こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2015年4月29日 水曜日 身辺雑感/ポリスへの備忘録

2015-04-30 00:13:35 | 音楽帳
モノに執着した自分にしては、少しづつではあるものの、捨てる行動に出始めている。
明日なき世界にあって。

私は人生において、モノを一気に捨て去ったことが何度かあった。
一つ記憶にあるのは、中学に入る頃。
無理矢理押し付けられた教科書に学習本、ついでにお下がり受けた本などを、家の裏に積み上げて火をともした。

このようなことは何度もあったが、モノが自分を支配する。身動きを出来なくする元凶、ということはよくある。モノに限らず、人間関係含めて火をともして絶ち・剥いでいくと、中に芯が見えるはず。。。と思いきや、空っぽの真実があらわになった。

それは、某草加川沿いにカセット等をゴミとして放った深夜の暗がり。二十歳の冬。
内側で魔が騒ぎまくりどうにもならなくなった、死に向かう前の最後の風景であった。
その前後に読んでいた島田雅彦さんの「僕は模造人間」もスイッチの一つとなった。

正直、あのときの自分はどうにかしていた。だが、私が日々のおり、戻るべきサーモスタットの1つは、あのときの感覚である。「私」を構成させる中のノイズを除去した上で、見える風景こそ大事。

よく「人生は○○との戦いだ」「世界は○○との戦いだ」という言い回しがある。
この○○だが、実は何をはめても”それらしい”説得力を持つ。
たった一つですべてを括ることなどは詭弁なのだが、もっともらしくなる。

そういう意味では、「人生はゴミとの戦いだ」と言える。
親が40近くになって産まれたせいで、幼い頃やたらと何かを買ってもらえたが、無理矢理いろんなモノを「おっつけ」られた。受ける側の私はそれをどうこなし・いつゴミと認定するか?に悩んでいた。
全くぜいたくな話だが、なかなか捨てられない性格だったので、ひたすら溜まって沈殿していくモノの存在との戦いは、そんな頃から有った。
【戦争・震災・自然災害に唐突に呑み込まれ、すべてを失った方を思えば全くぜいたくだろうが、幼い頃から”経済”なる魔の手によって湯水のように不必要なモノを押し付けられ、その一方でひたすら好きな街が破壊され続け、常なるものを失ってきた私にも言えることはある。
そして今、五輪の為に東京が再度破壊進行中にある。どうせなら、ゴジラや怪獣たちに潰された方が納得できる。】


今2015年は、真理は別としても「エコ」という言葉があり、過剰消費を善とする思想と拮抗すること、(これまた疑わしい)「デジタル化」があることでゴミの相対量は減っているかもしれないが、それはただの流れ上のめぐりあわせ。それらに救われている部分はあるが、カッコで括ったように、民をコントロールするための戦略用語の1つに過ぎない。

また「断捨離」という言葉があり、それ自体の発想には頷くが、この言葉で一儲けする特定人物や受け手が”捨てねばならない”強要と誤解を受ける面があるので、どうも頷けない。
断捨離の本来の発想は、モノを捨てることではなくて、モノ以外も含めて、ある「とらわれ」となっていることからの離脱が、より良い状況に向かうという考え。
そういう意味では、実際にモノを捨てようがどうしようが、悟りとは無縁なのである。

そう言っては、なかなか捨てられない自分をごまかしている。

なぜこんなことを書くに至ったか?は、今日、比較的心が安定する喫茶店で三行日記を書いていたり、ポリスを聴いていたことだったりする。小林先生が言うような「三行日記で健康になる」ことは無いが、より少ない言葉・字数にまとめ上げる発想は良い。日々の見通しをさせやすくする。

ポリスとの出会いは「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」(1979年)。
ポリスの5枚のオリジナルアルバムで、よく最後の「シンクロニシティ」を名盤に上げるが、私個人は想い入れが強い「ゴースト・イン・ザ・マシーン」(1981年)を忘れるわけにはいかない。1981年、秋から冬への刻印。同時期に「テクノデリック」や「エデンの嵐」があった。

決して全曲が素晴らしいわけではないが、ポリスにしては、それまでにないくぐもったモヤのような音風景や、陰鬱な曲が収録されている。そして、音色(おんしょく)が素晴らしく美しいのだが、それは多分にプロデューサー、ヒュー・パジャムによるものと勝手に思っている。

「ゴースト・イン・ザ・マシ-ン」。機械の中の亡霊。
この言葉と連動していつも思い出すのが、中学生の頃夢中になって読んでいた栗本慎一郎さんの本の一節。
同じモノを大量生産させ、品質も平準化させることが可能になった今(80年代)も、そういう電気製品に当たり外れがあるというのは、モノではない、何かが作用しているはず、機械そのものに魂的な何かがあるのではないか?といった内容。そこに栗本さんは、可能性なりヒントがあると言っていて、そこにビビッと来たので、未だに覚えている。

ポリスのこのLP、A面1曲目は最初にシングルカットされた「スピリッツ・イン・ザ・マテリアル・ワールド」。マドンナが物質至上主義の世界を逆手に取って「アイ・アム・ア・マテリアル・ガール」と煽り、言い放ったのは1984年のこと。

このLPにはたくさん良い曲があるが、1981年冬の寒い中、よく脳に浮かべていたこの曲を今夜は。

■ポリス 「暗黒の世界」1981■











帰宅すると室内24℃。外のほうが涼しい。
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2015年4月20日 月曜日 ~ 24日 金曜日 -身辺雑感/PILへの備忘録-

2015-04-27 23:21:27 | 雑記帳

~”彼”のヒト言で、世界が一変してしまう経験は沢山あった。
親二人と“私“を支配し続けた”彼”。それを離れて。地の果てまでも離れて。~

4月20日 月曜日  雨と曇り  気温20.7/ 13.6
しんどい朝、ツナ&マヨネーズのパン二枚と緑茶。外から光が室内へ入ってくる。駅着けば汗だく。
都心の最寄駅、ふだんより人の多いエスカレーター。
昼、カップ麺・梅とシャケのおにぎり・お味噌汁。
20:45仕事上がる。雨は降り、風もある。なま温かい空気流れる。

A氏「不愉快な者。殺してやりたいほどの憎しみ。カラダの深奥から湧き上がる情動。
止まらないんです。止められないんです。」
B氏「ヒトを嫌ったり憎んだりすることがなぜいけない?
嫌われることを気にしていったい何になる?」


帰路車中、PILの「フラワーズ・オブ・ロマンス」を最大音で鳴らし、音を浴びる。
乳の海に呑み込まれ溺死した国と民。この地はすでに、狂人の手にイニシアチブがある。
軽蔑と忌避。嘔吐感と憤怒。

ジョン・ライドンが意識の前に現れたのは、PILのボーカリストとして。パリライヴ、メタルボックスの不気味なジャケットは知っていても。CMで「キャリアリング」を聴いていたが、意識上に彼が立ち現れたのは「フラワーズ・オブ・ロマンス」。セックス・ピストルズ含めた追体験は1981年に始まる。

どれだけ経っても飽きが来ない「フラワーズ・オブ・ロマンス」。情緒性だけという「ウソつき女」はよくウソナミダを流し・絡んできて・手を伸ばし腕組みを強要してくる。
そういう善人ズラした「女」を振り払い、毛散らし突き進んだ末、入り込んだゾーン。「・・・ロマンス」が優れているのは、「音楽的音楽」である点。
純粋な音楽を突き詰めた結果、ベーシスト不在という偶然含め突き抜けた場所に音楽が出来上がった点。

雨の中帰宅。着替え・梅入りお湯割りを呑み、スロビン・グリッスルを聴く。
冷蔵庫でキンキンに冷やしたきゅうり。ドレッシング・マヨネーズ・塩こしょうを混ぜ、付けて食べる。焼シャケとごはん、ブロッコリー、バナナ。
深夜1時消灯。睡眠導入剤服用しても、明け方4時の眠り堕ち。

占い : 「人への愛情を素直に表現できる日です。」 ← ×
正解 : 「のがれようのない人への嫌悪と憎悪を素直に表現できる日でありますように。(祈り)」


4月21日 火曜日  曇り  気温:20.5 /13.9
朝苦しむ。アラームから40分経過、やっと縦になり緑茶とサンドイッチ。急ぎで食べる・飲む。
急ぎで湯に浸かり、洗髪。初あじさい。
昼、カレーうどん・おにぎり三個(梅・焼きタラコ・ゴマわかめ)・お味噌汁。
午後、チョコパイとコーヒー。19時回る頃、画面上の数字量にもうろう・座って時折眠りに堕ちる。
20時過ぎ仕事上り、Kさんと駅まで。遠回りしたおかげで桜の下で桜餅の香りを吸う。
腹痛胃痛頭痛肩こり。お湯割りを呑みつつ、女性ヴォーカルを聴く。

4月22日 水曜日  晴・・・曇り・・・雨  気温:21.4/ 11.2
朝しばし苦しむ。バナナ二本とお茶。外快晴。ビタミン剤一錠服用。早目に入浴。
雲と青空すがすがしいさわやかさ。また電車遅れている、いつも。
トビン・ストークス「海岸線」。川へりで一服。
昼、焼きそば・助六・お味噌汁。
夕方から雨降る。20時過ぎ雨のなかの帰路。混雑。雨がくつの中へ沁みる。
疲れ目、湿疹。
夜、雨やまない。レコード整理。深夜、おそばを食べる。テレホン人生相談。

4月23日 木曜日  晴  気温:24.8/11.9
4時、夜が明けたよ、と鳥たちは鳴く。目覚めるとつけっぱなし人生相談者側がしゃべっている。
マシンガンのようにカッコカッコするスピーチマシーン、キチガイのように壊れている患者。
おしっこをして再び寝る、無理でも心身のために。

大寝坊。緑茶呑む。風呂入れぬ。良い天気。
ソトハウスガスガシイカラダハボロイマブタガアカナキチガイムシガワイテイルカラワラウノウハハハハトオオキナコエデ
どんな状況でも、楽しい安らかさが寸分たりともあるように。
ノイ「レーベ・ヴォール」聴いて揺られる。無味乾燥白痴空白地方都市に降り立つ。
午前仕事。昼終わり、独りホトトギス鳴くなか歩き出す。文化は無くとも自然は美しい。

北千住まで戻り、野菜炒めの定食を。店の外で一服付けると、暑いくらい眩しい光。
都内に移動し、戻っての仕事。
20時過ぎ、仕事場を去る。ヘヴン17を聴く帰路。
21時半帰宅、室内暑い。からだじゅうがかゆい。冷やしそばに昆布・びんちょうまぐろの刺身・お酢を掛けて食べる。

4月24日 金曜日  曇り  気温:23.9/ 14.0
朝緑茶とバナナ。酒残る。前夜、睡眠薬も服用せぬまま寝ていた。
かゆみ。日差し強く気温高い。入浴、武田鉄矢三枚おろし。
ひとっ風呂後すぐの電車、汗だく。プロパガンダ「シークレット・ウィッシュ」。

