こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年12月31日 水曜日 年越し

2014-12-31 23:39:57 | 雑記帳

12月27日 土曜日
明け方泥酔で帰宅。寝て目覚めると二日酔い。
これではいかんとTBSラジオを掛けながら、横になってうなる。
夕方にやっと立ち上がり、小旅に出る。

0時過ぎてから年賀状作り。
聴いていた穏やかなラジオ深夜便から森田美由紀さん。優しい包容力のある声。
すると、なんとアッコちゃん(矢野顕子さん)のインタビュー。
テーマは「わたしの”がむしゃら”時代」。

もうすぐ60歳ですね、と言う森田さんに、アッコちゃんは59も60も61も大して変わらないわよ。そう言われてみれば、そうだね。
さすがのかわし方。

明け方までラジオを聴きながら年賀状作り。

12月28日 日曜日
安住紳一郎さんのラジオとお茶に始まる。
午後、小旅に出る。あちこちでネコに出会い、カリカリをおすそわけし、写真を撮り歩く。
歩いているうち北千住に着き、喫茶店で年賀状の宛名書き。
不足してしまったプリンターのインクを探すが、希望のモノがない。

仕方なく電車に乗って秋葉原へ。
インクを買うと人混みを避けて、人の少ないほうに歩く。
秋葉原~御徒町~浅草橋~蔵前・・・墨田川が見えてきて、川沿いに浅草まで歩いた。
そのまま島まで歩くことも出来たが、明日がある、と思って電車で帰った。

手足のしっしんがひどく、アロエの汁を塗っていたがおさまらないので、かゆみ止めクリームを帰り道に買った。
帰って追加の年賀状作り。久しぶりに幸宏先生の「音楽殺人」を聴く。

カモミールの入浴剤を入れた湯に浸かる。温まった後、湯上がりにクリームを塗る。
布団に横になりラジオ深夜便を聴いているうち、不意に眠っていた。

12月29日 月曜日
外は雨。でも午後には止むと天気予報は言っていた。
昔は毎週会って、あてもなく街歩きしていた三人組。
この日・今年2回目の集合。2人に会え楽しい時間を過ごす。

夜になって、友人MZ師が教えてくれたテレビ特番が見たくなった。
インターネット動画で、それを見ているうちに明け方になってしまった。

12月30日 火曜日
昼に実家に向かう。両親ともに元気で居てくれた。
3人で夕食をし、笑い、テレビを見る。
いつも来るネコののらくろちゃんには会えなかったのだけが、心残り。

夜、大好きな映画「ねこタクシー」を掛けながら、安息の眠りにはいれた。

12月31日 水曜日
疲れがたまっていたんだ。10時過ぎに起きた。
ラジオを着けると大沢悠里さんの声。九州に居る先輩が心配で電話をする。
お昼サボってカップうどんを食べる。
電話している途中から焼酎のお茶割りを呑んでしまったせいもあり、食後横になると夕方まで再び眠ってしまう。

このまま室内に居るのはいけないと、夕暮れを見に歩く。
いつもの隅田川近くに居るネコちゃん。一匹にカリカリを上げると全員で4匹になる。

夜、そうじをするつもりはなかったのだが、台所そうじを始めたらやめられなくなる。レンジ、お鍋、水回り。汗をかいて3時間。
その間、ラジオを聴きながら。

18時~ニッポン放送「ごめんね、そしてありがとう~音楽にのせておくる2014年のメッセージ~」(上柳昌彦)

19時~インターFM「デイヴ・フロム・ショー」

20時~TBSラジオ「おっさんニュース年録2014」(ピエール瀧・ビビる大木・中村尚登)・・・

21時~TBSラジオ「おもしろ本No.1ここに決定!笑う本棚大賞2014」(えのきどいちろう)

22時、やっと夕食。パスタをゆでて食べる。缶ビール1本。
23時過ぎて、録った爆笑問題カウボーイを聴く。

さてさて、と今年最後の曲をどうしようか・・・と思ったが、昨日から聴いていた1982年1月21日・ヴァージンレーベルから国内発売された「DARE!」。
ここに収録された大好きな一曲を。

