こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2012年1月31日 火曜日 20120131 - 田村隆一「道」'96 -

2012-01-31 07:53:02 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
昨日に続いて「花の町」から紹介。


今日は「道」という見開き。



この都市では
人間の道をブリキの玩具が走っていて

人は道を歩けない
ブリキの玩具をつくりすぎて

アメリカにはしかられぱなし
ECだって不機嫌だ

ぼくたち
どこで道を失ったのか 露地まで

玩具だらけで燃えないゴミ
人間は灰になるから始末がいい

道のことだったら

猫か
花にたずねるといい

***

■椎名林檎 「カーネーション」(フル・ヴァージョン)■
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2012年1月30日 月曜日 20120130 - 田村隆一「猫の恋」'96 -

2012-01-30 07:46:00 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ
詩人の田村隆一さんの詩と、写真家・荒木経惟の写真をコラボレートして産まれた「花の町」。
小さくて、横長見開きの可愛い本。


ここでアラーキーの撮る東京の写真には、かならずどこかに花がある。
それを見た田村さんが詩を添えている。

東京大空襲でB29が焦土とさせた東京の生き残った街も、マネーという別の見えない爆弾に依って壊され続けている。
その隙間にアラーキーはやさしさや希望や過去を投影させようとしつつ、そこに花をささげる。

「花の町」のある1ページ「猫の恋」。
田村さんの詩とともに紹介する。





人に化けたメス猫やオス猫は
都会の深夜の盛り場にむらがっているが

猫に化けた猫の恋がはじまるのは
三ノ輪初早稲田行の路地裏

恋がみのったり 失恋したりするのには
アオイの花が咲かねばならない

荒川沿いを電車がゆっくりと走れば
タチアオイの背も高くなり

お客さんはビニール袋をさげた
王子のお狐さんばかり

ほんものの恋が生まれる路地は
猫の行方のように消えて行く

**************

machiko ono snap 「fly me to the moon・・・」
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2012年1月29日 日曜日 20120129 - 糸子への恋の萌芽 -

2012-01-29 15:13:20 | 音楽帳

ドラマ「カーネーション」の恋の終わり方の切なさを、引きずってしまっている。

恋には終わりは無い。
形の上で引き裂かれたり、うまくならなくても、気持ちに「はい、終わり」などいうことはない。

かつて恋して結婚の段取りまで行きながら破綻した彼女。
自分は、そのキズをいやすには、十年以上かかった。
相談した人は自分になぐさめる決定的コトバは持たない。
本人が苦しむココロを、他人はそう簡単にいやすことなど出来ないのだ。
そこで出てくるのは「時だけが、全てを次第に忘れさせてくれる」ということだけだった。
しかし、時はじりじりとしか進まなかった。
自分でしかいやせないのにも関わらず、誰か助けて欲しい、そう思ってやまなかった。

***


ドラマ「カーネーション」は、ドラマという世界なので、この土曜日でこの恋のお話しは終わって、何ごとも無く、明日からの物語は進んでいくのだろう。
だからと言って、このドラマを否定するつもりは一寸たりとも無い。
「しょせんはドラマ」という言葉は言いたくない。
ドラマの世界でありながらも、生き生きした世界だから、そこに導かれて吸い込まれていった自分が居るのだから。

また、お気付きだとは思うが、最初は「カーネーション」の設定や背景や台本のしっかりさ、それに出演者たちが産み出す世界への魅力から見始めたものの、今や「糸子=尾野真千子さん」への恋が自分の中で生まれてしまった。
またもや「あっ」と気が付いたら手遅れで、恋という病気に感染していた。

自分は、尾野真千子さんをこのドラマで初めて知った。
「萌の朱雀」という映画は知っていたが、まさかそこが出発点だったとも知らなかった。
「糸子=尾野真千子さん」という世界に自分は恋しているが、いろいろ調べると女優として実在する尾野真千子さんは、もっと違う顔を持っていた。
また、ここ数年、年を経るたびに、作品や写真によって、かなり顔付きが異なっていることも分かった。
女優たるはそういうものだが。

