こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

ドラマ 『王様のレストラン』 '95年

2010-04-29 20:13:00 | 想い出かたちんば


今回は、80年代を離れて、既に「全ての音楽が終わった後」の90年代のお話し。
自分は、91年4月~96年3月、大阪の商売の街で、20代後半を激動の日々に費やしていた。

そんな頃、95年4月に始まったドラマ「王様のレストラン」に惹きつけられて毎週、ビデオに撮りながら、熱中してみていた。
三谷幸喜さんの脚本という事で、様々な仕掛けを持ちながらも、人間味のある、見終わった後充足感に満たされるドラマだった。

***

内容を簡略化すると・・・<ウィキペディアより引用>
伝説のシェフであったオーナーが死去し、従業員の質が下がって客足が遠のいてしまったフレンチレストラン「ベル・エキップ」。この店の新しいオーナーになったが未熟な青年と、彼の願いで復帰した伝説のギャルソンが店を立て直す姿を、彼らに引っ張られる全従業員と共に、コメディータッチで描いた物語。

舞台は、とあるフレンチレストラン「ベル・エキップ」(La Belle Équipe)。天才的なオーナーシェフが急逝し、その長男・範朝が、後を継ぐことになった。しかし、範朝は怪しげな副業にうつつを抜かし、店の経営は危うくなる。

そんなある日、範朝の腹違いの弟・禄郎が、先代の遺言によりオーナーになった。禄郎は、父の遺言により、伝説のギャルソン・千石を呼び寄せるのだった。果たして「ベル・エキップ」は復活するのか・・・・・?

***

今日は、とにかく疲労困憊の末で、死んだように寝ていたが、夕方から、昔撮ったビデオ「王様のレストラン」を見ていた。

このドラマに、実に瓜二つなのが、70年代のドラマ「ちょっとマイ・ウェイ」。
このドラマはいまだにDVD化されていないが、とにかく主演のシェフ:桃井かおりの可愛かったシェフ姿が、未だに脳裏に焼きついていて、同じくシェフの無骨な緒方拳とのやりとり・同僚とも恋人とも何とも言い難い微妙な関係がとてもロマンティックだった。

どちらのドラマも、ぼろぼろにすたれきってしまったフレンチ・レストランを、最初はみんなケンカや仲の悪い関係で集まった個性在る人々が次第にお互いを認め合いながら、一流のフレンチ・レストランになるまでのチームワークになっていく姿を描いている点は同じだった。

***

今日見た「王様のレストラン」の第8話は「最高のシェフは、恋をしたシェフ」というタイトルのもの。

この「王様のレストラン」の見どころの1つは、松本幸四郎さんが演じるギャルソンの、何に対しても軸のぶれないプロとしての冷静な姿のカッコよさだった。

そして、それを取り巻くすれっからしだけども愛すべき1人1人の従業員たち。
そしてまた、鈴木京香の制服姿でしゅっと背筋の伸びた上品な美しさ、それに、これまた、男っぽくて激情タイプのメイン・シェフ演じる山口智子のぽちゃぽちゃした頃の可愛さにも、大いに惹かれるところ大なドラマだった。

この第8話は、一流フレンチ・レストランになりつつあった「ベル・エキップ」のメイン・シェフであった山口智子をフランスの一流店が引き抜きに来たのを、みんなして阻止しようとするが、松本幸四郎が「それは彼女本人が決める事ですから」と、オーナーをなだめるのだが・・・・。

結局、山口智子は、その引き合いの面接に行ったフリをして、すっぽかし映画を見て帰ってきた。
松本幸四郎は「仕方の無い人だなあ」とためいきを付きながらも、松本幸四郎と山口智子が2人で、夜の閉店後のカウンターでワインを傾ける。

夢を唐突に語りだす松本幸四郎に、「あんた、私を口説いているの?」と彼女は言いながらも、それが聴こえないかのように、夢を語り続ける松本幸四郎の夢に笑顔で応える山口智子。
お互い、全く違う性格なのに惹きつけあっているのがわかる、このエンディングは、とてもロマンティックで、素敵であった。
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『逸脱せよ!愚行たろうとも。』

2010-04-25 16:25:05 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


寺山修司さんには、色々な事を学ばせていただき、まだまだ死ぬまで学び続けることであろうが、寺山さんのこの写真のショットが、すごくカッコよく、大好きな写真である。

今日は、そんな寺山さんのつむぎ出してきた「セリフ」の一節。


「さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう・・・・・」
                                寺山修司
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街はおもちゃ箱 「白鬚ビル」

