こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

F.O.E 「Don't Wanna Loose My Soul」'86

2011-01-05 12:00:00 | 音楽帳
時間を通り越して、振り返ってみると、意外と聴いていない曲を時代の波間にまみれるうちに落としてきたものである。

そういうものへの再確認と発見を、ネットの世界によって振り返ることが、現代では出来る。
様々な情報。
必ず何らかの糸口が、まさに世界辞書として、パソコンの中の旅で体験出来る。
えらい時代になったものだ。

・・・と言って、ついお正月の年賀状を書くうちに、手書きでうまく字が書けなかったり・漢字が出てこなかったり・・・パソコン頼りも度が過ぎると、脳にはよくないようだ。
全部、データの中にまかせっきりで、自分の記憶や肉体を忘れがちである。

余り良いことでは無い。

***

’85年4月から’87年3月の素浪人時代は、最終的に精神分裂的状態に至るが、この間の期間をつぶさに月次で振り返る中で、ニューウェイヴの最終局面での「OTT(OverTheTop)」の音楽たちを聴き返すと、かなり「痛々しい」ものがある。

まあ、OTT=過剰を超えて、メーターが振り切った状態であるからして、当たり前の事だが。
マズヒスティックな音楽との対決的聴き方・・・・→ それは「ロックは死んだ」とパンク(セックス・ピストルズ)→ロックの解体(パブリック・イメージ・リミテッド)を通して旅を続けたジョン・ライドンが、LP「アルバム」でOTT的ではありながらも、結果的にハードロックに回帰した不思議な輪廻転生の「邂逅」を想起させる。
【LP「アルバム」には、スティーヴ・ヴァイ・教授・ビル・ラズウェルが参加。】

教授が「未来派野郎」、細野さんが「TheFriendsOfEarth/FriendsOrFor」というユニット時代。

細野さんの(略して)FOEは「ワールド・フェイマス・テクノポップ」など、FMトランスミッション/バリケード等を通して聴いてきたが、この「SEX, ENERGY & STAR」というアルバムはそんな中で余り聴かないまま通り過ごしていた。



アルバム・ジャケットは大竹伸朗さんの作品の一部。
実物はデーッカイ高さ2m×横4m近い作品の、ごくごく一部をアップにしたものだった。(現物は数年前に「全景」展で見た。)

ジェームス・ブラウンとのコラボレーション・カバー「セックス・マシン」が入っているアルバムだが、正直余り興味が無く過ぎてしまった。

***

元々、黒人音楽を聴くだけの耳・度量を持っていなかった。
というか「本道・本スジ」では無かったという言い方のほうが正解か?

レゲエ、ファンク、ラップ(初期のモノに限定)、アフリカもの等の洗礼は浴びたが、真正面のソウル、ブルース等は受け付け無かった。

レゲエはボブ・マーレーに始まり、サード・ワールド、スティール・パルス、スライ&ロビー、ジミー・クリフ、ブラック・ウフル、UB40等々・・・ファンクで言えば、ジョージ・クリントン、パーラメント、ファンカデリック、マテリアル周辺、ノーナ・ヘンドリックス、ザップ、シック等々・・・その他、キング・サニ・アデ、及び、民族音楽的な要素を含んだもの、ラップで言えば、グランド・マスター・フラッシュ、インディープ、ザ・ラポロジスツ、マルコムXの演説を絡めたカバー、これまたマテリアル周辺のグランドマスターDST、ビートマスター等々、本当に初期の革新的だった頃のもの・・・それらはニューウェイヴと微妙な関係図にあったので聴けたし、ピーター・バラカンさんの紹介するものは全て受け入れられた位のもので、本格的には手を付けなかった。

手を付けるのが恐かったというのもあるが、中高~20歳に向けての青少年期にテクノ/ニュー・ウェイヴで育ってしまったゆえに、「ヒトが出来る事」というのに興味が薄かった。⇔「ヒトが出来ない事」に興味がそそられた。

「ヒトで無し」「ロボット」「マシン」「無機質」「冷徹」「暗い」そういう音楽を聴く自分を「一体こういう音楽で育つ子供は、どのようになるのでしょうか。」などとレポーターに言われながら育ったものである。

その後、エレクトロニカ等のサウンドが出てくるまでは、迷走を続ける中で出会ったニンゲンクサイ音楽にも興味を持つようになったが。

そういう訳で、この曲「Don't Wanna Loose My Soul」も、たぶん聴いたのではあろうが、記憶には無いスルーした状態で2011年に再び出会った。

***

時代の距離を置いて聴いてみると、色々俯瞰的に分析が出来る。
それも、後になったから言えることだが。



一連のOTT音楽のうち、まずは、この肉体感・躍動感をマシンから生み出そうとする感じは、細野さんが当時聴いていた「サン・シティ」というアパルトヘイトに反対する音楽家が集まって創られた曲の影響を感じる。

そして、随所にサンプリングされた、ArtOfNoiseのファースト・アルバムに収められているエレクロニックピアノの小節が出てくる。
これは教授が「未来派野郎」の「GT-Ⅱ」におき、「B-2UNIT」をパクったArtOfNoiseへの仕返しとして、わざと彼らの「Legs」のコドモの声をそのままサンプリングして使ったような、お茶らけと復讐。

FriendsOrFor?=敵?それとも味方?
という点では、ArtOfNoise=トレヴァー・ホーンは不気味な敵だったのだろう。

また、ヴォーカルの声質・キーボードの音色(おんしょく)・メロディリフの付け方には、SclittiPorittiの”キューピッド&サイケ’85”の影響が明らかにある。

好き嫌いは別にして、まだまだちゃんと聴けていない曲というものはあるものだ。

コメント
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