こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年11月30日 日曜日 まだまだ”秋がいっぱい”

2014-11-30 23:45:31 | 写真日和

土曜、日曜と今週も、四十余年前と同じ小旅に。
今と昔の違いは、自由自在になるカメラを持つか否か、自由自在になる小金を持つか否か。
気持ちは、あの幼稚園児の頃と変わらないように思う。

二日を合計して3万余歩の旅。1,000枚近く撮った写真は整理付かず。
足腰が痛い。帰ってうすーいお湯割りに自家製梅を浮かべつつ、愛する寅さんの映画を見ている。
寅さんの長ぜりふの口上がココロに沁みる。

小金(こがね)を持てるようになったお蔭で、途中からバスに乗る。
昔は数十円、今は210円。だけども、バスが独特なのは、同一料金でどこまでも旅に行けること。
このまま、消息不明になろうか?と思うようなものが、バスにはある。

バスに乗るといつも、大学時代に、私が入った美術部で知り合えた先輩を思い出す。
とある多摩地域・とある重要なターミナルポイントのエリア。地元では有名な御曹司。
彼は精神を病んだという形を取りながら、卒業を阻まれて相当な年数大学に居た。

多くのヒトは、うとましくシッシとしたが、ぼんやりした私は、彼とよく接していた。彼の家まで行き、泊まったこともあったが、それは小学生の頃、夢中になって読んだ江戸川乱歩の小説に出てくるようなお屋敷だった。

彼が魅力的だったのは、描く絵のみならず、文章も。
そんな一つに、ポケットに握りしめた小銭で旅を、というバスの旅だった。
私がバスに乗る時、いつも彼のことを想う。

そして、彼の文章にいつも想起したのが、彼に出会う1・2年前のプリンスの作品。
「Around The World In A Day」。一日で世界一周。”世界”は、決して飛行機に乗らなくたって、みんなの身近なココにある。

彼が愛したハイライト。美しい顔立ちであり、いつも正装の彼はDavid Sylvianのような憂鬱さをたたえながら、ハイライトをせかしなく吸う。
ココロは、どこかにさまよった眼で。あの喫茶店のシーンを思い出す。

■プリンス 「ポップ・ライフ」1985■
地下鉄はラジオが聴けなくなったり・降りたり登ったり・外が見えないという点があり、時空が寸断されるため、休みに出来るだけ乗りたくない。
そんな中、そういえば”バスがある”と最近はバスで外を見ながら移動することが多くなった。





























何をどう言われようと「ポップ・ライフ」は永遠に錆びない。
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2014年11月28日 金曜日 この狂った世を生き抜き”棲まう”ための光

2014-11-28 23:41:56 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ

中井久夫先生の眼。直観力とカン。
日々繰り返し患者と向き合う治療での苦悩。
その集積が言葉に変わり、それがふんだんに織り込まれた貴重な書「世に棲む患者」。

文学者じゃないのに、そのへんにごろごろ居る三文文士とは無縁の文学的文章。
一行一行書かれた表現の的確さ。中井先生の言いたいニュアンスがよく伝わってくる。
何度も何度も繰り返し読んでしまう。
病気の本としてではなく読んでも、多くの発見がある。

なぜならば、人間そのものが”かたちんば”であり・ビョーキ生物であるからである。
その「It Mekes Me Wonder」の視えない源泉を辿り、ある人は文学を目指し、ある人は音楽を道具とするが、精神(こころ)の病いを辿る精神医学も同じ焦点に向かって収斂していく。

中井先生の文章が哲学的なのは、目の前の”リアルな現実・ほんとの現実”=「生きる」ことに沿って、紡ぎだされた肉を持つ言葉だからだろう。

今のヒトたちが日々の忙殺に追われ、ココロをなくし(「忙」という文字そのもの)、卓球(というよりピンポン)のタマのように、あるいはツイッターのように、瞬間反応三昧世界に踊らされゆく。