2010-04-25 01:06:30 | 写真日和


金曜日、小雨降る寒い中、くたびれている自分を誘ってくれた、後輩で課長の友人Kくんと、2人の「隠れ家」となっている渋い居酒屋で呑んだ。

昔は一緒にお互い良い関係で仕事を協働していたとき以来、自分によっては「仲間」「友人」である彼が、この4月に、僕の職場の近くに戻ってきたのだ。

ときどきは一緒に呑む機会もあったが、4年ぶりに、他部署ではあるが、また一緒に仕事をする関係になった。

「相変わらず、写真を撮り歩いているんですか?」という質問に、「最近は、土日はひたすら横になって死んだように寝ていて、すっかり引きこもりでね・・・・。」というくたびれて鬱状態の僕に「肩のチカラ抜かなきゃダメですよ」と言われた。

そんな事もあって、外は寒かったが、夕方からだったがひさびさに街を探検し、写真を撮り歩くと、焦ってばかり居た自分に気づき、とても気持ちが楽になった。。。。

『街はおもちゃ箱』。
歩く道すがらでばったり出会う「発見」と「楽しみ」を、今日は、友人のKくんのお蔭で取り戻した。
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はちみつぱい 「塀の上で」'73年

2010-04-24 00:47:11 | 音楽帳


「ふるさと無き世代~東京シャイネスボーイ~」

はちみちぱい&ムーンライダーズの音楽の幾分かには、破壊される前の東京世代にしかわからないニュアンスが多分に含まれている。

東京→Tokio→Neo-Tokyoという具合に「首都」であるがために、再開発という名の元に破壊され続けて来た、僕らが生まれ・育った故郷=「東京」。

ふるさとを壊されていく姿を見続けてきた僕ら。

瞬時にブルドーザーでむざむざと更地にされ、その地にあった街の匂い・人々の体温を一掃し、その後には、のっぺりした表情を失った無味乾燥なビルやマンションが建って行く。

だが、反対運動をする訳でもなく、行動したって反対になる事が無理であるのを『全共闘壊滅』で知ってしまっている僕らは、目の前で僕らの街=「東京」が壊されていく姿を、ただ見続けてきた・・・・。

僕は、昭和41年生まれだが、僕ら周辺の仲間辺りから前の世代の東京人には、そういう語り尽くせない哀しみと痛みがある。

そ知らぬふりをして、日々を暮らしているかに見えるが、それは、ある種の「達観」というか「諦念」の境地に至った、僕らの「内密された心情」を押し殺して生きていかざるを得ない宿命。

***

このYOUTUBEでの、はちみつぱいの「塀の上で」のバックには、僕が愛してやまない、つげ義春さんの文学的作品『リアリズムの宿』。

実に「ガロ」の匂いが充満し、身をそこに下ろす事が出来る世界。

僕ら『東京人』のささやかな秘めたる感情が、なちみつぱい&ムーンライダーズ、そして、つげ義春さんの作品には詰め込まれている。

未来空間に生きる虚しさを押し殺して、僕は、この「故郷」=今は無き「東京」のかけらを拾いながら、行き続け、死んでいくのだろう。
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しょせん三国人は三国人

2010-04-20 00:28:07 | 雑記帳
【かたちんば深夜ニュース】岡本真夜、“疑惑”の上海万博ソング使用を快諾

 5月1日に開幕するらしい「上海万博」の公式PRソングが、岡本真夜のヒット曲「そのままの君でいて」の盗作ではないかとされる疑惑で19日、岡本真夜の所属事務所と本人が上海万博実行委員会から楽曲使用申請があり、快諾したとマスコミ向けのファクスで明らかにした。

 岡本は「このたび上海万博実行委員会さんより『上海万国博覧会公式PRソング』に『そのままの君でいて』の楽曲使用の依頼をいただきました。世界中が注目するイベントである上海万博に協力させて頂ける機会を頂き、とても素敵なお話で光栄です」と楽曲が使用されることに喜びのコメントを発表。

 所属事務所の有限会社noiは「上海万博実行委員会から、『そのままの君でいて』の楽曲使用申請のお話をいただきました。喜んでお受けする旨を、上海万博実行委員会にご報告いたしました」と、盗作疑惑のあった公式ソングだが、直接の依頼を受けて楽曲使用にOKを出したと明らかにした。

***

岡本真夜などの音楽には一切興味は無いが、どうして「快諾」して、心の広いような態度=「まあまあ穏便に済ませよう」という態度を示すのか?
だから日本と日本人は、連中にこうやって漬け込まれてナメられるのだ!