来年は、笑いとほの明かりが、いつもあるようにしたい。
そう今日は思っている。

■Human League 「Open Your Heart」1981■
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2014年12月27日 土曜日 祈り

2014-12-27 23:52:00 | 雑記帳

年賀状に載せる写真を選んでいた。
今年撮った写真も枚数がぼう大。
そこで、途中から少し手抜きをしながら、めくっていった。

そのうち「どれだけ哀しく・汚くあっても、それでも、なんとこの世は美しいんだろうか」と思うに至った。

季節を巡りて咲く花・植物たち。
路地に住まうネコや鳥や生き物たち。
カオティックに入り組んだ街と市井の人とが織り成す光景。

写真を1月からめくり、その時間の長さ。
雨・風・嵐、暑さ・寒さを乗り越えて。
ふだんは視えない、上空から俯瞰するような感覚が芽生える。

この世に現れる悲しみの総量を、なんとか少しでも減らせないものだろうか。
たぶんあらゆる日々の取り組みは、すべてそれに向けてであるべきだろう。
年の瀬が、そんなことまで思わせてしまう。

平日日中に、激しい怒りやよどんだ想いに包まれる時がある。
昔と比較すれば、相当おだやかになり、周囲に惑わされて、感情の起伏に苦労することは少なくなったけど。

昨日は仕事納めだった。
お酒を用意しては、ふだんはなかなか話すことがかなわない人と話せる機会。

「へえー」と”その人となり”に出会って、合わなかった人との気持ちのカベが溶けることが多い。
「そのように思って生きていたんだ」と知り、その後、その気持ちを抱き合って仲良くなったことがいくつもある。

根は”人間が一番ダメな生き物だ”と信じてやまない者だからこそだろうが・・・
逆にこんな対話を通じて、気持ちの底にある想いに出会っては唸り、その人を好きになってしまう。
(性的な意味ではなく)

今年もこの島で出会い、仲良くなれた人、お互いハッピーになれた時間がたくさんあった。

明日は知らねど(Tomorrow Never Knows)は、誰もがそうだけど・・・
視えない星たる良き同志たちの上に、そんな充実や安堵できる時間がいくつもいくつも舞い降りることを祈っている。

お酒は人に幸せを運ぶ、良い道具の一つ。
でも、へたくそな「酒飲み」は、ロクでもない酒の飲み方をする。
しけたセクトを作っては、誰と誰がどうのこうのと、くだらない会話をぐちゃぐちゃ繰り返している者が、無様に見えて仕方がない。

昨夜も、くだらない説教を吹っ掛けられ、そういった者とつかみ合いになりそうになり、ビンで頭を割られそうになった。
なんでいがみあい・怒鳴り合わなきゃならんだろうか、と悲しい気持ちになる。
必死に、こちらの気持ちの底を言葉に替えて訴え、久々に泣くほどに激情が出てしまう。
それでも彼の気持ちはかたくなで、想いはなかわなかった。

それでも絶望は抱かない。
そういうことは尽きぬほどあるんだから。

決してヘタることなく、
雨にも負けず風にも負けず、一緒に生きて行きましょう。

■Rolling Stones 「Waiting On A Friend」1981■


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2014年12月25日 木曜日 今夜贈るべき音楽

2014-12-26 00:40:55 | 音楽帳

今日、一つのヤマ的仕事を終えて、実質年内の仕事は終えた。
師走も下旬に入ると、やっと正気に戻ったかのような意識の静寂がおとずれる。

日記兼スクラップみたいなものを書き貼りしてきたが、リアリティがない。
そこでここ数週うろつく中で、再度ダウンサイジングしたA6大のノートを買った。
大竹伸朗さんは(に限らないけど)サイズが小さいものから巨大サイズまで様々なサイズの作品がある。

要は一定のフレームやキャンバスには無理がある。
今はA4でも何かしっくりこない。
それはプロとか素人というくくりでは無い。
それは、アラーキー(荒木経惟さん)が接写やら遠景まで、生理次第で移ろっていく様に似ている。

