こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

かたちんば徒然日記  ~ヘルペス星人のその後~

2010-01-31 11:18:23 | 雑記帳
「ヘルペス星人」のその後だが・・・・
見た目の「お岩さん」顔は治りつつあるが、頭痛・神経痛が治まらないので、「上野クリニック」の森田先生が、順天堂病院のペイン・クリニック科を勧めてくれて、紹介状を書いてくれた。

森田先生は、すんごい腰の低く、親切で良い先生で、親身に「ヘルペス星人」に接してくれて、ありがたかった。

まあ、いづれにしても、今までの仕事のやり方・スタンスでは、ストレスの影響でまもなく破綻する。
あまりにも、自分を酷使し過ぎたタタリが、鬱、及び、帯状疱疹・頭痛・ぴりぴりする神経痛という心身破綻に来てる。
それを、一回チャラにする方針決定した。

***

こういう時、気が弱くなっているせいかもしれないが、まみちゃんが居て、癒してくれたらな、とつい思ってしまう。
やはり、ネコほど愛する生き物は、自分には無い。
自分の前世は、ネコだったのだろう。
とにかく、気持ちを楽に持って、今後は生きていく。

無駄な仕事への過剰なクソ真面目さ、「無駄な情熱」はもう要らない。

***

実は、最初、仕事場に近くて通いやすさを考えて「東京クリニック」という3年前に大手町に出来た大きな病院に電話してみたが、こないだテレビで神業の名医とか紹介されたらしく、電話態度も横柄で、患者相手の電話というのに「3月まで埋まってますね」と天狗状態なので、「ふざけんな!」と思い、順天堂病院にした経緯がある。

なにはともあれ、木曜日、また、朝、ぐったり状態で起きたが、順天堂病院のペインクリニック科に向かう。

手続きをすませ、順番待ったが、かなり、1人1人を大事に対応する病院なので、待ち時間が長かったが、係りの人から、13:30~14:00の診察見込みになりそうなので、食事してまた戻って下さい、と話ありました。

「仕方無い、1日仕事だな・・・」と思い、仕事場に連絡したら、当然かもしれないが、悪い反応。
しかし、こちらも代休が100日近くあり、使わせてもらう権利があるのだ。
死んでも誰も保証の無い中、カラダの方が大事なので、1日仕事を覚悟して、御茶ノ水に戻り、食事をして、また、順天堂病院に戻る。

***

やっと、15時過ぎ、呼ばれて、先生の診察受ける。
若い先生だが「さすが」というようなプロの流れるような説明と分析。

頚椎の間の神経めがけて、麻酔薬を注入する施術で「神経ブロック」という治療があるが、副作用などもあると説明され、どうするかは「ヘルペス星人」次第と言われたが、優柔不断な自分だが、ここでは即「決断」し、承諾書類にサインした。



「神経ブロック」とは、カラダが記憶した痛み=ペインを麻痺させてリセットする方法。

決断はしたものの、さすがに、正直、注射は卒倒しそうな辛さでしたが・・・。
解説すると・・・・余計怖くなるので話しません。
正直辛かったですが、無事、施術を終えました。

右側に神経ブロック打ったが、麻酔の副作用がしばらくは解けず、右目・右耳がちんば、ろれつも回らない。

会計まで終わったら17時回ってしまったので、お茶を飲んで一服し、ゆったりと家に帰ることにした。

***

とりあえず、これから毎週×5回、神経ブロックを打つ方針になった。

順天堂病院はこの分野では最古で信頼性ある。
お医者さんも看護婦さんも親切かつ丁寧で良い出会いに感謝。

次第に、カラダが治癒していくことに向けて、リラックスしながら進んでいくようにしたい。
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NHK土曜ドラマ『男たちの旅路』より~車輪の一歩~'79年11月24日

2010-01-28 21:48:31 | 想い出かたちんば


NHK土曜ドラマ『男たちの旅路』は、当時夢中になって見た。
何より渋くカッコ良かったのは、鶴田浩二だった。

彼自身が特攻隊の生き残りであり、それゆえのリアリティがあった。
戦後の「若者」が「どうしても許せん」と思いながらも、生きていかねばならないという葛藤を抱きながら、その「若者」役の水谷豊や桃井かおりとぶつかりながらも、お互いの距離を縮めていく・・・。