そんな中、実の「生」は「そこ」には無い。
社会という人間が勝手に決める、その時代時代のありようにおける規範の外側、その置き去りにされながらも、豊かで真綿のような何か。
そのナイーヴなココロの外形を探索して、小さな描きをしようと、中井先生は文字という道具を使っている。

精神やこころを扱うことを、青い顔したシステム科学と言い切り、自分の役割を放棄し、クスリ(ヤク)に逃げ込む医師。
TPP同様アメリカ輸入の薬品を国内にバラまき、被験者をシャブ中にして、クスリの対価たるカネを撒き上げてきたこの数十年。医療業界・製薬会社&公的権力がタッグを組んだビッグビジネス。

腐りきった彼らマフィアが日本(と一応未だ呼ばれる)を覆い切る中、中井先生の本には救いがあり、“我々”が生きるための道しるべが記されている。

四半世紀を掛けて、そのシャブ中から、自分はあと一歩でその牢屋の囚人から脱獄する。そんな地点。

今夜の写経
 1 
統合失調症圏の病いを経過した人の社会復帰は、一般に、社会の多数者の生き方の軌道に、彼らを“戻そう”とする試みである、と思い込まれているのではないだろうか。

しかし、復帰という用語がすでに問題である。
彼らはすでにそのような軌道に乗っていて、そこから脱落したのではない。
より広い社会はもとより、家庭の中ですら、安全を保障された座を占めていたのでは、しばしば、ない。はじめての社会加入の過程にあって、そこでつまづいた場合が多くても当然であろう。

これは言うまでもないことのように思える。
しかし、私の言いたいのは、多数者の途に―――復帰するのでなく―――加入することが、たとえ可能だとしても、それが唯一の途ではないだろうということである。
また、あえていえば、つねに最善の途だろうか。

証拠は、ただ周囲をみわたせば足りるであろう。
多数者に倣わせようと強いることは、成功したとみえる場合にすら、時に、何のために生きるかがはっきりせぬままに周囲の眼を怖れる萎縮した人生に彼らを導くであろう。
あるいは、たかだかB級市民の刻印の下に生きる道を彼らに示すにすぎないのではないか。

考えてみれば、統合失調症を経過した人は、事実において、しばしばすでに社会の少数者(マイノリティー)である。そのように考えるとすれば、少数者として生きる道を積極的にさぐりもとめるところに一つの活路があるのではあるまいか。

 2 
むろん、少数者として生きることは一般にけわしい道であり、困難な生き方である。
私が、他によりよい選択肢がたくさんあって、なおそう主張するのではないことは、まず了解いただけると思う。もっとも、多数者として生きることにもそれ自体の困難性があることは忘れてならない。

現にうつ病者は統合失調症患者に比して非常に少ないわけでは決してない。
彼らは、生き方のいささか“不器用”な多数者側の人といえないであろうか。
多数者として生きるために必要な何かがひどく不足する人もいるが、うつ病者のように(むろん相対的に、つまりその人にとってであるが)中毒量に達している人もあるわけだ。

そして、あえていえば、統合失調症を経過した人にとって、ある型の少数者の生き方のほうが、多数者の生き方よりも、もっとむつかしいわけではなさそうである。
(中略)
さらに言えば、統合失調症を病む人々は、「うかうかと」「柄になく」多数者の生き方にみずからを合わせようとして発病に至った者であることが少なくない。
これは、おそらく、大多数の臨床医の知るところであろう。

もとより、そのことに誰が石をなげうてるであろうか。
彼らが、その、どちらかといえば乏しい安全保障感の増大を求めて、そこに至ったのであるからには。
(中略)
 3 
・・・寛解患者のほぼ安定した生き方の一つは―――あくまでも一つであるが―――、巧みな少数者として生きることである、と思う。
そのためには、たしかにいくつかの、多数者であれば享受しうるものを断念しなければならないだろう。しかし、その中に愛や友情ややさしさの断念までが必ず入っているわけではない。

そして、多数者もまた多くのことを断念してはじめて社会の多数者たりえていることが少なくないのではないか。そして多数者の断念したものの中に愛や友情ややさしさが算えられることも稀ではない。それは、実は誰もが知っていることだ。(中井久夫)


