こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

音盤日誌:スケッチ・ショー 「フレイクス」2003年

2020-10-28 21:00:00 | 音楽帳
21世紀に入って間もない頃。
なんか最近つまらない、制約なく遊びたい、と幸宏に言われた細野さん。
じゃあ、なんかやる?と返した細野さんの顔と声、、、が浮かぶ。
それまでのこだわりを捨てて取り組んだ、2002年始まったユニット「スケッチ・ショー」。

石野卓球主催の「WIRE」というフェスティバルには、新人バンドとして出演した。
いくらギャグや自虐としてでも、YMOチルドレンから化石的老人扱いを半ば受ける姿に頷けず、こぶしを握って許せない心を鎮めた。
初めてこの企画を知ったとき、「スケッチ・ショー」というユニット名にも幸宏のおでこがあらわなアルバムのジャケットにも、さまざましっくりこなくて、なぜこんなことに2人が進んでいくのか?腑に落ちなかった。
この時点では、YMOが次の一手を踏み出した、感覚は無かった。

ただ、デビューアルバム(?)「オーディオ・スポンジ」の最後に入った「夏の日の恋」のカバーが、それまで働き詰めで疲れ切った2人のバカンス、リハビリテーションとして、本当にくつろぎ切っていることは伝わってきた。
この大いなる休息を得て、次の一手へと行ってくれれば・・・。
ファンというのはむごい。どれだけ素晴らしい音楽に数十年恩恵を受けながらも、彼らが常に輝いていないと満足せず、もっともっとさらに新しい何かを創って欲しい、とばかり願っている。それが出来る師だから。。。と。



こうして”21世紀のYMO”への足掛かりは、がっかりした「リ」スタートと思われるだろうが、そうではない。じぶんは次第にそこに引き込まれていく。
働き者のお二人のことだから、お遊びとしてスタートしたはずも、エンジンがかかるととんでもない爆発を起こした。「オーディオ・スポンジ」に続いて、名曲「Ekot」が入ったミニアルバム「トロニカ」、2003年フルアルバム「ループホール」と、すっかりお遊びはどこかに行ってしまい、一気に本気モードに入っていく。

この頃(2004年12月18日)、体育館みたいな狭い場所(恵比寿ガーデンプレイス)でオールスタンディングのライヴがあり、先生たちを身近に見られる、と心ざわつき聴きに行った。

しかし、行ったは良いが、いっこうに2人は出てこない。
アオキタカマサさんに始まり、半野喜弘さん、クラムボンの原田郁子さん、、、各々素晴らしい演奏だったが、2時間以上たちっぱなしで、その前座 段階ですっかり疲労困憊してしまった。

トイレ休憩を経て、そこにやっと出てきた細野さんと幸宏。
あいも変わらず生真面目で神経質な構成だったが、なんだか2人とも自由で演奏を楽しんでいる雰囲気が伝わってきた。とにかく楽しい時間を味わえた。(ここで新しいアレンジの「Cue」を聴いたような気がする。)
途中、細野さんのお孫さんなのか?狭い会場内で担がれた小さい子が「細野おじいちゃーん」と近い舞台に声援を送り、細野さんがずっこけるシーンもあり、笑いながら新しい「何かの始まり」の渦中にいることに興奮していた。
じぶんがYMOを聴いていた中学・高校時代、彼らのライブを1回も見ることができなかった。それがいっそう興奮させる一因でもあった。あの細野さんを大きな声で呼んだ小さい子は、今頃どうなっただろうか?かつてYMOチルドレンだった少年はふと思う。


(ライヴDVDのスリーヴより)

アルバム「ループホール」に収録された名曲「フレイクス」。
この曲にプロモーションビデオが存在するのを知ったのは、当時のYoutubeのおかげだった。
鬱蒼とした森で撮られており、全体の色調の暗さ、2人の顔に付いた陰影は、実に晩秋的。

「Flakes」とは、かけらといった意味がある。例えば舞い散る秋の枯葉のようなもの。もう1つに、変人や狂人といった意味合いがあるそうだ。このWミーニングはビデオの映像にも反映している。途中ふざけた歩き方をする2人だが、その一方で、時折不意に見せてしまう険しい表情。その表情が心に染み入る。