当時の、水谷豊も桃井かおりも大好きな役者さんで、一番無骨であるから輝いていた時期だった。
特に、桃井さんには、あの他には居ない存在感・けだるさの魅力には取りつかれてしまい、「恋」してしまった。
当時の桃井かおりは(今もだが)キレイだったなあ。

日本テレビで、「ちょっとマイウェイ」というドラマが同時期あったが、その中での、桃井さんのコック姿の可愛さが、今もココロに焼きついている。

しかし、なぜあんな面白いドラマが未だにDVD化されていないのか?
それには、憤慨している。

***

『男たちの旅路』は、山田太一の脚本だったが、どの回も素晴らしかったが、特に、みんなの記憶に深く残っているのが、「車輪の一歩」という回では無いだろうか?
障害者という問題を、真正面から捉えながら、どうあるべきかについて、問題を投げかけた重要な名作だと思う。


★「車輪の一歩」(ウィキペディアより引用)
脊髄損傷による身体障害者(車椅子)の女性は母親の監視の元、自由に外に出ることが出来ない。
そこに同じく身体障害者(車椅子)の男性6人が女性に対して「外に出ようじゃないか」と誘いかける。
女性はためらいつつも、一緒に外に出るが線路で車椅子がはまってしまい抜け出せなくなる。
遮断機が降り、すんでのところで女性は健常者に救出されるが失禁してしまう。

主人公がお詫びがてら、母親に謝るが母親はそっとしておいてください、とつっぱねる。
女性は「母に逆らいたくないわ」と言うが主人公は「君はそれでいいの?」と問いかける。

ある朝ついに女性は皆の見守る中、駅に行き「誰か私を(階段の上まで)上げてください」と助けを求める。

斉藤とも子、斎藤洋介、京本政樹らが障害を抱えながらもひたむきに生きる青年の役を好演。

***

近時「セックスボランティア」という本がヒットしたが、この話の中でも、斎藤洋介が「女性とセックスがしたいんだ」と言い、母親の了解を取り、ソープランド(当時は「トルコ」)に行くが、思いを果たせず(断られた)家に戻って来る。
落ち込んだ彼に、母は「楽しんで来たかい」と風呂越しに言うが、彼が泣きながら「すごく良かったよ」というシーンに、つい、自分も感極まった想い出があります。

今では、バリアフリーだの、障害者のための措置もしっかりしてきましたが、当時は、ひどい扱いを受けていました。
でも、そんな中でも、引きこもらずに、みんなで「一歩」を外に向かって踏み出そう、という勇気に、感動を覚えました。

***

上記のYOUTUBEは、その「車輪の一歩」のシーンに流れる、ゴダイゴの「The Sun Is Setting On The West」という曲。

当時、ゴダイゴの「OUR DECADE~70年代 僕たちの時代~」というアルバムを、カセットで買って愛聴していたが、そのアルバムに、この曲は収録されています。

最近、やっとCD化を望んでいた、この『男たちの旅路』のサントラ(音楽:ミッキー吉野)もCD化が実現!!!

『男たちの旅路』のDVDともども、若い人には是非見て・聴いて欲しい。
今の地上波のくだらないドラマ見る時間あったら、是非、こういう「生きるという現実」に根ざした素晴らしいドラマを見て欲しいと思っています。
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キャンディーズ 「年下の男の子」’78年

2010-01-24 00:14:59 | 想い出かたちんば


いきなりの脱線である。
今、「昭和史」という「壮大な動画集」のDVD作成に、ヘルペス星人は、頭痛を鎮痛剤で抑えながら、取り掛かっている。

みうらじゅんセンセイの「エロ・スクラップ」では無いが、「自分マニア」のかたちんばは、自分の生きてきた時代の「超大作」の検証作業に入っているのだ。

実に長い期間がかかっている。
昭和は、64年1月7日まであるので、当然であるのだが・・・。

***

当初は、「なぜ、日本は、こんな落ちぶれた国になったのか?」という歴史的観点での検証だったのだが、自分が生まれた1966年から、昭和天皇崩御のパートになって、そこから大脱線。