年末だから、というわけでは無いのだが、貯め込んだゴミを捨てる方向に向かっている。
それは、エコや社会や経済とは無縁な個人的生理。

ノートをまるで核のように小さくすると、自然とそこに貼れるものは制約を受ける。
すると、ゴミやチラシからどこのパーツを選ぶかの位相が変わる。
自然と捨てる部分が多くなる。

散乱したCD、本、チラシ類をある程度のけて、座布団一枚とつくえの上のスペースを確保すると、そこに一時的な小さな作業場が出来上がる。
今週に入ってからは、地べたの大きなサイズは必要が無くなった。

過去から、こんなコックピットみたいな空間に入ると気持ちが落ち着く。
ハロゲンヒーターを点けて、座してつくえに向かいたばこをふかし、うすーいお湯割りを呑み、音楽を聴く。
ノートにペンを走らせ、小さいものたちをしげしげ見ていると、生きていける気がしてくる。(まるで、安部公房さんの「箱男」)

よく広い空間や家に住むシーンを映して、あたかも幸福感・ぜいたくを示す広告(=プロパガンダ)が多くあるが、それを幸福とは決して思わない。
たぶん、それは生理やバイオリズム次第で変わっていくんだろう。

2014年に出会えた音楽との幸福を、振り返れるだけの神経に不思議となった。
それはコンピレーションCDを創ったおかげであり、確かに年の瀬が人に運ぶ恩恵だと思う。

多くの人たちが不幸に見舞われた。へたな同情では無くて、それを痛々しく想う。
たくさんの大事な人を今年も失ってしまった。
かつて、我々こそが生きて変えてやるぜ、という気概があった80年代を想いつつ。

しかし、いまさらそれで絶望には立たない。
本質的な絶望など、とうに涅槃を過ぎてしまったのだから。

それでも絶望を、これからも抱くだろう。
決してペシミストと一語で済ませられる者でも、当方は無い。

先週から、ニコニコ動画で山下達郎さんの過去のライヴを聴いていた。
そこで「希望という名の光」が掛かった。

この曲名といい、内容といい、ジャケットといい、まるで3・11を指しているかのような歌だが、この名曲はその前の年2010年の作品。
自分は、肝臓を壊して、石ころのようになって、室内で立ち上がれず転がっていた頃、耳にしていた曲。そして、3・11の頃繰り返し聴いた曲。

このニコニコ動画のライヴでは、達郎さんにしては珍しく長い長い語りが入る。
そこには友人であるサザンの桑田氏のガンのことや、スタッフの自殺等が絡み合いながら、語らずには済ませられない、と言って話す。

音楽は何かの役に立つのか?
彼が自分自身に問うかのような独白が続く。
それは、かつて渋谷陽一さんのサウンドストリートが終わることになった回に語ったことと、自分の中で交錯する。

「蒼氓」から「希望という名の光」への流れ。
音楽は人に希望を運ぶ、しかし人を(社会的に)救うことは出来ない。
だけど、自分には音楽で何かを伝えるしか出来ないし、これからもそれは変わらないだろう。

人に不幸や絶望が降りてくることは、誰にも分からないし、それを回避できる手段・特効薬は無いだろう。
それでも、自ら死んではならないのだ。それでも支え合って生きていくのだ。

そう達郎さんは、珍しく熱く語る。
自らのことを言葉にしない彼が吐露した想いの発露に出会い、年々自由を手に入れると共にしんどくなっていく自分に何かを改めて言い聞かせた。

今夜贈るべき歌は自分にとって、彼の素晴らしいクリスマス曲ではない。

■山下達郎 「蒼氓(そうぼう)」1988■








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2014年12月24日 水曜日 2014年CD作成完了後

2014-12-25 00:31:46 | 音楽帳

迷いつつ選曲。それも時間切れ。これでは年を越せない、と思いプレイリストを作成。
昨夜、やっと生CDに焼いた。
兄とお袋へ2枚づつ。

選曲ははみ出してしまい、削りに削って、結果2つのCDになった。
夏に決断して買った新しい三代目パソコン。
そこに再インストールしたI-TUNESで、音のレベルを合わせ。
CDジャケットを印刷して、カッターでカッティング作業を深夜まで。