この人の良さは、写真だけでは分からない。
動いている映像の方が、圧倒的に魅力的である。


ただ、その変化の流れを見ると、とがった怖い顔付きから、柔和な糸子の表情へとゆっくりと移って来たように思える。
自分には、出会った今が一番輝いているように見える。
ユーモアをも含めてリアリティに近いところに至るためのスパイスがふりかけられ・人工的な感覚を排除したこのドラマゆえに、彼女自身の持つ顔や世界も広がったのではないかと思ってしまう。
芝居芝居していないのが良いし、彼女自身もこの中でそれを受容して楽しんでいるからこそ、輝いているのだろう。
そう自分の目には映る。

かつて、麻生久美子さんが「時効警察」以降、彼女の持つ世界が広がったことに、何か似ている。
尾野真千子さんの過去の作品は、これから見ていこうと思っている。

■ドラマ「カーネーション」
「二人の糸子の歌」〜椎名林檎「カーネーション」テーマ曲■【埋込禁止のため、聴く場合はWクリック】


椎名林檎「カーネーション」

小さく丸めた からだは いま・・・
かなしみ隠し 震えて
命を あらわしているのね

重く濡らした まぶたは いま・・・
よろこび 映す日の ため
心を 育ててるのね

かじかむ指ひろげて 風に揺れ 雨にさらされ
はるか空へ 身を預けて
生きよう・・・

なん にもいらない・・・
わたしが いま 本当に欲しい ものなど

ただ一つ
ただ一つだけ・・・
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2012年1月28日 土曜日 20120128 - フリードウッド・マック「面影を抱きしめて」'82 -

2012-01-28 11:46:28 | 音楽帳
朝から2回既にドラマ「カーネーション」を見る。
切ない。
切なすぎる。

なぜ、好きな人と一緒に居ることができないのだろうか?
なぜ、人はそれぞれの道を歩かなねばならないのだろうか?

ありきたりの問いかもしれない。
でも、人は永遠に、この問いをし続ける。
答えはない。
それでも、この問いをし続ける。
そうあるべきだ。
生きる輝きがそこにあるのだから。

らもさんはこんなふうなことを言っていた。
・・・恋をしたら何かがあるわけでもない。(どうにもならない場面のこと)
どうにもならない心を抱きながら、夜の道を悶々としながら歩く。
その病に憑かれて。

・・・しかし、恋が無ければ自分が生きていないのと同じようなもの。
まるで、恋というのは暗闇で唯一自分を照らす灯台のように思える。

***









***

1982年に出たフリードウッド・マックのLPには、シングル・ヒットした「ジプシー」「ホールド・ミー」も入っているが、ボク個人は、B面のアルバム最後に入っている「面影を抱きしめて」というスローな歌が一番好きだ。


スティーヴィー・ニックス、クリスティン・マックビーという2人の才女に挟まれたリンジー・バッキンガム、そんなジャケット。


「面影を抱きしめて」の原題は、「Wish You Were Here」。
ついピンク・フロイドのアルバム「炎」を思い出してしまう。

しかし、ここで語られる音は、人がなだらかに過去から未来へと進む道程の中で、振り返ってみたり・今の瞬間に戻ったり、そんな揺れ動きの中でのつぶやき。

恋は、美しい病気だが、その美しさの中に、どうしようもない苦しみや悩みという幾重もの痛みが含まれている。
逃げれるものなら逃げようもあるが、そんなことは出来ない。
ココロにウソは付けないのだから。


■フリードウッド・マック 「面影を抱きしめて」■


遠く離れてしまった2人
けれども、今もわたしのココロにあなたがいる

闇の中で横たわるわたしに、心の平和は見つからない
あなたがここにいてくれたら・・・

そして、わたしを強く抱きしめてくれたら・・・
もしも、あなたがそばにいれば、こんな夜も乗り切れる
あなたにここにいてほしい
今夜は、幼児のようなわたしだから


窓にあたるあまつぶを、数えて過ごすことはできても
さみしくてたまらない
この気持ち、どうにもできない

そして、わたしを強く抱きしめてくれたら・・・
もしも、あなたがそばにいれば、こんな夜も乗り切れる
あなたにここにいてほしい
今夜は、幼児のようなわたしだから

あなたと過ごした一瞬、一瞬が思い出よ
時は非情なもの、いつも空虚さに満ちている
わたしは隠れることもできない
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2012年1月25日 水曜日 20120125 - 作品「Chaotic Dream」'02 -

