わたしは、1987年からこの2014年に至る27年のあいだ、精神医学(?)という類を扱う病院に、断続的に関わってきた。
やめたり、また、ある契機から通ったり・・・の揺れの中生きてきた。
そのわたしは「精神医学なんか、まるっきりのデマカセ概念だ。確立されたものは何もない。」と思う。
***
わたしが生まれ育った三ノ輪。
そこは、「巨人の星」・とっぱらいの労働者の世界・山谷、「あしたのジョー」・泪橋、旧色街吉原、その吉原遊女が死すと投げ込まれる浄閑寺、江戸時代には斬首刑の場であった小塚原、などに囲まれたがけっぷちの地。
そこでは、よくおかしな人たちとの出会いがあった。
おかしいか?おかしくないか?も、きわめてテキトーなその時点での地元民の判断だが、それはごくごく日常の風景の中に在った。
行き倒れた人や、朝から泥酔して道に眠る人を見るのには慣れていた。
地方の閉ざされた閉鎖社会の中に座敷牢があったような、横溝正史が暴いた陰湿さは、そこにはなく、全てが目の前に放り出され、さらけ出されていた。
***
精神医学という類の病院。
それは、昔は「精神病院」「精神科」「キチガイ病院」と呼ばれ、「きちがい=別世界の人」として毛嫌いされ、世間から隔離・排斥されていた。
ゆえに、大人になりかけでなれない・気味悪い・蒼きハタチ前の時節。
いくら鬱・幻覚に見舞われようとも、そこに行ったら「わたしはTHE ENDだ」とギリギリまで耐え忍んだ。
今振り返れば、あれはあれで「明確な病気であった」「その1つの治療として会話での治癒、そしてクスリを服用することには、効果と意味があった」。
しかし、その後、わたしは、そこに逃げ込めるモラトリアム余地を見つけてしまったのである。
太宰治的世界。
みずからを「もう駄目な堕ちていく病人」とみなすことで得られる快感によって、苦しい立場を降りて、答えを先延ばしにすることを覚えてしまったのだ。
欺瞞と堕落。
1987年は、もう熱い80年代は既に終わっていて、昭和は終わりつつある空虚感が漂っていた。「ぬるい」時代は既に始まっていた。
そのあたりから、
「精神病院」「精神科」というコトバのどぎつさを薄めるための工作が始まる。
「病院」ではなく「クリニック」。「精神・・・」ではなく「メンタル・・・」「心療内科」などという語。
そこに漬け込んだのが、オウムに代表された新興宗教だった。
それが、周囲からの視線や「一般人/きちがい」の差別偏見をやわらげる措置であることは、重々理解していたが、それで良かったとは言えない。
アメリカ人が極めて自堕落であり、どうしようもない暮らしをするキチガイ連中であるからと。。。「日本人のお前ら!植民地人ならば、後追いをせい!」と指示を受けたか?否か?は不明だが、上記の措置は「気軽にクリニックに行って、気軽に病名という名誉・勲章を与えられ、気軽に抗精神薬を手に入れ・服用できる」ことに繋がって行った。
***
わたしの通ったり通わなかったりの27年のなかで、明らかに間違った期間がある。
それは「仮病(けびょう)」で鬱を装ったとき。あるいは、シャブ中のように、盛んに抗精神薬を求め・頼ったとき。
2009年あたり、わたしは過密な労働・睡眠不足で「だるくて動けない」ことを精神理由と思い込み、薬を飲みながらも、さらに医者に「だるいから、もっと強く効く薬が欲しい」と相談を持ちかけ、彼はどんどん種類と薬の強さを強めて行った。最終的に薬は10種類近くなった。
結果的に2010年の秋、「ある朝起きると、わたしは石になっていた」。
石のように固まったカラダで、意志のみでは動けなくなった。
順天堂病院との出会い。そこで全身検査の上「肝臓は危険状態にあり、即入院」という診断。
八丁堀の町医者○チ○クリニックで出された薬は、明らかに医療行為として過ちであり、捕まっておかしくない医院長と知る。今更、わたしの肝臓は、永遠に復活することはない。
そこから1つ、1つ、と服用薬を削っていく行動を、命を助けてくれた・信頼する順天堂病院の先生と一緒に取って行く。
そして、何とか2014年の今日では、3種類を一日各1錠だけ服用、にまで来た。
***
昨年、わたしにはとても大事な存在であるお袋が、一気に健康を崩し、死のキワまで行った。パニックになりながら、奔走する。
地元に近い町医者に何とか入院させるも、日々悪くなっていくだけの絶望。
その中で、結果たどり着いたは、再度順天堂病院だった。
そして、再度、ここでもう1つのイノチが救われる軌跡を見る。
医療チームが取った初動は、服用している薬を一切やめること。そして、点滴も打たない。
その替わりにおいしい食事(病院食ではない)、看護、あらゆる観点からの検査分析。
そして、入院して数日後のある日、お袋の状態は、いきなり反転し始める。
カラダには、絶え間ない震えがあったが消える。それは薬「ドグマチール」の副作用であることが分かった。
2013年10月、死の床に居た80過ぎのお袋は、もうすぐ、愉しみにしているローリング・ストーンズの東京ドームライヴに行く。
***
ハタチで死に損なったわたしは、大学時代、答えを求めて本を読み漁った。
いろんな処世術本、フロイト、ユング、河合隼雄さんに始まり、童話、歴史、社会学。。。。
一方で、抗精神薬を服用しながら。
そろそろ27年目の結論。
今、再び。「精神医学などは、実存しない。デマカセである。」
フロイトやユングというと、つい「精神医学」はあるじゃないか、と思いがちだが、そうは思わない。人間とはどういう生き物なのか?を探求したという意味では、彼らは偉大だが、人間学・哲学的と捉える。
では、そのような記載されたことが、「クリニック」で行われているか?