この曲を聴きながら、カメラを持って歩きたい。
そう思い、全身を痛み、びっこ引きながら、秋の道に出て行った。


■SKETCH SHOW 「FLAKES」'03■

木の葉舞う道
男は何処に向かう

和と洋・・・
静寂と激しさが織りなす

ここは天国か
はたまた地獄か





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:タキシードムーン「タイム・トゥ・ルーズ - ブラインド」1982年

2020-10-22 20:00:00 | 音楽帳


10月も下旬に入った。
ついに日没時間が17時00分を割り出し、早々にたそがれがせまってくる。17時過ぎ間もなくは、空に沈んだ太陽が残した光。七色の残照は雲と空を染めなす。
落ちていく太陽の一方では、三日月が低い位置から現れ 輝きを次第に増してくる。

夕方どきに室内に戻り、取り出してターンテーブルに乗せたのはタキシードムーンのレコード。これを聴くと、自分の音楽ルーツ、というか心のありかはヨーロッパなんだと再認識する。
ベルギーのクレプスキュールレーベルから出た12インチ「TIME TO LOSE - BLIND」。ところどころかすれてボロボロに傷んだジャケット。アルバムや曲により表情がかなり異なるバンドのある一枚。



A面
1/Time To Lose
2/Music #2
B面
1/Blind

・A面「Time to Lose」はスティーヴン・ブラウンのハモンドオルガン、ブレイン・L・レニンガーのヴァイオリン、両方が循環するミニマルな演奏を提示する。この上に、ウィンストン・トンのヴォーカルが絡む。途中から、校内放送的なエコーかかった語りがさらに乗っかる。後半はうっすらコーラスが聴こえ、ベースのドヨーンという音が部分的に響く。
文字化すると面倒臭そうに思えるが、私個人にはスッとこころに入ってくる。

オルガンとヴァイオリンの繰り返し描く音には少し明るい光が見えるきざしもするが、陽の差し具合は極めてにぶい。というか、演奏には昼間を感じない。この感じは、ソフト・ヴァーディクトやロスト・ジョッキーらの曲にも底通する。鬱と夢を共に抱えた者によくおとずれる一時的躁状態、みたいな感じだ。



・A面2曲目「Music #2」は、1曲目のざわつきと真逆、シンプルにピアノとヴァイオリンが美しいメロディを奏でる。憂いを帯びた静寂と響き。他2曲と異なり、この曲だけはインストゥルメンタル。サンフランシスコで結成された、というバンドだが、この曲が描く音像は明らかなヨーロッパ。模倣ではない真性のヨーロッパ。

・B面「Blind」は、ガラスをこすれてこもったようなエフェクト音、ノイズ、オルガン、シンセ、そこに、スティーヴン・ブラウンが風呂場で調子はずれのハナウタを歌ってるかのようなヴォーカル。それぞれの音はバラバラな印象で、折り重なるわけでもなく散乱している。そこにサックスが絡んでくる。聴く人によっては痛々しくも狂おしく聴こえることだろう。だが、狂気じみている(かのような)ぎこちないこの音に程良く違和感無い調和を感じる。

このレコードを室内で聴いていると、時代に無理して合わせず、追いかけず、世間に媚びずにいたら、平穏に生きられるのに、とバカなことを思う。


■Tuxedomoon 「Music #2 」'82■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:キム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」1981・「愛と幻の世界」1982

2020-10-19 21:00:00 | 音楽帳


秋らしい曲、をめぐる凸凹脱線しながらの音楽の旅。
脳裏には、1982年秋ケイト・ブッシュとともに、当時新譜を発表したキム・カーンズが浮かんでいた。彼女の新譜とは「愛と幻の世界」だが、その作品には「ベティ・デイヴィスの瞳」という前段が繋がっている。

●ベティ・デイヴィスの瞳
キム・カーンズ初の大ヒットシングル曲「ベティ・デイヴィスの瞳」はいまだに大好きで、聴きたくなるときがある。
青江三奈(むしろ中村あゆみかな?)みたいにハスキーな歌声も素敵だったが、ストレートな音色のシンセサイザーが心地よく、凄く魅力的と昔も今も感じる。

「ベティ・デイヴィスの瞳」は、80年代初頭のテクノ/ニューウエイヴの波を受け、ポップス畑の人たちがシンセサイザー等デジタル機器を取り込んだ初期段階の代表曲、ではないだろうか?。
この曲は1981年作品だが、当時アメリカのビルボードチャートで9週連続1位を達成し、年間チャートでもナンバーワンの曲となった。それくらい「キャッチーでポップ」な曲。全米1位ということは、アメリカ型一般ミュージシャンのテクノ化の試金石でもあったのだろう。

なにぶん、この80年代初頭はシンセサイザーを使ったり・ピコピコさせるだけでも「非人間的音楽」、という扱いを受けるケースがどの国でもあり、アメリカのポップス畑でも導入可否で二分化し揺れていた。しかし、そんな中、この曲が1位になってしまったということは、テクノ化の勢いを止めることは不可能ということを意味していた。残るは、これを自らの音楽の中に取り込むか否か、だったが、それはおのおのの判断。。。キム・カーンズはこのような方向にかじを切って、一時的だが成功者となった。



今回シングル「ベティ・デイヴィスの瞳」を改めて振り返って、39年目で初めて知ったことが2つあった。
 一つ目は、これがカバー曲だったこと。原曲は、ジャッキー・デシャノンというシンガーソングライターが発表したカントリーソングであったが、大して売れなかったという。その曲を元々アメリカのローカル色が強いミュージシャンのキム・カーンズがカバーしたわけである。
 もう一つは、この曲がまだテクノ化していない他国の音楽家へ影響していたこと。例えばまだ統一前ドイツで、音楽すら国家権力に統制されていた中、「Silly」というユニットがこの曲をカバーしている。
1つの音楽的ブームが来ると、そっくりな音楽やカバー曲が生まれるのは必然だが、それがまだ東西二分化されたドイツで、国家からいちゃもんを受けながら、というのが実に興味深い。


■キム・カーンズ「ベティ・デイヴィスの瞳」'81■

●愛と幻の世界
「ベティ・デイヴィスの瞳」の流れを受けて制作されたのが翌年1982年9月発表のアルバム「愛と幻の世界」。
前作で導入したテクノ/ニューウエイヴ的味付けが功を奏したため、この路線をさらに進めた作品。その勢いがいくつかの曲で成功している。

国内では、先日話したFM番組「サンデー・ミュージック」(1982年10月10日放送)で、ケイト・ブッシュとともにLP「愛と幻の世界」から何曲か紹介された。実際のアルバムは、この放送日より早い9月21日に国内発売された。シングルカットされたタイトル曲「愛と幻の世界(ヴォイヤー)」は、LPのA面トップに配置されている。続く2曲目「ルッカー」もわかりやすくポップである。

余談だが、このラジオ放送を収めたカセットテープを失ってから、もやもやしていた。好きな曲がどこにあるのか?全くわからないものが在ったからである。どうもこれ以外でテクノっぽい曲があったはず、、、と糸口をこのLP「愛と幻の世界」に探していたが、まったくそれらしき曲が無く、わからない時間を数十年過ごしていたのだ。しかしそのもやもやしていた曲は、前年「ベティ・デイヴィスの瞳」を収めたLP「私の中のドラマ」のほうに入っていたのだ。
「運命のカード(Draw Of The Cards)」という曲。これのどこかテクノ?ニューウェイヴ?と言う人もいるだろうが、この程度の打ち込み的リズムでも自分にとっては心地良く、当時は気に入っていたのだ。


■Kim Carnes「Draw Of The Cards」'81■

80年代(といっても中盤まで)は、キム・カーンズに限らず多くのミュージシャンがテクノ/ニューウエイヴ的世界との付き合い方と距離感をどうすべきか?悩んだ時期だった。従来型の楽器と演奏、曲作りの作法といったものに対して、シンセサイザーやコンピューターをどう導入・融合していいかわからなかった。
ただ、悩んだ割には「時が解決する」もので、あっという間にシンセ、コンピューターが進化・安価になり、スタジオ機材として一般化したおかげで、その高く感じた壁は容易に融解した。

しかし、このテクノ化の壁を高く見過ぎると「愛と幻の世界(ヴォイヤー)」の下記PVのようになる。マック赤坂やミラーマンのような宇宙服(銀色のスウェットスーツ)を着て踊り狂うキム・カーンズ。
「痛いなあ、、、走り過ぎてますよ」と思うが、それは後になったから言えること。こうしたくなる当時の気分は良く理解するし、(映像は抜きで)今でも秋と言うと思い出す大好きな曲には変わらない。

