こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年5月30日 土曜日  「初夏のサウンド・10 とある先人との出会い」

2015-05-30 04:00:33 | 音楽帳

とある先人と話していた。先人の語り口に導かれる。
「役所的」「公務員的」という言葉。悪く言われることが多いが、例えば役所に手続きをしにいく。
詳しくない者でも①→②→③→・・という段階に従っていくと、手続きを終えることが出来る。

あるいは過去・日本の先人たちが作ったJIS規格。
このルールに従って行くと、お互いがちゃんと組み合わさって品質を満たすモノが出来上がる。ISOはせっかく作り上げたJISルールを壊すもので、国際化とは体の良い言い方だが、目的は品質の悪いモノを参入させるための手続き破壊。これによってモノ作りはガタガタになってしまった。

ルールを馬鹿にする、破壊・革新という物にヒトは夢中になるし、僕自身もそうなることは多かった。
肯定と否定みたいに何事も二項対立に構図が行きがちだが、そんな目くらましにあって視えなくなってしまう色メガネを外して、それを俯瞰できる丘に立ちたいもの。しかし、その余裕がないから二項対立に巻き込まれてしまう。

昨年から今年に掛けて仕事上の法律を作る中、毎週先人との対談を通じてたくさん示唆に富んだ話しを聞くことが出来た。目からウロコが落ちるとはこのことで、奇妙な思想に洗脳されて視えなくなってしまった視線に気付かされた。

僕は仕事上の法律を「作らされる」強要から、自発的に作るほうに心境が変わる。
そして、チェックされるために毎週この先人に会うことが楽しみになっていった。
ウィットに富む語り口に「では、これについてはどうお考えですか?」と仕事もそれ以外も含めて投げかけ、返ってくる答えに教えられる。

そんな片方では「最近、ネット販売で自撮り棒買ったんだけど」とこのメーカー品はどうこう・・・と笑わされる。過去からの広いモノ作りのフィールドを知った上で、いつも子供のような好奇心を持っている先人には敵わない。多様な話しをしながら、モチベーションという欺瞞語じゃない形でそれぞれの自発性を促しつつ、思うような方向にその者の行動を導いていく。
こういった人こそが上に立って指導すれば良いのだが、筋肉馬鹿やナチスが現実に成功させたワンフレーズ洗脳を真似した者が、チカラのみの世界に染め成していく。教えてもらったこの先人も、その濁流の下追いやられる結果となった。

懇意に話せる関係でもなく、真意を計り兼ねてウワサ話から怖がり距離を置いてきたので、貴重な経験だった。
何も今になって・・・という想いもあり複雑だったが、先人は自分が去る前に、と伝えるためにこうして自分に話してくれている、その裏の意味も分かっていた。

ルールには良い面と補正して変えていくべき面がある。
しかし良いルールは破壊せず永遠に大事に。
先人はそう直接的には言わなかったが、実際はそう言っていた。

深夜、地震があり暗闇で起こされる。
すぐラジオを付け、周波数をNHKラジオに合わせる。
各地の震度と詳細を告げている。


■ララージ&ブライアン・イーノ 「メディテーション ナンバー1」1980■

起きたら眠れなくなり、深夜これを聴いていた。
1983年夏・イーノがラフォーレミュージアム赤坂におけるインスタレーション展で来日したことを想い出す。展覧会場にはうっすらした灯り。その暗がりの中、広い場にタテ置きされたテレビ画面から発光する画面。テレビモニターは離れたあちこちに配置されている。

それぞれの場所に行くと、マンハッタンの建物とその上の空がゆっくり流れていく様。日光が差した場所をひたすら映した画面。あるいは超スローモーションで変わっていく女性の表情。
1つ1つ置かれたテレビ画面は、1つ1つの絵画になっており、各地点にイーノのアンビエントが静かに流れる。

空間を歩いていくと、地点によって鳴る音は変化していく。僕と友人は歩いては止まり、そこに座って佇み、ゆっくりと変化していく音と映像の中に漂っていた。






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2015年5月26日 火曜日 「初夏のサウンド・9」

2015-05-26 23:58:45 | 音楽帳

午後夕方から夜にかけて、仕事と個人的事情から鬱が襲ってくる。
PC文字がゲシュタルト崩壊しそうになり、吐き気を抑える。

蒸し暑い帰り道、ねばっこい暑さ。グレー猫は風通し良い場所で寝ている。
だんだん何もかもがどうでもよいほうに傾斜していく。
街や社会のオキテ外側に失踪したい。

帰路、イーノ「空港のための音楽」を忠実に演奏した楽団のCDを聴く。
昔、渋谷陽一さんの文章に、イーノの環境音楽を仕事場で掛けているとよく周囲から怪訝な顔をされる、というくだりがあった(気がする)。こちらもその意外性に驚いたが、なぜ渋谷さんがイーノ版「家具の音楽」を掛けていたのかは謎のまま。

