こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音楽帳 : ミック・カーンの死去

2011-01-06 20:30:00 | 音楽帳
非常に残念でならない。
先ほど、ハブ噛み師匠から連絡あり。
ミック・カーンが、ロンドンの自宅で、家族や友人に見守られながら、52歳という若さで亡くなったとのこと。

つい1月4日にケイト・ブッシュの「Heads We Are Dansing」という好きな曲(アルバム「センシャル・ワールド」1989)でバオバオ、ミック・カーンにしか弾けない不気味さ全開のうねりにうねるカッコイイベースを聞いていましたが。
まさか、という感じです。

最近のミックの活動はよく分かってはいなかったが、あんなアクの強いベースを弾くヒトは、自分の狭い44年の範疇ではジャコ・パストリアス(比較するな、とジャズ畑のヒトには言われそうですが)以外いなかった。

ボクが、JAPANを知ったのは教授との初めての出会い「Taking Islands In Africa」だが、その曲が収まった「孤独な影」(1981)をまさに磨り減るほど聴く中、裏ジャケットに写る眉毛の無いミック・カーンと不安定感に満ちたフレットレス・ベースへの魅力に少年時代、心を揺さぶられた。

JAPAN解散の引き金はYMO周辺の音楽に4人が、違う自分たちの未来を見たからだが、基本はDavid Sylvianとミック・カーンの対立が根底にあった。

***

ボクが好きなアルバムは、その「違う自分たちの未来」の一端である、1982年にソロで発表したファーストアルバム「タイトルズ」。
そして、「Dreams of Reason Produce Monsters」という闇で光るような名盤。
2枚ともレコード盤で聴いた。



「Dreams of Reason Produce Monsters」では、David Sylvianが2曲ヴォーカルを取っている曲がある。
David Sylvianとミック・カーンは対立していながらも、それぞれの存在感は認めていたのだろうと、今になって思える。

ベーシストとして尊敬している1人に細野さんも居るが、青少年期に聴いてきた音楽へのノスタルジアとして、ミック・カーンにしか弾けないベースは、ボクのカラダには無いと困る存在なのだ。

ミック・カーンが初めて出したシングル「センシティヴ」での、まさに曲名通り、繊細なメロディと「これから、違う自分たちの未来が始まるんだ」というようなオーボエの天へ響く開放感・・・。

この曲を、こんな日に聴くと、いっそうナーバスになってしまう。


【ミック・カーン 「センシティヴ」1982 シングル】

有体なコトバになってしまうが、死へのはなむけとして言うならば・・・

「生前、ほんとうにお世話になったね。
これからも、キミの奏でた音楽を、今まで通り、ボクは聴き続けるよ。
それは、キミの肉体が死んだからじゃない。
キミの創った・奏でた音楽が、死を超えてでも生き残る音楽だからだよ。」
いつまでもね。」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする