こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏の100曲 : レイン・トゥリー・クロウ「レッド・アース」

2020-08-30 21:00:00 | 音楽帳


元々ジャパンの熱心なファンだったが、この作品は毎年、夏から秋に聴いてきたことが多い。
一曲目のノイズ音〜正確に刻むドラム、、、この入り方。
ここから始まるアルバム「レイン・トゥリー・クロウ」は、全曲通してなめらかに聴けるため、何周もループしてしまう。

謎のバンド(?)レイン・トゥリー・クロウは、ジャパンと同一の4人がメンバー。
しかし、ジャパンのアルバムではない。ギターでビル・ネルソンとフィル・パーマー、イーノと作品を作っていたマイケル・ブルックが協力している。

ジャパンは1982年末をもって終了したプロジェクト。
アルバム「レイン・トゥリー・クロウ」は、時代も4人の在り方も変わってしまった90年代初め(1991年)、唐突に発表された。

***

ここからは全く「情報」がないとした中で、聴き手の勝手な妄想してみる。

果たしてどんな会話がメンバー4人の間にあったか?無かったか?
こちら側にはわかり得ないが、会話すら無くて、でも音楽家として4人が集まり、
ひたすらセッションの上に切り取られたものがこの12曲。

音だけを聴いていると、そんな妄想を感じる。

もっと進んだ妄想では、下手すると、最終的なミックスダウンや曲名、曲順など後処理は任せた、、と4人誰もが曲の最終責任者であることを拒否して、このアルバムプロジェクトを解散した。。。
そして、そのまま4人は二度と集まらなかった、などということなら一層興味深い。

だが、クレジットを見ればわかる通り、まとめ役はシルヴィアンであり、スティーヴ・ナーイとミックスを行い、ラッセル・ミルズや藤原新也先生がアートワークに噛んでいる。

でも、どのようなプロセスでできたかのか?
詳細は不明なままの一枚だけの作品。でも、そのままで良い。



ジャパンがロックの文脈に、ある程度従っていたのに対して、レイン・トゥリー・クロウはインプロヴィゼーションを中心にして、建物で言えば木・土・鉄などといった素材を活かすかように、音の材料がそのまま剥き出しに使われている。
それらは微妙な重なり合いを起こし、波紋の描くモアレのような効果を生む。

シルヴィアンのソロがつい一本調子になってしまうのを、3人それぞれの音が見事なアシストとなり、ジャパン同様、音楽的融合・化学変化を起こしている。
少しの期間4人がスタジオにこもるだけで、こんな見事な1枚が出来てしまうのだから、やはり、ジャパンは解散すべきではなかったのかもしれない、、、とつぶやいてしまいそうになる。(でも、解散するしか無かったのだが)

ジャケットデザインは中身をよく反映し、夏の昼、太陽が上空にあって停止した時空、を思わせる。
4曲目「Red Earth (As Summertime Ends)」などは、その代表曲。
このアルバムに収まった曲名に現れた色は、赤と黒。

山下達郎さんの曲「デイドリーム(白昼夢)」の歌詞みたいに、遅い夏の午後を思わせ、夕なぎまでの時間、ジリジリした暑さのなかで聴いてしまう。
夏の砂漠、かげろうの向こうに、秋が既に見えている。
そんな陰りが音にも漂う。


■Rain Tree Crow 「Red Earth (As Summertime Ends)」'91■

シルヴィアンが2002年に中間総括として出した「カンファ」には、このアルバムから3曲が収められている。
極めてクールに演奏に従事する4人の職人芸が、一枚の中をヒタヒタと無言で流れる。

「ぼくは人間と同じように 作品にも完成は存在しないと思う。
ある地点のプロセスに過ぎないのだ。」

「われわれは絵の中に、ある時間の到達点を見ているのである。
筆が置かれた瞬間のストップ・モーションの状態を見ているのだ。」
このアルバムを聴いていると、いま読んでいる本の横尾忠則さんの言葉が重なった。