「私にとってのイーノ」は別として、たまに一側面に基づいて絞られた音に白痴になりたくなる。
言葉・論理・システム・概念・・・そんなたぐいの外側に行きたい。失跡したまま戻らず、そういう境地へ。
意味があるとか無いとかどうでもいい。
アブストラクトな世界にひたりたくなる。
その場合は、たいてい脳がイタズラしている窮地。
現実の苦しみにガッチリ押さえ込まれた手術台のように。

幼い頃、夢遊病だった。親がよく言う昔話からではなくて、そのときの記憶はある。
深夜、寝床から立ち上がり、親が寝る部屋前の廊下を歩き、風呂場前に行く。
『お兄ちゃん、はい、これタオル』
弟は兄の風呂上がりのタオルを渡しに行く。誰もそこには居ない、そのはざまのシーン。此の世と彼岸の境界線。

帰宅後米研ぎ、皿洗い。
レコード少し整理すると汗だく、室内の方が暑い。

■一風堂 「Listen To Me」1981(詞:糸井重里/曲:土屋昌巳)■






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2015年5月25日 月曜日 「初夏のサウンド・8 まぶしい季節」

2015-05-25 23:39:53 | 音楽帳

昨日深夜に夜襲アリ。遠くの先輩(というより友人に近い)から電話。
つい不安がよぎって出ると、なんてことない。ただの酔っ払い。それに付き合っているうち、3時を回る。驚いたのが、もう4時前には空がブルーになり出すこと。地球は回り、季節は移ろう。

そのせいで今日はしんどい一日になった。
土日の歩き過ぎに睡眠不足がプラスされ、朝珍しく寝坊。必死こいて仕事場に向かう。朝はギラつく太陽。午後になって曇ってきたが、地面から突き上げる久々に大きな地震。
そこらじゅうで携帯電話がビーッビーッと緊急音を鳴らす、悪しきハーモニー。

そこから頭痛が始まり、比較的早めに仕事を上がる。まだ電車ダイヤは乱れている。
空には怪しげな三日月と流れる雲。
帰るとトランクス一丁・汗だくで、段ボールから傷んだマンガをひっくり返しながら、ラジオを聴いていた。あちこちで人身事故が起きている。

***

好きなマンガはたくさんある。
幼少の頃・白黒テレビで見て、いつも抱いていたQちゃん人形を想い出す。当時抱いていたぼろぼろのQちゃんは白赤反転していて、赤いQちゃんだった。あれはまがい物だったのだろうか?

今日箱から出てきたのは、どちらかというと90年代前半・大阪で読んでいたものが多かった。「鉄人ガンマ」は、不器用なガンマの人柄もだが、太陽のように明るく美しい妻・オシリーナの天真爛漫さとグラマーさが好きだった。

しかし、それよりなにより・探していた「ストップ、ひばりくん」が出てきた(全4巻)。
連載途中でノイローゼになり、途中中断をごまかしながらも最後は尻切れトンボで終わった作品。
このマンガで江口寿史が描く女の子のイラストは、独自のワールドを創っていて、後にそういったカットを集めた本が出た。マンガ自体も面白いのだが、女性のような男の子・ひばりくんの可愛さとマンガ冒頭ページを飾るイラストは当時も今もまぶしい。

私にとってこのマンガが特別な理由は、もう1つある。
「すすめパイレーツ」同様ミュージシャンが登場したり、描きながら聴いていたレコードなどがコマ割りに顔を出すところ。
このマンガが、80年代音楽の一番輝かしい1981~1983年連載だったゆえ、今でも大事な4冊となっている。

■坂本龍一&カクトウギ・セッション 「サマー・ナーヴス」1979■










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2015年5月24日 日曜日 「初夏のサウンド・7」

2015-05-24 13:14:03 | 音楽帳

昨日も青空だった。ラジオと音楽を聴きながら歩いた。
mp3プレイヤーの一部をいろいろ入れ替えた。次から次に風景が立ち上がり、次から次に音楽が現れる。
■昨日現れた音楽プレイリストの一部■
1・テイ・トーワ&高橋幸宏 「Radio」
2・エブリシング・バット・ザ・ガール 「イーチ&エブリワン」
3・フラ・リッポ・リッピ 「カム・サマー」
4・チャイナ・クライシス 「エブリデイ・ザ・セイム」
5・ゴンチチ 「ココナッツ・バスケット」
6・バナナラマ 「シャイ・ボーイ」
7・ディープ・フォレスト 「パシフィック」
8・パールフィッシャーズ 「We're Gonna Save The Summer」
9・スタイル・カウンシル 「ロング・ホット・サマー」
10・ファン・ボーイ・スリー&バナナラマ 「エイント・ホワット・ユー・ドゥ・イット」
11・デペッシュ・モード 「Shine」
12・チャイナ・クライシス 「No More Blue Horizon」
13・細野晴臣 「四面道歌」
14・マドンナ 「Open Your Heart」
15・チャイナ・クライシス 「When The Piper Calls」
16・ゴンチチ 「南方郵便船(サザン・メイル・ボート)」
17・スタイル・カウンシル 「ヘッドスタート・フォー・ハピネス」
18・ファン・ボーイ・スリー&バナナラマ 「リアリー・セイング・サムシング」
19・ゴンチチ 「ヌーン・フライト」
20・ニック・ヘイワード 「夢見るサンデイ」
21・坂本龍一 「Living In The Dark」(左うでの夢)
22・ロバート・フリップ&アンディ・サマーズ 「ニュー・マリンバ」
23・スノウ・エフェクト 「Joy Toy」
24・ドゥルティ・コラム 「Never Known」
25・コクトーツインズ 「Aloysius」
26・チャイナ・クライシス 「Red Sails」