すっかり、近時は、70年代の検証に入るうち、自分が「胸を痛めた」=恋をしたアイドルの検証に入ってしまった。

キャンディーズの「年下の男の子」が発売されたのが1975年2月21日、小生9歳の時点である。
毎週土曜日には、うちのお茶の間では、夜8時から「8時だよ、全員集合(ドリフターズ)」を見ることは許されていた。

よく、この番組にもキャンディーズは出ていたが、9歳の我輩は、ランちゃんとスーちゃんの両方が好きになってしまって、そんな優柔不断な自分に対して「お前は、そんなことでいいのか!どちらかを選ばないと駄目じゃないのか!」という自問自答をしていた記憶がある。

ランちゃんは、単純に、チャーミングでキュートだから好きだったのだが、問題はスーちゃんの方だった。
「性」にまだうとかった9歳児が覚えた「スーちゃん」への行為は、明らかに、「かわいい⇒好き」ではなく、むちむちした「肉欲」に対する渇望であったからである。

こういう事を言っても、2010年の人には理解されないかもしれないが・・・いつもキャンディーズを見るたびに、ランちゃんにするかスーちゃんいするか?の二者択一の間で、もんもんと苦悩していた。

その後、20代になって、欲望にまかせて二股をかけるに至る、ふしだらに染まって「汚れちまった悲しみに・・・」には、まだまだ遠き、小学生時代の悩みだった。

***

そして、そこに、ピンク・レディのミーちゃんに、オトナに変化していく山口百恵さんまで加わって、苦悩が深まっていくのだが・・・。

当時からラジオ少年だった自分は、毎晩、TBSラジオの小島一慶さんの「夜はともだち」を聴いていたが、そのテーマ・コーラスもキャンディーズだったなあ・・・そう言えば。

人は、なぜか悲しい事に、1人だけ好きになって!と相手には要求するクセに、1人だけを好きではいられないのである。

人は、悲しい事に、気持ちという内なる生き物が別物として居座っており、それは、自分では制御出来ない生き物で、どう移ろっていくかを、自分でコントロール出来ないのである。

***

・・・この後、1978年4月4日の(もう今は無い)後楽園球場でのファイナル・コンサートを最後に、「普通の女の子に戻ります」と言って、キャンディーズは去っていく。

このYOUTUBEの「年下の男の子」も、その1978年の解散間際に撮られたものだが、今、改めて43歳のヘルペス星人が見ると、ランちゃん・スーちゃん、どちらに軍配を挙げるかというと、「ランちゃん」だった。

別に「肉欲」が消えた訳では無いのだろうが、歳を食ったのは事実である。
やっぱり、この頃のランちゃんの「かわいさ」にはかなわない。
ネット上で外人にも「CUTE!」と言われるほど、改めてキャンディーズはかわいい。

***

昭和史を追いかけていて思ったが、本当にこの頃は、日本という「クニ」があり、みんながみんな、同じ時代を共有しあっていたんだな。。。とつくづく思うし、そういう時代を共有し合えた事は幸せだったのだな・・・と今になって思う。

それは、郷愁(ノスタルジア)なのだろうが、キャンディーズが、小生12歳にして、突然解散してしまう事、「お別れなんですね」と・・・それ自体に胸を痛め、ピュアに受け入れられる土壌が、まだ日本には有ったのだなあ、としみじみと思う。

***

PS:近時「PERFUME」なる3人ユニットが居るが、音はモロ「ダフト・パンク」のパクリだし、かわいくないし、興味が無いのだが、兄貴からもらったCD通信に、このユニットの曲が入っていて、シャレであるのだろうが、テクノ命で育った自分には、余りシャレにはならなかった。
この乖離は、埋めようも無い。
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映画「コミック雑誌なんかいらない」 '86年2月

2010-01-23 14:16:32 | 想い出かたちんば


1986年の2月に、「コミック雑誌なんかいらない」という映画が上映される。
何より、自分の記憶に強く残っているのが、このショット。
主演の内田裕也がニューヨーク・マンハッタンを背景に、スーツ姿で、溺れそうな必死な顔で泳いでいる姿。