昼、ラーメン・梅とわかめのおにぎり・おくら山芋サラダ。
19時前仕事上り外に出ると、あたり一面・藍色の逢魔ヶ時。携帯電話が壊れて一ヶ月、新機種に替える手続きに向かう。(看板を掲げながらも)しょせんは外部委託の店舗。相手は店長と自ら言い、いかにもいかがわしいしゃべり方・ウソの笑顔と声色・営業にありがちな話しの運び方に大嘘とほころびが見えて笑ってしまう。
資本主義に骨の髄まで洗脳され・侵された店長。ナムアミダブツ、ナンマイダム。

21時過ぎ帰宅。新しいガラパゴス系携帯で久しぶりにセミくんに長電話。



■パブリックイメージリミテッド 「ディスアポインテッド」1989■

『約束 約束
使い古してすりきれたセコハンのセリフ
あんたについて確かなことが一つある
あんたにはあきれて物も言えないよ まったくふざけてるぜ

大勢の人の期待を裏切ったのさ
友情がみにくい頭をもたげたそのときに 大勢の人の期待を裏切った
まあ 友達ってのはそのためにいるんだろ?
友達って何のためにいるんだい?

あんたはほんとに許しがたい奴だ
誰ってあんただろ 人の話を聞かないのは
だってそうじゃないか
半月型のまぶたをして ペラペラしゃべるのがあんたの無益な護身法
まったくふざけてるぜ

行き当たりばったりの風まかせ
ポイントも定まらずにヨタヨタと 見境をなくした蛾みたいだ

馴れ合い 妄想
どこまで行ってもきりがない
あんたにはあきれて物も言えないよ ほんとにとんでもない野郎だ

阿呆と馬は 決まったコースをひた走る
俺はおどしつけられて 床につもったほこりみたいに小さくなってる
あんたはやすやすとペテンをやる まるでカネもうけのための慈善事業

けしからん連中を 世間は毛嫌いするもんさ
とっかえひっかえ仮面をかぶって 次から次へとみんなを驚かせ
あんたはやすやすとペテンをやる 慈善事業とやらとおんなじだ』(ジョン・ライドン / 訳:内田久美子)

Public Image Limited 「Disappointed」 From album『9』



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2015年4月23日 木曜日 -身辺雑感/ヘヴン17への備忘録-

2015-04-24 00:10:30 | 音楽帳

日曜うろうろしていると、水道橋の交差点に辿り付いた。
ここに40年近く前にも居たなんて、思いもしない。

まったく時が経ったこともわからぬまま、そんな気は今でも持てない。
昨日クラウディア・ブルッケンの「今」が気になって、ネットという道具で調べると老いた表情に驚き、いけないものを見てしまって、すぐに素早くクリックして、そのページを閉じた。

シーナ、キンキンや萩原流行さんまでもが消えていく日に今居て、死への恐怖が迫りながらも、どうして・・・とつぶやかざるをえない。今朝、流行(ながれ)さんの文字をネットニュースで見た時は、我が身でも驚くような、さぁっとする血の気の引き方をした。
彼の特別なファンではないとしても、”いつも、そこにいる人”が消えてしまうことに心身は反応した。

”ピーターパン症候群”などというコトバが一時「はやった」ことがあった。
たぶんそういうときならば、自分は指差されるだろう。(実際は、そうはならなかったが)
どういう時代にも「適当な物言い」が現われ、それに感染する大衆が居るが、どういう時代でもたいてい私は指差される側にいる。
要は中身はなくて、指差す側と差される側がいるだけじゃないのか?

山下達郎さんの作品に「僕の中の少年」なるものがあるが、私もそういう少年が未だ心底にある。
底というより表面に近いところまで。

現代の心理学は占いと同一線上に在って分析・分類が大好きだが、単純に言えば大人っぽい様を昼間日常演じている者は、その内側に子供の情動を宿している。
絶望。と言いながら、実は子供っぽい夢と希望が内側にまだ在って、それが音楽や物語や絵や女性や動植物への視線に投影されている。
それはよく解かっている。

実は、3月下旬からカラダじゅうがかゆいのが始まっていた。
今夜もかきまくっていて、手足から血がにじんでいる。

過去何度もこういった湿疹・じんましんになる時期があり、2011年には紫色になるようなこともあったが、理由はわからないまま治癒した。今回もよくわからない。

今日は25℃まで気温が上昇し、帰った部屋も深夜と言うのに23℃を指している。
気候が影響している面はあるだろう。

今日の帰り道、イヤホンでヘヴン17を聴いていた。やはり相変わらずカッコイイ。
単に踊るためではない類の”ハウスミュージック以降”が現れた80年代→90年代の変化に、私はクラフトワークとヴィサージが影響していると聴こえていたが、ヘヴン17もその一つである。
ホワイトファンクと言われたヘヴン17は、音楽実験の中から稀有な音を産み出したと思っている。

1991年大阪で出会ったハウスのコンピレーションCDに新旧の音楽がミックスされていたが、その一曲に彼らの「ペントハウス&ペイヴメント」があリ、何の違和感も無く、その頃異国で彼らの音を再発見した。彼らが見い出した領域の音は、もっと評価されていいと思う。

身辺雑感、とは”パクリ”である。もとはゲーテの翻訳本の一節。
この冬、神保町の古本屋さんで発見したもの。
昨日今日パラパラめくっている。突き付けられる言葉も多い。

『あせることは何の役にも立たない。
後悔はなおさら役に立たない。
前者はあやまちを増し、
後者は新しい後悔を作る。』(「格言的」から)  

『私たちが読んだ善い思想、私たちが聞いた顕著なことを、私たちは日記に書きつける。
しかし同時に、友達の手紙から独特な言説、独自な見解、ちょっとした才気あることばなどを書きつける骨折りをしたならば、私たちは非常に豊富になるだろうに。

