こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2013年10月31日 木曜日 「ソウル・ミュージック」

2013-10-31 22:23:17 | 音楽帳

ハロウィーンの夜。
YMOの30年を経て、輪廻転生、新たなる姿でロサンゼルスに降り立った2011年の完璧なライヴを聴く。
30年を経ても、このどうしようもない国家ではアウェイな中、ひたすら道なき道を行く。

■イエロー・マジック・オーケストラ 「京城音楽(Seoul Music)」2011年6月27日 in Los Angeles■





今夜もゴミスクラップブックは制作途中。

分け入っても・分け入っても・青い山 (山頭火)
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2013年10月29日 火曜日 「気が付けば浦島太郎」

2013-10-29 23:05:14 | 想い出かたちんば

自分の朝は、アラームの鳴り続けるなか、のたうって/毎度毎度、怠惰に誘うささやきに揺さぶれながら、ぐぐぐっと起きる。
起きぬけのタバコとお茶。それに、つけっぱなしのパソコンでニュース一覧だけ見る。

昨日の朝は、いきなりルー・リードが亡くなってしまったことを知るに始まった。

私は、リアルタイムでヴェルヴェット・アンダーグラウンドは聴けていない。
彼の存在を初めて知ったのは、YMOの写真集「OMIYAGE」にて。
教授の私生活紹介コーナーで、当時お気に入りレコードの中の一枚が、ルー・リードの「ベルリン」だった。

坂本龍一は、このルー・リードのアルバムから「生身の肉声が持つ力」に影響を受けて、「B-2UNIT」収録の「ザットネス&ゼアネス」を創った。
ヴォコーダーというマスクを、自ら外して、むき出しのシャイなヴォーカルをあえて露呈させた曲。

その後、
毎月定期購入していたミュージックマガジンにて。
ゼルダの活動資金を作り出すため、アルバイトとしてレコードレビューを書いていた小嶋さちほさん。
とあるノイズミュージックのレコード評。
「・・・ルー・リードの『メタル・マシーン・ミュージック』のように、ノイズの嵐の中から立ち上がってくる豊饒なチューンを知っている私にとっては・・・(この程度の垂れ流しノイズは・・・)」といった意味合いのセリフを読む。

ざらついた紙面に写植された印字。
そのセリフを見るために、何度もそのページをめくった頃。

あるいは、ヘヴン17(BEF名義だが)がカバーした「パーフェクト・デイ」。
クロスオーバー・イレブンで出会い、エアチェックして聴いていた曲。
ルー・リードの原曲も掛かったが、ヘブン17の方を先に聴いてそちらばかり。というのは、単純に耳が若すぎたのだ。

雑誌の音楽レビューで、次々発表されるルー・リードのソロを知りながらも、いまいち自分の中でピンとは来ないで、ぼんやり感があった80年代。

結局、彼の音楽を一番聴いていたのは、大阪に居た90年代前半。

毎週末楽しみにしていた1994年の土曜夜。
NHK教育テレビで放送されていた「ソリトン金の斧・銀の斧」。当時憧れだった大塚寧々ちゃんの静かな語りと共に、番組冒頭と最後に掛かったヴェルヴェット・アンダーグラウンド。
と言っているのは、その後、東京に戻って2006年になって分かったもの。
曲は好きだったが、誰が歌い・演奏しているのか?ナゾのままだった当時。

一方では、それも知らずに、
天神橋筋の近所にあったワンルーム・マンションから、チャリンコで借りに行ったレンタル屋さん。
「例の」アンディ・ウォーホール作品であるバナナ・ジャケットのアルバムを借りて、カセットテープに落として聴いていた。

けだるい「サンデイ・モーニング」が一番自分の琴線に触れて、好きな一曲となっていた。

昨日・今日、インターFMでは、ルー・リードを巡る曲をたくさん流して、仕事をしながら聴いていた。
好きな「サンデイ・モーニング」「パーフェクト・デイ」に耳が反応。・・・そのほかエトセトラとハードに掛かっていく曲&曲。