当時、どんどんとマスコミが、雑誌「フォーカス」「フライデー」「フラッシュ」等の流行を通じて、とにかく『スクープ』であれば、何をやってもいいんだ、という個人情報も何も有ったものじゃない世界に、過速度を増して突入していく。
それは、まさに「言論の自由」という「コトバ」を楯に取った「言論の暴力」そのものに化していく。

上記掲載のYOUTUBEは、豊田商事の社長が実際に暴力団2人に、マスコミの目の前で殺されるという事件を、言わば「揶揄」したものだが、
実際の事件当日、多くのマスコミが豊田商事の社長のマンションの部屋前でたむろする中、彼らが取った行動と言えば、暴力団が来たのを撮影し、何事も無く、刺殺までの光景を撮り、おまけに、中にある死体にフラッシュをたき続けただけである。

***

当時の1985年辺りの、時代の空気を切り取ったという意味では、ある意味記録映画である。
(「マスコミ」の粗暴さ・下世話さを馬鹿にしたという意味でも。)

暴力団員を演じた「たけし」が、実際、この後、1986年12月にたけし軍団を率いて「フライデー」を出版していた「講談社」を襲撃に向かったのも、偶然では無く、時代の必然の流れであった。

のちのち紹介することになるが、1986年4月8日に亡くなった、岡田有希子ちゃんの死体を蹴り上げて、顔の写真を撮ろうとした不遜なカメラマンも居るほど、当時の「マスコミ」の下世話趣味が、余りにもひどかった事に、自分はストレスを感じていたが・・・・・・・・その後の25年を見ても、しょせん、この国の「マスコミ」というのはその程度と言わざるを得ない。

「言論の自由」などと言うコトバを彼らはよく楯に使うが、彼らに「言論の自由」などというコトバは似合わないし、使う権利も無い。
彼らの幼稚な解釈は「自分らの思うように、やりたいように、ねじ曲げて表現したいようにしていいんだ」というものである限り、外国からバカにされるだけの「クズ」みたいな存在であり続けるだけなのだから。
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ウィリアム・バシンスキー 「The Disintegration Loops I」01年

2010-01-21 15:57:11 | 音楽帳


過去にも一度紹介しましたが、70年代からニューヨークに住む映像&音楽作家のウィリアム・バシンスキーの「The Disintegration Loops I」というアルバムの「dlp 1.1」という63分の曲を「かたちんば(ヘルペス星人)」は、寝床で身を横たえながら聞いていました。

ブライアン・イーノの「ディスクリート・ミュージック」と同じ手法を用いています。

但し、イーノは、独自のテープループ装置で、エコーを手動でときおり気まぐれに使っているのに大して、バシンスキーは、あくまで、延々同じループが次第にテープの「いたみ」摩滅するにまかせた、本当の意味での「自動生成」の音楽なのです。

そして、その「いたみ」に拠って、音が崩壊していく様を、9・11のマンハッタンの貿易センターがテロによって次第に崩壊していくのと、イメージとしてダブらせて、この作品を2001年に発表しています。

***

この音楽作品には、別にDVDがあります。
YOUTUBEには、その一部があったので、掲載しました。

ニューヨークに住むバシンスキーは、貿易センターが崩壊した直後に、自宅の屋根の上で、黒煙があがるのを静止したカメラで撮影したそうです。

黒煙が、次第に、空に広がっていく様をとらえています。

***

同じように、ニューヨークで、この9・11に出会った教授は、まず、とにかく外に出て、必死にカメラのシャッターを切り続けたそうですが、このバシンスキーのDVDを見た感想をこう述べています。

『これを見ていると、いろいろな思考が次々と湧き上がってきますね。
もちろんあの日のことも思い出されます。
9・11の日、炎上するタワーを見ている時もそうだったんですが、不思議に視線が鳥を追ってしまうのです。
このDVDを見ていてもそうでした。

なぜでしょうね?
鳥が霊的なものであるという石器時代からの神話的思考が、21世紀の今日でもぼくたちの脳には刷り込まれているからでしょうか?
不思議と心が慰められるDVDでした。
坂本龍一』