Recording Data
Computer programming: Steve Jansen
Keyboard programming: Richard Barbieri, David Sylvian
All songs written by R.T.C./Words by David Sylvian
Produced by R.T.C.
Engineered by Pat McCarthy
Additional engineering by Tim Martin
Mixed by David Sylvian & Steve Nye assisted by Al Stone
at Olympic Studios, London except. mixed by
David Sylvian & Pat McCarthy at Eel Pie Studios, London
Cut by Tony Cousins at the Townhouse
Cover photography by Shinya Fujiwara
Design by Russell Mills
Art direction: D Sylvian, Y. Fujii

Recorded between September 1989 and April 1990 at
Miravel Studios, Le Val, France; Condulmer Studio,
Zerman di Mogliano, Italy, Marcus Studios, London,
Air Studios, London, The Wool Hall, Bath,
Ropewalk Studio, Dublin, Mega Studios, Paris,
France, lei Pie Studios, London,
Assistants: Mohammed (Momo) Loudiyi Paolo Carrer
Rupert Coulson/Louise McCormick Bruce Davies
Paul Stevens
Recording co-ordination and Management:
Richard Chadwick
Assisted by Natasha White
on behalf of Oplum (Arts) Ltd,
Special thanks to
Michael Brook/Sandro Franchin/Yuka Fujii
Dermot McEnvoy/Russell Mills/Enrico Monte
Patrice Quef Pete Townshend/Gary Wright
Syco Systems Ltd. (Adrian Thomas Wel Basses/
Sabian Cymbals
The majority of the material on this album was
written as a result of group improvisations
There were no pre-rehearsals, the improvisation
took place in the recording studio and much of the
finished work contains original elements of those
initial performances

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夏の100曲 : 清水靖晃「セミ取りの日」

2020-08-28 09:00:00 | 音楽帳

正直なところ「夏の100曲」という夏休みの課題を挙げて、書き出したのが遅かった。
イーノがかつて言っていた言葉を借りるならば、周囲がすごい速度で動きすぎている。
奇妙な夏だったんだよ、今年は元より、、、と言い訳しても、時は早く通り過ぎる。

お盆はとうに過ぎ、昔なら宿題どうしよう、と泣きが入っていた8月31日は目の前に来ていた。
陽はすでに短くなり、日没は18時10分台と早く、夕焼けがたまらなく美しい。
夜には虫が良い音で鳴き、秋はすでに来ている。

しかし、昼にはセミはまだ盛り、とばかり夏を満たしている。
これ以上暑くなって欲しくないが、いくぶんか残暑もあるだろう。

ジ・オーブのアンビエントみたいに、脈絡なく逸脱の道を延々と行くのも良い。
まだしばらくはなりゆきまかせに、備忘のために思いつくまま音楽とまつわりつくことを記す。

***

清水靖晃は、前作「IQ179」(1981)で坂本龍一と共演していた。
バンド・マライアも含めて実験的な音楽を奏でる存在だったが、それが清水靖晃の本性か?
パンク→ニューウェイヴ時代まっただなかだったからなのか?ほんとうのところは、当時も今もわからない。

前作「IQ179」と同じく、この作品「案山子(かかし)」も名作。
チンドン屋の調べ、時にこぶしを回し、海洋上ではトランシーバーを通じた声、
カエルやセミや虫たちの音、彼の歌声、、、多様な要素が入り混じり合う。


個人的な事だが、この「案山子」は、雑誌「ぴあ」のレコードプレゼントにハガキを出し、当選した一枚。
あまりハガキ応募しない分、運良く当選する経験をした。

学校帰りのある日、排気ガスが充満してうるさい池袋への道を歩く。
引換券を持って、高校から一番近い池袋の新星堂へ。
LPレコードに引き換えてもらって、ほくほく顔で帰った。
振り返れば、今と違い、とてもおおらかな時代だった。