寛解患者の一人として、私はこの中井先生の言葉に、実にたぐいまれなる(きわめて数少ない)本物の精神医学者の素晴らしさを感じる。
このことばが描く外形に、私は、自分が生きていくための光を感じ続ける。

■YMO 「キュー」(ウィンターライヴ1981)■





”超地球的存在”
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2014年11月26日 水曜日 煙が目にしみる

2014-11-26 22:56:04 | 音楽帳
夜中まで眠れず、ラジオとお湯割りで過ごしたおかげで、今朝のアラーム音は身に響いた。
大した時間眠っていないので、開けた眼が痛く、起きぬけに目薬をさす。
今朝の雨は、さほどの強さでは無かった。室内は寒いというほどでも無く、朝風呂の助けもあって、朝の鬱は乗り越えた。

朝会いたくもないが、エレベーターで会ってしまった仕事場の者は「寒くないの?コートを着ないの?」
「一度着たら、脱げなくなりますからね」と適当に言い流し、お互い笑うが、こちらは心じゃ笑っちゃいない。

こんな日、外で過ごすネコや鳥たち、ホームレスの人たちにはつらいことだろう。
ホームレス、という言葉には、実は抵抗がある。ジプシーなどと言った方が良いのかもしれない。生き物や彼らこそが一番エコであり、一番四季折々の美しさと痛さ・両方を骨身から知っている。

やたらとエコと声高に言う人は、経済のみに生き・消費蕩尽世界に生きている後ろめたさ・罪滅ぼしとしてエコと言って行動しているように見える。
そんな一般人は、そのウラで、定点ホームがレスしたモバイル・ホームに住まうことを一つ下げた世界とみなし、その一方で無線式モバイル”すまほ”に夢中なのである。

社会経済側に部分的でも加担することで生きている、という意味では、私も同罪である。しかしそんな自己欺瞞を意識して、両足を突っ込むことなく2つの世界に生きている分だけ、まだ罪状は軽いほうではないか?と自己弁護する。社会的存在≒仕事≒人生≒自分となってしまったら”ジ・エンド”と、今の私は思う。

そう言いながら、ぬくぬく室内で仕事をしているくせに、と思う。
外を見ると雨はやむことがない一日。

帰路、外に出れば強い北風に冷たい雨。「コートを着るまい」と強がりながらも、鼻の下をつーっとハナ水が垂れる。風邪は越えたが、日々変化する天候を越えていくチカラが欲しい。

帰った室内は13℃。くつしたを脱ぐと足がつべたい。
暖房は使っていないので、服を着込んで、毛布にくるまる。

お湯を沸かす。漬け込んだ自家製の梅を浮かべて呑む焼酎のお湯割りがおいしい。
自分の場合、何でもそうだが、自分が関わったものは、関わった分だけリアリティがある。焼き魚ひとつ取っても、外で食べるそれよりも、自分が焼いた魚が断然おいしくて、丸ごと食べてしまう。

昨日今日の雨で、紅葉の相当な量の葉っぱが落ちてしまったが、まだ樹々は頑張っている。まだ冬とは呼べない。雨風しのげる室内に居るが、風の音がごうごうとしている。

今日は往路も復路もブライアン・フェリーの80年代作品を聴いていた。
「ボーイズ&ガールズ」「ベイト・ノワール」
今目の前の新譜を聴かねば、と思うのだが、ついつい引力に負けて、あの頃の作品にワープしてしまう。
フェリーの音楽が困るのは、聴いているうちに酔っぱらってしまう点。

健さんのヤクザ映画を見た後、映画館から出てきたファンが肩を切って街を歩くように、フェリーを聴いているうち、タバコを持つ手も変わり、やけに煙ったくタバコを吹かしながら、きりりという流し目をしている。そんな憑依・乗り移り方をする。
そのカッコよさと魅惑は、麻薬のようにそこから離れられない中毒を誘う。