この映像を見ていると、後ろを通ったツレが「これ誰?ローリー寺西?」という名言を吐いた。
うう~っ、、、それは、当たらずとも遠からず、である。


■Kim Carnes「Voyeur(愛と幻の世界)」'82■

実は「ボイヤー」とは「のぞき魔」のこと。「愛と幻の世界」と変換とはかなり苦しい日本語タイトル。キム・カーンズにボンデージを着せるか否か?悩んだ末に宇宙人的銀色服となったのだろうか?真相は不明である。


薄い壁の向こうから
異常行為を語る声が聞こえてくる
彼女を救いうるものは
ヴィデオだけ

声が消えるとスイッチを入れ
彼女は振り向いて
ハイヒールに足を滑りこませる
影が部屋を覆いつくすと
彼女が動きはじめるわ

のぞき魔さん 今夜は危険な気分?
いい気持ちになるまで
踊って踊って踊りまくるのよ
のぞき魔さん今夜の獲物は誰?
愛が炎と燃えていようと
それは心の底に潜んでいるわ

ランジェリーと美しい体が
奇妙で甘い愛撫をまだ求めてる
刺激的な愛には不自由しない彼女だけど
生活そのものはめちゃくちゃよ
でもやましいことはないと言うし
言い訳は決してしない
彼女は自ら認めてるの
自分のお気に入りは自分だけだと

のぞき魔さん
今夜は危険な気分?
いい気持ちになるまで
踊って踊って踊りまくるのよ
のぞき魔さん
今夜の獲物は誰?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:パラディ「トワ・エ・モア」2016年

2020-10-17 18:00:00 | 音楽帳


この1.2か月、偶然出会ったパラディの「トワ・エ・モア」(2016年)という曲を繰り返し聴いていた。フランス語特有のボソッと語りかけるようなセリフとうねるグルーヴ感、そして、そこに絡むメロディアスなシンセ音。PVではミラーボールが回るが、フランス語の憂鬱なヴォーカルは、クラブなどとは無縁の孤独感を漂わせている。

2人のデュオ、というと、ついショーナ・ダンシングと似た感触として思い出したりもしたが、3分半程度で終わっていくこの曲は、まさにシングル盤の鏡。必要以上の要素を入れず、簡潔に終わって行く。その分、終わってしまった後の余韻を強く感じる。そこでついつい繰り返し聴きたくなる。

トワ・エ・モワ(Toi Et Moi)とは「あなたと私」を意味する。
孤独感とロマンティシズムを感じる1曲。個人的には2020年出会った曲・トップ10に入るものである。


■Paradis  「Toi Et Moi 」'16■

音楽ジャンルを分類する用語に「シンセポップ」「エレポップ」という呼称を最近よく見るようになった。それらが初めて奏でられた80年代初頭と、スタイルが出尽くした現代では時代状況が全然違う、、、と思うのだが、パラディの音楽を単純に区分するなら、こういった部類だろう。

「トワ・エ・モア」は、2016年のアルバム「レクト・ヴェルソ」に収録された曲。
アルバムは、ジャケットデザインはイメージと違うが、音はシンプルで、曲の構成もわかりやすいものが多く収録されている。
ついヤズーや初期のデペッシュモードがよぎる瞬間もあったりして興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:Ian McCulloch「September Song」「Cockles & Mussels」1984年

2020-10-15 16:00:00 | 音楽帳


葉や柿も色付き始め、秋めいてきた。
そんな日々の温度や空気は、自動的に脳裏にいくつもの音楽を呼び覚まし、勝手に脳内で繰り返し繰り返し曲を流し続ける。誰にも、そんな曲があると思う。

そんな曲の1つが、今日の白い空にはイアン・マカロクの「セプテンバー・ソング」だった。
時はすでに10月だが、やっと秋、という日にはぴったりのスローな名曲である。エコー&ザ・バニーメン活動のかたわらで、こんなシングルやソロ活動をしていたと、自分が知ったのは解散後のことだった。1984年と言えば「オーシャン・レイン」が出た年。たまたま2003年くらいに中古レコード屋さんのエサ箱に発見し、まったく知らないものだったので購入した。

シングル盤に収録された曲は、A面が「September Song」・B面に「Cockles & Mussels」の2曲。A・B面ともに、何回も聴いていくと、次第に味わい深い曲であることに気づく。質素でゆるやかなテンポの中、お世辞にもうまいとは言えないイアン・マカロクのふらついたヴォーカルが曲調とマッチ、2曲の名曲・素晴らしいシングル盤との出会いに感謝することになった。