ジャケットのネコ、微妙にヘタウマなイラストが憎めない。
恣意的ではなく、描いていたらこうなってしまった、といった「実直なネコ」の顔、手の指。
この憎めなさ、正直さは、この作品の中身を反映していてかわいい。
そんなレコードだ。


■清水靖晃 「セミ取りの日」'82■

1982、1983年は、このレコードがターンテーブル上で活躍していた。
今回久々に聴いたが、スルメみたいに繰り返して聴いているうちに、当時のようにレコード全体が視えてきた。

特に好きなのは、タイトル曲の「案山子」や「セミ取りの日」。
ホーン、クラリネット、木琴、拍手、シンセサイザー等々が奏でるシンプルで素朴な音。
その音に今一度好感を持つ。




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夏の100曲 : ドゥルッティ・コラム「リップス・ザット・ウッド・キッス」

2020-08-26 09:00:00 | 音楽帳

ドゥルッティ・コラムは元々パンクの出身。
ヴィニ・ライリーの美しく、悲しみをたたえたギターサウンドは、誰かのギターを参考に練習の末にできたものではない。
独自な音楽を目指して、というよりも、思うがままかきむしるように弾いたところから、そのスタイルが出来上がったものと思われる。

彼の初期シングルに「リップス・ザット・ウッド・キッス」という名曲がある。
亡き親友、イアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)にささげた曲である。
タイトルの「リップス・ザット・ウッド・キッス」とは、イアンが好きだった詩の一節と言う。


■Durutti Column 「Lips That Would Kiss」'80■

親友を失った悲しみ、
しかし、ここには絶望に打ちひしがれたがゆえに、希望を希求するほの明かりが音となって視える。

視えないものとの格闘や祈りが彼の音楽。
明るく切なく美しい。
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夏の100曲 : ドゥルッティ・コラム「フェイバリット・ペインティング」

2020-08-25 09:00:00 | 音楽帳

ドゥルッティ・コラム/ヴィニ・ライリーの音楽は、色彩的で映像的世界を想起させる。
たくさんある好きなドゥルッティ・コラムの曲を、勝手に四季折々の中に、「この曲は春、この曲は夏、、、」と、各々あてはめて聴いてきた。

「フェイバリット・ペインティング」は春・夏・秋いずれの季節にもはまる。
ただ純粋に美しく、サラッと流れていってしまう面があるから、
80年代のカフェバーや80年代後期バブルの洒落臭いシーンなど、嫌悪すべき場面でも掛かっていた。
しかし、私にとってはそんな音楽ではない。

公園のベンチに少女と座る写真。
写真の上からパステル調の水彩が散らされている。
ベンチに居る、亡霊みたいで消え入りそうなヴィニ・ライリーの姿。
彼と同じ青白い顔の自分は、ついそこに自分を重ねた。

晴れた陽光射す日であれば、ドゥルッティ・コラムやフェルト、アンテナ、ミカドなどの
好きな曲をまとめたカセットテープを、心の支えとして聴いていた。
毎週土曜、魂を癒すために、一人ミサを行う際には、これらの曲が賛美歌として掛かった。
クリスチャンでもない自分が、一週間を終えて疲弊した心身に対する、独自の魂の癒し方だった。


■Durutti Column 「Favourite Painting」'82■



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夏の100曲 : ジョニ・ミッチェル 「夏草の誘い」

2020-08-24 08:00:00 | 音楽帳


ジョニ・ミッチェルと夏は決して結び付かない。
むしろ、秋、冬、春と密接につながっている。
・・・という言い方も、実は違って、ただ単に近年の夏が、過去あったはずの夏ではなくなっている、せいかもしれない。

アルバムタイトルに「サマー」が付くもの・・・と、今日取り出した「THE HISSING OF SUMMER LAWNS(夏草の誘い)」。
それをCDから取り込んだi-tunesで聴いていた。
ジョニ・ミッチェルの作品はどれもが名盤だが、この作品はCDで持っていながら、積んだままロクに聴いていなかった。
プレゼントされたものだったからでもあるが、なんてもったいないこと。。。

