こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

写真日和 「円山町の闇」

2010-06-28 22:43:45 | 写真日和


昭和史・平成史を振り返る中で、ノンフィクション・ライター、佐野眞一さんの本「東電OL殺人事件」に2003年に出会い・熟読し・衝撃を受けた自分。

その深い深い闇に引かれていたが、渋谷に仕立てたスーツを取るに際して、室長と2人で、昭和史・平成史において重要な事件だった、この「東電OL殺人事件」があった空間・街を探索しようと円山町を歩いた。

「実」と「虚」が同居した東京の街の不思議さに、つくづくこの日もずんずん街を進み、キケンと裏腹な中、写真を撮った。

***

かつて、東急電鉄の創始者「五島慶太」も利用していた色街であったこの円山町は、今は有数のラヴ・ホテル街と化している。
渋谷の横丁を入っていくと迷路のようにホテルがひしめく街。

ここで、エリート東電OLは、夜には夜の顔に変わり、酔客や迷い込んだ男と売春を毎日(週7日)行っていた。

なぜ彼女は、そこまで執拗に最終電車まで働きまくったのか?
不思議なナゾを残しながら、彼女のナゾを解く事が出来ぬまま、殺され、犯人も断定出来ぬまま、今に至っている。
死人に口無し・・・・か。

***



昨日撮影したショットの1枚。
2010年の円山町では、ホテトル嬢とおぼしき女が、この迷路で携帯電話で連絡を撮りながら、「お仕事」をしていた。

街全体に漂う「性」ととなり合わせの「死」の匂いに、背中が寒くなった。
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写真日和 「バーゲンの季節」

2010-06-27 12:48:37 | 写真日和


土曜日は、小雨ぱらつく中だったが、バーゲンの始まりで、スーツを買いに渋谷に行った。

黒のスーツを2着仕立てて、そこから東京アッジェ。

渋谷~表参道~青山~原宿・・・・裏通りのごみごみした街臭い迷路を写真を撮りながら、散歩。
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写真日和 「Tokyo Water Front 2010」

2010-06-26 13:30:27 | 写真日和


1990年。
自分は、有明テニスの森の斜め向かいにあった「MZA(エムザ)有明」というクラブ・バー・レストラン・ライヴハウスが一体となった、当時最先端と言われた「ウォーター・フロント」と呼ばれる東京湾岸地帯で働いていた。

しかし、この「かたちんば」が、黒服になれる訳でも無く、クラブのDJをしていた訳でも無かった。
そこの掃除のアルバイトである。

朝から夕方まで、それぞれの場所を巡っては掃除をしていた。

当時、この地域には元々倉庫であったものを、その姿自体を使って、アート・スポットやオシャレな空間に仕立てるのがはやっていた。
いわば、スケルトン・インフィルである。

この「MZA有明」も、元は倉庫だった空間に、装飾を加えてオシャレな連中の集まるいかがわしい空間を作り出していた。

前夜の「祭りの後」を、静かに掃除していると、ピアスやネックレスが落ちているのを発見したり、前の夜の情事を思わせたりした。

裏庭に出ると、東京湾を一望出来、対岸には東京タワーを中心としたビルの林立する姿が見られた。

***

その1990年あたりから、約20年。
どんどんとこのエリアは発展し、まさに21世紀の亜空間が広がっている。

昨日は、ひさしぶりに東京ビッグサイトでの展示会を見に行くため、汗をかきかき電車を乗り継ぎ、新橋から出るモノレール「ゆりかもめ」に乗った。

拡大していく未知の世界・無人の無機的な様相を呈した、20XX年、人類が滅亡しても崩れないであろうビルの群れる姿があった。
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夏のフェイバリッツ③ 細野晴臣 「HELIOTHERAPY」'95

2010-06-26 09:42:55 | 音楽帳
1980年代は、1987年ニュー・ウェイブの溶解と共にはっきりしない「もやもやした」適当な時代へと入っていく。
そして、1989年頃には『ワールド・ミュージック』なる音楽業界が勝手に付けた、要は「何でもアリ」の世界の音楽のゴッタ煮、あるいは、ミクスチュアの世界に入っていく。
1989年は、東西冷戦終結・昭和の終わりの年だが、ここで細野さんは「オムニ・サイト・シーイング」・坂本龍一は「ビューティー」を発表する。