■Ian McCulloch「September Song」'84■

A面「セプテンバー・ソング」は、古きスタンダードナンバーのカバーのように思ったが、購入当時は調べがつかなかった。
今回初めて有名なスタンダードナンバーだったことを知り、恥ずかしく思ったが、作曲がクルト・ワイルと聞いてピーン、ときた。やはり・・・だったが、1985年にクルト・ワイルに捧げたカバー集LPに入っていたのだ。これを特集したラジオで録音したテープをろくに聴いていなかったのである。「セプテンバー・ソング」はちゃんとルー・リードが歌っていた。



だが調べれば調べるほど奥深いのは、この「セプテンバー・ソング」はカバーする人の個性で全く違う曲になってしまうこと。
おおもとは「旅愁(September Affair)」という1952年(昭和27年)の映画のテーマ曲だったそうだが、フランク・シナトラやサラ・ヴォーン、ウィリー・ネルソン、シャンソン歌手のウテ・レンパー等々、そしてあのブライアン・フェリーまでがカバーしているのだった。

そんな中、クルト・ワイルの奥さん、女優ロッテ・レーニャが歌う「セプテンバー・ソング」がイアン・マカロクの歌うシングルに一番近く感じられる。震えながら歌う歌声に胸打たれる。


■Lotte Lenya 「September Song」'58■



「君とずっと一緒にいたい」なんていうせりふが出てくる、ロマンティックなラヴソング・・・と思っていたが、和訳歌詞に出会い、認識が違うことを知った。秋という季節を人生盛りを過ぎたあたりと重ねさせていて、折り返し地点を越えた所で事故に遭い、病気療養中の身としてはしみじみとしてしまった。

女を口説いていた若い頃は
待つのも楽しみだった
そっぽを向かれフラれても
時を過ぎるに任せていた
真珠の代わりに涙を捧げていた
時がたち想いはかなった
時がたち彼女は僕のものに

5月から12月までは長い月日だけれど
9月になると日々は短くなる
秋の気配が木の葉を赤く燃え立たせる頃
もう待つことを楽しむ時間はない
残りの日々は少なく貴重なものになってゆく

9月から11月へと
この大切な日々を君と共に過ごそう
大切な日々を君と共に
月日が流れワインは熟成してゆく

9月から11月へと
この実り多き歳月を君と分かち合おう
実り多き歳月を君と共に




有名な曲と知った「September Song」がA面だが、隠れたB面も名曲。
英語のわからない身として「Cockles & Mussels」を調べると「Cockles」がザル貝、「Mussels」がムール貝だそうである。貝と貝、、、並べた意味合いがありそうだが、不明。
ずっと聴いてきた側は、すっかりイメージで、肉体労働を終えた労働者たちが酒を酌み交わしながら、みんなで肩を左右に揺らしながら合唱するさまが浮かんで消えない。それは明らかにシャウエッセンというソーセージのCMの影響で、フォークでソーセージをもって、黒ビールやワインをみんなで飲んでいる。。。そんな陽気な映像シーンなのだが、歌詞不明でわからない。
でも、聴いているとついスイングしてしまう力強い名曲。


■Ian McCulloch「Cockles & Mussels」'84■
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:ケイト・ブッシュ「ザ・ドリーミング」 1982年10月

2020-10-09 21:00:00 | 音楽帳


1982年10月1日(金)日本発売となったケイト・ブッシュの「ザ・ドリーミング」。
このアルバムを初めて聴いたのは、たぶん10月10日(日)の「サンデー・ミュージック」。FM東京で、日曜昼12時からの2時間番組だった。
当時録音したカセットテープは上書きしてしまい、もうこの世に無いが、やはりB面1曲目のタイトル曲「ザ・ドリーミング」が初めて聴いた1曲目だった、と思う。記憶のイメージの中では確かそうだった。あと、他のラジオ番組でもこの曲と「サット・イン・ユア・ラップ」がよく掛かった。

A面
1/サット・イン・ユア・ラップ(Sat in Your Lap)
2/10ポンド紙幣が1枚(There Goes a Tenner)
3/ピンを引き抜け(Pull Out the Pin)
4/ガッファにて(Suspended in Gaffa)
5/リーヴ・イット・オープン(Leave It Open)
B面
1/ドリーミング(The Dreaming)
2/夜舞うつばめ(Night of the Swallow)
3/オール・ザ・ラヴ(All the Love)
4/フーディニ(Houdini)
5/狂気の家(Get Out of My House)