一曲目冒頭から落ち着いた安定感ある、ジョニ・ミッチェルの音世界が広がっていった。
二曲目「ザ・ジャングル・ライン」は、80年代初めに衝撃受けた「ブルンディ・ブラック」と同じ、アフリカ現地のリズムがバックに使われている。

色んな要素が混じり合うのに、風みたいにスラスラと聴けてしまう。
ジョニ・ミッチェルの作品はどれを聴いても、そんな具合。
言語や論理や体裁とは無縁。稚拙な言い方だが、音楽的音楽とでも言おうか。。。


■Joni Mitchell 「The Hissing of Summer Lawns」'75■

渋谷陽一さんがジョニ・ミッチェルのファンであるのは知っているが、同様にプリンスのファンである。
しかし、そのプリンスがジョニ・ミッチェルの熱烈なファンであり、特にこの作品を愛したことを、今日初めて知って唸った。
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夏の100曲 : アリ・トムソン 「恋はリズムにのって」

2020-08-23 08:00:00 | 音楽帳


エア・サプライを知った同じ1980年。
夏にはこんな風のようにさわやかな一曲もヒットした。


■Ali Thomson  「Take A Little Rhythm」'80■

疲れ果てて 気が滅入ったら
そして 人生って何だろう?って思った時は
そう例えば
夢に破れて 落ち込んだ時には
独り腰をおろして
ただ 音楽に身をまかせなよ

リズムに合わせて
リズムにのって
ほら あの甘く優しいメロディを
君の心に注ぎ込むのさ

誰もかれもが キチガイじみてきて
空気を満たすのは騒音と暴力ばかり
痛みの走る身体 荒れてしまった心

そんな時には
リラックスして
ただ音楽に耳を傾けなよ
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夏の100曲 : エア・サプライ 「ロスト・イン・ラヴ」

2020-08-22 09:00:00 | 音楽帳


外はむごい猛暑。
そんな夏でも涼しい気分になる一曲。
今朝は久しぶりに、この7インチシングルをレコードプレイヤーで聴いた。


■Air Supply 「Lost in Love」'80■

中学生の頃、毎週土曜の昼はFM東京の「ポップスベスト10」を聴いていた。
まるで通信教育みたいに、聴きながらノートに10位から1位へと曲名・演奏者をつけていた。
そこで、こういった曲たちと出会えた。

たいていは、演奏者の姿も素性も知らないで出会った。
今思えば、その出会い方がとても良かった。

その後、「情報」なんてものが氾濫し、妙な知識や先入観、頭でっかちな理屈という毒を身につけたおかげで、素直に音楽を楽しんで聴けなくなったように思う。
プログレやハードロックを支持した髪の長い人々が、同時に存在したカーペンターズを認め「られなかった」ように。

今日は、ただ音楽を聴いて楽しかった元に戻りたい。

くだらない外装、インテリアは体裁を整えるだけ。
そういうしょうもない役立たずの屁理屈は捨ててしまえばいい。
数十年後の今日の自分はそんな風に思う。

★1980年5月3日 ビルボードチャート★

1・コール・ミー/ブロンディ
2・風立ちぬ/クリストファー・クロス
3・ロスト・イン・ラブ/エア・サプライ
4・ウィズ・ユー・アイム・ボーン・アゲイン/ビリープレストン&シリータ
5・アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール/ピンク・フロイド
6・ファイアー・レイク/ボブ・シーガー&ザ・シルバー・バレット・バンド
7・ガラスのニューヨーク/ビリー・ジョエル
8・言いだせなくて/イーグルス
9・セクシー・アイズ/ドクター・フック
10・ホールド・オン・トゥ・マイ・ラヴ/ジミー・ラフィン
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夏の100曲 : クリス・レア 「シャムロック・ダイアリーズ」