2012-01-25 22:15:33 | スケッチブック


仕事が始まって以降、なかなか絵を描くことがままならなくなった。
そういう延長線上で、90年代の終わり頃に手に入れたパソコン。
2000年代には、片方では相変わらずたまーにいたづら描きをしたり、スクラップをしては色を塗り・液をかぶせ・・する中、もう片方ではパソコンの中で絵を描くことに熱中した時期があった。

アナログとデジタルの違い。
音楽で言えば、パソコンという新しい道具の進化がエレクトロニカなどに繋がっていったようにして、自分は画面上で様々な画像をスクラッチさせる遊びを発見した。

パソコン上で作られた絵「カオティック・ドリーム」。
夢というのは、たまに記憶に残っていたりするが、ほとんどは起きたら忘れてしまう。

MZ師は、寝床のまくら元にペンと紙を置いて、起きたら見た夢の断片を走り書きでポイントだけ記し、あとで夢日記に仕上げている。

夢の不思議さは、理屈の上では決して起きないようなことが、夢の中では成立してしまっていること。
周囲を囲む人が、自分が別の年代に会った人なのに同じ場面に同席して仲間だったり、実現不可能な超常現象に近いことが起きていたり。。。。
空を飛んでいたり・・・ビルがぐにゃぐにゃだったり(シャブはやってません)・・・。
本来は、異質な「時」と「空間」に置かれていたはずのものが、それを跳躍して組み合わさると、夢ならではの奇妙な別世界のリアリティが生まれる。
まさに「カオス」の象徴が夢である。

画面上での組み合わせの遊びも、そんな亜空間に繋がるような気がする。
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2012年1月24日 火曜日 20120124 - 2003年の断層 東京・新宿~ゴールデン街 -

2012-01-24 22:21:38 | 写真日和
まだ元気であった頃、休みには必ず写真を街へ撮りに行っていた。
2003年、街に突き進む中で、迷い込んだ新宿、そして、ゴールデン街の写真。
ここから9年が経過しているので、この風景が今あるのかどうか、それは分からない。

東京という街は、記憶喪失都市。

まだ、ともしびをはなち、息使いを残した建物・街角・裏通り・・・・
瞬間、瞬間を逃がすことなく、記録として写真に定着させるしか、自分には手がない。

そう言いながら、平日の疲れにへたってしまい、なかなか街に入り込むことが出来ない今の自分がもどかしい。





































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2012年1月22日 日曜日 20120122 - 作品「鳩びっこの夢」 -

2012-01-22 08:37:53 | スケッチブック
90年代後半、愚にもつかないスケッチブックへのいたずら書きを再開した。
と、いっても遅々として進まず、描いたり、そのへんにあるものをノリで貼り込んだり・・・ああ、やっぱりダメだ・・・
と放置しては数箇月後に眺めて、色を塗ったり、線を書いたり・・・
アクリル絵の具やら、溶かした液をぶっかけたり、塗りつぶしたり・・・
ひっかいたり、こすったり・・・

出来上がる、とも、出来上がらない、とも、どっちつかずの状態のスケッチブックの中のページ、ページ。

相当な時間を経て、そんなものを引っくり返して、スキャナーで取り込んだ。
それは2000年以降。

その一部を載せる。

これは、MZ師が見た夢が元となっている。
夢の中に、びっこのハトが出てきた、という話しを聞いて描き出した「鳩びっこの夢」。

これとは別に、スクラップで貼り込んだものに、アクリルで着色して、そこに外壁に使うスプレーペンキを買ってきて吹き付けした「鳩びっこの夢・2」。



「ところで、ご趣味は?」とたずねる常套会話しかできないヤツと話さざるを得ないときが、人付き合い上、避けられない。
そんな際に、話しを進める中で、音楽と言えば「どんなジャンルを?」。
アートと言えば「油絵ですか?水彩ですか?」。

「はああぁ・・・」と、ついためいきを付いてしまう。
こういう人に何かを言ってもムダなのは分かっているのだが。

とどめは「何が絵を描かせる衝動なんですかねえ?」という質問。
「そんなこと分かるかいな!」ココロの中でツッコミを入れたくなる。
コメント (15)
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2012年1月21日 土曜日 20120121 - 秘めたる想い -