***

その後、「アンビエント」という名の水面下の動きが90年代に入って出てくる。
僕が「アンビエント」というコトバにすぐ反応したのは、元々、このコトバの概念を作り出した・提唱したのが、ブライアン・イーノであったからである。
「聴いても聴かなくても良い音楽」として、イーノが頭に描いていたのはエリック・サティの「家具の音楽」であった。

細野さんは、YMOをする傍ら、1980年前後、疲れたスタジオの缶詰め生活から帰宅して、独り聴いていたのがブライアン・イーノの「アンビエント・シリーズ」+α。
僕も1981年以降、「うるさい社会」と受験&極道的運動で心身ともに疲れて帰ってきて、部屋を真っ暗にして聴いていたのも、ブライアン・イーノの「アンビエント・シリーズ」やタンジェリン・ドリーム、フリップ&イーノ、ホルガー・シューカイ・・・・だった。




ジ・オーブの「リトル・フラッティ・クラウド」の入ったアルバムが出たのが1991年。

90年代に入り、オモテの世間では流通していないのに、「水面下で波紋のように広がっていく音楽。」(細野さん談)
「ヒット・チャートにも出ないのに、レコード屋さんに行くと売られていて、個・個がうわさレベルで情報を交換し合い、そこでだけ流通している音楽。」(細野さん談)

そこに、細野さんの関心は、移っていく。
まだ、ネット社会への移行前夜、レコード→CDにメディアが移行していくさなかの事。

***

1993年、YMOは周囲の圧力&広告代理店&業界のたくらみにだまされて「再生」し、「テクノドン」を発表し、2回だけのライブを武道館で行う。



個人的には、この「テクノドン」というアルバムは、とってもとっても素晴らしい曲がたくさん入った名盤だと思っており、今でも好きで、よく聴き続けている。
しかし、彼ら自身は「だまされた」という認識で、未だにここで作られた楽曲を再度演奏する事は無い。

BOOKOFFに行くと、こんな素晴らしいアルバムが、105円で売られている。
それは、YMO「再生」(再結成)に寄せた一般大衆の「期待」と、それに対する期待度のミス・マッチがあったためであり、多く売れて→多く(処分)売られた。

この1993年時点で、YMOが新作「テクノドン」を創るに当たって意識し・引用したのが、ジ・オーブを中心とした、「新しい解釈」での「アンビエント」だった。

坂本龍一は、当時、「この”再生”は、失敗だった。かつてあったYMOのような1つのムーヴメントを創れなかった。」と告白しているが、そこからも、この「再生」がかなり無理をしてムーヴメントを創ろうとした音楽業界の無理強いの暗躍が、本人たちの意図を離れてお膳立てされていた事がわかる。

声に、ウィリアム・バロウズを使ったり、「アンビエント」の「行ったら行ったっきり戻って来ない」という従来の起承転結方式では無い曲創りを意識したり・・・。

私は、決して失敗したなどと考えていないが、彼らは二度と、この「テクノドン」の曲を演奏しない。
ヒューマン・オーディオ・スポンジのインタビューの際にも、3人共「やりたくなかったが、舞台(ビッグ・プロジェクト)を周囲から勝手に作られて、ハメられた。」と言っている。

***

話は、細野さんにとっての「アンビエント」に戻る。

細野さんは「水面下で波紋のように広がっていく音楽。」に感心を寄せ、その精神を自分の音楽の中に吹き込みながら、ついに頂点とも言える決定版『メディスン・コンピレーション』を1993年3月21日に発表する。



「テクノドン」と同じ年だが、『メディスン・コンピレーション』は、本当に隅々までカンペキなほどに「アンビエント」な、ココロのしじまに染み入るような音楽集で、細野さんの音楽の旅の中でも、色んな実験を経た中での、1つの完成形を持っていた素晴らしいアルバムだった。

当時、大阪で営業をしていた自分は、毎晩、この『メディスン・コンピレーション』を掛けながら、地球レベルでの大地や空や自然を感知させる音楽に、ピピッと反応していた。
(まさか、1995年1月に阪神・淡路大震災が起きるとは思わなかった前夜の事である。)