2020-08-20 09:00:00 | 音楽帳

クリス・レア、というと、「オン・ザ・ビーチ」が出てくることが多い。
確かにヒットした代表作の1つは「オン・ザ・ビーチ」だが、もっと素晴らしい作品は色々ある。
「シャムロック・ダイアリーズ」もその一つ。

この声の渋さ。。。
クラプトンやエルビス・コステロなど、十代の頃、渋いだけではあまり心が動かなかった自分が、この人の歌にはつい聴き入った。

まだまだ暑い日が続くが、この数日、急に暑さや日差しの赤みの質がガラッと変わったように思える。
この曲も、秋へ渡っていく時期には良い。


■Chris Rea 「Shamrock Diaries」1985■



この曲を初めて聴いたのは、当時NHK-FMでピーター・バラカンさんがやっていた「全英ポップス情報」。
この曲を紹介した部分をカセット録音していて、それをよく聴いていた。

その後、中古でLPレコードを入手したが、ついにジャケットがカビだしてしまった。
シンプルで質素だけど、素敵なジャケットデザイン。よく飾っては眺めている。
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夏の100曲 : ホルガー・シューカイ「ペルシアン・ラヴ」

2020-08-16 08:00:00 | 音楽帳

夏といって思い出す1曲に、ホルガー・シューカイの「ペルシアン・ラヴ」がある。
彼が亡くなったのは、2017年9月5日のこと。79歳だった。
彼の最期の活動には親身ではなかったが、i-Tunesには常に彼の曲がある。
彼が所属したカン、可愛らしいソロ作品、ジャー・ウォーヴルやデヴィッド・シルヴィアンとの共演など、素晴らしい作品は多い。

同じ時代を一緒に過ごした、ホルガーおじさんとの日々・・・。
想い出深い先達たちが亡くなっていくことはさみしく、虚無感に包まれる。
それを以前よりもかなり強く感じる。
しかし、そんなことを言っていたら、この後、生きてはいけない。。。

***

ホルガー・シューカイの名前を知ったのは、1981年スネークマンショー2枚目収録曲「ペルシアン・ラヴ」。
その後、1981年11月25日にアルバム「ムーヴィーズ」が国内発売された。

それをどうしても欲しい・聴きたいと思ったのは、ピーター・バラカンさんが81年のベストアルバムに写真入りで選んでいたことだった。1982年1月のこと。

■雑誌「ミュージックマガジン」1982年2月号 1981年のベストアルバム欄より抜粋■

しばらくは白黒ページを見ながら、一度聞いてみたい、、、そう思っていた。
春となり、無事ではないが高校生になって、春にアルバムを買った。
A・B面2曲・計4曲の作品。

A面
1/Cool In The Pool
2/Oh Lord Give Us More Money
B面
1/Persian Love
2/Hollywood Symphony


A・B面1曲目がポップでキャッチーなのに対して、2曲目が10数分の大作で、咀嚼するのにかなり時間を要した記憶がある。
彼が「カン」のメンバーであることを知り、カンのアルバムにまで手を伸ばすことになるのは、その後春から夏にかけてのことだった。

ホルガー・シューカイの音楽には、様々な音が切り刻まれたテープによってかぶさってくる。
「ペルシアン・ラヴ」の場合、ラジオ放送から流れたコーランが創作中の曲とマッチするという偶然が生み出した奇跡の産物だった。
当時「先端」と言われたデヴィッド・バーン&ブライアン・イーノのアルバム「ブッシュ・オブ・ゴースツ」でも出てくる手法だが、民族音楽的要素をテープによって取り込み、1つのチューンを実現させている。
ロックサイドの音楽家が、第三世界音楽の要素を入れ込む、いわゆる「エスノ」と呼ばれた流れの先がげ。