聴きながら改めて気付くのは、自分とチャイナ・クライシスのフィット感覚。
みずみずしく優しい彼らの音は四季折々聴くけれども、今から夏に聴きたくなる曲が多い。

■China Crisis 「Singing The Praises Of Finer Things」■


















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2015年5月20日 水曜日 「初夏のサウンド・6」

2015-05-21 00:12:37 | 音楽帳

今夜は遅い帰路になった。頭が痛い。
帰路途中の公園でキジトラちゃんと会えた。でも、カリカリを忘れたことに気付き・再度もって来る元気は無く、上げる食べ物も無く、気まずいまま帰った。

ひさしぶりの仕事上行き詰まりピンチで、しばらくは夜遅くなりそうだ。
そんな残業を過ごしたら頭は痛いわ、しんどいわ。毎夜遅かった日は遠い過去なのである。

この数年で激しく環境と暮らし方が変わった。
頭痛の中、今一度俯瞰してみると、それなりに過去は仕事人間だったのである。

たまに、昔作った資料が紙の山から出てきて、しげしげ読んでしまうことがある。それをめくっているうちに、まるで他人の資料を見ている気になってくる。ああだのこうだのクダを巻き・やさぐれては他人に噛み付いたのも含めて、随分と闘い頑張っていた過去の抜け殻が資料から見えてくる。
それは、今居る自分と立ち位置は異なる。周囲の人が、未だ責任を背負い舞台から降りることも無く、仕事中心で走っている姿が見える。

『喰っていかなきゃいけないからさ』と言う人が居る。
ほんとなのか?と常々疑問に思う。
汲々とした若い時期はそうだろうが、もう数十年走った自分は今そうは思えない。
自分の心身への不安から、爪に火を灯すように耐えたおかげで、ある程度の備えはある。
極論・物々交換や廃棄される弁当食べたりしてでも生きて行く自信は多少なりともある。

『お前には養うべきカミサン・コドモが居ないからだ』と言う人は居たが、今その者は居ない。
こちらも、一緒に寝起きしメシを喰い、一緒に居ようとしたヒトとの暮らしは何度かあったが、舟に揺られてどんぶらこ・・・。何かを想定してココに舟が着いたわけでもない。
それでも今も、しょっちゅう恋に囚われ、時には好きなヒトと時間を過ごしたりもする。

よく思うのだが『お前には養うべきカミサン・コドモが居ないからだ』となぜ怒りながら言うのか?不思議でならない。自ら好き好んでそうなったのに。
仕事も似た面があり『会って街を歩こうよ』と言えば、「行きたいのは山々なんだが、あと数ヶ月は今仕掛っている仕事があって、それが一段落したら・・・」。彼はいつもそう言う。
不可避な状況は生きていく中であるものだから理解するのだが、それがずっと続く。これは随分と事情は異なるなあと思う。

この人は、まだ先が長いと思っているのだろうが、そんなモードはもう今の自分には無い。
そんなことを言っているうちに・・・だから、思ったら出来るだけその想いが消えぬうちに、要望に沿うようにしている。

なぜ産まれてきたか・・・なぜ生きるか・・・そんな壮大なテーマは今思ってない。
戦争や有事に追われる人々は、そうは言わないだろう。

ほんとは、現代呼ばれている「仕事」抜きで過ごせるならばそのほうがいい。
必要最低限のものさえあってお腹さえ満たせればそれで充分なはず。それでも「無事」が続くと、人は高望みしようとする。私もそうなるから同じである。

しかし、カネで精神は満たせない。
精神はカネがあろうが/なかろうが、満たされる保証はない。

先ほど挙げた友人のように、ひたすら仕事に追われる愚痴を訊くうちに、こちらもストレスがたまり、つい「何のために産まれ・何のために生きてるんだ」と言う。そこから口論になる。

何のため生きてるか?
を今・問われたら、美味しいお酒を飲んだり、すがすがしい街を歩き・美しいものを観たり、音楽を聴いたり。。。そんな喜びを味わうためだろう。

こんな偉そうなことを言いながら、それでも今からしばらくは忙しさに巻き込まれるだろう。
それでもお前はそう言えるか?
そう言える保証はない。
そんな欺瞞と自己矛盾を抱えながらも「まあ、ほどほどにしなさい」とある人に言われた言葉と安心感を呼ぶ言い方を想い出しては、自らを安心させようとする。