しかし、本物のブライアン・フェリーは、お湯割りやアツカンなど呑まないのだ。

■ブライアン・フェリー 「リンボ」1987■

デカダンス世界と自然/素の中で生きること。
理屈上では自己矛盾・キチガイだろうが、それでも自分の中には違和感なく両方が共存共栄している。
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2014年11月25日 火曜日 「いくつかの家に射し込む光」を待ちながら

2014-11-25 23:18:29 | 音楽帳

近時、多くの身近なミュージシャンたちの激しい新譜ラッシュ。
そんな不思議な2014年秋。
ミュージシャンそれぞれへの想いは多様である。

「想い」の多くは、むしろ私のほうに投影される。
「人生を走り続けているうちに、なんて周囲の風景は変わってしまったんだろうか?
私はいつの間に、こんな歳数を増やしてしまったんだろうか?」。

たとえばアンドロイド的中性的美人=アニー・レノックスの変化に驚く。
(なんと)還暦でシワも多くなり、スタンダードナンバーを歌った新譜「ノスタルジア」。

過去にも、カバー集はあった。思わず涙があふれ出た作品「メデューサ」(1995)。
ブルーナイルのカバー、そして、何よりも作品最初の曲「No More "I Love You's"」の永遠の美しさ。
表現力の豊かさ、歌のうまさに感動した作品だった。

しかし、あれから20年が経過しようとしているのだから仕方が無い、と思いつつも、ミュージシャンならば、たかが年齢なる”世間的”一尺度など無視して、羽を付けたままで居て欲しかった。

ということで、今回のカバー集には少ししんみりしてしまった。
「アニー、そんなにおとなしくならないでよ」と言いたくなる。
本来持っていた毒気というかバラのトゲのようなものが、ここにはない。

ユーリズミックスとして初来日した、1984年のあの日。
場所は中野サンプラザ。私は2階席に居た。
アニー・レノックスは赤い髪に、ピシッとキメたスーツ姿。SMを想起するムチを持ち、歌いながらステージを縦横無尽に歩きまくる。ヒトラーのように観客に訴えかけるポーズと狂気じみた妖しい青い目。

そんな日は遠く、年老いてしまった感がぬぐえない。
それは、スティーヴィー・ニックスの作品も似て非なるもの。

そんな折。
長き付き合いであるデヴィッド・シルヴィアンまでもが、まもなく新譜を12月に発表することを知った。

1982年ジャパンを解散させ、1984年ソロとして自らの孤独を背負う覚悟をしたデヴィッド・シルヴィアン。
その一枚目ソロアルバム「ブリリアント・トゥリーズ」を、ロッキンオンは市川哲史さんだっただろうか?印象に深く残る文章を書いていた。
その本は手元にないので正確な文章は起こせないけれど。

シングルカット「レッド・ギター」のモノクロームのヴィデオ。
我々には有名な写真家、アントン・コービンの作品。

そこにはヒゲをたくわえた老人と子供が出てくる。あたりを霧もやが包む中、手を結びあった老人と子供はこちらを向きながら、そのシーンから遠ざかるカメラの中で小さくなっていく。
ロッキンオンの文章で、この点に触れていた。

産まれ・そして・戻っていく。ボクらは、土に帰って行くけれども、それで良いじゃないか。植物や森が、その生命を後に繋いでいくように。そんなくだりがあった。

音楽という不思議さ。英語が分からなくとも、歌詞が分からなくとも、音から受け取ったスピリチュアルなものが、ほぼ意味合い通りだったりすることによく出会う。これはまぎれもなく現実に何度も起きる。言霊(ことだま)ならぬ音霊(おとまだ)という存在が確実にあるのだ。

このロッキンオンの文章も、B面最後の曲「ブリリアント・トゥリーズ」の歌詞に同じ思想が出てくるからこう書かれたわけではないだろう。

シルヴィアンがこの後発表したヴィデオ作品「Preparations For A Journey」(「ブリリアント・トゥリーズ」及び「錬金術」収録曲と映像の組合せ)、そして2枚組「Gone To Earth(遥かなる大地へ)」とこの航跡は繋がっていく。
また、これは市川さん(なのか?)のみならず、私も含め(現代の「エコ」じゃない)大地・自然の一部としての自分といった視点に傾斜していく流れとして、軌を一とするように、彼の向かう方向とシンクロする。
それは、タルコフスキーの「ノスタルジア」などに秘められたテーマとも同期化している。
(1983年に突然発生したニューアコースティックムーヴメントも、その一端を担っていたのだろうか?)