本気で全部を聴けぬまま、自分は相当な時間をまごまごと過ごすうちに、相手は亡くなってしまった。
そんな感じだ。

私が彼の死に対して言える事実は、上記程度のことのみ。
湿っぽく「うんうん、悲しいねえ~」などというフリ=大嘘付きを演じる資格は一切ない。

しかし、音楽は生き残り、いつでも聴くことが出来る。
湿っぽくなる必要はない。彼の死を契機に初めて聴きだす人も居るのだし、そこに音楽との新しい出会いが産まれていくのだから。

今夜は、好きだった当時の寧々ちゃんの面影もあいまった「ソリトン金の斧・銀の斧」のテーマ曲を掛けたい。

■ヴェルヴェット・アンダーグラウンド 「WHAT GOES ON」1967■
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2013年10月27日 日曜日 「パーフェクト・キッス」

2013-10-27 21:48:17 | 音楽帳

心身共に弱くなったときに、「おじゃましまーす」と悪魔はやってくる。
「わたしの宗教に入りなさい」だの、「わたしの言うことを信じなさい・言うことに頷きなさい」だのと。説教臭く。
エセヒューマニズムというカタチを取りながら、「彼ら」は、結局のところは、カネや無理強いを要求しに、どかどかと土足でやってくる。

友人MZ師に聞いた話しで、テレビをほとんど見ない私は知らないが、
細木数子がハマコー(浜田幸一)に向かい、「あんたは地獄に落ちるよ」とガラガラ声で占った言葉に対して、「落とせるもんなら落としてみい、このクソババア!」と激怒したと言う。
痛快で大笑いした、大好きな話しの一つ。

下記は、個人的に好きな一曲の、「世間さま」には実にいい加減極まりない、身勝手な個人的意訳に過ぎない。

■ニューオーダー 「パーフェクト・キッス」1985■
ボクは、呆然と我を忘れて立っていた
天気の成り行きに、やたらとこだわりながら

そんなときに、友達がやってきた
一緒にどこかに行こうよ、と。。。。
その時点で、ボクは彼が堕ちていくであろうことを理解していたけれど
「そうだね、外に出て愉しもうか」と言った

ボクもキミも、愛の地があることを信じていた

ボクは、いつも、家にいるべきか?外に出るべきか?迷っていた
そして、今夜、ボクは家に籠もって、密やかな愉しみに興じていた
彼には、いつも「キチガイではないか?」と思ってはいたのだが。。。
彼の銃を見ないふりをして。。。「外に出て愉しもうか」と言った

ボクもキミも、愛の地があることを信じていた

キミが独りぼっちの夜に居るとき
キミは、必死に正しいと信ずる何かを探している
もしもキミがその想いを捨てたなら、それは今日ここにある、たった一つの唯一のチャンスを捨てることになる

キミの街でケンカが起これば
腕力だけが全ての世界で、キズ付いたココロを持ったヒトを失ってしまう
そして、ボクの友達だった彼は、最後の鼓動を止めた

そのとき、ボクは知る
パーフェクトなるキッスというのは、命裏腹なときに剥き出しになるキッスなんだと

お涙ちょうだいのエセヒューマニズムなんか、クソ喰らえ、である。
泣いて感傷に浸っている「ヒマ」があったら、感傷抜きで役に立つ一つくらい、何かしてみいや。
ウソに洗脳され・塗り固められたクソ国家とエセ日本人。まあ、無理だね。期待もしないし。
















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2013年10月24日 木曜日 「家に戻ろう」

2013-10-24 23:55:21 | 想い出かたちんば
一日、お袋の居る病室に居た。
夜。
兄がもってきたDVDを3人で観る。
兄共々、愛する映画「グーグーだって猫である」。今改めて、ゆっくりと。

今でも美しさには変わりは無いが、
ボク個人にとって、この映画、そして、小泉今日子さんの美しさ・柔和さ、細野さんの音楽は、全て永遠に大事なものである。

■映画「グーグーだって猫である」2008■
三人三様、散会し、それぞれの居場所に戻る。
自室に戻り、一人でまた「グーグー」を見ている。

10月24日夜・スクラップブック制作途中
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2013年10月23日 水曜日 音楽夜話 ~ヒューマン・オーディオ・スポンジ~

2013-10-23 23:40:30 | 音楽帳

フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドは「トゥー・トライブス・ゴー・トゥ・ウォー」と、アメリカとソ連の代表同士をリング上で殴り合わせるMTVを作った。
彼らが位置していた当時のミュージックシーンでの稀有なポジション。