これで今夜を終わるには満足行かないので、1982年の音楽チャートでも記すべし。
◇ビルボード・トップ10 1982年5月22日◇
1・ポール・マッカートニー&スティーヴィー・ワンダー 「エボニー&アイボリー」
2・リック・スプリングフィールド 「ドンド・トーク・トゥ・ストレンジャー」
3・シャーリーン 「愛はかげろうのように」
4・トミー・ツートーン 「ジェニーズ・ナンバー」
5・レイ・パーカー・ジュニア 「ジ・アザー・ウーマン」
6・ポール・デイヴィス 「恋人たちのメモリー」
7・ヴァンゲリス 「チャリオッツ・オブ・ファイアー」
8・ヒューマンリーグ 「愛の残り火」
9・ホール&オーツ 「Did It In A Minute」
10・クール&ザ・ギャング 「Get Down On It」


高校に上がって知り合いになったセミくんと、この頃一緒に映画「炎のランナー」を観に行った。そんな彼とこの連休に会った。今度会ったらこの映画の話しをしようと思う。

映画「炎のランナー」のサウンドトラックは、ヴァンゲリスの名前を世に広めた仕事。
この初夏の今頃、渋谷陽一さんの「サウンドストリート」からエアチェックしたジョージ・クリントンやファンカデリック/パーラメント、オルタード・イメージ1stアルバムと共に、「クロスオーバーイレブン」からエアチェックした「エリックのテーマ」「アブラハムのテーマ」などを一緒にしたセレクションテープをよく聴いていた。

■Vangelis 「Chariots of Fire」1982■
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2015年5月19日 火曜日 「初夏のサウンド・5」

2015-05-19 23:59:47 | 音楽帳

それなりにコトがまとまらないと次に進めないのが自分の悪いところで、そのため仕事では「任せることには安心しているが、スピードとなると・・・」とよく言われる。そう言われても昔みたいな落ち込みもしないし、だからと放り出すこともしない。仕事なんかどうでもいいと言いながら、それでも工夫は自分なりにしている。まあ、そこでかろうじてのバランスと社会への引っ掛かりを持てているような気もする。

別に暗い気分ではない。ごくごく普通の夜だが、どうもしっこりこない。
わだかまりがあるまま一日過ごした。遅くやってきた五月病かもしれない、と世間用語を使ってみたりする。この正体を内観すると、6月になっていないのに30℃近い蒸し暑さ・陽気に起因している。それだけが理由ではないのだが、砂を噛むような掴みの無さがある。

水の花・アジサイは育ち始め、ドクダミも花を咲かせ出した。
多摩を営業していた十年近く前の頃、この季節(実際は6月だろう)に顧客クレームでJRと路面電車を乗り継ぎ、鎌倉を歩いた時を想い出した。雨降りの一日で、路面電車のそばにアジサイが咲き乱れ・駅前は平日なのに人がたくさん居た。年齢層は広く、リュックに帽子、それにウォーキングシューズといういでたちの人が多かった。しとしと降る雨が風景を抒情的にしていた。

土日も長々と歩いた。
ぎゅーぎゅーっとmp3プレイヤーによりどりみどり・思い付くままにCD等から曲を詰め込み外に出たが、音楽よりもっぱらTBSラジオを聴いていた。
土曜はこのところ聴けていなかったジェーン・スー氏の番組まで、うろつく闇にシャッターを切りながら歩いた。珍しい日だった。

久米さん&堀井さん~宮川賢さんの「パカパカ行進曲」までは大好きな流れであり、聴きながら歩いているとよく幸福感が舞い降りるので、その時間と通過する場所を無意識に選んでいたりする。その後も好きな番組は続くが、ここで音楽に切り替えすることが多い。

土曜も日曜も歩いてそれなりの発見や良い時を過ごしたのだが、底のほうにはわだかまりが沈殿しているように思えた。そこには陽気のせいも・女性との微妙な距離もあるが大抵歩き出したら、何もかもが吹っ飛んでしまい目の前と耳以外は忘れてしまう。
しかし、この土日+月火は歩くさなかも絡んでくるものがある。

今夜は帰路、適当に電車に乗り・思い付きで適当に降りて夜の街をほっつき歩いたが、ねばっこい汗が出てきてしまう。歯車が合わない。写欲も湧かないのでシャッターもあまり切らないでいた。

このジメジメした季節への対処には・・・というレコード評で今夜想い出すのは、共に1984年のアズテック・カメラ「ナイフ」やエコー&ザ・バニーメン「オーシャン・レイン」。しかし想い出すのは、評を書いた人の語り口の素敵さの方で、レコード自体は愛していない。
この土日用に入れ込んだドゥルティコラム、ウィークエンド、パールフィッシャーズ、バナナラマ&ファン・ボーイ・スリー、ロバート・フリップ&アンディ・サマーズらは耳には流れるのだが、そこにも距離を感じる。
それらは、もっと後の時期・カラッと晴れた日なら心のほうが自然と開くのかもしれない。そんなもやもやした中でも、体内感覚に近かったのはコレ。であった。

■エレクトロニック(ジョニー・マー[元スミス]&バーナード・サムナー[ニューオーダー]) 『ゲット・ザ・メッセージ』1991■










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2015年5月15日 金曜日 「一個人の音楽覚書~80年代後半から90年代の追憶~2」