一昨日、Cinematic Orchestraの「To Build A Home」を引用したが、実はこの曲の歌詞を知らぬまま聴いて来た。
昨日、時を見つめる時間がひさしぶりに出来た。そのお蔭で、歌詞を掲載したホームページを見ていた。そこで、その歌詞を読んで驚愕した。
あまりにイメージ通りで「出来過ぎている」からだった。

「出来過ぎている」とは、「To Build A Home」の歌詞が、その静かさに込められたニュアンスを私の脳が勝手に解釈した像とさして異ならなかったことを指す。それは「ブリリアント・トゥリーズ」が描いた世界と一致するもの。
音霊(おとまだ)というのは必ずある。音は想いを伝えるのだと改めて知る。

■坂本龍一&デヴィッド・シルヴィアン 「体内回帰」1991■
シルヴィアンが精神性を深めていく中、今の私には、土に帰るまでの揺らがぬ境地に至れていない。
逆に「ブリリアント・トゥリーズ」と出会った10代当時から20代までの自分には、その覚悟があった。むしろ、その頃のほうが近かった。

それくらい死を恐れなかったのは、今となると「果たしてあれは本当の悟りだったのか?」という想いも強いのだが、恐れを知らない熱病にうなされた精神が宿っていたのは事実だろう。

今は逆にリアル過ぎて死への恐怖が強く、じたばたとしている。昨年後半から今に至るまで。
幼少の頃、毎日自分が死ぬことに対して恐怖を覚えていた頃に戻っている、とも捉えられる。この長き一年、それまで無かったような精神状態が輪廻転生一回転して現れたのだ。この理由なり、原因は分かっている。
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2014年11月23日 日曜日 まだ秋、と言い続けたい想い 

2014-11-23 23:48:27 | 写真日和
雨でせっかく色づいた紅葉が散ってしまう。。。と嘆いたら、そんなこともなく、まだ樹々は上手に葉を支えて昨日も今日も美しい彩りを見せてくれた。
今日は外を歩くとあったかくて、歩いているうちに汗をかくくらいの暑さから腕まくりをする。

昨日今日の写真に、この曲を添えて。さまざまなことへ祈りたい。

■Cinematic Orchestra 「To Build a Home」2007■






























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2014年11月20日 木曜日 人はゲスのみに生きている。

2014-11-20 22:50:46 | 音楽帳

どこまでを秋、どこまでを冬
とするかは、誰もが決められない。

しかし今夜の冷たい雨が、美しく色付いた紅葉を散らしてしまうのだったら、もう冬と呼ぶしかない。
つい、そんなことを言わざるを得ない日になった。進軍した葉っぱ隊も水に流れている。

今朝はついに10℃を切り、身を震わせる夜明けだった。
太陽さんは午後になると、早々撤収準備に取り掛かり、すぐに陽が赤くなってしまう。
夕方5時も過ぎると、暗さと共にしんしんと冷え、次の電車を待つ駅のホームで吐く息が白くなる。

地方都市からの帰路途中、百貨店に世間調査かねて食料品街をうろつく。
ワイン・ぼじょれなんたらの周辺に群がる者ども。悪しき形骸パターン化したMONO&資本主義に飼いならされた民の合体。この国の腐った絵図。

やはり静かな島に戻ろう。そう思う。うるさいだけだし。
カサを忘れ、濡れながら帰る。

***

ブライアン・フェリーの新譜「アヴォンモア」を昨日・今日と聴いている。
心地良い風のように耳を通って、ふわふわしたシュークリームのように流れ去り、消えて行ってしまう。