叫ぶしか能が無い=ブルース・スプリングスティーンの「ボーン・トゥ・ラン」を、ほぼ馬鹿にし切ってカバーしたり・・・
ZTTレーベル(=トレヴァー・ホーン)そのものの戦略でもあったが、やたらめったらたくさんのヴァージョン違いの12インチシングルを出したり・・・
彼らが振る舞う姿の在り方こそが、このバンドのコンセプトだった。

80年代の中盤。東西冷戦下で、そのはざまで揺れ動く植民地、核戦争を危惧した空気が、音楽にも波及していた。
音楽は時代の空気を反映する。ある部分は。

***

フランキーのしゃれた表現の仕方とは異なって、同時期にイギリスのミュージシャンが集まった「バンド・エイド」なる集合体。
「Do They Know It's Christmas?」なるチャリティーソング。
一方では、アメリカ勢がそれをパクって作った「We Are The World」。

当時、高校生~素浪人という自分。男臭い空気の中、「この2曲は胡散臭くてサイテーだ」という者は自分のみで、ずいぶんと周囲から「お前は冷酷なヤツだ」の何だのと、反感と異論に囲まれていた。

***

数か月前だが、友人MZ師と電話で話している中、
「スティーヴィー・ワンダーが、この曲で『We Are The World』と歌っているのは、学会こそが世界そのものなんだゼ、という意味合いだろ?」というジョークに大笑いした。

ジョークはともかく、イギリス勢もアメリカ勢にも(スティーヴィー・ワンダーも含めて)多くの優れたミュージシャンが居たが、こういった低次元のユニットへ参加して欲しくは無かった、というのが本音だった。
日本テレビの24時間テレビなど「善意ですよお」と水戸黄門の印籠をちらつかせる体は論外にしても、
駅前の募金等々・・・は、踏み絵を目の前に差し出されているかのようで、こんな極悪人でも、未だつい困ってしまう時はあるものである。

チャリティーとか支援というのは、実に微妙なる問題。
さらに。
それを音楽で行うには、一考が必要。
あくまで音楽は音楽として成立しているか?否か?が重要なる核であり、メッセージなどは二の次。自分にとっての音楽とは、基本そういうものである。

***

個人的に脳をよぎるは、ヒューマン・オーディオ・スポンジとして、2007年・横浜パシフィコで行われた実質YMO再結成のライヴ。
その素晴らしさが忘れえぬ。自ら参加したチャリティーコンサート。

チャリティーと言っても、3人が肩を組み合って「We Are The World」を歌った訳では無い。淡々と、しかし、かつて無かったほどにリラックスした演奏。
「以心電信」に始まり、愛する娘との日々を綴った教授の「音楽」、そして「手がかりをください」という「CUE」。。。
選曲と2007年としての演奏へのスタンスの取り方が、憎いほどにYMOらしかった。

ライヴのチケット代、グッズのお金は全て、小児がんの子供と家族たちに寄付された。
このライヴは全曲素晴らしかったが、未だに心を打った記憶が強く残る曲「Everybody Had A Hard Years」を、今夜改めて聴く。
しつこくも何度も何度も振り返る我。

■Human Audio Sponji 「Everybody Had A Hard Years」2007■

「最初に覚えた言葉が『痛い』でした」。1才で発病し、その後病気を克服した、あるお子さんのエピソードです。
小さいからだと小さい心をふりしぼるようにして、病気との闘いに挑んでいる子どもたち、そしてその家族の皆さん。
どうか僕たちの応援の声が少しでも励ましになりますように。
(高橋幸宏)

ぼくは、音楽が音楽以外の目的にために使われることに、注意深くありたいと思っています。
しかし、音楽をもってしか伝わらないことがあることも確かです。
ですから、ゆっくり、少しずつ、行ったり来たりしながら歩みを進めたいと思いますし、
なにせ人間というものは歳をとってくると、ひとのために何かしたいと、自然に思うようになってくるらしいのです。
(坂本龍一)

YMOの「以心電信」という曲は、子どもの持つ知恵を自覚によって引き出し、自分で自分を救う力のことを歌ったものです。
その核となった "Treat Yourself(自助)"は、虐待される子ども自身に向けたニューヨーク市の標語でした。
自助とは、子どもたちに世界をより良く変えてもらおう、という大人の願いなのかもしれません。
(細野晴臣)
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2013年10月23日 水曜日 「夢のフォルム」