2015-05-16 01:14:36 | 音楽帳

乗っていた車は、荒野の一本道でガス欠になってしまった。
誰かに連絡を、と四苦八苦してみたが、結果どうにもならないことを知る。
果てしなく続く道を歩くこととした。そこから長い旅となる。
歩いても歩いても風景が変わらない。

こんなアメリカ大陸の風景を描写されることは多い。
しかし、未だアメリカ本土に行ったことは無いので、その広さを肉体を持って感じたことはない。
自分は、小旅と呼びながら大阪・東京を中心とした場所をくまなく歩くばかりで、あまり遠くへ行きたいと思うことは少ない。実際、旅好きみたいにあちこちの土地に長時間交通を使ってまで行くことは少ない。

閉所恐怖症の反対に広場恐怖症というものがある。一番話しが伝わりやすいのは、有名な画家ムンクの「叫び」の風景である。私は両方経験して「こなして」来たが、いつ何時再発するかは分からない。しかし、そうはならないだろうと思っている。もっと別のカテゴリーを作って欲しい。

神経症や精神疾患で「これは○○症候群」という言葉があり、状態をポジショニング・確認する目安とはなるが、それらは全て80年代後半以降、使用言語として定着させるべく現れたものと記憶している。
いまや「神経症や鬱病は特殊な病気ではありません」というコピーの下、さまざまな用語が一般化したが、それらが成した四半世紀の流れが、経済活動そのもの・クスリを巡る世界的洗脳活動だったと、身に染みて分かったのはここ数年のことである。

「かるーい気持ちでクリニックに行って、クスリもらえばいいよ」
精神的不調を抱える人から相談されると、そう一般人が言うほど「カジュアル」かつ「ポップ」になった精神を巡る問題は、シャブ同様クスリから離れられないことに始まり、中毒を経て、犯罪・殺人へと至る。
抗精神剤を解放したがゆえに、逆に問題をややこしくしてしまった。

***

そういう自分も抗精神剤をクチにしたことのある「汚れ者」である。今も完全撤廃出来ていない。
自らの意志で精神を解決すべき、と思っていた既成概念をあきらめ、クスリを服用したのは1987年のこと。
80年代をよく自分の中で3つに割るのだが、その中では80年代後期、私はクスリをクチにしながらリハビリテーションしていた。(「リハビリテーション」と書くと、いつも幸宏さんの『天国からの中継』に入った曲を想い出す。)

今では世に「バブル」とよく呼ぶ時期なのだが、それも過ぎてから聞いた用語。
実際にバブル状態にある頃、自分がそれを享受して「ああ、バブルだなあ」とか「バブルって”いいね””いいね”」など思っていなかった。つまらんクリックも、その道具すら無い。そもそもアルバイトはしても定職についていなかった。

ただ、ひたすら街がひどい破壊のされ方をしていることだけは分かっていた。行く街の先々で「ごっそり街ごと消えて行く・無理矢理」は目にしていた。だが、それは80年代中盤から既に始まっており、もう自分が想う東京は全て消えてしまうのではないか?という恐れはそれより前からあった。

***

80年代後期は既に言ったように、ぽっかりクチを広げた味気ない白いくもり空がある、という感覚。そういうと「それは病のせい」と言われるかもしれないが、そんなフィルターは掛かっていない。いったい、此の世はどこにすすむのだろうか?と方向性を失った空気がたゆたっている風景だった。
それを宮台(真司)さんは「終わりなき日常」と、核心を突いた表現で掬い取った。

その後、世間様も自分もイロイロあって、私は90年代アタマに「バブル」余波の残る大阪に行き、90年代上期を過ごし東京に戻った。今でも覚えているのは、大阪で住んだ梅田近くから建築中の「スカイビル」のクレーンが見え、その大きさに異様さを覚えた。

1996年なにごとも知らずに戻ったら、5年居ない間に冷え切ってしまった夫婦関係みたいに、よそいき顔になってしまった妻=東京の姿。仕事で初めて、東京ビッグサイトに行ったとき「新橋からモノレールがあるよ」と同僚に言われ、そのモノレールに乗ったとき、窓の外の風景に途方に暮れた。
自分はいったいどこにいるのか?水平線あたりまでかすんだ一変した風景のなかを、小さな船が何隻か航行していた。写真で収めなくても肉眼で味わったショックがあった。

三島(由紀夫)さんの処女作「仮面の告白」、最終作となった「豊穣の海」をまたぎ、海を船が航行する風景描写があるが、それを想起させながらも全く意味合いは異なる。
この手合いの喪失感は、幼い頃からなじんだ感覚でもある。「無常」という言葉があるが、東京で産まれ育った者にとっては、越えていかねばならない試練とは理解出来ても、メーターが振り切った。

***

最近その感覚(バブルと言われる頃の)がよみがえったのは、2020五輪に向けて浄化活動激しく、どこを歩いても好きだった場所がごっそり抜け落ち始めたことに因る。それも、数週間前通過するとあった風景が無くなっている。いくら五輪反対と言っても、何一つとめられることはなく、東京は消える運命にある。
ちっぽけな反対意志は変わらぬまま、ひたすら歩く。