今朝、郵便で明日届けで出し終える。
凝り過ぎてしまうのは、神経過剰な人がいたる傾向。

まあ、ひとまず作業を終えたので、それでよしとする。

今日は、眠い中都内で仕事をし、午後地方へ。
夕方、都内にトンボ帰りするクルマは、高速で大渋滞。

しかし、その分、美しい東京の夕暮れに出会えた。
空を鳥たちが巣に帰っていく。

今夜のオヤスミ・ミュージックは、この2枚目のCDに入れたもの。
最近よくインターFMで聴いているうち、スルメのように味わっているお気に入りの1曲を。


■The Fin 「Night Time」2014■







夜の作業場。

小さく狭苦しい、雑多な空間。でも、小さな幸福があるひそやかな夜。
文字を書く小さいノートのミクロコスモス。
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2014年12月21日 日曜日 いそぎたくはないのですが、師走でごわす

2014-12-22 00:38:18 | 雑記帳

高速の下、周囲を針金で囲まれた場所で、ネコさんに出会った。
何やかんやといそがしい。どうもいけないね、これでは。
「いったいなんで、きみはいそがしいんだい?」と自分に訊いてみる。

今年再会できた人への贈り物を買った。それには、贈るカードが付いたほうがいい。じゃあ、どんな想いを書こうか。便箋はあったかな?

何年も親や兄に贈れていなかった自作CD。
もう長いこと選曲に迷っている。しかし、もう瀬戸際だから、と曲順を決め始めたが、どうもしっくりこない。

温度が下がってきたけどコートを着ていない。
その分、中に着込む上と下を買ったのだけれども、そのせいで湿疹が出てしまう。
かゆくてかゆくて仕方がない。どうすりゃいいかね?と思いつつ、乾燥肌もあるかもね。。。と何か保湿剤を、とうろうろするけど、迷った末なにも買わずに帰ってきてしまう。

ああ、部屋の掃除も出来ていないし、年賀状も書けていない。。。

昨日の土砂降りの水たまりが空と樹を映している。
なんだかんだと言いながら、その一方では、昨日土曜も仕事だったしさ。
などと言いつつ、上に書いたことは、どれもが仕事とは関係がない。
あくまで私的なこと。
どれだけ自由であっても、こんな時期には強要されるしきたりではなく、やりたいことが押し寄せる。

そう言いながらも、ちゃんと小旅に出てはその地・その地の風景を見て過ごしている。紙に向かっては、切ったり貼ったりしている。
「いそがしい」とは、まったく勝手なものである。

綾瀬橋からの絶景。
「やること」を、どうも高いところに置いてしまいがちな性分が顔を出す。
「根を詰めても、やることがうまくいく保証はないのだから。。。まあ、ほどほどにね」と言い聞かせて、納得させようとしている。

そんな今は、ラジオ深夜便を聞いて布団に入っている。
ペースを落とそうとしている。

■フィル・コリンズ 「この壁の向こうに(Thru These Walls)」1982年12月■
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2014年12月18日 木曜日 グッドバイ。。。クルエル・ワールド

2014-12-18 23:47:00 | 音楽帳

太宰先生だったか?あるいは誰だったか?
絶望に満ちた日には希望が見え、希望に満ちた日には何も見えなくなる。
そうだな、まったく。

ようく、苦しい場面で、ほの明かりが見え、一つ一つの何気ないものたちへのいとおしさが湧く。ヒトというのはそういう、身勝手な生き物。

朝、降りたつターミナル駅。(別に今日ではなく)
改札口から放出され、方々に散って行く雑踏。

お互いはアカの他人同士。なのに、一分一秒と駆り立てられ、
ざくざくばりばり競って仕事場に向かって歩く。
その者たちは、軍隊の行進みたいになって、社会=世界に連携している。(つもり)

そう見えた日は既に遠い。
過去、その光景は“まばゆく“”健全な世間人“に見えて、その反対側で弱りながら、おきざりにされる自分を責めたもの。

今では、この光景は“群れ”には見えるものの、軍隊と呼ぶには、あまりにちゃちでへっぽこで、とてつもなく安っぽい。
アメリカ経由で脳に埋められた“ビジネスマン”“キャリアウーマン”なる語句。
その対象品のつもりの人、も混じる風景。
先人たちが積み上げてきた知恵をコピペしてアレンジ。
それですら、“その気“でいたり。そんなことも浮かぶ。