堂々と「パクリを謝罪し、カネを払わなければ、使用するな。
しょせんが、三国人のやりそうな事だね・・・。
カネだよ、カネ。
私は、無断でパクられ、大きくココロをキズ付けれらた。
カネを払えよ。」
と彼らのいつもの傲慢な態度と同じ事を言ってやれば良いのに。

この女も、アーチストとしての「プライド」が無いなと思う。

こないだの「毒ギョーザ事件」解決(?)で「良かった。良かった。」と笑っていた岡田外務大臣の顔に「バカです」と書いてあるような事といい、情けない日本人の態度である。

実に、情けない限りだ。
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春の雪

2010-04-17 02:02:38 | 雑記帳


今日の朝は、完璧なる過労から、仮死状態で動けず、14時過ぎ、同僚からの電話で起きる。
ひさびさに、熱い湯にうなりながら浸かり、入浴すませ、16時に出社。

また、火のような仕事の海と戦い、23:40、仕事場を出ると、氷のつぶてが降っている。

「雨は夜更けすぎに~雪へと変わるだろ~」ではないが、4月16日というのに、今夜は雪が積もるらしい。

全く、お婆ちゃんの名セリフだった「一寸先は闇」なのだ。

「春の雪」は三島由紀夫せんせいの豊穣の海の一部であるが、そんな浪漫主義的なものでは無く、寒さと疲れと泣きたいような気持ちの中、駅に向かう。

地球も、自分同様「どうにかなってしまっている」と感じざるを得ない。

***

Riverさん・あみなさん、明日、落ち着いてから、お返事書かせてもらいます。

ああ、さぶくて、毛布にくるまって寝るべし。
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三叉路

2010-04-14 00:42:00 | 写真日和


酒は一滴も飲まぬ、死ぬような忙しさの中、とぼとぼ帰り道。
横尾忠則せんせいの熱中した、イ~ィ感じの「三叉路」に出会い、ナイトモードで撮影。

「三叉路」は人生の分かれ道。
不思議で妖しい灯かりを夜に放っていた。
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Spandau Ballet 「Pharaoh」'82年4月

2010-04-12 23:58:15 | 音楽帳
1980~1981年にデヴィッド・ボウイ、ロキシー・ミュージック、そして、YMOの影響下「発火」したロンドンで発生した「ニウロマンティクス」。

デュラン・デュラン、スパンダー・バレエ、ランドスケープ、ゼイン・グリフ、ヴィサージ&ウルトラヴォックス(第2期)が主たるメンツだったが、次第にそれぞれのグループは、次の地点に向かっていった。

そんな中、スパンダー・バレエは、「ホワイト・ファンク(白人によるファンク)」を目指そうとしていた。
ファンカポリタンやア・サーテン・レイシオなどが、そういった所を目指していたが、「チャントNo.1」「ペイント・ミー・ダウン」という名曲の12インチ・シングルには「すげえ!カッコイイ!」と興奮したものだが、次第にネタが尽きてきて「結局、スパンダー・バレエは、日本で言う演歌のような『泣いて下さいませ、皆様』という『泣き』にすがる音楽なんだなあ」とがっかりした。



この1982年4月に発売された2枚目のオリジナル・アルバム「ダイアモンド」には、既に発売済みの12インチの各曲は入っているものの、一方では「ホワイト・ファンク」、もう一方では「泣いて下さい」というチグハグなアルバムであった。

それが、しょせんは、このバンドの限界だったのかもしれない。

そして、3枚目に、「例の」「トゥ~ル~」という曲の入った「泣きメロ」の固まりに逃げて行ってしまったのである。
本人たちは、「トゥ~ル~」でガッポリ儲けたかもしれないが、我々ニュー・ウェイヴの進歩主義者には、「お前ら、結局はそういう安直なところに逃げたな」という後ろ指と烙印を押さざるを得なかった。

***

まあ、そうは言えど、まだ、自分は、スパンダー・バレエには親身になっていた方だと思っている。

実は・・・・この2枚目の「ダイアモンド」の面白いところは、実は、ファンクでも泣きメロでも無いところにあるのです。

この6曲目「ファラオ」~7曲目「イノセンス&サイエンス」である。
6曲目は、明らかに、細野さん(「はらいそ」等)・YMOを取り巻くオリエンタルなムードのアルバムを良く聴きこんで来た事を反映し、7曲目はYMOを産んだ日本、及び、アジアへの大いなる勘違いが生んだ、東洋への憧れがカタチとなって出てきたものである。

当時の当人たちは生意気盛りだから、決してそれを認めなかっただろうが、「証拠物件は揃っているんだ!吐け!」
と刑事のように、カツ丼を頼みながら「田舎のお袋さんは元気か?」と「泣き」落としにかけても良い位のものである。



