的なのにマイナーな、定時が来ると店を閉める「コンビニエンスストア」の景品。
折り畳み傘などを納めるにも使えて、実に重宝している。

***

今朝は、ものは試しと、こないだ食べたカボチャのタネを土に埋めてみた。
まずは、しばらくお水を上げて様子を見るべし。
行く露地の道で、あじさいが色付いてきたのに出会う。

ところが、夜になって、”時”を見誤った。
この5月中旬になって、やっと余地が産まれたので、今日も早々に仕事場を出て、帰るはずが。
日本の「場」が形成する「空気」に縛られ、風吹く外野に出る時間を数十分遅らせてしまったのだ。

外に出たときは、空は灰色なれども、おだやかだった。
しかし、数百メートル歩いた所で、大粒の雨が突然ぼたぼた。
そんな具合に重く落下してきた。

傘をさして、いつものペースで歩く。
だが、である。
数分後、カミナリが鳴り、傘を持たぬ者たちが走る。

地面に叩き付ける雨が、まだら模様を付けて路面でダンスし始め、そこに強風が追い討ちをかけ、先へ進もうとする自分をはばむ。
1km程度の道を歩けば、クツから頭までズブ濡れ。

傘など、何の意味も無い。
上着を持たずに過ごした一日も、あっという間にさぶいさぶい温度へ。
自然と細野さんの「いつも通り雨にゃ、いつも通り雨にゃ・・・」と、相合傘のくだりが浮かぶが、目の前の光景は数百年後のような隔世感。

おしっこを漏らしたような状態で電車に乗れば、びしょ濡れのリクルートスーツの学生女性が、身になりふり構わず、病人のように「すまほ」の画面に異常な親指連打をし続けている。

***

「数十分前に、さっさと仕事場を上がった」として、じゃあ。。。と仮説を自らに問いてみる。
その数十分のスライドは、結果その後、もっとデカいスコールとしてやってくるかもしれない。

3・11含む過去の有事に当たって、どう人は当たったのか?かまで考えてみた。
それはどこまで行っても正解は無い。しかし、暗黙のルールや空気に流されず、自らのカンにのみ頼るべきだ。
そうすべきだ。などと、今日のところは思った。

帰宅して濡れた衣類にほどこしをして、冬用の上下を着込み、缶ビールのピンを「カコン」と指ではねた。



■パブリック・イメージ・リミテッド 「ディサポインテッド」1989■
阿呆と馬は、決まったコースをひたすら走る
オレはおどし付けられて、ゆかに積もったホコリみたいに、小さくなってる

アンタはやすやすとペテンを実行する
まるで、カネもうけのための慈善事業

けしからん連中を、世間は毛嫌いするものだが
とっかえひっかえ仮面をかぶって、次から次へと、みんなを驚かせて

アンタはやすやすとペテンを実行する
慈善事業とやらと、おんなじだ (ジョン・ライドン)
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2014年5月19日 月曜日 暮らしの風景 ~大荒地に生きる草~

2014-05-19 23:55:17 | 雑記帳

だらしない自分は、冬の間、プランターが自然の成すがままに放置していた。
そんなうちに、どこからタネが舞い降りたのか?茎のしっかりした植物が育っていた。
どこかから、こんな安息の地に辿り着いて、誰にも邪魔されずに居られるなあ~、とでも思ったのだろうか?
こちらが、何をほどこすわけでも無い、荒れ果てた寒い寒いベランダで、自らのチカラで冬を超えた植物。

まっすぐと姿勢良く、どっしりとした構えで上に伸びた様。
昔聴いていた、高田みどりさんが居たユニット「ムクワジュ・アンサンブル」のジャケットイラストを思い出す。

花や植物を見るのが愉しみな割には、名前を知らない自分。
この植物は、いったい何という名前なんだろう?と今日、調べてみると、オオアレチノギクというものらしいことが分かった。

話す人によっていろいろと語り口は変わるのだが、田畑を耕す農業の人からは、害として言われている植物らしい。
まあ、つまりは「世間さま」で語られた用語「雑草」であり、人によっては有害植物となっている訳である。