この少しのち、というか同時進行で、サンプリングマシンが登場し、音のコラージュによる創作曲が増えていった。


■Holger Czukay 「Persian Love」'81■
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夏の100曲 : 原田知世 「リセエンヌ」

2020-08-14 08:00:00 | 音楽帳

いわゆる”アイドル”といったジャンル(だった)ものを、もう1つ。
原田知世さんの「リセエンヌ」。1984年11月発売の2ndアルバム「撫子純情」に収録された曲。

教授(坂本龍一)が作曲・アレンジをした曲として、1984年秋、ラジオ「サウンドストリート」でもかかった。
アルバムは、大貫妙子さんやかしぶち哲郎さんらが協力、教授がすべてのアレンジを行っている。この「リセエンヌ」では、知世ちゃん自身が歌詞を書いている。

***

知世ちゃんは、1983年デビュー当時、特にファンではなかった。
「いつかちゃんと・・・」と言いながら、映画「時をかける少女」をすべて通してちゃんと見たのは、大林監督が亡くなったついこないだである。(2回も見てしまった)
この2ndアルバム、LPジャケットには真正面に構えた顔、そしてボーイッシュに切った髪。
アイドルを無理なく演じる品性。それを持った人だったのだろうが、正直当時は全く関心がなかった。

それがまさか、のちに鈴木慶一さんや幸宏と作品づくりをすることになり、魅力的な女性として見ることになるとは思ってもみなかった。

***

そういえば、1983年「高橋幸宏のオールナイトニッポン」にYMOの面々が「散開」を前に揃ったとき、知世ちゃんがゲストだった。
大久保林清(=景山民夫さん)脚本のラジオドラマ「時をかける少女」では、細野さんが昆布茶をすするおじいちゃん、他2人が深町・堀川を演じていた。また後半「スター・ウォーズ」では、細野さんがヨーダとして現れ、知世ちゃんはレイア姫、SETの小倉久寛さんは期待通りチューバッカを演じていた。。。そんな楽しかったラジオ放送を思い出す。


「リセエンヌ」とは、フランス語でいう女学生とのこと。
知世ちゃんの持つイメージと合っており、すでにこの段階でプロデユースする側が彼女の存在感をよく見抜いていた。
教授が作ったこの曲は、大貫さんのヨーロッパ三部作に近い静謐感を持っている。

「夏」とは一言も出てこないのだが、この端正な姿勢の曲を、エアコンかけた部屋でよく繰り返し聴いていた。
となると、聴いていたのは発売の翌年1985年夏だったのか?
どういうわけか、自分には夏らしいイメージが音から感じられる1曲となっている。
2020年夏、病気で調子悪い日、外に出られない日、室内で聴くと身に染みる。


■原田知世 「リセエンヌ」'84■

昔読んだ小説では
ヒロインはみんな17才
早くおとなになりたいって
そっと胸の中
祈った
アルバムがめくれるたび
みんな形を変えるね
あそこまで行けたかな?
夢見てた頃の
Seventeen

男の子みたいだって
言われたの髪を
切った時
教室のうしろの席
おしゃべりがふと途切れる
首すじがどことなく
涼しくて
音も立てずに静かに
みんな形を変えるね
あそこまで行けるかな?
夢みてる頃の
Seventeen


原田知世「撫子純情」
1984.11.28発売 サウンドプロデュース:坂本龍一

a1/星空の円形劇場  作詞・作曲:大貫妙子 編曲:坂本龍
a2/Happy Yes     作詞・作曲:かしぶち哲郎 編曲:坂本龍一
a3/もっと素直に     作詞・作曲:白井貴子 編曲:坂本龍一

b1/リセエンヌ    作詞・原田知世&康珍化 作曲・編曲:坂本龍一
b2/クララ気分    作詞・来生えつこ 作曲:南佳孝 編曲:坂本龍一
b3/天国にいちばん近い島 作詞・康珍化 作曲・林哲司 編曲:萩田光雄
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