そんな流れに、もはや怖れる必要が無くなった。
そんな類の人や、そんな人が描く人生像や世界像と寄り添う気がゼロになった。
今では相当自由になってしまった。

その行進から逸脱して、自由を楽しむ。
好き勝手に寄り道をし、回り道をし。

朝の駅を降り、まだまだある時間ならば、川のほうに向かう。
川沿いの空の広さ、水の流れ、みなもを揺らめく空。止まり木で風を感じる鳥たち。
川沿いの植物たち。お花。
そこにたたずみ、写真を撮り、思いふける朝。

デジタルデトックスだとかなんだとか。。。そんなデマカセ用語が聞こえる。
自らの意志でデジタル機器の電源すら切れない。
そういうヒトばかりが渦と成した首都中心。それが織り成す東京。
そういうキミにさようなら。それに釣られていた過去の私にさようなら。

先日、青木理さんが荻上チキさんの番組にゲスト出演した際、選曲した音楽が意外や意外だった。その曲は、中島美嘉さんの「雪の華」。
渋くダンディな青木さんのイメージとは離れた曲。なんでも海外(韓国だったと思う)取材をした際に、日本人向けのスナックのような場所で、女の子が歌っていたのがこの曲だったという。それがまだ残像として残っていることから、この曲を選んだ。

中島美嘉さんのこの曲は2003年の作品。
日本人離れしたみずみずしい雰囲気をたたえた中島美嘉さん。「雪の華」はとても好きな曲で、当時よく聴いた。
その約12年近く前、自分はまだ愚衆集団の恫喝下、呑み会にひきずり込まれることをゼロに出来ないでいた。そんな中、愚女が歌うへたくそな「雪の華」を聴かされていた。それに疲れ脳内汚染され嫌気が差し、次第に聴かなくなってしまった。

今月インターFMから「雪の華」が何度か流れた。今日も。
その中島美嘉さんを久しぶりに聴いて、何はどうあれ「中島美嘉さんが歌う“雪の華”」は、“なんて、はかなくも美しいんだろうか“と思った。(「中島美嘉さんが歌う“桜色舞うころ”」も愛している)
10月1日大改造が行われてしまったインターFMからは、毎日どうしようもなくチンケな日本語ソングが流れて、自分にとってのインターFMの価値は目減りする一方だが、それでもまだ聴いている。

雪の曲というと、今日の私の一曲はこれ。
しゃきっとする寒さがどんどんと空気を澄ませていく。風景はどんどんとクリアに見えてくる。
そんな冬の道を歩き、安物だが愛用しているmp3プレイヤーで、この曲を聴く先週から今週。

■スケッチ・ショー 「Ekot」‘03■






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2014年12月15日 月曜日 「ブルーマンデー。だけど、ポケットが虹でいっぱい。」

2014-12-15 23:57:16 | 音楽帳

パッチョくん
朝のラジオから「今日のお天気」が流れる。
「真冬の気温、東京は1℃。手袋・マフラー・コート等完璧な防寒対策を講じてお出かけください。」
室内は15℃、暖房を付けていない。「何を大げさな。」

最近では余り無かった鬱状態にある朝、そのもやもやするなかで必要以上に語気荒く、やかましく流れるキンキン声。無駄に明るいアニメ声がカラダに響く。
アナウンサー兼気象予報士・伊藤佳子は、声・話し方両方に、どうも駄目だ。

本当は、毎朝、TBSの長谷部愛さんの声を聞ければ良いのだが。
しかし、そうなった場合、心地良過ぎて再びまどろんでしまい、二度寝してしまうのかもしれない。

***

今朝は起きられなかった。目覚めてはいても、起き上がれなかった。
それは、昨夜呑んだお湯割りが効いていること、疲れが取れていないことに拠る。

眼鏡をどこに置いたのか?布団周囲に見つからず。
たいていはすぐに発見するが、今朝は一体どこへ?ねぐらで下手に動くと、潰してしまうこともあるので慎重に、目を細めてあたりを探索するが、眼鏡がある気配が無い。