自分はどうも「雑草」という用語が好かない。
別段「えころじすと」や「ひゅーまにすと」では無いが、排除によって成立し得る、人間さまが闊歩する此の世の有りようを示す、本質的差別用語の一種だが、植物に貴賤はなかろう。

ただし。。。
このキクが場を占めていて、かと言って、追いやることも出来ず、キュウリ、ナス、ゴーヤといった苗を植えようとしていた。
悩んだ挙げ句、空いた場所に当て込むように、苗を植えた。

***

しかし、オオアレチノギクとは、何ともアウトローで良い名前。
漢字で書くと、大荒地野菊となる。よくのっぱらになった場所に生殖する植物らしい。
しばし眺めていると「荒地であろうが、生き抜くぜ」。
といったたくましさは確かにあるのだが、ミドリの色合いや葉っぱが茎から描くカーヴなどには、本質的には優しい感じを覚える。

最終的には2メートル近い丈まで伸びるらしいので、さてさて、どうしたものかなあ。。。
と思うが、しばらくは一緒のプランターで、それぞれが育つ様を静観して行こうと思っている。
みんなケンカをしないように、頼みますよ。

***

パーカッショニストである高田みどりさんらのユニット「ムクワジュ・アンサンブル」。
その1枚目アルバム『樹・モーション』ジャケット(上記)は、1981年・雑誌ミュージックマガジンのモノクロざら紙で見て、中身を想像し、聴いてみたいなあ。。。と思っていた。

その音に出会えることになったのは、翌1982年春、高校生になった頃のことだった。
FM東京の夕方4時頃、「新日鉄アワー・音楽の森」という番組があった。
立川清登(たちかわすみと)さんの、きびきびとハリのある声が心地良い、クラシカル寄りの番組だったが、そこに高田みどりさんがゲスト出演することになった。

録音したカセットテープをようく聴いたが、ブライアン・イーノが発見した、此の世のエアポケット「ミュージック・フォー・エアポーツ」に始まり、その源泉の一つであるエリック・サティ、そして、そのような時代の流れの中で結成したムクワジュの音楽、という具合にして、奥深い音と会話が、まさに森のような放送となっていた。

■ムクワジュ・アンサンブル 「ホット・エア」1981■
ムクワジュ・アンサンブルは、長い間、このカセットテープで聴いてきたのだが、CD時代に入ってから、ジャニスで発見した赤いジャケットのアルバムを購入した。

音楽ジャンルとかカテゴリーという概念に囚われず、音そのものの探索をされるのが好きな方には、是非おすすめしたい。
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2014年5月18日 日曜日 墨田風景 ~It’s A Fine Day~

2014-05-18 23:23:22 | 写真日和

今日も25℃まで気温は上がった。
まだ日陰は涼しいけれども、太陽の陽射しの強さは強烈だった。
こないだ植えたキュウリとナスの苗を見に行くと、ぐったりしていて焦り、お水を上げ、栄養剤を撒く。

昨日、ついにゴーヤくんの苗を手に入れられた。お店には、7つしか無かったので、とりあえず全部買って、プランターに植えて、お水を上げた。

最近、水菜がとても美味しい。
基本は、ざくざくと荒く切って、ほかの食材と適当に和えて食べる。

午後、小旅に出て、園芸用具を買いに行く。
公園に向かうと、日陰にキジトラさん2号。
最近は、自分を認識してもらえたのか、少し距離が近付いた。

鯛が入ったカリカリを上げて、空を見上げると竹がぐんぐん伸びている姿。
そのカリカリとネコさんの周囲に、ずいぶんと虫が群がっている。
先週は、こんなにも虫は居なかった。生き物が活性化する時節なんだろう。







■ジェーン 「イッツ・ア・ファイン・デイ」1983■
ぶらぶらと周遊した後、公園に戻ると、いつもネコたちにエサを上げに来るおばさんが、夕食を上げていた。
1時間ほど、お話しをする。そんなうちに、ヤブ蚊に数箇所刺された。