2013-10-23 06:09:09 | 雑記帳
古い安アパートの7階の狭い自室。薄明かりの下、夜のしじまにようようと寝入れず。
何をするわけでもなく佇む。

いきなりドアが開き、消防士の服装のような青の上下に、鷲の金刺繍が入った帽子をした者が入って来る。
「はい、吉田電気でえす。」
彼は、すたすた窓に向かって足早に歩き、縦長の窓を開けて風を入れる。

吉田電気「今夜は、暑いでしょ。」
自分「そうですね。確かに。」
彼は何かを点検した後、ドアに戻って去ろうとする。
吉田電気「はい、点検料1万円です。」
自分「はっ?なぜ?」
吉田電気「1枚でいいから。1枚で。」

ドア付近で外に押す自分と吉田電気は、次第に手を組み合い、チカラ合戦になる。
ようやく、外の廊下側まで行ったところで「お前、大声出すけど、いいか。」

吉田電気は、足早に階段を下りて行き、自分も後を追う。
走るさなか、階段途中に、女の吉田電気やスーツに腕章を付けたハゲおやぢなどが居た。
不可思議な時間に居る不可思議な連中。

逃げられて、自室に戻る。
入り口付近の雑多な荷物のある空間を覗くと、仕事上懇意にしているH氏。
カラダを小さく丸めて、狭い暗がりからニコニコ笑顔でこちらに手を振る。
まるで、ここで見守っているんだよ、というポーズ。

室内にゆっくり戻り、携帯している銃を手にする。
階段廻り含めて、この夜に居る全員の射殺に向かう。

汗をかいて夜中起きてしまう。
そこから眠れない。
やっと、夜が明ける。


■Alva Noto・Sakamoto 「Aurora」2005■
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2013年10月21日 月曜日 「怒りの川」

2013-10-21 23:04:26 | 音楽帳



■Visage 「The Damned Don't Cry」1982■











街のアート。明確な立証もされていない喫煙=悪なる思想を、他人に強要するファシズムに加担する野郎には、お似合いである。
こちとら、サル芝居にダマされるは、三文芝居に泣くは・・・そーいう愚衆の姿を見聞きすると笑ってしまう。
多勢に無勢、とは言え、そんな大衆ほど憎む相手は居ない。
捏造される過去・歴史、そして、現代も同様。
そんななかでは、怒りのみが推進力。
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2013年10月19日 土曜日 「ようこそ、悦楽世界へ」

2013-10-19 23:08:51 | 音楽帳

ニンゲン嫌いの自分へ、「慶喜」付けに一発。

■フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド 「Welcome To The Pleasure Dome」1985■
ニンゲンさまは、自分も含め、ご多分に漏れず「テメエの気分に酔う」。
それを放置すると「あらら」。
そこには、サーモスタットと揺れ戻しブレーキが利くに値する者の、言葉と行動のみが機能しうる。

自分のお袋が苦しんでいるときに、悪魔がささやいてくる。
「善意」と思い込んだ者が、3・11も同様だが、刺し込みをしてくる。
笑顔で。
そして、全然善意ですよ、といった、悪意と思わぬフリで。
目に視える「しゅーきょー」では無くとも・邪教に脳を冒された思考洗脳された者だったり。
そんなのは、クソくらえ。である。
ニンゲンは、悪意と思わずに、そういった芝居が出来る生き物である。のだから。

「三人寄れば、文殊の智恵」で、関係各位の連携で、やることをし終えた病院に「はい、さいなら」と脱出して、今日、ストレッチャーごと新天地に搬送する事が出来るに至った。
まだまだ、先は長いが、それを今考える必要は、一切無い。
そんな余力も無い。

しかし、新天地と呼べる居場所に上手いことすり抜けた。
医学や医者の言うことを「素(す)」で信用するのは、どうにかしている。
如何にして利用するかを考えるべきである。「かれら」だって利用している側なのだから50:50である。

こんな心理状態にある自分の脳には、「Welcome To The Pleasure Dome」の突き進む感は痛快に響く。








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2013年10月16日 水曜日・深夜 ポリス 「キング・オブ・ペイン」'83