***

さらに、細野さんは、1995年に「N.D.E」(臨死体験)というアンビエントなアルバムを発表する。



これは細野さんとゴウ・ホトダ、荒くれ者=ビル・ラズウェル、寺田康彦との共同作業から生まれた作品だが、あくまでクレジットは細野さんである。

真っ黒いジャケットに、小さく人らしき形の「フライング・ヒューマノイド」みたいなものが浮かんでいる・・・
それ以外の情報やインナー・スリーブも無い無愛想なつくりだが、それは「音楽だけを聴け!」という細野さんのメッセージなのかもしれない。



このアルバムと同時に、ヴィデオも作られ、ジ・オーブがライヴで使っていたヴィデオの影響が感じられるが、水の流れのような文様が美しいヴィデオに仕上がっている。

毎年、夏には、この「N.D.E」も聴くが、その中でも個人的に大好きな曲が、この「ヘリオセラピー」である。

夏の朝~昼にかけての定番である。
涼しげな曲で、大好きなのだ。
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T.E.ロレンス 「E・ガーネットへの書簡」

2010-06-24 22:59:45 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


わたしは満足を求めてあらゆる詩を読んだが満足は得られなかった。

わたしが欲しかったのは精神の食事であったのに、わたしが蒐集したのは精神のボンボンやエクレアだった。

詩をあきらめたわたしは、空想の食事を追って散文をあさり、いたるところに卑少な名作を見つけ、それから、人類よりも偉大となるべく誠実に努力したごく少数の人びとを見つけた。

わたしの空腹を満たすものは、かれらの悪戦苦闘だけだ!
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Bob Dylan 「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」'66

2010-06-24 22:16:11 | 音楽帳
19:52帰りの電車に乗る・・・・。

実は昨日午後から右脳だけの偏頭痛が続いている。
もやもや・いらいらしてしょうがない。



なんか、今日はねぇ・・・・。

僕らはみんな、目線は「お客様」に向いていなければいけないのに、つまんねえ狭い仕事場内という

「狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い狭い・・・・・・小社会」

での各セクションの整合性がうんぬんかんぬん・・・・・

「ぐぢぐぢぐぢぐぢ・・・・・・・言う奴(=塗り壁=ボトルネック)」

が居て、進めようとしている仕事が、一向に前に進まない。

いつもなら耐えうる「正気」の線を、軽々と超え、神経が『ブチッ』という音を立てて切れたので、即「標的=つくば村」に向けてロケットメールを発射。



と、同時に、元々進めて合意していた事項のメールは、強引に「塗り壁」を無視して、送信ボタンと共に、「だっぺ村」の村長さんの家も超え、しょせんは「自分はヒャクショーですから、コメ作りが命なんでえ、会社はアルバイト感覚だっぺよお~」という、世間を舐めた連中のカベも超え、全国に飛んでいった。

自分は、ヒャクショーという「戻れる場所」(ビハインド)を持った、実は「悠々自適」の、二束のわらじを履いた北関東の人種というのを、全く信用していない。

***

発射と共に、優しいタイプの後輩の上司は「かたちんばさん、ちょっと・ちょっとこっちへ・・・」と別室の『説教部屋』に招かれて・ドアを閉ざし、なだめられる。

「なぜ、そんなに興奮・過激な事するんですか。
優しく言えば、充分伝わるじゃないですか。
ここは、大人になって、表現を抑えましょうよう。」

そう言われるのが、たいていである。

しかし、俺個人の確信は
「常(つね)戦わねば、カラダが銃弾で穴だらけになるだけだ。」
という現実のありのままの事実だけだ。

 確かに、最近、リサーチの甘さから「誤爆」し、返り血を浴びて血まみれになる事もあり、ダダ盛り下がり、正座で反省する事もあるが・・・・。

***

 だからと言って、まるで「テディ・ベア」のような善人ツラ下げて、周りとの調和と「妥協」を取り、『さらり~まん』なる情けない呼称で呼ばれる・情けない集団に染まる気楽さを取るのは御自由だが、「妥協」の挙げ句「腐敗」していくのが関の山。

 誰に対しても、納得行かない事には抵抗する自分は、またもや、今日のメールで「敵」を増やし、敵陣にとっては単なる「邪魔者(=うぜえ奴)」扱いとなった。



 しかし、身を引くも押すもいずれも「苦境」であり、目指すは彼方の「約束の地(アヴァロン)」ならば・・・・・自分は『前線』[front line]で、前進すべく格闘するだけだ。