■Talking Heads 「Road To Nowhere(どこでもないところに向かっている)」1985■

今日の帰途

TOKYO NUDE 1989 荒木経惟

まみちゃん 1998年1月雪の日。愛用レコードプレイヤーを占拠。





東京物語 1989 荒木経惟
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2015年5月14日 木曜日 備忘録:エレジア

2015-05-15 00:17:04 | 音楽帳

朝の道や帰り道。そこで最近新顔のネコさんに出会うのが楽しみだったりする。
まだ若いグレーちゃん(ロシアンブルー)それに産まれて数か月のチビちゃん(アメリカンショートヘア)のふたり。
たぶん誰かが飼っているのだろうが、しょっちゅう道で遊んでいるので、出くわすと一緒に遊ぶ。

ネコは飼う/飼われる関係から放たれた自由な存在。そのことをよくわかった飼い主(仮)だ、と感心する。
今日、朝は会えなかったが、夜遅くなってしまって頭痛がするときに出会う。
チビちゃんはすばしっこいので、夜ゆっくり写真に撮ることは不可能だ。いっときもじっとしていない。
かれらが今夜出くわした天使となった。グレーちゃんはすっかり寝ている。

昼30℃超えになった暑さは夜すでに去り、心地良い風が吹く野外となっている。
都心のスキマのはらいそは、いきなりおとずれる。

島に戻る。歩くと露地のあちこちから夜遊びするネコさんが顔を出す。
いつもの公園に近づくと、クロちゃんは今夜も遠出している。暗闇を通してわずかばかりその外形を確認できるが、シャッターを向けたとしてもただ黒いモヤモヤだけが映るはずだ。

遠い空に星がまたたいている。狭い露地をめぐり空ばかり見ながら、暗闇を歩く。
イヤホンから聴こえてくるハロルド・バッドの音の響きは、森や街頭に浮かび上がり揺れる様と合成され、脳内で幻覚じみた揺れ方をする。
光のあるところを過ぎて暗い個所が現れると、天地が逆転し・深海みたいに見えてくる。暗がりには、心地良い日も/寂寥感満つる日もある。

今夜の島のクラクラ感は、前者の心地良さがある方なのだが、それでも感覚は、夜の草加遠隔地を放浪していた十代終わりと重なる。
あの子も、こんな闇を歩いたんだろうな、不意にそう思った。山を捜索する人の絵ずらが浮かんだ。勝手に自分が味わった過去の終わりの風景と繋がった。脳で考えた善悪や常識を超えて、単純に・自動的に繋がった。

***

帰って分かったのは、先月千駄木の古本屋さんで偶然ピピッとして買い、読みかけで積んである小説が刷り込まれていた。吉村昭さんの遺作になってしまった「死顔」。その短編集1つ目の「ひとすじの煙」からのものだった。
たぶん吉村さん自身の経験と思っているが、若くして大病を患い、術後の静養に湯治場で過ごす少年の日々。そこでの四季の移ろい、そしてその宿に寄る周囲の人々の様にじっと目を凝らした描写で出来ている。

山を捜索しているシーンの想起理由は、それ以外でもある。
こちらから話すつもりはなくとも、わけが分からないまま亡くなってしまった、あの元気なあの子が目の前から唐突に消えてしまったことから、仕事上でさまざまな人と会うと「いったい・・・」と水を差し向けられる。
その上昨日は、どうやら自死だったなどということまで聞いてしまう。なおいっそうわだかまる。真実は本人のこころしか分からない。

***

そんな夕方呼ばれて、打ち合わせ。
明日、ぽっかり空いてしまった仕事上の穴埋めに向かうことになった。遺されてどうして良いか戸惑っている人の手伝い。
その資料をめくりながら、理解できない量の業務内容を知り、こちらが今度戸惑う。こんなものを引き継ぎされたかと思い、勝手な想像は、それを受け取った側のあの子の戸惑いとパニックを勝手に想像する。

私は自分に対して人嫌いだと言い聞かせ、人や社会よりその外側に居る人と生き物にフォーカスしてきた。逃げというならば逃げである。いくら頑張っても想いが貫通し得ないことに業を煮やして、そういう生き方にすすんだ。間違いとは思っていない。
しかし、遺されて困っている人たちの中にとある顔が浮かび、そうは言えども好きな人が居たら捨て切れない感情はまだあるんだなと自己確認した。

相も変わらず暗い、と思われても、これが私の今日一日の記憶と刻印である。

そんな今日、聴いた音楽のなかから1曲を選ぶとすれば、インターFMから流れ出たボブ・シーガーの「月に吠える」。これがデイヴ・フロムさんの番組ではなく、朝のヴァンスKさんの番組だったのが、実に意外だった。

■Bob Seger 「Shame On The Moon」Dec.1982■
正確には、ボブ・シーガー&シルバーブレットバンド。LP「ディスタンス」はジャケット写真が好きで、このシングルが好き・・・という理由だけからLPレコードを持っている。この作品からは「イーヴン・ナウ」というヒット曲もある。その曲はあまり好きではなかったが、夕焼け好きな自分にとって、このジャケットにはそそられた。