帰ってから、ゴミ屋敷脱却、という訳では無いのだが、まだ置いてあったコタツを片付けるのに一汗。
コタツ布団等々、冬のモノを洗濯せねばならないが、今日はココまでとした。
















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2014年5月17日 土曜日 墨田風景 ~サウダージ~

2014-05-18 00:18:21 | 写真日和

昨夜、缶ビールを暗闇で呑みながら、神保哲生さんと宮台真司さんの語りに耳を傾けているうちに、眠っていた。
毎度おなじみの睡眠導入剤は、不要の夜。

朝、陽射しと鳥さんたちの会話で目覚める。時計を見ると8時55分。
ああ、外は快晴だ、と思いながらも、眼痛・だるさを感じる。
ラジオをつけると、永六輔さんとピー子さんが会話をしている。
相変わらず、寝る周囲の本をめくれば、焦点合わずのローガンズ。

愉しい会話だけども、どうも気持ちとの違和感があり、CDを掛ける事にする。
フランソワーズ・アルディ、ヘアカット100の「ペリカン・ウェスト」、細野さんの「マーキュリック・ダンス」。聴きながら、雑務を行う。
いやいや、そうじゃない、と、結果、テイ・トーワさんの名曲「オブリガート」を聴いて、やっと気と今が一致する。

■テイ・トーワ(&アート・リンゼイ、ベベル・ジルベルト) 「オブリガード」1994■
毎年、夏が来ると聴く愛する曲だけど、今年は早くも聴きたい気持ち。
音に込められた微妙な感覚は、遠い彼岸にまで繋がっている。
近時、涙もろい自分だが、涙よりももっともっと遠い所まで行ける曲。
高野寛くんが奏でるエレクトリック・チターの美しさ、アート・リンゼイの「アリガト」とつぶやく、その美しさ。

だるさを感じながらも、おなかがグーグー。
水菜・枝豆・トマトを刻み、ニンニクをすりおろし、チーズ・塩コショウ・フレンチドレッシングを掛けたサラダを、茹でて冷ましたパスタの上に乗せ、絡めて食べる。

食べ終わったら、牛になるように食休み。
そうしているうちに、いつの間にかグーグー。

目が覚めたら15時。せっかく晴れていたのに。。。と思いながらも、七つ道具を小袋に入れて、外に出る。
本日も、歩いての散策なり。

陽はかなり沈みかけていたが、やけに雲が移り変わる風景が美しい日だった。
先週歩いた場所の家が、ごっそり亡くなっている場面に出会うのは、最近では珍しくは無い。
だからこそ。
生きさせてもらえる限り、自分は歩く。歩くのだ。
そして、シャッターをひたすら切り続けろ。
今、共に、愛するこの場所で、生きている姿を、収め続けろ。


















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2014年5月15日 木曜日 音楽風景 ~改めて、砂原さんの 「リミナル」を巡って~

2014-05-15 22:24:22 | 音楽帳

有象無象の情報がある時代において「たかだかブログなるものが『一体なんなんなんだ?』」
ということを、自らに問うジレンマは数年前からの本音である。
何もかもが溢れかえっている時代に、余計に錯乱させるゴミをインターネット上にバラまいているに過ぎないと思ったのは数年前。
それなりに自戒もしてきたつもりだが、それでも不十分だろう。

いったん仕掛かってしまったものは、サイコロが転がるようにして、振り出したからには、次はこれ・・・という具合に終われないモードに入ってしまうもの、という人間の習性だけ、と言い切っても構わない。

また、昨夜の続き的でもあるが、ITに放り込まれて来るものは集積体を成していくが、その果てにあるのは、昔(当時)語られていた想像上の「未来」通りなのだろう。
昔、誰かが語った言葉が記憶に深く刻まれている。
「想像上で描いたことは、たいてい実現するんだよねぇ」という発言。