しかし、批判する気にはなれない。むしろ逆。
「ああ、また同じ撫でかえしだ」と聞こえる声。
多勢に無勢とばかり、えらそうに狭いところに追いやる者を無視し、その無勢側である私なりの「言い換え」が体内で機能する。えこひいきをする。
昔から今に至るまで、道の中央を堂々と歩いている奴にロクな者はいない。

きれいごとを言うつもりはない。
女は大好きだし、野蛮や堕落にこそ宿る蜜の味も知っている。
野獣のようなセックスの快感を経験しても、人でなしと呼ばれても、下衆とは無縁でいたい。

誰かがフェリーの作品を「ワンパターン」と言っても、私はそんな”音楽品評会”に参加したくはない。
世間・悪しき会話ノイズとは別の時空に生きていくことは変わりない。
「世間の外」で「君」と会って話したい。

確かに「アヴァロン」で完成された世界、その流れからの飛躍は無い。
じゃあ、どこの誰が、こんな心地良い音を産み出せるのか?はなはだ疑問である。「アヴォンモア」を明日もあさっても聴いていくが、今は7曲目の「Lost」に愛着を覚えて、それを繰り返し聴いている。

「君」には聴いてもらいたい。
そう思いつつ、独りさぶい部屋でヘッドフォンをしてカチカチ、君に贈るCDの選曲を今夜もしている。

■Bryan Ferry 「Loop De Li」2014■
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2014年11月18日 火曜日 木枯らし・陽光

2014-11-19 00:14:48 | 音楽帳
朝のアラームが鳴る。それでも、それを聞きのがした。
最近では珍しく、数分遅れて起きる。

起きたはいいが、眠くて眠くて二度寝してしまう。
疲れてるんだ。だるい。

つんつんと立った髪。3ミリまで切った髪と呼べぬ髪が伸び出してしまった。
やかんでお湯を沸かし緑茶を飲む。
外は晴れてる。

時間がなく、ろくにお茶・たばこ時間を味わえぬままの朝風呂。
腰痛箇所にシャワー。

駅で飴だまを口にほうり込む。
セキとハナ水は止まらない。一歩進んだと思ったら、一歩後退。

セキは止まらなくなると手の打ちようがない。
それが体力を消耗させる。

***

電車に乗ると、向かいで鼻の高く、目がキリッとした女性がうつむいて眠っている。
がらんどうの車内。寒いからかスカーフを巻いた首。
どういうわけか、こんな顔だちの女性に惹かれてしまう。

鼻が大きいこととペニスを繋げるフロイトなら、すぐに結論を勝手に出すはず。
化粧っけもないのに美しい寝顔に見とれる。

地方都市の駅を降り、文化無き人工住宅荒野を抜け、タクシーは走る。

もはや営業でもない私。
営業でもないクセに、どこに所属するかも不明な風来坊なので、今日もうろちょろ外に出て仕事をしていた。

晩秋の秋空に雲。木枯らしが強く、せっかく色付いた紅葉を散らしてしまう。
葉は落ち、乾いた葉はカラカラと音を立てながら北風に舞っている。

仕事のさなか、とある人から、とある人の訃報を聞き、あぜんとする。

***

帰ってひきこもる。
寒いからお湯割りを作る。
実家でこの夏前に収穫した梅。漬け込みトロトロになったその梅を浮かべて。

ヘッドフォンでひたすら”赤い公園”を聴く。その世界に入り込む。
この夏に出会った”赤い公園”。しかし、CDを聴いて、正直「あの日」との違和感を覚えたのも事実。
やはりこのバンドは、CDよりもライヴの良さのほうが上と思う。

日々いろいろなことが積み重なっていく。
2014年をまだ総括するには早いが、それでも今年生きてきて良かったことはたくさんある。

その一つに、赤い公園の嵐の中のすさまじいライヴが視られたことがある。
素晴らしい演奏を目の前で聴けて、出会えて幸福だった。

■赤い公園 「塊~透明」2012 (LIVE)■


2002年12月13日制作 デジタルスクラップより 「最後の博徒」
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2014年11月17日 月曜日 「Front Line」