「ザ・ドリーミング」は、じぶんが初めてケイト・ブッシュをリアルタイムで聴いたアルバムだった。
1979年中学1年生から隔週FM雑誌を買って以来、ケイト・ブッシュのポートレイトやレコード広告は何度も見ていたが、聴く余裕と機会を得ないまま1982年10月に至った。当時、ケイト・ブッシュを見て驚いたのが、こんなキレイなお姉さんが全ての音楽をゼロから創っていることだった。



レコード広告にも雑誌のレコード評にも、このアルバムは「初めての72チャンネル録音!」とうたわれている。
小嶋さちほさんのレコード評によれば、レコーディングに1年半、トラックダウンに1年近くかかったという。神経を使いすぎた疲れからノイローゼになり、製作途中でいくらかの中断もあったようだ。

音楽の制作過程はおおよそ下記の通り。
1981年3月 自宅でレコーディングのリハーサル開始。
1981年5月 アビーロードスタジオでレコーディング開始。
1981年12月 レコーディング中断。最初からやり直す。
1982年4月 再度レコーディングのやり直し。
1982年9月 「ザ・ドリーミング」やっとこさ完成、発表へ。


わたしが上記の番組「サンデー・ミュージック」をエアチェックしたのは、実はモノラルのラジカセだった。「ステレオですらない状態で聴いている者に、72チャンネルと言われてもねえ・・・」という貧乏学生の実態。だが、一方では、そのラジカセとマイクとテープループなどを使って、愚にもつかない奇妙なデモテープの実験を日々ひそかに行っていた。そんな身には多チャンネルの多重録音と聞くだけで興味津々、ヨダレが出てくる、という面もあった。
しかしアルバム全体は暗いデモテープ少年の期待を裏切って、いくら72チャンネルでもきちんと整っていた。多重録音によって偶発的に出来上がる奇妙な世界、誰も知りえない、聴いてはいけないような世界、そういった曲はこのアルバム10曲にはない。残念ながらキャバレー・ヴォルテールのような部分はなかった。

多チャンネルを強く感じるのは、やはりタイトル曲「ザ・ドリーミング」。
様々なSE・効果音が出てくるのもあるが、手前と奥が分離したり微妙に音像が崩れる場面があり、不可思議な語り声がいきなり現れたり、聞こえない音もサブリミナルに聴いているのかもしれない。



A面~B面、またA面・・と繰り返し聴くごとに、72チャンネルは単なるネタに過ぎず、このアルバムには極めてまっとうな楽曲が収まっていることに気付く。スルメのような味わいの曲ばかり。
実にヨーロッパ的であること、美的で端正であること、それは決して譲れない、といった彼女の中の「筋(スジ)」の通し方・スタイルがあるのだろう。

小嶋さちほさんは、こんな的確な表現をしている。
「メロディや歌詞など 具体的な部分は もちろんのこと、アルバムの持つ雰囲気がものすごくイギリス的だ。厳格に退廃している、とでも言ったらピッタリくる。暗くはないけれど、パーッと明るいというわけでもない。アメリカ的陽気さラフさとはまったく反対のシリアスさを持っている。
音の中にもアソビがあることはあるのだけれど、大胆なアソビではない。無意識のうちに大胆なアソビ方を体がキョヒしてしまうといったタイプのアーティストではないかと思う。」



2020年秋、久しぶりにこのアルバムを通して何度も聴いた。
まるでピーター・ゲイブリエルか?フィル・コリンズか?と思うようなゲートエコー的ドラム音から始まる「サット・イン・ユア・ラップ」。
一体この美しい繰り返しはいつまで続くんだろうか?と思う「狂気の家」。
かと思えば淡々と進んで、ハイ終わり、とさっさと終わる、幸宏エンディングみたいな「10ポンド紙幣が1枚」。
彼女の叫び声にハッとする「ピンを引き抜け」。。。。

でも、9曲の中で一番好きなのは、当時も今もB面3曲目の「オール・ザ・ラヴ」。
曲中バックで、受話器などを通して「Good Bye」と言う男や女の声が、次々と立ち現れる。そのセリフの背後にある物語を想像させる。美しいメロディと伸びやかな彼女の声・コーラスと「Good Bye」という声が重なり合い、感涙にむせぶ。
そんな夜がかつて何度もあった。