2012-01-21 08:51:51 | 音楽帳

朝、「チョー眠いんですけど」、アラームを掛けて、7:30〜のドラマ「カーネーション」を視る。
大きな山場であったことが分かっていたので、必死に起きて。

ほっしゃんが社長の新しい女性向け「レディメイド」衣料店の開店に向けて。
長崎へヨメ・子を残して岸和田に来たテーラー、周防さんへ惹かれる糸子。
「恋しゅうて、恋しゅうて。。。」

お店の準備が整い、ミッションを果たした最後に、糸子は洋服に着替え、最後の挨拶にお花を持って周防さんにお別れに行く。

そのとき、お化粧をする姿の尾野真千子さんが、ドキッとする美しさだった。

糸子の岸和田人らしい歯切れの良さは、東京下町のべらんめえで、ずばずば本当のことを言ってしまう我々下町生まれとダブるものがある。
まあ、そのことによって、日々損をしてしまい・失敗を繰り返してしまうのだが。
性格上、ハラに抱えて黙っておく、なんていうシャレたことなんか出来ないのだ。

(自分と同じ三ノ輪で生まれ育ったうちの81のお袋さんは、今頃、ハードロックを朝からガンガン掛けて、最近甘ったれになってしまったコチャコをどなりつけながら、相変わらず突っ走っていることだろうが。。。)


糸子「開店おめでとう。。。。お別れだから言うけど。。。好きでした。」




周防さんは、言って去ろうとする糸子の手をつかみ止める。
「自分も。。。ずっと前から。。。すいとった。。。」と糸子を抱き寄せる。


ドラマは、これから急展開していく。

***

この場面を見て、思うことが多くあった。
1991年4月〜1996年3月の5年間、生まれて初めて異文化をモロに浴びた中、ずいぶんと恋をした。
たくさんの女性と巡り会った。
そこで分かったのは、関西は本当の意味で生きることへの執念を持つと同時に、だからこそだが、口が悪かろうが、いつも正直に心情を吐露する。

本音でぶつかり合える。
まあ、だからこそ、生まれて初めて自分は「好きだ」とまっすぐ自分の意志を伝え、恋に堕ちることが出来たのである。

1996年4月に戻った東京が皮膚感覚的に違和感を覚え、よそよそしさを感じたのはそういった背景があった。
その後も、さまざまな女性と巡り会ったが、いくらアタックしても自分の恋しい孤独は癒されなかった。
「また、会いましょうねえ。」などとコトバにはしつつ、それが本音では無いという事実。決して本音などは語らない。
それは東京の流儀の1つではあるが、それだけではない。

関西に限らず地方にもしも居たら、自分はとうの昔に結婚していたであろう。
私が思うのは、東京に住む人が・・・ということではなく、東京という街そのものが人に作用する動きが影響することの大きさ。
街が人を変化させるのだ。

2人で居ても、その間には見えない膨大な情報と空気が介在する。
それは、自分がブサイクであることを差し置いても・というか・それも1つの記号や情報の一部だが・・・ブライアン・フェリー流でロマンティークに言えば「Space Between US」という距離感。
2人しか居ないのに、そのあいだに介在し・阻害する空気。ノイズ。
関西は人が先にあって・それとは別に街がある。
一方、東京は街とシステムが先にあって・それに従うようにして人がいる。

・・・・恋しゅうて、恋しゅうて、仕方が無い。

■Roxy Music 「True To Life」(From「AVALON」1982)


PS:18:45からのBSでの「カーネーション」を再度見た。
糸子が去ろうとするシーン、周防さんが手をつかみ抱き寄せる。
永遠の一瞬。
らもさん流に言わせれば、時間が水平に流れるに対して、恋とは瞬間に生まれる垂直の時空。
そのシーンがまばゆいほどの朝の光を浴びていた、あの光の演出は実に見事だった。