外部脳を夢見ていた頃が程遠かった1970年万博の頃、自分は買ってもらったグラビア印刷の本に載った(万博で披露された)ロボットの写真や、NHK教育テレビに映る・富士山を背景に新幹線が駆け抜ける様。
そんな断片映像は、未だに覚えている。

外部脳は、その後実現し、ITに放り込まれた情報は、人間が持つ機能の機微として、分析・活用されている。今生きているヒトが亡くなっても、継承されるものは蓄積されていく。
より精度を増していく外部脳と情報だけがある。
一時的に地球に存在している、キミもボクも、単にそこに「奉仕」しているに過ぎない。

2014年・年始に、バカな自分が、孤独な世界で、自分の心臓の鼓動として受け取ったものの恐怖は、まさにそれであった。
「今更、何を言っているんだ」と言われても、アナログな自分の心身は、安倍晋三が語った、自分が生きている保証の無い未来=『2020・東京オリンピック』の「ビジョン」に抱いた、置き去りにされていく自分の風景。

自分はすでに居ない、愛するネコ・街角・露地・佇むヒト・・・暮らしてきた東京の風景映像。
それが渦巻いていたのが、自分の年明けだった。

2014年現在、仕事上、モバイルで持たされているアイ・パッドがやっかいで仕方が無い。
重いのは、重量のみではない。公園で、ピカピカとしたライトをともしながら、夜集まっている「飼い主さま」どうしの犬自慢のような、かったるい重さ。
どこに居ても追跡され、レスポンスを要求される。

今日は、こんなかたわであっても、社会なる「共同幻想」の中で、生きるスベを教えてもらった兄的存在のお袋さんが亡くなった知らせを朝一番で受けて、絶句した。
その方の心身の心配をしつつ、早々にコトを片付けて帰路を辿り、部屋で静かにしていた。
そんな中でも、ひたすらメールが入り続ける者へ、罵倒したい気分の、この数時間だった。

最近の夜は見ないことにしているのだが、早く仕事を上がった日には、つい見てしまう。
「これは、どうしましょう?どうすれば良いんですか?」等々、見たと途端に流れ込む。
基本は、考えて・悩んだ末に、相談をしてきた者にしか回答しない。
相手次第でしか回答はしないことにしている。

***

過去語った中で、今も変わらない、少ないことの1つ。
YMOが日々起こす事態をリアルタイムで浴び続ける洗礼を受けながら、それらを何らかの自分の表現として結実せねばならない、と、時代の変遷の中戦ってきた音楽家は、砂原良徳さんと石野卓球さんくらいだろうという想い。
同世代という想い入れが、大いに作用しているが。

個人的には、大阪に居る20代後半の四苦八苦していた時代に「TVブロス」を通じて出会えた、砂原さんのソロ作品『クロスオーヴァー』は、とても刺激的であった。
それを聴き込みながら、砂原さんへの興味を抱き始め、アルバムが発表されるごとに聴いてきた。
2001年「ラヴ・ビート」という、可能な限り音を削りに削った挙げ句立ち現れた、大地にどっかと座って安定した境地に至るまで。



■砂原良徳 「アースビート」2001■
彼の作品には、確実にYMOという裏刻印がされながら、どのような形でYMO無きあと、自分が時代に浮遊しながら、次の一手を繰り出すか?という自問自答が、実のところは血反吐をはくようなつらさを持ちながら、作品という形で昇華してきたのではないか?と思ってきた。

そんな自分が、踏みとどまったのが、2011年作品「リミナル」だった。
「リミナル」だけは、CDで持っていない。
作品自体は、3・11前に完成されていたのだが、10年以上ぶりの作品にしては。。。という違和感を抱いてきて、ユーチューブで聴ける今に至っても、自分の中でまとまり得ないで居る。

なんでこんなことを。。。という理由は、ついに今年夏のワールド・ハピネスに砂原さんが出るからである。
本心は「リミナル」のインタビューで聞いてはいるが、じゃあ、2014年現段階で、砂原さんは「音楽」に対してどんな想いを抱きながら、今を迎えているのだろうか?ということに関心があるのだ。
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