気概は、敬愛する「みうらじゅん先生」の敬愛する「ボブ・ディラン」の「Like a Rolling Stone(転がる石のように)」なのだ。



大都会の真ん中でも、たくましく・明るく生きる雑草のようなチカラが欲しい。
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夏のフェイバリッツ② 細野晴臣 「熱帯夜」'75

2010-06-23 20:53:06 | 音楽帳
今日は、20:30に家に帰ってきたが、ね~っとりと暑い夜だ。

こんな夜には、細野さんの「熱帯夜」を聴く。
「んんん~んん・・・は~・・・目を・・・閉じて~・・・・」



「熱帯夜」は、南洋志向の3部作の中のアルバム「トロピカル・ダンディ」に入ってます。

今年の夏は、数年ぶりに絶対に沖縄に行きます(`ε´)!

前に沖縄に行った際にも、細野さんのCDと南洋の音楽をたんまり持って行って、それを聴きながら、ひたすら水辺で、足だけ浸かって、カニやお魚などが漂う姿を見たり、貝を拾ったりしながら、全てを忘れてぼー・・・・っとしました。

今年も、細野さんのCDは、そんな独り旅の必需品です。
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かたちんば徒然日記  ~1週間を振り返る~

2010-06-20 09:51:42 | 写真日和
6月14日 月曜日

雨という天気のせいもあるのか?朝、ひどいウツ状態で起きるのに難儀した。
また、歩いても・電車に乗っても、ぐっ・・・という沈み具合。

仕事場では、電話に出ても、いつもは比較的優しく接する方だが、相手の問い合わせがくだらなすぎるのもあるが「君、周りに先輩はいないのかよ。相談したのかよ。」と4月入社の素人営業マンに説教。
メールも「至急!」とあり、「おまはんに言われんとも、いつも至急やっとるわ」などと「カチン(`皿´)」と来るメール・ラッシュを不愛想で全部返信!

11:20雨の中、打ち合わせのため、つくばに向かう。
涼しい半そでシャツに夏のズボンの「クールビズ」も、今日は横なぶりの細かい雨に寒さを感じる。


【南千住駅前も再開発ですっかり変わり果てた姿になってしまった。】

昼は、TXのド田舎守谷駅で、温かいわかめそば+ミニかき揚げ丼=600円セットを頼むが、そばはのびのびだし、かき揚げはしなしなでタレもご飯も少なく不満足に終わる。
やはり「せんねんそば」の旨さには負けているな。

工場の中をうろちょろし、いろんな人と話し・打ち合わせしているうち19時になってしまう。
陽は長くなっているはずだが、田舎の夜は早く・・・・・既に外は藍色。
TXに乗り、帰路を辿る。

まだ、週始めなので、今日は走り過ぎないようにしよう。
関東梅雨入り。


6月15日 火曜日

朝は、カンカン照りのドピーカンだった。



9:30~歯医者
この1週間、「ちゃんと歯を磨いたか?」のテストをまたやらされる。
赤い紅を歯に塗って、口をゆすいだ後に残った箇所を、手鏡で見させられながら、20代の若造に説教をされるのだ。
「かたちんばさん・・・(ため息)・・・この歯周病は、かたちんばさん自身の努力と我々の努力が相まって、初めて「良く」なるんですよ。
このザマでは、一向に進展しませんよ。」

「バカヤロウ!歯だけ考えて暮らせる程、こっちは暇人じゃねえんだ!」と心中は思ったが、耐えた。
通信簿をもらう。



採点は、45点なり。
チクショー。

***

昼も暑くて、たまごご飯に茶そばに油あげの味噌汁にしたが、味噌汁だけで汗だく。
自分はお袋さん譲りの暑がりなのだ。

午後は、もや~っとした湿度と温度の中、うちわをあおぎつつ仕事。
うちの仕事場は、28.0℃になるまでエアコンは入れないのだ。
温度計は、27℃を超えているが、なかなか28.0℃にならない。
地球のためと思ってはいるので、これに慣れないといけない。