人は手紙を片づけて二度と読まない。
人は慎重さから最後に手紙を破棄する。

こうして最も美しい最も直接な生命の息ぶきが自他にとって取りもどしようもなく消えて行く。
私はこの怠慢を償おうと企てる。』(「親和力」より)


*今夜の一曲*
ヘヴン17のファンク色強い曲は外では聴けるものの、疲れを取ろうとする夜にその類の音は向かない。
彼らのメロディアスな面が強い「ラグジュアリー・ギャップ」に入ったこの曲を、今夜は。

■ヘヴン17 「レット・ミー・ゴー」1982■

「あのころのぼくたちは いつもいっしょに
果てしなく続く道を歩いていた
それが今では 卑俗な苦悩にさいなまれ
ぼくたちの魂は牢獄の中でこごえている

かつては最先端を行っていたぼくたちが
今やそんな考えも失せた

ぼくを自由にしてくれ
数々の絶望的な幻想がぼくを笑い者にする
ぼくを解放してくれ
これきり別れるにしても さよならは言わない

ぼくを自由にしてくれ
キミが心変わりしたあの夜
天は地に落ちた
ぼくを解放してくれ

いくら骨を折ってみても
どこかうまくいかずに
必死に努力しては考え込むぼくだった

死ぬほどの苦しみを何度味わったことか
無実の罪を言い渡されたぼくに
あらゆるものがカミナリのように覆いかかる

ぼくが望むものは夜だけだ
昼間などいらない
ぼくが望むものは夜だけだ
昼間などいらない

人生最良の日々を
ぼくたちが取り戻す望みはまだある
人生の現実が語られることはないけれど

これは町唯一のゲーム
ぼくは最後のカードを伏せるだろう
そして 親を負かす

ぼくは無実の罪を言い渡された
あれはぼくたちの人生最良の日々
ぼくは最後のカードを伏せる」  (訳 : 内田久美子)

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2015年4月22日 水曜日 -プロパガンダ/クラウディア・ブルッケンへの備忘録-

2015-04-22 23:17:26 | 音楽帳

朝のラジオ天気予報。今日は快晴、すがすがしい天気の一日になるでしょう。
たしかに風がさわやかな朝だった。

ところが夕方、雨が降り出した。春の天気は不安定。

「睡眠導入剤を断って数か月。しかし不眠は直らず、眠れぬ日々が続き・肌も脳もイカれ出す。
0か100という判断は馬鹿らしい。定期自主健診で、眠剤の再開を主治医と話し、クスリを出して貰った。

病院のロビー。壁に貼りついた巨大スクリーン、NHKテレビが映る。その前を人々が行き交う。
順番を待って、ふかふかのイスに座ってぼうっとする。

クスリの番号を待ちながら音声なしのテレビ画面を見ている。
女に硫酸掛けた者逮捕、パターン化された報道形式、リアリティのいちじるしい欠落。

患者さんの行き交う視界に異物。
クラウディア・ブルッケンそっくりの女。生きる性器そのものの20代とおぼしき情婦の姿。足の根本まで明らかに見える白の超ミニに、黒いストッキング。
場に不必要なまでのあでやかな衣服、腰をグラインドさせながら病院ロビーを歩いている。

テレビ画面を見ている低い位置の自分に、立った上からの目線。
挑発と侮蔑がいりまじった冷酷な視線を、しっかりと私に向け、見下す。(2015/4/7memo)」




トレヴァー・ホーンがプロデュースしたZTT作品において、アート・オブ・ノイズと共に、プロパガンダをよく聴いた。(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドもあるが、メディア戦略の面ばかりが目立ち・音としてのクオリティを当時は認めていなかった。)

ユニット=プロパガンダには2人の女性が居る。この片方であるクラウディア・ブルッケンにはかなり奇異な印象を抱いた。彼女のふるまい・表情は、時に被害妄想的であり、精神の病に包まれた者が恐怖におびえ発狂不安をおびえるように見えた。
それは、異なる文化圏の人の表情への表出のさせ方なのか?
笑ったときは狂気か?正気か?
あいまいで理解出来ないものがあって、むずむずした。わけの分からなさに魅かれていた。

クラウディア・ブルッケンの顔立ちは、いかにも異邦人。
美人ではないのだが、不思議な造形をしており、アーチストらしい風貌。自分がバンド「プロパガンダ」と密接な頃、髪を逆立てたり、化粧と服装で七変化するクラウディアを見ていた。「デュエル」(そして「Pマシーナリー」)のクラウディアは美しかった。

高く大きな鼻筋は、男性なら巨根が・・・と、よく言われるような具合。
昔から好きになってしまう女の子になぜそそられるのか?と自己検証をすると、どの子も鼻が高く筋が通っている。
好きになる女性全員がそういうわけではないが、必ずと言っていいくらいそういう女性を目ざとく発見しては好きになってしまう。深層心理を分析すれば、要因は出てくるだろう。

クラウディアはとろんとした目が正気と狂気の合い間の不気味さを湛えており、くちびるはポテッと厚い。
声は、風邪でも引いているかのような鼻かかっており、こもった男性的声をしている。そのヴォーカルはニューウェイヴサウンドによく似合っており、「フローズン・フェイセズ」で“ハハハ”と笑いながらドイツ語でのラップ(というかおしゃべり)は、加工ソフトで歪んでいるが、妙になまめかしい。そう、彼女の存在自体が妙にぬめぬめしてなまめかしいのだ。