くだらない物ばかりが、うじゃうじゃと・・・・
くだらない放送だけがひたすら流れる。
そんな中で「カーネーション」だけが、今の自分の支えである。

「社会が・・政治が・・」それもケッコーだが、この物語は、絶望のさなかでも、温度を持った人が居て、悩みながらも生きていこうとする意志が読み取れる。

元気である必要は無い。
元気であるワケが無い。
しかし「死ぬな 生きろ」と言った藤原新也さんの言葉がよぎる。

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2012年1月20日 金曜日 20120120 - 連合赤軍の深い闇 -

2012-01-20 21:34:02 | 雑記帳

30代以降、自分は80年代より前の生きてきた時代の確認をしてきた。
本や映像や人からの話を含めて。
それは、1つには自分が生きてきた時空と自分の関係性の確認作業であり、もう1つには自分が生まれる前までをも含んだ・私が生まれ育った日本・東京を確認する作業であった。

その自分の位置確認作業は未だに続いている。

***

その一部として、70年代について近時の関心は偏っている。

私が1970年4歳のときに大阪・吹田での万国博覧会に家族で行き、岡本太郎の太陽の塔の前で・当時熱中していたフィンガー5のアキラのサングラスを掛けて撮ったむじゃきな写真。
まさか、当時、その一方でこの年に三島由紀夫師が市ヶ谷駐屯地で割腹自殺を遂げたことなど思いもしなかったことだった。

1986年精神を病んでふらふらで自殺前に最後の挨拶に行った兄との会話で知った「三島の死に方のように・・・」というセリフ。
そこから神保町をふらふらとさまよい歩きながら買った三島由紀夫の「仮面の告白」、そして「太陽と鉄」。
ハタチで知った三島由紀夫の死に様が自分に与えた衝撃はすさまじいものだった。

三島先生がどうあろうが、それとは無縁に、結果論として、自分は自殺へ向かうこととなるのだが・・・。未遂に終わる。

***

66年生まれのおぼろな記憶~70年代の記憶は、生まれ育った下町・三ノ輪のモノクロームの風景と密着につながっている。
それと共に、今は亡き家の真裏の幼稚園~越境入学させられた千代田区永田町小学校に通う中の日常ともつながっている。

1963年・昭和38年に起きた「吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐殺人事件」は三ノ輪に近い入谷で起きたものだったので、よくわがまま言ったり・暴れた幼少時には「あんたも吉展(よしのぶ)ちゃんみたいに誘拐されなさい」と母親に近くの公園に抱きかかえられて捨てられた記憶がある。
自分は泣きながら、素足で土を踏みながら、夜の暗闇の中、家を目指して母の後を走った。

その前の年の1962年・昭和37年の「三河島事件」。これも三ノ輪に近い場所。
幼い頃からようく親や親戚から「火が付いたままの燃えた電車が走ったんだよ。みんな歩いて現場見に行ってなあ・・・。」と話された記憶。

小学校に入ると、1968年・昭和43年に府中刑務所前の道路で起きた三億円事件の「例の」モンタージュ写真は、街のあちこちで見た。

1972年・昭和47年のあさま山荘事件で、テレビでの中継でクレーン車が鉄球を山荘に打ち込む映像を見ていた記憶。

1974年・昭和49年の三菱重工爆破事件では、霞ヶ関オフィス街で爆破した頃、その地下にある地下鉄に乗っていた。
テレビで血まみれの人々の姿の映像を見て初めて事態を知る。

永田町小学校は、自民党本部のまん前にあるので、トイレ行ったり・手を洗ったりする中、窓ガラスの向こうでのデモ行進、右翼や左翼がやってきての拡声器での叫びは日常茶飯事だった。

さまざまな事件が、濃淡を付けながら、記憶の中に沈殿している。
しかし、それらの本当の意味を知るには、時間をはさまねばならなかった。
同じ時空で起きていたはずの事柄は、まるで二重構造の世界のように、二つの世界は二つの川のまま、流れていた。
そこに接点があるとすれば、6つ上の兄の長い髪と無頼なありさまであった。

***

その真意に近づくのは、ゲバ棒をふるっていた坂本龍一や糸井重里を知って以降のこととなるが、学生運動が何を意味していたのか・・・。
・・・・・全共闘と東大安田講堂をめぐっての戦い、その制圧以降、逆に先鋭化と地下潜伏化していくその後の左翼活動。
・・・・・連合赤軍の結成・・・・その後の活動と、あさま山荘に結果至る道とそこでの鎮圧による左翼活動「ブーム」の終息。
残党たちによるテロ活動。