夜はふたたび雨なり。


6月16日 水曜日

最近、1週間=5日労働が保たない。
この朝は、起きると、首をねちがえたのか?左の肩から首にかけて柱が1本入ったように突っ張り、まさに「首が回らない」状態に。

元々、肩こり・首こり・頭痛が激しい人間なのだが、昨夜、ビールたんまり飲んで寝た姿勢が悪かったのだろう。

元々は、お馬さんに使っていたという「パスタノーゲン」という塗りクスリを塗る。
自分の手でよく揉みほぐすが、首は回らない。

仕方なく「今日は、仕事やめや!」と18時に退散し、アキハバラへ。
そこから歩いて、ねっとり汗をかき、末広町の「ほぐしの国」へ。
いつも御指名の上手な顔なじみのお兄さんを予約。
45分ほど揉んでもらう。


【アキハバラのアダルト・ショップのショーウインドウ】

帰り道は、ふらふらとカメラを持って、御徒町~上野アメ横を通り、上野駅まで、東京アッジェ。
昼には見えない世界を撮影する。
時折、自分の身の危険を感じつつ、シャッターを切る。


【御徒町から丸池・アメ横に抜ける飲み屋街】

上野の、たまに寄るレコード屋さん「蓄晃堂」で、シングル・レコードを2枚買う。

●ネイキッド・アイズ 「僕はこんなに」(1982年・日本盤)
●エクスポゼ 「シーズン・チェンジ」(1987年・アメリカ盤)




6月17日 木曜日

今朝のゴミは、缶の日。たまりたまったビール缶を出す。



すると、珍しく、向かいのミケが静かに佇んでいた。
朝は涼しいからね。

***

仕事場に行くと大事件勃発!
4月から企画に来た32歳がやらかしてしまったのだ。

やたら自分を売り込もうとする嫌いなタイプで、32歳のクセして、よほど芝居とコビを売って来たのだろう。ありえない高い職級が与えられていて、「胡散臭いヤツやのお~」とは思っていたが。

昨日、役員との打ち合わせで鬱憤溜まっていたのだろうが、本人は何を狂ったか、誰か仲間に送る愚痴メールを、その役員に送ってしまった(ヒー)!

今朝、それが社長ならびに役員に転送され。。。。。

室長がアゼンとしておるので、自分も室長のパソコンに行って見ると、「ええええっ?」という内容。

。。。まったくかったるいんだよ。何か勘違いしているし、考え方おかしいよね。。。。とか、実名批判している内容。

仕方なく、室長が、社長ならびに役員に謝罪して回るはめに。

***

たった3ヶ月仕事したくらいで、こんなグチを吐いているようだったら、居ない方が良い。

正直少しがっかりした。
僕らの年代は、先輩からどんな叱咤されても、後先無く、必死で目の前の事に付いていったもんだが、3ヶ月で、あの横柄な態度は無い。
自信家にも程がある。

***

実は、2日前、彼が自分の所に来て相談あるというので、「いいよ」と個室で、同僚のKさん挟んで、海外戦略の重要性の背景を噛み砕いて、話を丁寧にしたし、「企画に居たら、キレイ事では済まないし、そこを僕らが突っ込んで、なんと言われても悪役になってでも、営業を導引しないといけないんだよ。」と言ったばっかりだった。

午後、胃痛がひどくて、胃薬飲んだのですが、飲んでも痛くて、何か後味悪かった。
常に同僚には支援体制のつもりでいる自分も、結果こういう事されると「めげる」ものだ。

彼自身が、この職場に居ずらくなるし、心入れ替えて頑張って成果ださないと、一生の汚点になる。
しかし、可哀想だが、あんな仕事への姿勢だったら、早々に去った方がいい。

僕も、上に対しても言う事はあるが、それはそこそこ信念なり自分の意見で持って「どうなってもいい」という覚悟でやるが。。。。彼の場合は「自爆テロ」のようなものだ。
残念です。

***

帰り道、空には三日月が輝いていた。




6月18日 金曜日

昨夜、室長と夜中3時まで呑んでいたのもあるが、この日は特別な動きが仕事に見られないのもあり、溜まりに溜まった代休消化。
朝はちゃんと起きたが、外は梅雨のザーザー降りで、やっぱり引きこもってしまった。