2014-11-18 00:28:58 | 音楽帳

今夜は、愛ネコの彼女・コチャコさんの命日。
丸2年はぜんぜん短くない。

コチャコさん、あれからあれで、日々いろんなことがあって。
時の長さは、実に長いよ。
あの土砂降りの夜から、とても遠くに来てしまったように感じる。

昨夜、NHKラジオ深夜便を聴いていて、赤瀬川原平さんが亡くなったことを知った。
最近は、テレビ新聞離れから、お世話になった人の行方さえ、こんな具合だ。

いかに、奇妙なこの世を面白がるか?
そのモノの見方、角度、観点を赤瀬川さんからは教えてもらった。
そんな赤瀬川さんも猫好きだったね。

兄から昔プレゼントされた写真集「猫の宇宙」。
開くと、ネコたちの写真より、置き物のネコのほうが多かった。

***

コチャコさん、こちらもただ「空気吸うだけ」では生きていることにはならない。それはよくわかっている。
そういえば、昨年だったか?今年か?
忘れたけど、コチャコさんには優しかった80を過ぎた親父と話したときにね。「今は、一年一年が勝負だからさ」と言ったんだよ。
不意に言った言葉が、産まれてこのかた四十余年で聞いた彼の言葉の中で、初めてに近く心に響いた。
「おお、すげえ」ってね。

「”健康じゃなきゃ何したって楽しくないでしょ”ってのも分かるけどさ。
俺思うけどさ。本末転倒っていうか、お前ら健康なカラダで何したいの?って思うわけ。
健康なカラダで、スイーツバイキングをおいしく喰う。。。
それってむなしいと思うんだよね。

俺は、そんなことで満足は得られないわけ。。。
・・・自分が出来ることをとことん、周りがなんと言おうが貫く、
っていうのが、自分にとっての幸福感に繋がるんじゃないかな。」(大竹伸朗)


今日掛けていたインターFMから、なんと。
あのデヴィッド・ボウイの新曲「Sue」を聴いた。
楽曲の出来は良く、少しも「あの頃」と変わらないカッコよさに刺激を受けた。今日の大事件。
やっぱりボウイは、永遠のエイリアンだ。

■David Bowie 「Sue (Or In A Season Of Crime)」2014■
私の今の歳には、漱石先生も三島さんも亡くなっている。
もっと、いろいろな方は居なくなっている。
非凡な才能と一緒にするな、と言われても構わない。どうせ生きるのは誰もが一緒だろ。

お世話になった人たちが旅立っていくのを、自分は見送り、自分の順番を待つばかりか。。。と手に汗かく日々も、ボウイのことを思えば多少は救われる。

それに、驚くばかりだが、多くのミュージシャンが新譜を発売しているではないか。
ピンク・フロイド、モリッシーは前にも言ったが、スティーヴィー・ニックス、アニー・レノックス、ブライアン・フェリーまでもが新譜を。
興奮しているうちに、午前0時を回ってしまった。そんな夜。
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2014年11月16日 日曜日 「Amai Seikatsu」

2014-11-16 21:58:27 | 写真日和



■テイ・トーワ 「La Douce Vie (Amai Seikatsu)」 1994■

























90年代前半。
しょせん学生上がりでは、社会で何の役にも立たないガキは、いきなり大阪に放り込まれた。
必死だった5年の濃厚さ。密度。圧度。

たくさん恋をし、恋にとらわれていたのも、あの渦中。あの地。
それでも何が出来るわけじゃなく。
歯がゆい距離に身もだえした夜、夜、夜。

今日も小旅を歩きながら、この曲を聴いていた。
美しく色付いた紅葉を見て。
あの頃出会った音楽は、どれもがいまだに甘酸っぱい味がする。

ギターのフレーズ。聴いてすくに分かる高野寛くん。
後ろでかすかに、シャイにハモるテイさんの声。
彼が持つ実直さ・そのものをあらわしていて、たまらなく好きだ。
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2014年11月13日 木曜日 風邪っぴき中雑考