その一連を本や学生運動を経験した人々のインタビューを通して知る。
そして、連合赤軍の山岳での悲惨を極める事件を知った。

素浪人~ハタチの頃、兄が結婚して家を脱出してしまい、もぬけのカラと化した部屋に残った大量の書籍の渦からさまざまな本を引っ張り出して見る中で、とある一冊。
「昭和の犯罪史」という5~6センチの分厚い本。
これを興味深く読むことによって、戦後の昭和の犯罪の数々の詳細を知る。
その中の一つであった連合赤軍の記事内容。山岳で起きた事件は、みずからコトバとしては発しがたい重さがあった。

そのもやもや感は今も変わりない。

***


実は、今週のスタートがひどい鬱状態ではじまってしまった要因の1つが、14・15日の土日に、2008年に公開された映画、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)」というものを見てしまったせいである。
そして、そこから再度、あの70年代時点での左翼のあり方、そして共産主義へと駆り立てたものは一体何だったのだろうか?
そういう振り返りから、さまざまな本を引っ張り出して読むうちに、血も凍るような地点に行ってしまったことによる。

現段階では、明解な何かを語ることは出来ないが、共産主義化・革命を果たす為に、山ごもりをして訓練を積む中で、仲間が仲間をリンチで殺すという事態。
「自己批判しろ!総括しろ!そうせねば、共産主義化への革命戦士にはなれないんだ!」という森恒夫と永田洋子がほぼ主導権を握りつつ、結果12人が亡くなるというおぞましい集団状況に至った。

森は獄中で自殺し、永田は昨年・刑務所内で病死する。
果たして、死刑囚であった永田洋子へ死刑執行をせぬままにして、病死まで行き延ばさせたこと自体、是なのか?非なのか?
また、本当の意味での山での事件の「総括」がなされないまま・あいまいなままとなっている。

追い詰められたモノたちの集団心理という面では、底流を流れるものは、オウム真理教へとつながっていったのではないのか?

大塚英志の「彼女たちの連合赤軍」を引っ張り出し、改めて「昭和の犯罪史」を引っ張り出し・・・・
さまざまな想いが浮かんでは消えて、先週の土日は、闇のような室内で過ごしてしまった。
結果、自分の中でも、これという結論なり・意見というものが出せないでいる。


再度、もやもや感が募ったまま、月曜日を向かえてしまったのである。
「あそこ」から40年と言う時間の差は、朝のまぶしい光景と2012年の様。
「とてつもない遠くに来てしまった・・・」そういう感覚。

歩くのがおぼついていた。
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2012年1月18日 水曜日 20120118 - 不安と戦わないこと -

2012-01-18 22:08:45 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


昨夜、夜中に帰って、珍しく地上波テレビを回してみた。
地上波テレビを否定しつつも、大好きな山瀬まみちゃんが出ているNHKの「ためしてガッテン」をやっていて、深夜の夕食を摂りつつ見る。

不思議なめぐり合わせ、というものはあるもの。

悩ましい会議前の日に電車で「気がラクになる・・」本などという「ありがちな」「処世術」を引っ張りださねばならぬほど、精神がダウンしているときに、こんな番組にめぐり合う。
夜中やっているというのは再放送なのだろう。

中島らもさんが、かつて「その日の天使」というエッセイ(「恋は底ぢから」収録)で書いていたことを思い出した。
ジム・モリソンの詩で好きなセリフを引用して、その日その日には、かならず天使や神という者が居る・・・というエッセイだった。
仕事でぎゅうぎゅうずめ。
絶望感に打ちひしがれた冬の深夜の帰り道。
みけんにシワを寄せて悩む中、焼き芋屋さんが「お~いも~」と屋台を引きながら語る口調に思わず、ほっこりしてしまった。

これが、この日のボクの天使だった、というお話し。

めぐり合わせ、というのは不思議なものである。

***

昨夜の「ためしてガッテン」のテーマは「不眠ストレス緊張撃退 簡単トレーニング」なるもの。
昨夜の自分は、むしろ眠いし、早く眠らねばならない会議前夜。
自分の気持ちは「睡眠薬を飲めばじゅうぶんに眠れる」。