どうしてこの曲(月に吠える)が好きだったり、このレコードを持っているか?と辿ると、いわゆるロックとか汗臭い音楽への嫌悪克服のために、当時自分に「それでも音楽を聴く先は長いのだから」とロック聴取訓練を自らに課していたことが想い出される。
日々、テクノ/ニューウエイヴ音楽のシャワーを浴び続けるうち、ロック的な音楽のツボや聴き方すら忘れてしまっていた。

「いくら無理して聴いても駄目だ」という中、ベストヒットUSAからこの曲が流れた。
カントリーとも言い切れない味と夏の夕暮れ後のたゆたいを思わせて好きになった。当時、眠れない深夜にはAMラジオ・FENを聴き、エアチェックしていた。そのカセットは1本だけ残っている。

今度、こないだやっと買ったラジカセで聴き起こせたら、そのプレイリストを書いてみたい。

「・・・クレイジーに突っ走る奴
ゆっくりと進む奴
行きたい場所をまっすぐめざす奴もいれば
どこへも行かない奴もいる

真夜中のせいにしたらいいさ
月が出ていないからだと言えばいい」(月に吠える)  訳:内田久美子

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2015年5月13日 水曜日 「初夏のサウンド・4」

2015-05-14 00:22:44 | 音楽帳
果たして”初夏”なのだろうか?昼は室内の温度計で28℃近くまで上がり、帰った夜の室内計は26℃を表示している。外の風はまださわやかだが、この分では30℃以上まで上がった場所もあるだろう。

唯一テレビを見るお昼に、天気予報士の森さんはこの夏は冷夏と言い、番組を仕切る芸人は・わざと念を押す「そう言いましたね」と。それがこの番組定番の流れであり、人柄のよい森さんは結果が言ったことと異なるといじられることになる。それがお笑いを誘うというのだろうが、何だか公開いじめのようで身につまされて好きになれない。

ココまで書いたところで、ガタガタ家が揺れる。地震だ。(中断)

***

今朝実家の親からの電話で「そっちはどれくらい揺れた?」と言われる。
「気付かなかったよ」と話すと、東北で震度5だったらしい。今夜先ほどの地震は茨城震源で震度3。それでも点けたTBSラジオでは何も言わないのでNHKに変える。

昨日は台風が迫り、夜は土砂降りと強風。海の向こうのネパールは大地震が繰り返し起きている。「初夏のサウンド」と書いたとたん、まだ5月も半ばというのに見事に裏切られる。此の世はカオスに満ちていて、予定調和などどこかに吹っ飛び、不意打ちを喰らう。

今日は、1982年春から初夏の流れに聴いたPモデルの新譜が昼に想い出されたが、書こうとパソコンの前に座るとこんな具合で、そんな気分は吹っ飛んでしまう。暑い室内から、実は早くも裸族になり、うちわであおいでた。3月以降止まらない湿疹がまだ収まらないせいもある。
その湿疹は、昨日行った医者から「乾燥性のもの」と塗るクリームを出してもらったが、今夜もかゆみから血が出るまで掻いてしまう。

***

今夜は少しでも涼しげな音楽を、という想いに移ろって行き、Pモデルと同時期出会ったヘアカット100の曲を聴く。この82年4月にFM東京16時にはじまった『トロピカル・フィーリング~貿易風の彼方から~』で紹介してくれた南洋の音楽を想い出す。
その番組では、レゲエ、ブラジル、カリブ音楽等々を紹介しつつ、その片方でイギリスを中心に出てきたムーヴメント「ファンカラティーナ」の音楽が掛かった。
ファンクとラテンのエッセンスを取り入れながら、イギリスらしい調理方法でポピュラーな音楽にしていた。先述のヘアカット100もその1つ。

あるいは、解散したポップ・グループ分裂後3つに分かれた中の1つピッグバッグ。バブリーなテラテラスーツに身をまとったナンパ師集団モダン・ロマンスや、ブルー・ロンド・ア・ラ・ターク。渋いところでは、元DNAのアート・リンゼイが居たラウンジ・リザーツ(これはニューヨーク勢だが)。

そして、もう1つ忘れてはならないのが、このバンド。

■Culture Club 「I'm Afraid Of Me (Extended Dance Mix)」1982■


コメント (4)
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2015年5月11日 月曜日 「初夏のサウンド・3 それでも、飛ばしていくよ」

2015-05-11 23:58:20 | 音楽帳

【まみやん 2004年3月6日】
意外と寒い夜だ。外もそうだし、中に入っても。
帰ってLPレコード整理。傍には携帯ラジオ。約1時間半経っていたが、かなり充実した時間だった。たぶんそれは、一方的に脳が勝手に「思考暴走」するのを、目の前で肉体を持った物体を並べ替えていくことが揺り戻しをさせたのだろう。指が真っ黒になり、手を洗う。

『現実の厳しさに疲れたら、昔の友人に連絡を。』(本日の占いより)

