こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

2014年10月30日 木曜日 頭痛

2014-10-30 23:20:21 | 雑記帳
毎日どこかで始まる(であろう)頭痛への予感を覚えながら、今迄出会った頭痛を思い出してみた。
十代はじまりの頃はちょくちょくと頭痛持ちの時期があったが、それはしばらくすると去るという具合で、現れては忘れるように消えていった。その面では、じんましんやしっしんと同じである。
じんましんブームみたいなもの。

今日思い出せるのは、幼少から数十年続いた、毎朝の吐き気と頭重感。その後、高校生では毎日ちんぷんかんぷんでわからない授業から、排球部練習を経て、夜深夜まで聴く音楽とラジオを通してツーンとした頭痛。朝から深夜まで断続的に続いた頭痛。これは頭痛というよりも、精神の苦悩そのものの痛みか?そこに胃かいようも加わって。

その後二年は、放浪の最中(さなか)絶えず消えずに脳内を満たした、沁みるような痛み。それと幻覚が繋がっていた1985年1986年の冷や汗、恐怖。
魔物はしだいに悪意をむき出しにして体内で暴れまくり、それを鎮めるために、最期は自らにやいばを向けて突きつけた。

どうしても私の生と日々の中には病みがまつわる。別に頭痛だけのことじゃない。インネンを付け、絡んでくる。アタマから常に去らないで居座る。そういう特性を持つことは事実なので、否定しようがない。
こうやっても生き抜いてきた者もいるのだから、あまり深刻に考えすぎず、という少しのなぐさみになれば。

数日前、月一回通っている定期健診だった。この一か月続く頭痛。本当に頭痛だけのことか?気になる。
主治医「最近はどうですか?」と尋ねられる。
私「この一か月奇妙な頭痛が去っていかなくて。。。脳の中身がぐるぐるっとするときがありましてね、まあ。。。」

そう話すと、主治医はちょうしんきや血圧を測り、眼に光を当てて瞳孔を調べ、合図に合わせた動体視力や指の動き、筋力テストをした。
主治医「ボクは大丈夫だと思うけど。。。CTスキャナーを撮りますか?」
私「こういう機会じゃないと撮影できないから調べてください。」
撮影結果の診察は来週となる。

私「調べるのは是非。ですがクスリはごめんです、10種類から1種類まで、ここまでやっと減らしてきたから。服用したくないんです。」そう私が訴える主旨を先生は重々理解していた。
主治医「それでも頓服として5錠だけクスリ出しておきます。」後は任せるよ、という意味。

昨年の10月今頃は、親の生死さまよう中、世間の残酷さ、時が進む残酷さを味わっていたが、今年はそんな苦しみはない。病床に置いたにんまり笑うカボチャの置き物。今じゃ実家の陽当たりの良い窓辺で草花と一緒に日なたぼっこをしているだろう。

私的頭痛に効く音楽かどうかは不明だが、今夜は明日の「あの日」に向けてベタな曲名だが、「やっぱりこの曲」なのだ。昨年聴けなかったし。
今夜、室内は19℃。まだけっこうあったかい。

■ジャパン 「ハローウィーン」1979■




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2014年10月27日 月曜日 冷めてはいない

2014-10-27 23:32:26 | 雑記帳

1988年11月いろえんぴつ画
今の東京の「日雇い仕事、たんまりあるでぇ」というどんちゃん騒ぎは、仕事が無いとお嘆き・・・のはずだった者へ愛をこめた、一応まかりなりともメシが喰えるスペシャルサーヴィスのプレゼント。
古く入り組み、時間が層となり堆積した一帯を「平気なツラして」時空までをも消し去ってゆく。これと3・11の差は、現象面では異ならない。相手が自然か、どうか。

四角四面マンションとプレハブ小屋とおぼしきユニット構成のつまらない右ならえ“まいほーむ”が、がんがん建つ東京。流入してとどまる田舎者が増加していく。

流れ者・脱獄者・ヤク中・アル中・・・誰だろうが、関所も無く何も問わずに、闇の影にそっとかくまい・受け入れる東京。ここに流れつく田舎者が増加していく。それは昔からそうだし、その異文化圏人との衝突が今だって、何か新しいものに繋がらないことはない。だが、と思う。それが劇的起爆剤となったのは過去に過ぎない。

ただでさえ地方に亀裂が生じている。地方に限らない、多摩ニュータウンに代表されるように東京だってそうなのだ。高齢化と過疎化が進み、地域所帯として維持出来ない破産前。オリンピック予定地・東京都心のみの経済を回そうとすれば当然地方の若年層は減り、地方は空洞化を更に促進させる。

このような事実全体に対して、政治家もそこにぶら下がった大多数の企業等支配者も、正直どうでも良いと思っている。中枢機能さえ維持出来れば、という程度で、大して考えていない。とにかく今カネが入ればよくて、中長期的視野は欠落している。裏取りはしていないが、大方そんなもんだろう。