それら全体をくくったイメージから、私の中では”きっとクラウディア・ブルッケンはセクシャルなものが大好きなんだろうな“という確信があった。だからと言って、そんな程度のことは彼女のみではなくて、大味のガイジン女なら普通なレベル・・・、そういう偏見もあった。

実はニューハーフだった、と告白されてもおかしくはない大きなカラダと性別を越えた顔つき、性の匂いを強く感じさせる雰囲気。長い時間を掛けて集めたレコード・CD類では、いろんな表情のクラウディア・ブルッケンに出会える。音も好きだが、プロパガンダのレコードの楽しみの主は、彼女のポートレート写真にある。

プロパガンダとの初めての出会いは、12インチシングル「ドクター・マブゼ」。
深夜3時のFM番組「FMトランスミッション/バリケード」第一回目で聴き、その後、かなりのタームを置いて、ピーター・バラカンさんの深夜番組「ポッパーズMTV」でそのプロモーションビデオを見た。そういった流れだったように思う。

■プロパガンダ 「デュエル」1985■

■プロパガンダ 「Pマシーナリー」1985■




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2015年4月21日 火曜日 -頭痛、肩こり、音楽-

2015-04-21 23:51:45 | 音楽帳

2015年4月21日 火曜日
ようようと眠れぬで明け方、4時台空が明るくなり出す。眠りに堕ちる。
この休みに、小林弘幸先生の自律神経に関する話しを聴きながら、文京・本郷あたり。びっこを引きづりながら、裏通りにシャッターを切っていたというのに。いくら脳で分かったつもりでも肉体言語にならねば、何の意味もない。

朝はすぐやってきてしまう。
眼痛苦しい中、起きると付けっぱなしのPC画面で誰かが講義をしている。
アラームで気付きつつ、横からタテになるには時間を要する。

やっと起きて、お茶とパン。カラスの行水で湯に浸かり、外に出る。初あじさい。
電車は今日も遅れている。車中、グローバル・コミュニケーション「76:14」。

ひたすらもんもんと一日、数字の羅列と格闘。
友は、流れるラジオと音楽とコーヒーと。
夜になり気付くとウトウト。意識がもうろうとしてきたのでやめる。

仕事でも何でもやっているうちに、主目的などどっか行ってしまって、作業に夢中になっていることがある。何をしようとしているのか?テクニックに走っていないか?一歩の引きと自己点検と。

仕事場を出ると、温度は下がり、冷ややかな温度の風と外気がカラダに当たって心地良い。
偶然おなじ時間だったKさんと途中までお話しをして別れた。

私は散歩がてら遠回りして夜の街を歩く。
もう散ってしまったけれども、そんな桜の杜の下を通ると、なんと良い香り。
桜の葉っぱの香りは、桜餅を思い出し、アンコたっぷりのお餅を食べたくなる。

帰路の電車は比較的すいていて、途中座る。ひどい頭痛と首・肩の痛み。
帰ると、激しい腹痛・胃痛。

それらの苦しさから、「76:14」に身をゆだねていたが、少し調子戻ると、がさごそCDの渦をかきわけ整理し出す。そうだ、と思いついて、フィーメルヴォーカルCDを一ヶ所に固める簡易整理。
区分など今さらどうでもよいけれど、女性ヴォーカル、とくくってしまえばまとめやすいことに気が付く。

音楽と容姿は一致しなくてよいのだろうが、例えば強いスポーツ選手が可愛かったり・綺麗だったりすれば。。。という妄想を抱くのは、いかにも大衆的だが、音楽にもそんな要素はゼロではない。
大竹伸朗さんも好きな青江三奈が素晴らしいのは、そのヴォーカルのみではなく・妖しい雰囲気と空気感にある。特異な音を発する人には、それに値する魅力が、佇まいや容姿になって漂っている。

そう言いながら、がさごそとCDを積み上げていくと、かなりなキワモノまでがあり、これまたまったく。。。という次第。
日本人で言えば、今井美樹さんや竹内まりやさんなどはまだしも、ウィンク、河合その子、高岡早紀、深田恭子、(ハウスミックスの)山本リンダ、杉本彩、なんてものまである。
それはそれで、私の中では音楽的にも意味があるのだが。

洋盤では、コアーズやスワンダイブ、シナモンなど90年代以降出会ったバンドも、やはりフィーメルヴォーカルとしての魅力が強くて、これらのかたまりに入れてしまうと、何ともすっきりする。
聴いているうち、少し頭痛はやらわぐ。その日一番欲しい音を聴いて、好きなことをして過ごすことが何より。

■ナタリー・インブルーリア 「トーン」1997■
毎日毎日インターFMを楽しみにしていた98年に出会った切なくも美しい一曲。
今日のお昼間、12時ちょうどのインターFMからこの曲が流れた。たまらない想いの充満。




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2015年4月19日 日曜日 Tournesol 「Moonfunk」’95

2015-04-20 00:34:19 | 音楽帳

ファンク続き。というわけでは一切ないけれど「ムーンファンク」というCD。
これを演奏しているのが、トゥルヌソル。舌を噛みそうな言いづらいユニット。

■Tournesol 「Chords Of Rhythm」1995■
今にして初めて知るのが、トゥルヌソルの意味。
インターネットは、こういうとき「は」便利。
トゥルヌソル・・・昭和初期(1930年代から1940年代)の日本を代表するサラブレッド種牡馬。
とのことである。[Weblio辞書より]

音楽媒体を購入するに当たって、誰がこう言っていた、というところから音を想像して・ジャケットを見て・判断していた80年代までのところ。そこから、90年代はかなり進んでいた。

1991年大阪に放り出された自分の寄る辺の一つは、自転車と歩きで街を歩くこと。
そして近所だった梅田の音楽ショップに入り込むこと。
そこで店内で掛かるハウス以降の最新音楽を聴き、雑誌の音楽評と組み合わせて、なんとか自分に合う音を見い出すことに躍起になっていた。

しかし、なかなか良いものが見つからなかった。
音楽ショップで聴いたときはすごく良いと思って、そのCDを買って帰る。
狭い部屋で聴いたらそうでもなかった・・・。そんなことも多くて、お金をずいぶん無駄にした。

このトゥルヌソルは、阪神百貨店に入っていた「ブリーズ」という音楽ショップで買った。
輸入盤CD新譜を聴けるコーナーがあって、ヘッドフォンで視聴して良いと判断した。

この音盤「ムーンファンク」を掛けること自体、久方ぶり。処分すべきものを探していた中のこと。
お店で初めて「コード・オブ・リズム」を聴いたことを想い出した。

レコード会社はR&Sレコード。
大阪に居た頃、二週に一回発売される「TVブロス」を買っていた。そこには自分らのような何か新しい音楽を探す者にはうってつけのレコード紹介ページがあって、大いに役立った。
そこで初めてエイフェックスツインの存在を知り、そしてR&Sレコードを知ったという流れである。

このトゥルヌソルのCD。途中からラップが出てきて、決してCD一枚丸ごと好きなわけではなかったが、良い物に出会えなかったなかでは一聴に値するものだった。




















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2015年4月16日 木曜日 音楽備忘録 ~1996年4月以降の風の中で~

2015-04-17 00:40:15 | 音楽帳

1991年4月から、大阪で濃厚な5年を暮らした。
初めての異国の地だった。

文化の違いによる差別・排斥・いじめ・暴力・説教を周囲全部から浴びつつ、ふるさと東京を想い、泣きながらくいしばった。
それも、3年目から愛する街と愛する人との愛する日々に変わった。
しかし、やっと一山越えたと思ったら、引き裂かれるように東京に戻された。1996年4月のこと。

5年不在だった東京は、戻れば既に仮想空間みたいに生気が抜けていた。
自分の皮膚感覚からは「ここですら、もうヨソ者」という風を肌に感じていた。
そうなったら、よりディープなにおいがする街のすきまに入り込むしかない。
この1996年4月から東京の街歩きを再開し出す。フィルムカメラやCDウォークマンを旅の友として。

ひさしぶりに訪れた神保町。そして、音楽ショップ「ジャニス」。
ここから後は、ジャニス(やディスクユニオンなど)に出入りするうち、たまたまかかった新譜との出会いが、自分の音楽だった。

90年代後半以降、御茶ノ水神保町界隈で偶然聴いた音楽たち。
プライマル・スクリーム、スクーデリアエレクトロ、トータス、ベック、レディオヘッド、マッシヴ・アタック、ヨ・ラ・テンゴ、ボーズ・オブ・カナダ・・・・などと出会った。掛かっているその場でCDを買った。

その後、2001年。ジャニス店内で聞こえてきたウルリッヒ・シュナウスの「Knuddlemaus」に、新しいテクノの始まる息吹き、そして光を感じた。そこからエレクトロニカという言葉と音楽を知り、傾倒していった。
音楽史とか音楽シーンの流れもあるけど、やっぱり本人が出会ったものこそへの愛と想い入れは強い。

たいてい「知っているよ」という人が、もうこんな時代では多くなっているんだろうけど。
いやでも勝手に情報がやってくる・「すがるさ」がある時代だからこそ、耳年増でも情報通でもなく、一対一の偶然の出会いを大事に思っている。

■スクーデリアエレクトロ 「トゥルース」1997■
このアルバムを聴くたび、たまらなくなって音楽そのものを抱きしめたくなる。想い出深い一枚。

「・・・風の谷でいつか聞いた 鐘の音を探して
ボクは 5次元の空を行く スカイウォーカー

・・・With Love,I Do Pray ボクは祈り捧げる
すべての願いが星になる夜

That’s Much True To Say キミの元に届け
光りの滴(しずく)が ボクらを満たす That’s True」(詞・曲:石田小吉)






*出会った新譜 備忘録*   今夜思い出せるものだけ・・・
1997年 プライマル・スクリーム 「バニシング・ポイント」
      スクーデリアエレクトロ 「スクーデリアエレクトロ」
      デペッシュモード 「ウルトラ」
1998年 トータス 「TNT」
1999年 ベック 「オディレイ」
2000年 レディオヘッド 「キッドA」
      ヨ・ラ・テンゴ 「And Then Nothing Turned Itself Inside Out」 
2001年 ウルリッヒ・シュナウス 「ファー・アウェイ・トレインズ・パッシング・バイ」
2003年 マッシヴ・アタック 「100th ウィンドウズ」
2005年 ボーズ・オブ・カナダ 「トランス・カナダ・ハイウェイ」・・・etc


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2015年4月15日 水曜日 「まちがった使用方法のすすめ」

2015-04-15 23:59:59 | 音楽帳

まったく占いを信じない自分が、最近日々の占いのページをのぞきに行っている。
占いは見てしまうと自己暗示が生まれ、逆にそこに自ら導かれてしまうことや、どうにでも解釈できてしまう面が詐欺そのものなのだが、そう思ったうえでも、その日「だけ」を過ごすつもりの日々には面白い。

サイコロを転がす程度の感じ。
そういった意味では、(嫌いな)ギャンブルにはまる人と同じ。

但し、トランプの束からたまたま選び取った一枚、というとらえ方と取ると、ブライアン・イーノのカード「オブリーク・ストラテジーズ」みたいに、たまたま引いた一枚のカードに書かれた言葉から発想を広げ、そこに書かれたことを”誤釈”しながら、ある行動に出てゆく・・・。そこから何かが生まれるかもしれない。

そう思うと、占いも妄信的にさえならなければ、面白い道具に変えることができる。

***

今日は(というか今週は)ずっと仕事と人に振り回されてしまい、まったく余地がない。
今朝は早く出て、深夜帰るまで占いをのぞきにいく余裕もなかった。

すでに一日終了後、「じゃあ」と終わってしまった結果を持ち、さかのぼって見に行くとこう書いてあった。

『運気絶好調。やることなすこと成功する日です。
ひらめいたことはすぐさま実行して吉。
急なスケジュール変更もプラスの方向に働くはずです。・・・』

あまりもの真逆に、笑ってしまった。そうですか。。。

そういうときは、ウィリアム・バロウズのカットアップのように、切り刻んで言葉をつないでいき、文章を作ってみたりする。(今夜は大した結合ができなかった)
”コピペ”もそういう使い方をしてみる。

どうせネット上にある占いなど実体など何もないのだから、個人のなかにおいて身勝手な誤釈を行い遊んだほうが良い。

ブライアン・イーノの音楽実践手法は、デヴィッド・カニンガム(フライング・リザーズ)の「エラーシステム」だったり、元ワイヤーのギルバート/ルイスの「ドーム」、YMOのアルバム「BGM」だったりと、多くの波の広がりとして70年代の終わりから80年代初頭さまざまな名作につながっている。

音を組み立てる過程で、元々予想もしなかった・本人も意識できない領域にいざなわれていく。そういう音楽の創り方。このへんが、アフターパンクにおいて産まれた音楽の面白さなのである。

■坂本龍一 「ライオット・イン・ラゴス」1980 From Album”B-2UNIT”■
(ヒューマン・オーディオ・スポンジ 「スマイル・トゥギャザー・プロジェクト」
イン・パシフィコ横浜 2007年5月19日ライブ)


たしか「ライオット・イン・ラゴス」は、曲を作る過程で、使う音階に規制を掛け”この音階しか使ってはならない”というルールにのっとって組み立てた、と教授がどこかで言っていた。
そんな記憶。その考えの源流はイーノ。そういった実験から産まれた名曲。

”あの8年前のあの日”横浜で、静寂の中はじまったイントロへの鳥肌を思い出した。




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2015年4月11日 土曜日 ~ 12日 日曜日

2015-04-12 12:56:51 | 音楽帳
4月11日 土曜日

タンポポが咲いた。
踏まれても・犬におしっこかけられても・それでも・・・の路傍の草。たくましい。
散ったサクラの花びらのスキマから顔をのぞかせた。あざやかな黄色い花。

メダカたちはすいすい泳いでいる。

クロちゃんは石の上で、また目やにを垂らしている。
昔一緒に暮らしていた茶介の巨体を持ち上げては、目を拭いていたのを思い出す。
クロちゃんは拭いてあげたくてもさわれないので、とりあえずカリカリで栄養を。





今週、渋谷陽一さんの「ロックミュージック進化論」文庫本で追加されたピーター・バラカンさんとの対談を車中読んでいた。
テーマは黒人音楽をめぐって。
ソウルからファンク、ヒップホップへの流れ。たぶん、90年あたりの対談。

こないだ「ホワイトファンク」について書いたが、そんな呼称をきいたア・サーテン・レイシオやスパンダー・バレエやヘヴン17の実験あたりから以降、やたら”ファンク”という言葉を聞いたものである。
そもそも、私にとっての”ファンク”とは?といえば、特に意識したのは「ミュージックマガジン」1982年1月号”いま なにがファンクか”という記事。

そこではウィリアム・ブーツィー・コリンズ、ピッグバッグ、ブラック・ウフル、リック・ジェームズ、ファンカデリック/パーラメントといった脂の乗り切った音楽のモノクロ紹介が刺激的だった。
さらには、YMOの「テクノデリック」(1981年11月21日発表)における細野さんのグイ乗りベースだったり、果ては教授の「左うでの夢」までがあって、音をどう読み取るか?を学んだ。

今まで書いたミュージシャンの音楽を、1981~1982年に向かって聴いていく。ムダな情報や知識が無い分いずれも素晴らしい音楽と感じたが、その後「ようく分からない」感覚や嫌悪感を持つ音楽エリアが産まれていった。
それがEP-4、23スキドーといったユニットの音楽だった。

音楽雑誌を開けば、かれらの音楽に”ファンク”という言葉がつきまとうのだが、どうしても違和感があった。人工的過ぎる感触。これが果たしてファンクと呼べるのか?という納得行かなさ。

しかし、そう思われるのを彼ら自身が分かりながら、あえてファンクというものをベースとし・異なる位相に音を産み出そうとしていた。そのキッチュさは、ツボにはまる人ならば好きになれるだろうが、当時の私には受け入れがたいものだった。

23スキドーの作品に「アーバン・ガムラン」があるが、アーバンつまりは都会的な、というように本来的なファンクを離れて・それを現代的な機械を通じ、録音した音声等もまじえミクスチュアを試みた。

こういった音を、1983年~「FMトランスミッション/バリケード」などで盛んに掛かったのを通じて聴いたが、生理的に駄目だった。EP-4、23スキドー、この良さを悟ったのは3・11後といったところだろう。この変化の理由を考えるが、どうも理屈や思考じゃわからない。

■23Skidoo 「Coup」1983■











4月12日 日曜日
腰痛。ストレッチやマッサージするが解けず。昨日歩きすぎた。
夜更けまでビデオや音楽に浸っていた。だるくて珍しく一歩も外に出られず横になっていた。

魔の手を逃れる強迫神経症のように、ひたすら街にたたずむ休日という中で、こうしてとどまる日はいつ以来か?
気を張っていなければ崩れてしまう、というものは、だらけてしまうととめどもなくなる。
外に光が少ない。動けない日に曇り。

決してこの程度だけで一気に鬱になる気分の波はすでに無い。慣れている。
室内で横になって、最初はTBSラジオを聞いていた。その後、YOUTUBEに上がっていた人生相談を聞いているうち、そればかりになった。

過去、ラジオの「テレフォン人生相談」を毎日聞いていた。
それは営業だったころで、2003~05年あたりのこと。

朝から営業車を転がすと、旅の友はAMラジオ。
「テレフォン人生相談」は厳しい内容から、目をそむけたり、”これは他人事で自分はこうはならない”と思う人がいるし、その日の内容によっては私自身もそうだった。

そこから10年近くたって、幾話も聞いた。中身の濃さと現実の厳しさ。他人なんかじゃない。(同じココで生きている)
”普段過ごしているなかで、こんなことをばかり思っていたら苦しくて生きられないよ”という声が聞こえるし、それもよくわかるが、私はそうは言い切れない。

かつて紹介した上原隆さんのノンフィクション本「友がみな我よりえらく見える日は」と共通して、ここに『ほんとうの現実』がある。また、そこにかろうじて爪先くらいのリアリティと希望を与えてもらう。



■YMO 「カモフラージュ」(高橋幸宏)1981年3月21日発表「BGM」収録■
ドアの向こうの秘密
 (今、そこへ落ちて行くところ)

カモフラージュの中での解放

遠い闇の中の炎

変わり目の中を静かに動いているんです
自分をいつわる事が必要だったんです
だから、たった今ボクはそこへ堕ちて行くんです

自分の声が自分を追いかけてくるんです
自分の声が自分を追いかけてくるんです
自分の声が自分を追いかけてくるんです
だから、たった今ボクはそこへ堕ちて行くんです
 








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2015年4月7日 火曜日 ~ 10日 金曜日

2015-04-09 00:47:52 | 音楽帳

4月7日も4月8日も、私には忘れられない日。毎年思い出すこと。

1981年4月7日は、夜22:00から自室で教授のサウンドストリート第1回目を聴いていた日。
1986年4月8日は、自室のかたわらにネコのようにかわいい笑顔で映るジャケットのシングル盤があった。教授が作曲したシングル盤。
彼女の訃報を聞いてしまい、恐くて震えて眠れなかったその夜。

1996年4月8日、4つの命が誕生するさまを眺めていた。そんな一つの命がまみちゃん、もう一つの命が正(しょう)ちゃん。
その後、親ネコ=コチャコ含めたどんちゃん騒ぎの楽しい日々を一緒に過ごせた。

今夜、そんな日々を思い出す。
生きられるかぎり生き抜くこと、それがお世話になった彼らへのつぐない。

■R.Sakamoto 「Undercooled」 Live In Zepp Tokyo 2005■










4月10日 金曜日
しんどい。鳴るアラームに、十数分して立ち上がる。
まだ眠ったほうなのに、目は腫れ・目覚めぬ。

そこから十分後、むかつきをおさえてパンとお茶。目が痛い。
薬二種・各一錠服用、ヘルニア向け鎮痛剤。入浴。

島発電車遅延。やっと電車来る。
乗り換え、田舎行き電車は朝飯としてのおにぎりおほばり”すまほ”をいじるおばさん。
閑散とした車中、外は曇天の灰色。エリックサティを聴く。

いつも飲むココアがない。仕方なくワンダモーニングショットを飲む。

一日あちこち回り打ち合わせ三昧。
昼休みに喰い込み、地方都市は近くに買い物場所も無く、もらいうけたカップ麺を頂いた。

雨の夕方、ばしゃばしゃと雨をはねて、真横を通り抜けるクルマ。
傘を差し寒い中、駅に歩く。帰路。

一日じゅう打ち合わせし・話していても、外と内が分離しており、白昼夢のような幻覚。
乖離症状。歯車のズレがずっとある。

昨夜はEP-4の映像と音楽に浸っていた。そのうち夜中2時になっていた。
朝から眠くてぼーっとしていた。
そんなものはたいてい朝の一時間で去るものだが、今日は違った。

各駅停車に座る。窓の外を流れるいなか風景が見える。
造成地、巨大空き地・あたり一帯土の穴。
それが古く立派な日本家屋の横まで迫っている。
遠方から何本もの鉄塔を伝って、渡り張られた電線。縄跳びみたいに弧を描く。

広い視界の合い間に大きなこうば(工場)が埋まって廃棄物を生成している。

ボクはもう疲れて眠りたい。まぶたが腫れている。
都内に戻り・逢いたい人に会いにいく。その予定も、挫折。

***

途中ターミナル駅の電気屋さんを覗くが、何も買わず。
おなかが空き、定食屋に入る。

食べて外に出ると往来は人であふれる。冷え込みと身動きしずらい雨。
そのなか、傘を差し自閉。
身も心も閉ざす。その方がよい。
シェルター(避難所)で。

帰宅後、洗濯機を回し室内干しする。

■EP-4 「Coco」1983年5月21日アルバム「昭和崩御」発売中止■












***

4月6日 月曜日



4月7日 火曜日



2008年・秋葉原殺傷事件・現場。かんたんに人は忘れる。

4月8日 水曜日

4月9日 木曜日

4月10日 金曜日

スナップエンドウのお花。
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