・・・と言われても、連絡は取らなかった。
ただ帰り道、不意にメールをくれた天使からの数行に微笑んだ。

***

週の始まり。月曜の朝。
夜セットしたアラームが6時50分一度起きるが、しんどくて再度寝る。
そこから何度か繰り返し鳴ったようだが、はっと気づくと7時15分を過ぎていた。
土曜・日曜・各二万歩を超える歩き旅は良いものだったが、昨夜眠りに入れたのが2時半だった。

濃い緑茶を飲み、朝風呂に入り、外に出る。
今朝も日差しは強いけど、空の青さと陰影のコントラストは美しく、風はさわやか。
赤ともピンクとも言えない色のつつじが、光の満たす朝に鮮やかさを添えている。
何枚か、光と緑に向けてシャッターを切った。

***

そんな今朝を経て、仕事場へ。
午前中、訃報が舞い込む。元気でボーイッシュ、さっぱりした仕事仲間の女性が、突然死したことを知る。細かい理由は不明だが、自死などするタイプではない。病気にも縁遠い。

遠方にいるから、たまにしか会う機会はない。決して懇意な知り合いとも言えない。ただ、つい連休前まで電話で仕事のやりとりをしていた。私なりに励ましていた。
いつも元気な彼女が、調子悪くて休んでいる、と聞いたのは先週金曜日のこと。不穏な気配はあれども、あんな元気な人が休んでるなんてね・・・という具合だった。

国内労働人口不足背景の下、A政権曰く「女性が輝く日本」という、いつものモンタージュ作戦。すげかえと太鼓持ち。それに応じた流れは「女性管理職を増やさなきゃ」に至った。
彼女は、この4月、本人も回りも寝耳に水で、いきなり管理職に。
ステップを踏んでいない分、かなり動揺していた。何とか少しでも支えになれればと思い、相談があれば不安にならないように、出来るだけ平易な言葉で伝えるよう心掛けていた。

三つ下の同世代だった。
自分とは異なる性格だったが、気取りや媚びや巧妙な計算高い小技を使わない、いさぎよい人だった。亡くなったことを知って、何のてらいもなく九州弁で話す彼女の野生児みたいな姿が浮かんだ。それはドラマ「あまちゃん」に出てくる人々を想い出させる土着感。遠い気分になる。

ここ数年亡くなっていく好きだった人々や愛おしい相棒ネコたちを想うと、生きていることはきわめて今一瞬のまたたきと見えてくる。人生は短い。あっという間だ。
そのことが最近になって、リアルに迫ってきて、やっと分かった。じっとり冷や汗が来る。
それを他人は手遅れだ、という言い方をする。しかし、私には手遅れではない。
それを知った今こそ、ラッキー。生きること・そのものの日々を生き抜き、謳歌していく。

よくお年寄りだというだけの理由で、不遜な態度を示す者を見る。
だが、キミも私もあっという間にそうなる。そこまで行けない可能性も大いに高い。

同じ大地の上で過去から連なってきた先人たちと未来人への繋がりの間に、私は居る。
それが視えてきた。その同じ大地で会った人(全員ではない)に接する場面の広がり。歩く中、江戸時代・峠茶屋で出会った者同士のように、名前も知らない人と会話が始まる。旅は道連れじゃないか、同志よ、と肩を叩かれるみたいに。

■シンプルマインズ 「ウォーターフロント」1984■

1985年、ティアーズ・フォー・フィアーズに名曲「Everybody Want To Rule The World」が産まれた。
そんな奇跡に対して、作者であるローランド・オーザバルは、あるインタビューでこの曲がシンプルマインズの「ウォーターフロント」を下敷きにして創ったことを「他人の好きな曲を元にしたなんてね」と明るく告白していた。

「Speed Your Love To Me」も含めて、シンプルマインズのこれら「前に、前に・・・」といった曲にエモーショナルな内面を刷り込み、自らを沈下から浮上させようと試みる夜は、高校から時折おとずれる。

「ウォーターフロント」「Speed Your Love To Me」共に、1984年発表されたLP作品『スパークル・イン・ザ・レイン』に収録されている。

シンプルマインズの持ち味であった、静かで淡いトーンの色合いと高揚感を音上でクロスさせた繊細さは、スティーヴ・リリィホワイトがプロデュースした本作で粉々に壊されていた。
こういった変化はABCの1枚目から2枚目へのがらりとした違いを思い起こさせる。
『スパークル・イン・ザ・レイン』全体には、当時がっかりしたものだが、この2曲だけはかろうじてまだ前作からの名残がある。

シンプルマインズは、この後1985年「Don’t You」というシングルでビルボードチャート1位になってしまう。私には一体この曲のどこが良いのか?理解できず、彼らはそのままスタジアムバンドになってしまい、そこから彼らへの愛着が消えていった。
「それでも・・・」と食い下がり、同じ1985年から年越しの冬に我慢して「アライヴ&キッキング」をエアチェックして聴いていた。

「飛ばしていくよ」そんなアッコちゃんの言葉に励まされる。
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