7曲目「イノセンス&サイエンス」には、水の流れる音・琴(こと)の音・ドラムでは無く鼓(つつみ)の音・・・・・。

実を言うと、この6~7曲目は・・・「実は、お前を好きだったんだあ」と、こちらも「泣き」ながら、抱き合わねばならなかったが、彼らは、それを拒否していた。

こういった影響・盗用・模倣・パクリは、ニュー・ウェイヴのさまざまなところで、日常茶飯事、連鎖反応を起こしていたが、「オレがロンドンで初めてYMOを紹介したんだぜ!」と自慢するヴィサージ=スティーヴ・ストレンジや、デュラン・デュランのメンバーみたいに「みんなYMO大好きで、アルバム全部持っているよ!」という姿勢ならば、「おお、そうかい、そうかい」と笠智衆のようにうなづくところ、スパンダー・バレエは最後の最後まで、それを認めなかった分、可愛げの無いバンドだった。

結局のところ「あの『トゥルー』って曲を作ったバンドね」で終わっている部分の幾分かは、彼ら自身のプライドの高さと折れなかった頑固さゆえと思うと、もうちょっとうまく立ち回れば良かったのにねえ、と思ってしまう。
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Art of Noise 「Camilla The Old, Old Story」'86年4月

2010-04-12 00:22:43 | 音楽帳


木曜日は、午前中仮死状態。
金曜日は、完璧に金縛り状態で、会社を休み、家でメールと携帯で会社とやりとり。

外は、サクラに晴天でたくさんの人出だが、1人暗い部屋で、土・日と死んだように寝る。

過労死の前に、自分はカラダの方が、停止してしまった。
先日、自分が幼い頃知っていた、母親同士が友人の、自分より1つ上の息子が、くも膜下出欠で突然、過労死した。

「ああは、なるまい。」
そう思ったが、似たような道を自分も歩いている。

しかし、自分の場合は、必ずカラダがSOSを出すので、ああはならないだろう。

***

1986年4月、自分は、2年目の素浪人生活に入った。

1月に初めてスマッシュ・ヒット「くちびるネットワーク」(作詞:松田聖子・作曲:坂本龍一)を出した岡田有希子ちゃんのEPレコードを聴いていた自分が、サン・ミュージックから飛び降り自殺した4月8日に突然出会い、その晩にうなされて恐怖で眠れなかった事、その後の事は、たぶん永遠に忘れないだろう。

それらの事は、24年たっても語りづらい。
自分もノイローゼだったからである。

4月8日は、同時に、まみちゃんの誕生日でもある。
お釈迦様の誕生日でもある。

とにかく、今は、多くの過去の出来事を思い出したくない。
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TBSラジオ「アクセス」は終われども・・・・2

2010-04-08 01:11:38 | 音楽帳
23:30(┛Å┗)電車乗る・・・・。

カラダがすごいダウナー状態。

「もう、駄目かもしれない」と思う。
眼がかすむ。

こんな事を毎日していたら、「過労死」行き確実だ。

最近の1日の楽しみは、夜のラジオ&ビール。
いま、やっとその体勢に入り、リラックマ状態。

ラジオ「DIG」からは、外山恵理ちゃんのいつものコロコロした、愛らしい笑い声。

「土曜ワイドラジオTOKYO 永六輔その新世界」は、毎週だらりんちょんしながら聴いているが、永さんを看護しながら、ほんわかした雰囲気を作り出して番組を引っ張っているのは、外山恵理ちゃんで、その存在無くしては、この番組は成り立たないと思っている。

「アクセス」は無くなってしまったが、月~木、張りつけだった渡辺真理さんも、かなりきつかっただろうから、少したっぷり休んで、ゆっくりして欲しいものだ。

自分も休みたい。

***



今夜の精神安定剤は、自分の「宝物」の1つ、フリップ&イーノの1975年の「イブニング・スター」。
多分、死ぬまで何度、この曲を聴くことだろうか・・・。

「セラピー」「癒し」というコトバが、最近安直に使われているが、もはや「形骸化」したアキバのメイドたちの店で出てくる1,800円の「ボンカレー」にハート型のご飯を乗せたカレーライスなどでは、いくら「儀式化」された「おまじない」をされても、新興宗教「真光」でもあるまいに、しょせん「ボンカレー」は「ボンカレー」に過ぎない。
旨くも無ければ、「萌え」などという一過性の熱病に浮かれる馬鹿でも無い。
そんなコンビニエンスな詐欺にだまされる程、ニンゲンのタマシイはヤワではないのだ。

今から35年前に、すでに、フリップ&イーノは、その「核心的」境地に至っていたという事実に、2人の天才の偉大さを感じざるを得ない。
ロキシーの「AVALON」同様、優れた音楽というのは、時をも超越するのだ。
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