2013-10-17 00:54:53 | 音楽帳

■Police 「King of Pain」1983■
この曲の響きは「あの」30年前と変わりない。最終幕とは後で分かる『シンクロニシティ(共時性)』収録の、ポリス後期に於ける名曲「キング・オブ・ペイン」。

ユングが提唱した概念を、崇拝者であったスティングがタイトルにした、ラストアルバムより。
今日、仕事中にインターFMで、唐突に流れたこの曲に「おおおっ」と自分だけが嬉しそうな顔で、耳をダンボ。

ひさびさに聴き、そして、帰った深夜も聴ける幸福。
ひさびさに聴いて、つくづく思ったのが、YMO周辺と同様にして、プロフェッショナルなミュージシャンがしてきた仕事は、何年経っても安定感があるということ。
アマチュアとは違う。

今夜も、入院のお袋を見舞って帰路を辿る。
2日前よりも、話しも出来、眼チカラもしっかり戻り、少々だが元気を取り戻した。こんな場面に対峙してこそ、一進一退という慣用句が肉体を持って理解出来る。

***

先週末、ついついやり過ぎて・バレてしまった、某上場ほーむせんたー企業・恍惚老人経営者の私費流用。まあよくある話しで、単にバレただけに過ぎない。
ここでは、バイヤーなどは実は名ばかりの存在で、総裁/将軍の一声で仕入れの全部が一掃される。

資本主義が行き着く先は、しょせんは、この程度の陳腐な世界。
たまに北朝鮮の様だけを見て、笑っている人がいたら、それは他人事でいられる資本家・資産家・いかれた人・・・だろう。
日本人のほとんども、一部を除き、そこに飲み込まれ・奴隷化しているのが現実・・・のはずだが。。。
既に「国」など形式上の境界線などは無視されているのだから、別の世界地図が売られていても良い。

こんな「なんちゃって」世界は、化けの皮がはがれて崩壊するだけのこと。
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2013年10月14日 月曜日 「間借期間」

2013-10-14 23:48:47 | スケッチブック
大竹伸朗さんが、2001年に開いた展覧会「マウスケープ」。
パソコンやITなんかおもろくも何ともねえ、と言う大竹節の中、試しにパソコン上で制作した作品を中心に据えた展示会。
自分も観に行ったが、デジタルの道具作品は期待外れではあった。
やはり大竹さんは、生(ナマ)で触れるモノとの格闘の中でこそ、のヒトと思う。
「理屈抜きで、とにかく、触覚で創り続けるしかない」と思う。
大好きな画家、横尾忠則さんしかり。

そんな中、2002年ごろ、感化された自分も、試しにパソコンでぐちゃぐちゃと作品を作っていた。
放置されたその頃の作品をがさがさ探しながら、約一周前の頃の自分のエネルギーに再会する。
理屈も無いし、見せる他人も居ない中で遊んだもの。

■2002年・自分なりのマウスケープ、あるいは、デジタルスクラップブック■
確実に歳を経れば歳だけは取るが、
しかし、その年の分だけ得た<なにがしか>の智恵で、エネルギーを産み出すこと。
生きている限り、あらゆるものを利用して、体内ガソリンを創り出すこと。
今をしのぎ、生き延びること。
老いている余裕はない。
老いを考えないこと。視野の外に置くこと。

■David Bowie & Brian Eno 「African Night Flight」1979(アルバム「ロジャー(間借人)」より)■
科学などの事実に基づく発見はともかく、文学も芸術に於ける「賞」なぞは、ごく一部の選ばれた作為者が、どう作為を働かせるかだけである。どこぞかの出来レース演出された、オリンピック招致と変わらない。
単純に三流作家にセクトを求め・寄生し続け、文学賞なるモノを貰うか否かを祈る者の絵ヅラのちぐはぐさ。
なあんか違うんじゃないか、としか見えない。
文学も芸術も、資本主義世界で売買される「モノ」では無い。

時代を超えて輝く・素晴らしいもの、あるいは、時代を経て・資本主義構造からやっと離れて、その意味合い・濃厚な発酵を放ち始めるもの。
いずれにしても、現代における「賞」は単なる「SHOW」に過ぎない。
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