■Kate Bush 「All the Love」'82■

私が最初に死んだのは
仲のいい友人たちの腕の中だった
みんな涙にくれて 私にキスをしたわ
何年も遠くはなれていた連中なのに
なぜ今じゃなけりゃならないの
もうここにはいられないのに 行ってしまうのに?
もっと私たちを愛しつづけてほしかったのに・・・

普段見られない愛と嘆きを
解き放てるのは悲劇だけ
友だちに涙を流すところを見せたくなかったわ
弱気なところを見せたくなかったわ
でも私は見せてきたのよ
門の前にたった一人で立つ姿を・・・
もっとみんなに愛されていたかったのに・・・

愛のすべて 私たちが与えられたはずの愛のすべて
愛のすべて あなたたちが与えるべきだった愛のすべて
愛のすべて 愛のすべて 愛のすべて

この次生まれる時は 私の生涯の作品を
大切な友人たちに捧げましょう
彼らが聞きたがっているものを捧げましょう
彼らは私が何か気味悪いものに夢中だと思ってるわ
私の中で 恐怖がゆっくりと頭をもたげてくるの
彼らがベルを鳴らしても つい機械に頼ってしまう私
それでも あなたたちが愛してくれるのを待ってるの

愛のすべて 私たちが与えられたはずの愛のすべて
愛のすべて あなたたちが与えるべきだった愛のすべて
愛のすべて 愛のすべて 愛のすべて
もっと私たちを愛しつづけてほしかったのに・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

音盤日誌:ミック・カーン&ミッジ・ユーロ「アフター・ア・ファッション」

2020-10-03 22:00:00 | 音楽帳


この曲も幸宏の「オールナイトニッポン」で1983年8月30日に掛かった。
出会いは8月末だが、実際よく流れたのは9月以降だったため、いつも秋めいてきた季節のイメージがある。

「オールナイトニッポン」の2時台は、景山民夫さんと幸宏氏2人でぼそぼそ話す時間帯。
話題は、JJ・ノンノを持ち歩く女子大生が数人集まり、クルマについて話しているのを見た、という景山さん。彼女らが話している内容の無さに、景山さん・幸宏の不満が炸裂する。時は、深夜2時半を回ったあたり。

そこに、ヴァイオリンのヒュードロドロといった具合のイントロが入ってきた。
幸宏が「割と暗めの曲です。。。」と半笑いで曲を紹介する。この数週前には夏というのに、3時近くにオバケの話しをして「怖かった」というハガキが多かった。この週もそんな反応の人が多かったのではないか?
今とは違って、深夜はどっぷりと深い闇の世界だった。そんな静かな時間帯。
むしろこんな曲ばかりをヘッドフォンで聴いている子供が、周囲は怖かったかもしれない。



元ジャパンのミック・カーン、ウルトラヴォックス現リーダーのミッジ・ユーロ。
この2つの偉大なるバンドの両巨頭、それが合体して音楽を作ったらどうなるんだろうか?
そんな興味津々なぶつかり合いに大乱闘も期待したが、ゴジラ対モスラもしくはアリ対猪木のように、出てきた音楽はあくまで1+1=2で、2人が出会った化学変化は起きなかった。
2人それぞれのソロ演奏をした音楽を重ねてトレースしたままのようだった。

こう言うと悪いように聞こえるが、じぶん個人は単純に好きだった一枚。
どうせならこのシングルの勢いでアルバムまで制作して欲しかったが、それはかなわなかった。
ただ、どちらのバンドにも深い思い入れがあったので、もっと違う冒険も出来たのではないか?という面で残念だった。



ミッジ・ユーロのヴォーカルはそれまで以上に、言葉のアクセントが強い。
まるでテープの回転数変えているような声のうねりが、ミック・カーンのフレットレス・ベースの不気味さを強調させる。カーンのベースは普段ほどぶおぶお言ってはいない。

ジャケットの真正面を見る2人の肖像。
この写真は、リンダ・マッカートニー(ポールの奥さん)によるもの。
眉毛も無い凛々しい顔のミック・カーンは、松本清張ドラマ”けものみち”のギラギラした山崎努を彷彿とさせる。この2人はそんじょそこいらのカタギではない。そしてヤクザよりカッコ良い。


■Mick Karn & Midge Ure「After A Fashion」'83■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする