彼のソロを初めて聞いたのは、教授のサウンドストリートだろうか?
1982年6月29日幸宏ゲスト回(新譜「What Me Worry?」紹介)の一曲目が「イレブン・フェイセズ」(「Waving Not Drowning」収録)だった。
(この曲を聴くたびに、翌年1983年[シックのリーダー]ナイル・ロジャーズのファーストソロアルバムに入った「ヤムヤム」を思い出す。
直接的な影響があったか否かは不明だが、彼がルパート・ハインを知らなかったはずもない。)
同じような時期、夏のじっとりした暑さの中、フィックスのデビューアルバム「密室」に収録された「ザ・フール」という曲を、クロスオーバーイレブンでエアチェックしながら聴いていた。この「密室」のプロデューサーもルパート・ハインだった。
「密室」が日本に紹介された1982年この時期は、ロキシーミュージックの「アヴァロン」やブロンディのシングル「Island of Lost Souls」をおさめた「ザ・ハンター」が横にあり、ファンカポリタン,ヘアカット100,ピッグバッグ,グレイス・ジョーンズ,デヴィッド・バーンのソロ,XTC・・・等々南洋楽園桃源郷へ向かう音楽たちがそばにひしめいて、私は電波のうねりに合わせて、カメに乗って一緒に回遊し、四六時中水のなかをゆらゆら踊っていた。めまうようなそのカラフルな風景が浮かぶ。
「サムサラ」をおさめたLP「イミュニティ」(1981年)は、タイトル曲含めて「一聴してポップ」な気がよぎったりもするのだが、A面1曲目「I Hang On to My Vertigo」を聴けばすぐ分かる通り、なにかがおかしいのである。
いわゆるロックの方々、旧態依然型バンドが踏む”ロック形式”の音の置き方がない。リズム1つ取っても、この人はどちらかというとロックでもポップスでもない拍子の置き方をする。曲創りのプロセスが分かったらもっと面白いのに、と思う。
「イレブン・フェイセズ」「サムサラ」のような成功例もあれば、駄曲もあるが、決まった枠に収まらない不可思議さが、彼の音楽にはある。