***

不思議なもので、なぜでしょう?自分も、ココロの中で、世界全てが崩壊していく事を、いけない事と禁じながらも、その崩壊と美を結び付けてしまう。

それは、文学で言うと三島由紀夫の「金閣寺」であり、音楽で言えば、ヨーロッパの耽美的デカダンな世界-ロキシー、ウルトラヴォックス・・・・-等への憧れに結びついています。

内なる「崩壊と美」への願望があることを、僕は否定出来ません。
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かたちんば徒然日記  ~こんばんわ。ヘルペス星人です。~

2010-01-21 00:42:13 | 雑記帳


 実は、月曜朝から、よくわかんないですが、右側だけの頭痛と目・頭に赤い斑点が出て腫れ上がり始めました。
 しかし、月曜・火曜と終日会議の山で抜ける訳にもいかず、全部自分が種まいた会議の議長役なので「何とかなるやろ」と無視してましたが、次第に会う人会う人「お岩さんみたいっすね。」と言われるようになって来て、確かに右まぶたが垂れて重くなってきたな・・・・・
とは思ってましたが、頭痛も腫れも一向に引かないし、みんな医者行け行けというので、内科&皮膚科をやっている、混まないクリニックをネットで探して、今日医者行って来ました。

***

結果としては、2日遅くなったのは良くなかったようです。

検診受けたら、神経をやられたらしく「ヘルペス」だそうです。
「タイジョウホウシン」とやらのウィルス性の病気らしいです。

今日から「ヘルペス星人」です。

 医者には「本当は強い頭痛するはず」と言われましたが、「いつも肩首凝り症で頭痛慣れしているので解りませんが・・・・、メシ食う時、口開けると右側が痛いのはある」というと「痛みにカラダ側が慣れるとダメ」とダメ出しされました。

 初期消火を怠ると、3~4ヶ月引きずる人や後遺症を残す人もいるとの事で、いきなり1日5回に分けて、薬を飲めと言われました。

 ウィルス増殖阻止の為、食事に構わず、ひたすら抗生物質と鎮痛剤を毎日5回×一応3日飲み続けて、金曜経過を見て判断となりました。

 要因はよくわかんないですが、厄介な事です。
今は、とりあえず後遺症にならないよう、とにかく薬飲むだけです。

***

 まあ、なってしまったので、後は医者頼みです。
偶然ですが、小さなクリニックですが、良い先生で、薬自体が異様に高いらしく、ジェネリック薬を進めてくれて、薬局の人もいろいろ教えてくれたので、とりあえず3時間置き位に薬呑んでます。
その上で金曜はちゃんと再度、診てもらいます。

 情けない話ですが、仕事が尋常では無くて、こないだも徹夜だったりしたので、抵抗力等弱ってるのかもしれません。

 ただし、周囲のマネージャーたちが昔からの仲間で、理解してくれているのだけは救いです。

***

 ヒトはいろいろ言うでしょうが、個人的には、やっと20年近く働いてきて、やっと、三島由紀夫先生のおっしゃる「大舞台」=「大義」にたどりつきました。

 正直、今のすさんだ「とある世界」に、矢の一差しでもしないと、死んでも死に切れないという心境で闘い続けています。

 身分も抜きの勝負に出ているので、自分はどうなっても、いいのです。
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ラッパ屋 第35回公演『世界の秘密と田中』千秋楽

2010-01-17 23:06:05 | 雑記帳


今日は、MZ師・ハブ噛み師匠と3人で、昨年からチケット予約していた劇団「ラッパ屋」のお芝居『世界の秘密と田中』の千秋楽を、新宿・紀伊国屋ホールまで見に行きました。

43歳の自分と重ね合わせながらも、悲喜こもごも、「人間臭さ」を忘れない「ラッパ屋」の皆さんの温かいお芝居に、今日も、ほわっとココロが癒されました。

***

以下は、作・演出を行っている鈴木聡さんのコメント。

「田中かよっ」と、すぐツッコミが来そうなほど、我ながら腰砕けなタイトルだ。

できれば世界の秘密と対決するのは、アイドル魔法使いのハリー・ポッターや、ダ・ヴィンチ・コードの謎を追ったランドン教授でありたかった。
だがその名前は使えないし、田中には田中なりの「世界の秘密」を追う事情があったのである。
かくして巻き込まれるオマヌケな事件。
そして彼が最後に出会う「世界の秘密」とは・・?
笑いと感動。
でも切実すぎて子供は楽しくない大人のファンタジー、「世界の秘密と田中」。