昼は、ほうれん草・にんにく・タマネギのパスタを作って食べた。

午後も、パソコンで音楽を聴いたり、YOUTUBEやニコニコ動画を見て過ごす。
夕方、TBSラジオの「荒川強啓デイ・キャッチ」で宮台真司せんせいのお話しを拝聴。

そんな具合に、横になってラジオを聴いていたら、17時頃からうかつにも寝てしまった。

起きると真っ暗け。
20時近くになっていて、ヒゲボーボーのまま、スーパーに買出しに行き、買い物終えて、ちびちびビールを呑んだ。


6月19日 土曜日

こないだ買ったデジタル化出来るレコードプレイヤーを前にして、レコード部屋に行きごそごそ。
1983年頃だろうか?
御茶ノ水のディスク・ユニオンだったか(記憶がおぼろげ)?
ジャケットに惹かれて買って聴いていたアンナ・ドミノの「トラスト・イン・ラヴ」が出てくる。



レーベルは、ミカド・アンテナ・ソフトヴァーディクト等面白い音楽を細々と創っていた、ベルギーのクレプスキュール。



この土曜日も、外はくもりと雨を繰り返していたので、ネット三昧。

夜23:45の「スコラ 坂本龍一~音楽の学校~」に備える。

***



ジャジャーン!
見てください、この構図。

イエロー・マジック・オーケストラの3人と、教授の「B-2UNIT」以来、彼らの詞を英文化し、そして海外向けのスポークスマンの役割を果たしたYMOとは切っても切り離せない絆のピーター・バラカンさんの4人の風景。

感動的で、コトバも出ませんなあ。。。


6月20日 日曜日

6:30起床。
外は、この時点では晴れとくもりを行ったり来たり。

洗濯をし、おコメを磨ぎ、風呂を沸かし。。。。

8:00からウィリアム・バシンスキーの「ウォーター・ミュージック」というアンビエント、60分1本勝負の微妙な変化しかしない音をバックに、この1週間を繰り返りながら、ブログを書いてきた。
外は、いつ雨が降ってもおかしくないくもり空になっているが、この後、ご飯・風呂を終え、外に出るかどうか考えようと思う。
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写真日和 「仕事場の裏の花」

2010-06-19 23:05:41 | 写真日和


自分の仕事場の裏の、道端の草むらには1年中キレイな花が咲いている。
その前を社会人がひたすら過ぎていくが、こんなキレイな花を立ち止まって見る余裕が無いというのも、寂しい人生の人々だなあと、つくづく思う。

社会から外れた自分=かたちんばは、夏の日差しを浴びて輝く花を、17日お弁当を買いに行く道すがら撮影していた。



都会でもたくましく美しさを放つ花々に、元気をもらう。
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悩んだ挙句・・・ymo観たさにチケット取りましたっすつД`)・゜・。・゜゜・。

2010-06-19 06:36:36 | 音楽帳


8月8日「夢の島公園」での野外イベント「ワールド・ハピネス2010」、邪魔な日本の雑魚バンド含めて8500円セットという納得行かない内容。

しかし、なにせ「イエロー・マジック・オーケストラ」名義でのライブ!

1980年末迄の第2期ワールド・ツアー「FROM TOKYO TO TOKIO」以来30年ぶりのライブ。

・・・・・んんんんん~、と悩みましたが、(ToT)泣く泣くチケット買いました。

昨晩から、既に買っていたDVD「POSTYMO」ロンドンライブを改めて見て、ビール飲んで。。。。
寝たり起きたり。。。。。

***

平成育ちの「ゆとり教育」の軟弱無思想クソガキに混じって、野外ライブを聴く事には、正直躊躇したのだが。

ライブは12時に始まるが、自分が聴きたいのは「ムーンライダーズ」「プラスチックス」「ピューパ」「イエロー・マジック・オーケストラ」のみ。

たぶん、こういう大御所は、夕暮れ後。
12時からの邪魔な日本の雑魚バンドの時は、ヘッドフォン持って行って、「ムーンライダーズ」「プラスチックス」「ピューパ」「イエロー・マジック・オーケストラ」のCDを予習し、ご飯を食べ、昼寝して、自分の中のヴォルテージを上げる時間に費やそうと思う。

しかし、いつもどおり1人で見に行くので、早々にとなりの人とはエセ友達になって、おしっこする時間だけは席をキープできるようにしよう。

本当は、前夜から、寝袋で、イノチかけて臨みたいところだが、そういうエネルギーも今は無いので、まあまあ、前の席を確保出来るよう、足腰を今から鍛えておこう。
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