そんないつもの感じではあったが、明日をどう対処すべきか?には悩んでいた。いつも悩んでばかりいるが。
テーマとは若干ズレるが、参考になった。

というか、この番組自体よりも、その後検索して見つけた「健康増進法ブログ」というブログの記載内容に救われた感じ。
「ほっこり」などする余裕は無かったが、らもさん流に言えば、昨夜の「天使」だった。

下記は、そこからの引用であるが、悩める方々への「今日の天使」なり「救い」になれば・・・と思う。

ブログ・アドレス http://blog.livedoor.jp/webrich2-health/archives/2049697.html

以下要約引用する。

・・・「不安」は、無理に押さえ込もうとしたり、不安から目をそむける(酒の力を借りて逃れようとしたりする)と、巨大化する性質があります。
不安が強いのは性格のためではなく、脳のメカニズムのせいです。

例えば、大震災をキッカケに、地震が起きたらどうしよう、食料品が買占められたら、主人が大怪我をしたら、と不安感がだんだん募っていき、不眠になる人もいます。
・・・・・・普段、頭の中を客観的に見ているのですが、何か不安の種を見つけると警戒態勢に入り、不安感を生じさせます。
でも通常は20~30分でそれは消失します。

しかし、不安感を無理に押さえ込んだり、酒に逃げたりしていると・・・・・・より不安の種にフォーカスしようとします。
その結果、再度不安を感じる現実に直面したり、酒が切れると、脳の中で不安の種が以前に増して強調されてしまいます。

これがひどくなった場合に、元の冷静なモノの見方ができなくなり(不安を客観的に認識していた頃に戻れない)・・・・・・。
・・・・・・これが不安巨大化のメカニズムです。

・・・・・・仏教の修行の一つ、『座禅』が効果があります。
アメリカの研究論文では、座禅を続けていると、「内背側前頭前野」が分厚くなり、不安に強く対応できるようになるという結果が出ています。
座禅とは、カレーライスを見たら、”美味しそう”とか”腹が減った、食べたいなぁ”とか思わず、連想するのを止め、ただ”ああ、カレーなんだな”と素のままで受け止め、思考の連鎖を止めることなんだそうです。

しかし、座禅を勧めるのでは、「簡単脳トレ」ではありませんので、番組では、座禅の効果があっという間に身につく方法を伝授しました。
それは、早稲田大学・人間科学学術院の熊野宏昭教授が教える不安を流す方法です。

・軽く目を閉じ、小川と落ち葉を思い浮かべる。
・次に心の中に浮かび上がる思考(不安な事など)を落ち葉に乗せて川に流す。
・これを繰り返す。

ただこれだけです。
これを1日に10~15分、毎日続けます。
そうすると、1週間ほどで、不安が巨大化する不安症が消えていき、「何とかなるさ」という落ち着いた気持ちになれ、不眠の人も眠れるようになっていきます。

もう一つ、不安から抜け出すおまじないとして、「~と思った」というフレーズを不安な気持ちになった時につかうとよいそうです。
「また仕事で失敗して、俺ってダメだなぁ・・・」と落ち込んだ気持ちになったら、最後に「と思った」と付け加えます。
そうすると、心を客観視する力を鍛えることができ、不安にとらわれない性格になっていけるということです。
この「~と思った」は、熊野教授が実際の治療でも使っているメソッドだそうです。

以上が、今回の「ためしてガッテン」でしたが、不安や緊張におびえる時でも、それは手に負えない性格のせいではなく、脳の一定部位のメカニズムの機能低下のせいなんだと分かっているだけでも、安心できるのではないかと思います。

また、『困ったことは起こらない』というこの世のルールがあることも、知っておいてよいのではないでしょうか。
”心配なことは実際には9割以上の確率で起こらない”という法則です。
残り1割も現実には心配するより大事に至ることなく済んでしまうものです。

何故なら、自分の手に負えない事は自分の身には起こらないのが、この宇宙の法則だからです。  <引用終わり。

***

・・・・・・ということで、結果、なんとか「殺されずに」今日を越えることが出来た。

昨夜の「天使」に感謝。
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