田中はあなたであり私である。
さあ、田中と一緒に世界の秘密を暴きに行こう。
腰砕けになることを恐れずに!(鈴木聡)

***

田中くんは、40歳間近のお菓子の販売の営業マン。
売り歩いているのはお菓子の世界の定番「歌舞伎揚」(あのひび割れた丸いおせんべい)の「二番煎じ品」。

舞台は、田中くんの住むアパート。
田中くんの彼女は、キャリア・ウーマン(自分の大好きな岩橋道子さん)。

そのアパートを取り巻く住民たち、「新しい住民」、管理人等々の人間臭いドラマが展開していく。

結果、田中くんが40歳を境として今後の人生の行く末に悩み、その悩みを解決してくれた「新しい住民」に、彼女を取られてしまい、田中くんが、その結婚式の司会をするという悩ましい、ズキッとココロに刺さる終焉。

「ラッパ屋」は「オトナが楽しめる芝居創り」を標榜して出来た劇団だが、このなんとも言えないリアリティに、時に笑い、時に胸を傷め、人生の機微を見事に描いてくれる。

***

しかし、自分も「田中くん」みたいな存在だが、そういう自分に見えた「彼女」(岩橋道子さん)のウェディング・ドレス姿が、美しくもまばゆく、また、歯がゆくも思えた。



41歳にして、この美しさというのも驚きであった・・・。
昔、別れたオンナたちが、今、どこの場所でどんな姿で、この同じ空を眺めているのだろうと、時折ふっと思って、崩れかける瞬間がある。



そんな事を、独り思った。
舞台が終わったロビーでは、三鴨さんには遭えたが、今回は、岩橋さんには遭えなかった。

今思うが、遭わない方が良かったのかもしれない。
過去の彼女をダブらせてフラッシュバックしてパニックに陥るのならば、遭わなくて良かった。
オトナになってしまった自分は、そう思うのである。
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サーカス 「アメリカン・フィーリング」'79年

2010-01-16 15:36:11 | 音楽帳


「サーカス」というのは、今、ひさびさに聴いても良いなあと思う。
最近、何枚かのシングルは手に入れたが、素晴らしいバンドだったと思う。

1979年。
微妙に切なくも懐かしい時代。
この曲をひさびさに聴いて、まだこの時代には、貧しけれどもある種の幸福感があったのかもしれない。
そして、1980年代という、時代の分水嶺に突入していくことになる。

***

この曲のアレンジャーとして、坂本龍一は初めて国内での「編曲賞」をもらっている。
当時は、まだ「日本レコード大賞」というものに意味があった、大衆が存在し得た時代だったから。



と同時に、この1979年には、自分の人生を変える、最大の革命・カルチャーショック、YMOの「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」が、9月に発売され、翌年の1980年の「YMOブーム」が爆発する事になる。
1980年末の「日本レコード大賞」でYMOは「アルバム賞」を受賞する事になる。

この「アメリカン・フィーリング」は、その予兆のようなモノを感じさせる。

***

「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」。
みんな、これがあってこそ、今、生きてこうしているんじゃないのかい?

自分には、忘れえぬ「革命的」な1枚「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」。
少なくとも、僕は、このアルバムが無かったら、もっと違う生き方になっていただろうし、自殺していたのかもしれない。

この1979年あたりから、最終的に1989年バブル崩壊まで・・・。
1980年代の中盤まで、全ての点に置いて、トップを走っていた日本の栄光。

音楽・文化において、他を抜きん出て、世界の最先端を走っていたこの小さい島国=日本。
そのプライドを自分も持っていたし、その象徴がYMO並びに周囲を取り囲んだサブ・カルチャー世界であり、それは確実に時代を変えた「無血(無欠)革命」だった。

***

そういう時代を同時進行形で体感した自分には、2010年の崩れ落ちた日本にも日本人にも、幻滅と「憂国」しか感じない。
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Cocteau Twins 「Plain Tiger」'86年1月