2014-11-13 22:41:02 | 音楽帳

今日は止む無き仕事上の事情で、有明のビッグサイトへ。
一日だけのお付き合い。長くいろんなことがあった一日。
拙速な要約は不可能。以下は、断片的備忘録。

セキやハナ水は少しおさまったが、相変わらず。
本当は怒りに震えることも多き日だったが、それを吐き出す気力は無い。

ビッグサイトは、3・11後、私個人のCUEを求め、2011年よく展示会を観に行った場所。真摯に何かに取り組む人たちと交流し、その熱意に出会えた場。
(だからと言って、バブル期の東京湾岸再開発を肯定はしない。)

あそこから3年8ヶ月。復興、環境、ああだのこうだの。
今日、私が居たのは、そことは程遠い、形式のみの場。
今更ながら、正直うんざりした。

元々、デザイナー、コーディネーター、建築家のほとんどは、見てくれ重視主義者であり、エゴイズムの塊であり、それが役に立つとか、そういうものは一切関係ない。安藤忠雄が良い例だ。
また、この手合いには、人格崩壊者が多いのも特徴。特に女がひどい。

彼らにとって、3・11を契機に環境だのどうのこうのは、しょせん一時的な後付け無理矢理の継ぎ接ぎに過ぎない。今日は、みそぎじゃないが、3年8ヶ月を経て、ほとぼりが冷めたとでも言うのか?彼らの本性があらわになるのを垣間見た。

「まあ、世の中、そういう回り方を、過去も今も未来もするのだな」と思うだけ。

***

怒る夜に聴いていたのは、教授の「未来派野郎」。
持っているLPを探索しても見つからず、ジャニスで借りてCDに落とした音盤を聴いていた。

坂本龍一のYMO亡き後、必死のスタートラインがこの作品であり、80年代突き進んだニューウェイヴの進化の果てと終幕がこの作品である。
私のなかではそのような位置付けである。
輪廻転生で言えば、一回目の私の生命が途絶えたのと同時期である。

ソロ作品ということで言えば、YMO最中の「左うでの夢」、その後創りだめた曲を引きずった過渡期作品「音楽図鑑」。
その後の「フィールドワール」「ネオ・プラント(如月小春さんとの共作)」「ステッピン・イントゥ・エイジア」「エスペラント」「TV WAR」という一連の爆発もある。

しかし、なのだ。
坂本龍一が単独でソロツアーを敢行したのは「未来派野郎」。
必死さが前面に出ていた。
彼が元々持つ左脳優位が、エゴイズムの塊に変わった。

***

1986年。ひたすら過剰にしか向かわないデジタルの限界地点・そんな行き詰まりの出口はないものか?
と言って電子の申し子は、アナログには戻れない。
デジタルでもってブラックミュージックが持つ揺らぎとグルーヴ感の表情を出すことは出来ないものだろうか?という労を重ねた坂本龍一。

「ステッピン・イントゥ・エイジア」「エスペラント」という実験を経て、腐心した結果の産物「未来派野郎」。
YMO亡き後、不眠不休で音楽に奉仕し、キャリアを積んだというのに、まだソロとしてはスタートラインという焦りと必死さが、このころの坂本龍一の音に現れている。
その切迫感がこの作品を支えている。

これは名盤だが、同時にデシタルテクノが突き進んだ80年代の終焉を告げている。
熱かった時代への葬礼歌のように、この作品はB面最後『パロリブレ』が静かに流れ、終わる。

オペラにテクノを乗せる行為は、マルコム・マクラレンの「マダム・バタフライ」という先例があるが、ここではそんな穏やかさはみじんもなく、デジタルハードの極限に、狂ったように美しいかの香織の叫び声が重なる。
発狂の末、転落していく東京の姿が重なる。

■坂本龍一 「大航海」1986■

「平成日本さんはアベノミクス大成功で、景気もおよろしく、未来はあかるく、安泰平和でおよろしいですね。」
まあ、全部なにもかもがウソですが。
コメント
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