そうだ、もう一本、前の眼鏡があったはずと手さぐりで、昨年まで使っていた眼鏡を発見。もう顔との装着感も度も違和感がある眼鏡。
しかし、眼鏡がないと何も見えない。

そうして発見した眼鏡は、なんてことない。座った場所の真横に在った。細い線状の眼鏡は、コンセントからヒゲのように伸びた黒い電気製品のコード類と並んで、そこに隠れていたのだった。

***

朝の空気を、さまざまなものに乱され、それまでの朝と違う歯車の中、能面で都心に向かう。
電車を乗り換えていくが、コートなど暑苦しい布をまとった者たちが、さらに「すまほ」いじくり領域/テリトリーを確保しようと個人個人がするので、今朝の電車は苦しかった。コートを着ながらタラタラ汗をかく者まで居る。何なのだ、この連中は。不愉快はさらに倍増する。

いつもはすっきりしている日が多い車内だが、今朝は人の数がやけに多い。
こちらはイヤホンで細野さんのクリスマスソング「Dec.25.1983」とYMO「サーヴィス」を聴き、赤瀬川原平さんの写真と文章で構成された「猫の宇宙」をめくる。

仕事をしながら伊藤園のおーいお茶、ティーバッグを飲む。
朝の知覧茶の旨さと比較にならない劣る味。
ペットボトルで飲むおーいお茶は美味しいのだが。やはり葉っぱで入れるお茶にはかなわない。

昼、お弁当とカップおそば。お昼だけ映るテレビからは、昨日の選挙を巡る話題。
自主規制した報道さんは「解禁」とお成りになられたようで、“テレビ議員“を招いて、ぐだぐだ。
私の話しもぐだぐだめいてきたので、音楽のお話しへ。。。

1984年発見した番組「日立サウンドブレイク」(東京12チャンネル)。毎週土曜夜23時を楽しみに生きていた。

その1984年、年の瀬が迫った12月22日の放送は、クリスマススペシャル。映像と音との組み合わせの妙を楽しむ、というこの番組ならではのキラメキ。
立花ハジメさんが創った映像や教授の可愛いイラストなど、少年の頃の夢を楽しいアートに替えて、名曲の数々と共にプレゼントされた30分だった。

1984年ノート
・・・と思って、帰って1984年のランダムノートをめくったが、記憶間違いで、曲名リストまではノートに付けていなかった。
かたや、それを収めた友人が録画したVHSビデオテープは、再生出来ない状態。

ということで今夜曲目紹介することはあきらめた。
黒人ジャズの曲が多かったが、とっても陽気でハッピーになれる曲ばかりが集まっていて、大好きだった。

そんな折、行き帰りにやっぱり聴いてしまったブライアン・フェリー。蜜の味。そこからタイムワープし、シナプスが連携した上で脳の中に鳴り出したのがプリテンダーズだった。
男っぽいアネゴ=クリッシー・ハインドのかっこいい「Don’t Get Me Wrong」。今日帰っての1曲目は、この曲。
そして、がさがさとパソコン内を探しているうち、あったあった、1981年さぶい夜の安息の一曲が。

■プリテンダーズ 「愛のパラダイス」1981■
この1981年の今ごろ、地下生活者のように受験勉強をする夜。毎夜この大好きな曲を聴き、ほんのスキマのささやかな幸福を感じていた。




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2014年12月14日 日曜日 ランダムノート

2014-12-14 12:53:53 | 写真日和

疲れが取れないからか?昨日歩いていて、どうも調子が悪いなぁ、と思っていた。
歩く道で、どちらに進むかやけに迷う。
ふだんはどうも思わず、すっと適当に進むのに。

今朝の寝起き、知覧茶を入れて飲みながら、一つ気付いた。
ああそうか。昨日、薬を服用していなかったんだ。
果たして今のカラダに、薬のアリ/なしが、意識や判断力にどう作用しているかは不明だが。