2010-01-12 00:08:51 | 音楽帳
コクトー・ツインズの名盤「神々が愛した女たち(Treasure)」、そして、4ADレーベル総出の「美の結晶」=ディス・モータル・コイルの名盤をはさみ、1986年1月には、日本で2枚の12インチ・シングルが発売になった。


【「タイニー・ダイナマイン」 1986年1月日本発売】

コクトー・ツインズの、どの音楽をも寄せ付けない高貴な美しい音楽は、この時期、最高潮を迎えていた。
「神々が愛した女たち」からこの12インチに至るまでの世界は、賛美歌のように、永遠に語り継がれる音楽と、個人的には思っている。

ある人のサイトで、「そろそろ人生を総括する100枚を選ぼう・・・」とあったが、そういう意味では、YMOと共に、この時期のコクトー・ツインズのアルバムは、自分の墓に埋めて欲しい程好きだ。
自分も、そろそろ「100枚」を選定すべき時期に来たのだろうか・・・・。

***

今夜は、12インチのうちの片方「タイニー・ダイナマイン」というミニ・アルバムから、「プレイン・タイガー」という曲を勧めたい。



言うべきコトバを失う世界である。

素浪人の頃、毎日、夜が迫って来ると、僕は、この12インチを深夜にかけて、静かな部屋でヘッドフォンで聴き、別の神聖な世界に飛びたっていたのを思い出す。
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「成人式」・「成人の日」廃止

2010-01-11 22:35:20 | 雑記帳
我々の時代、もしくは、それ以下の年代の、特に、東京人は「成人式」なるものに行くのは『イナカモン』という認識でしかなかった。

『イナカモン』とは場所的な〔都市⇔地方〕という意味も含むが、要は、体制に従って、ちゃんちゃらおかぴー正装をして、ある場所に「群れて」説教を受ける、そういうモノに参加する事が、「主体性」を欠いた人格そのものであり、お笑い者だった。

まあ、自分の場合は、ハタチとは素浪人のさなかでもあったが。

***

今、ラジオ「アクセス」を聞いていたら、また、壇上に上がって騒いだりする「甘ちゃん」の「成人さん」が居たらしい。
こういう輩は、「成人さん」なので、犯罪として射殺なり処罰の対象にするがいい。

もう、20歳=成人という認識を、現代では改めなければならない。
無論、少年法の改正も視野に含めての事である。

事件当時19歳の永山則夫が、多くの支持者に支えられ、文筆家として作品を残しながら、結果、絞首刑にて国に殺され/反面、近時の未成年の極悪犯罪は無に伏している事実。

あくまで、一部の「ムラ的社会」にとっては、イニシエーションの意味は継承するとしても、日本の多くの地域は既に均質化し、通信・情報ネットワークにおいては同等となっている。

先ほどの話に戻るが、「なぜ? わざわざ成人式に出向くという行動で、既に『群れ』の単なる一員にしか過ぎないのに、そこで、壇上に上がって騒ぐ必要があるのか?」
自分には理解出来ない。
「行く」義務は無いのだから。

***

自分としては「成人式」も「成人の日」も廃止すべきと思っている。
なぜなら、カネの無駄であり、休みの無駄であるからだ。
もう意味は無い。

日本は、「ゆとり教育」だとか「ゆとりある社会」とか言うが、やたらと無駄なロスを生む弊害を作ってきた。
「ゆとり教育」が招いた失敗は既に結論付けはされているが、大学そのものの意味も既に崩壊しているので、着手すべきだろう。
誰でもカネがあれば入れる少子化の中で、センター試験も受験も、意味を失っている。
学びたい者が学べるようにすれば良い。
大学のネームバリュも、もう既に無いのだから。

また、やたら、祝日を作ったがゆえに、3連休が増えてしまったが、企業は、利益を生むべく、スリム化に向かってリストラ等人員整備・雇用体制の変化による人件費カットをしてきた結果、労働量をカバーするために、そのしわ寄せを自分らのように埋めるべく、祝日に働いているのが実態だろう。

無駄な祝日・祝祭が多いが、まずは「成人式」「成人の日」の廃止を希望する。
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