「なあーに1つ行われてはいない。」
ただ『調子はどーですか?はーい、じゃあ、お薬出しときますねえ。』=医療行為、とされているだけである。
この数十年の日本の中での「精神医学」というデマカセは、
「あたかもストレス社会から精神を乱した人が増えたために、必要とされていて、そのための薬が発展されてきた。」
「うつ病は怖くありません。直せる病気です。」プロパガンダ広告しかり。
そうして、精神医学に関わる機関に医療費(カネ)が落ちるようにして、抗精神薬がたくさん世間にバラまきされた。
大量に数十倍増された抗精神薬で得たカネは、医療機関・医者・製薬会社の一部(=全て支配層の人)&繋がる企業だけに還流された。
この2014年、この数十年のPR活動は実り、彼らはカネまみれの中、大笑いする。
見事に、精神医学があるかのような錯覚。。。まるで精神病の種類がたくさんあるかのように病名ばかりが増えて、それぞれの「マイ・ブーム」の如くに、「わたぢは○○症候群!」と、軽いノリで言える時代になった。
狙いどおり、ボロ儲け出来たビジネスモデル。
***
わたしとお袋を助けてくれた主治医への感謝と、その判断力には、大いなる敬意を抱いている。
この2つの事象から、わたしが思っているのは、抗精神薬はある時には出てきた症状を抑え込む(無理矢理だが)効果はあるかもしれないが、それはむしろ麻薬のように抜け出せないきっかけを作ってしまう。
(ちなみに、麻薬は1回やったヤツは再犯を繰り返し、死ぬまでやめられない。)
お袋の主治医が言ったセリフがよぎる。
「わたしは、一回すべてをリセットした状態で、お母さんを診たいので、薬をすべて、今こちらに預けてください」。
それによって、実際に自然治癒力が動き出した事実。
薬は時と場合により、必要/不必要があるが、今のわたしの想いは「可能なら無い方が良いに決まっている。」
実際の多くは、この抗精神薬によって、逆に精神的におかしくなっていく構造を、脳に創り出してしまっているのではないか?
2010年薬物中毒でダメージを負ったわたしの憶測は、そこまで行かざるを得ない。そして、そのカンは大方「事実である。」
今、順天堂病院でお付き合いしている先生は、こちらがかなりヘヴィな質問を投げても、こちらの性格を把握しているので、難問に付き合ってくれる。
共に目指しているのは「薬服用ゼロ化」。
ポンポン薬を出して儲けようとする医者とは違う。
先日話している中で、今一度、(当たり前だけども)目の覚めるような返信を聞いた。
「心の問題が、薬なんかで直るわけがない。薬は出ている症状を和らげるだけだ。心の問題を片付けるのは、そうたやすくない。」
自分は、精神医学なる概念が行ってきた「すり替え」や「犯罪の数々」を認めない。すべて否定する。
服用薬を、3種類から2種類に挑戦した年末年始、離脱症状に苦しんだが、その中で見えたものは大きかった。
麻薬から抜け出すために、あきらめず、今後も先生と共に二人三脚で「ゼロ化」を目指す。
■イエロー・マジック・オーケストラ 「磁性紀/開け心」(ワールドハピネス2012)■