今年じゅうに目標だった常習薬ゼロ化になりそうもないが、確実に1日1錠までたどりついた。

安住さんのラジオを聞いていると、11時からのゲストは平井堅さん。
ユーモアのある方で、安住さんとの会話がえらく面白く興味深い。小学3年生の頃「ザ・ベストテン」を見て、久米さんと黒柳さんの間にはさまれるのが夢だったという。その想いは、毎週熱心に見ていた自分もよく解かる。

数曲入りのシングルをひさびさに出すとのこと。
電気グルーヴもそうだが、いくつもの作品を産み出した後は、そういうペースで良い。
前作からのタームの長さ、新しい曲数がたくさんあることは大事ではない。
その期間に思ったこと・気付いたことが一つでもあったら、その便りを曲としてしたためる、それで良い。
彼の特別なファンではないが、これからも待つ人に便りを送り続けることを願う。





寒くなってきたが、外を歩いて耳が痛くなるほどではない。そう思えば、寒さもまだまだ、といきがる。

寒さと耳というと思い出すシーンがある。1980年の今ごろ、夕ご飯の時間。居間のこたつの上に親が夕食を載せる向こう側。その一家に一台のポンコツテレビから流れる6時の民放ニュース。

その小さな画面に映る映像。
雪が降る中、ふかふかの帽子・手袋・耳当てをした母と子が立っている。
何かを言いながら、泣きぬれた子供をあやすお母さん。
ジョン・レノンが殺された日の記憶は、この映像と繋がっており、冬の寒さの中、外を歩いていると思い出すことがある。

■John Lennon 「Happy Xmas (War Is Over)」1971■
どう逆立ちしても、今日の選挙結果は分かっている。
「周囲から疑義が提示されたので・・・と選挙をしたけど、認められたんだもん」そんなガキみたいな話が成立してしまう今このクニ。

私個人は不愉快なので、今から投票に行くが、「信任を得た」と言いながら、更なる暴挙への一歩を踏み出すんだろう。
その延長線上で2015年が来るという流れ。その少し手前を、今生きている。

解散選挙としたこともアホらしいが、それを行使させてしまった諸条件がそろってしまったことは、異分子同士が話し・考え合う能力が、100%このクニには既に無いことの明確な現われである。

それはそれ。
クニがどうだろうが、私は私を生きる。それには変わりない。
























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2014年12月12日 金曜日 ランダムノート

2014-12-12 23:58:23 | スケッチブック

2002年12月デジタルスクラップ
テレビを見ない暮らしになってかなり経つ。ゼロというわけじゃないし、視たいものもあるけれど、その時間があったら、外を歩き、風の街に住まっている。

昔、親父(自分の父)に感じていた「古いヒトだなあ」的な、俗世間の「NOW(=今)」とのズレを感じることもない。それは自分が親父側に川を渡った、とも捉えれられるし”知らぬは本人ばかりなり”となるが、それでいっこうに構わない。
というか、あまり不自由を感じないのである。
ここ数年で、自分の暮らしも、元々目指していた半隠居・その範疇に入ってしまってスタイルが出来てしまったように思う。

とはいえ、色物に不足し、どん詰まり感にさいなまれることも多い。死がよぎることも含め。
ただそんな暗澹たる空気に包まれるいっときだけが不幸とも思えず、”今日はここに行ってきました!”などと観光自慢をするのをハッピーとも思えず、その手合いのサイトに”無理して、幸福ぶってる”と冷ややかな視線で冷笑一瞥をくれて終わる。

***

このあいだ、肝臓を壊す前に連れ立った呑み屋のおねえさんから電話が来た。数年ぶりだが、それも明け方で寝ていた時間帯。
起きて電話をする。久しぶりに話す。

どうせカネ儲けと客不足にあえいでの電話だろうと。しかし話せば、つい情が湧く。
だまされていると分かっていても、女のほうが常に一枚うわてである。

それを露骨には言わなかったが、外で会う約束をしながら、途中で破棄をした。
向かう道々、写真を撮り街の迷路を歩き、外気に触れているうちに、なんだかその感じの心地良さの流れを絶つことが出来ず、かと言って、それから会って、ぐだぐだ話してメシを喰って気を使えるだけのエネルギーも無いと判断した。

2002年12月デジタルスクラップ
ハヤリもの、がすべてシナリオ通りに運び、ほぼ分かったパターン上にある。
つまらない事象に大勢が飛び付き・騒いでる様から離れた地点にいるが、やはり不自由さは感じない。
というか、一応”社会”に半分足を入れていると、まわりが自分にいろいろ教えてくれる。
テレビを視なくても。

今日はお昼。いつもお弁当を一緒に食べるなかまと話していると。。。
話題は、今回の選挙に関してテレビはビビッて何も言わない異常さ、それに、”今年の漢字”一文字が「税」になったと教えてくれる。

私「ラジオじゃ、けっこう荻上チキさんなど、いろんな番組で面白い分析をしてるけどね。」
後輩くん「ラジオは、そういう規制外で自由さがまだ有って救いですね。」

先輩「しっかし『税』って。。。カネをめぐる生々しいものが一文字って(苦笑)。いかがなもんだろうか?」
私「あれ、お寺のお坊さんが筆で書くヤツでしょ?どうせなら、大作さんに描いてもらった方がリアリティがあるんじゃないですか?」
後輩くん「それイイですね、税金のがれしているから(笑)。」

メディアの誘導に”乗っかり”サーフィンをするよりも、街を歩いて川や高速の下で会うジプシーの人や、ネコなどをめぐって出会う島の人や、ごく一部のなかまと話しているほうがリアルであり、そこで得た情報のほうがどうやら正確な現実である。
誰がどう街でワルサをしているのかも一目瞭然である。

ほんとうは、こないだ会わなかったおねえさんとも話せば、フィールドワークとしても、より面白い収穫発見ができるのだろうが。
まあ、少しからだのあんばいとの距離を測りながら、気が向いたら連絡でもしてみよう。

■電気グルーヴ 「Baby’s On Fire」2014■
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2014年12月10日 水曜日 冬へ

2014-12-11 00:09:28 | 音楽帳

どうやら温度計の温度と体感するさぶさとは、一致しないものらしい。
室内温度計は11℃。
たぶん外のほうが温度は低いはずだが、むしろ外のほうがあったかいくらい。北風が吹いていない外と硬質な室内とを比較すればそうなるように思う。

朝5℃、夜8℃という今日。
やけに人から「そんなスーツだけでさぶくないですか?」と言われる日だった。
答えはいつも通り。
「いけるところまで行く」
「一回着込んだら後戻りはできない」
「今からさぶいのを認めてしまうと、本当の寒波が来たときに越えられない」

だが、そう言えるのも今日であって、金曜始まった寒さへの移行は、いいかげん「冬」を認めざるを得ないなあ、と思い、日によってはしんどかったのは事実。

昨夜ついにハロゲンヒーターを初めて点けた。
今朝起きぬけも。

昨夜、山里さんが出る火曜たまむすびを掛けながら寝た。
その痕跡である、点けっぱなしのパソコンがそばにある朝だった。

お湯をそそぐと濃厚な味がすぐににじみだす鹿児島の知覧茶。
今一番好きなお茶を呑む朝。その幸福。心身のしんどさを越えて勢い付けするのは、そんなお茶と朝風呂。そういう日々の師走。

まだ何も終わってはいないが、よくもこんな師走まで自分が辿り付けたな、という実感が今ある。また数年前感じた「時節感がない」というのも、今年は感じていない。

今日の行き来、帰ってから聴いた音楽。
細野さん「ヘヴンリー・ミュージック」より、スケッチ・ショー、U2、赤い公園、ゼルダ、キング・クリムゾン等々。

それはそれとして、さぶい時期に温まる曲を一曲、今夜も。

■アソシエイツ 「パーティ・フィアーズ・トゥー」1982■
アソシエイツを初めて聴いたのは、1982年6月ごろに始まった『スタジオテクノポリス27』。
ピーター・バラカンさんとアッコちゃん(矢野顕子さん)の番組第一回目。
この日に掛かった曲は「クラブ・カントリー」で、未だ名曲だが、そんな1982年の暮れの総括で、この年の作品をまとめたカセットに入れて聴いていたのが「パーティ・フィアーズ・トゥー」。

今まで紹介せずに来たが、忘れてはいない。
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