ほんとうにつまらない都市部になったと思う。何もかもがシステムに乗っかった「未来」は、こんなつまらないよ、と手塚治虫さんらのマンガは訴えていたのに、結果そこに辿り着いて、やはりつまらない未来が現実化した。どこを見ても、どこを切っても金太郎アメのようなものしかない。

つまらなければ、つまるように自分を別の時空に突っ込むしかない。だから、自分は東京と呼ばれる場所には居るが、ここが東京か?と思われる辺境に住まう。そこが面白い。

しかし、ここにすら次第に魔の手は忍び寄っている。平成平準化させるべく、異端や出る杭を叩き潰していく光景を見る。それでも何かがあるはずと、どこかに向かおうとする何かを探り、そのアンテナだけで日々の航行は進む。

ようく悲観主義とかシニカルな言われ方をしがちだが、本人だけはそうも思っていない。そう言えてしまうのはヤセ我慢か?それはゼロではないけども、そのやじろべえの一方には、それでも本気で面白がる能天気がある。確かに伴侶たちの死を受け入れざるを得なくなり、やじろべえのバランスが若干片翼飛行とはなれども。

しかし、他人に映る像とはどうも異なるらしい。というか、この程度の言いクチや、日々昼間のクチの悪さを、その程度でしか捉えらない他者ばかりになった,、と思えばいい。

本当は、空洞化していく地方都市の方がこれから劇的に面白くなるはずだ。(今も面白い場所はたくさんあるが)今後見捨てられていく地方都市に住んでみたい、とよぎることはこの所何度か体内を通りすぎる。

日々労働の場に、一日の半分も付き合っていると(その場でも“おもろく”しているが)いろいろ腐ってくる。あとは、今四分の一レベルのみ関わっている仕事をいつやめて、いつ別にシフトしていくかの算段だけ。
おもろくなければ、生きていても意味が無い。つまらないなんてゴメンだ。他人も支配層も何一つ、こちらの保証などしないのだから、自分で動き続けられる力を持つことが日々大事に思う。

□おやすみミュージック□

■コクトーツインズ 「天国か?それともラスヴェガスか?(Heaven Or Las Vegas」1989■




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2014年10月26日 日曜日 無題

2014-10-26 22:50:51 | 写真日和

カメラを持って街をさまよっているさなかは、まごまごしていると目の前ですべてが移ろい行くので、撮る、という意識は無く、心のおもむくままにシャッターを切っている。映ったものを確認する間は無いから、次に行く。次第にカメラと眼と歩くカラダが一体化していく。

映った結果が、空塔の下でクチをポカンと開けたすまほ者と大して変わらなくとも、別にかまわない。
「良く」撮る「うまく」撮る、とは何だらうか?

土曜昨日2万5600歩が響き、ひどい腰痛で途中マッサージに立ち寄った。
マッサージには行くまい、と決めていたが、いくらストレッチをしようが、つらさが乗じて一時の気休めと分かっていても、最近またマッサージ通いが始まってしまった。
会う人は皆、背中と肩を触って「いったいどうやってら、こんな石みたいな状態になるんですか」と、あたかも不摂生人であるかのような、みなし説教をする。それは昔も今も同じだ。

だが、最近のコリの要因は、私的解釈では、筋力が落ちているせいと思っている。腰痛の実の要因は腰部・お尻の肉が無くなって骨ばってしまったせいである。
食は魚・野菜・豆類中心は変わらないが、そうだ油が足りないのかも、と魚なら刺身から脂の乗った魚にを焼いたり、野菜も炒めたりするが、どうもそういったことでもなさそうだ。

さらに、ようようと眠れず、眠ったかと思えば、3時間も経つと起きてしまう。また、それ以上寝ようと思っても、腰が痛くて起きてしまう。
そのへんをうろうろする深夜は多い。

「ガンじゃないのか?何か重大な病気なんじゃないか?」そういう不安がよぎるクセも昔と同じ。
腰痛以外に背中・肩・首のコリ、そこから派生したと思われる頭痛がこの一か月発生。さすがに頭痛は今まで無かった。「脳の病気の前兆じゃないのか?」と思うが、それも同上。
すぐに病気に結び付けるが、だからと言って、それだけのためには病院にはいかない。

この数年、歩き過ぎかつ撮り過ぎ、と思う。
今日だって、足は腫れているし、まともに歩けないクセに外に出て、またたんまり歩いてしまう。

だが、外で天気がうごめいていると、うずうずしてしまい、外に出てしまう。
今日は近所だけを短時間ね、と言い聞かせ、鳩びっこをひきずりトロトロ歩く路地の角っこに花が咲いていて、それを撮る。
その少し先の古い家に光が差している。そこまで歩いてまた一枚シャッターを切る。
これを続けていくうちに、また「やりすぎ」となる。これを不摂生、というならそうかもしれない。
ブレーキというものを知らないまま、行けるとこまで行ってしまう。

陽が暮れて、足腰痛みながら帰る。ごはんを作って食べると、さすがに疲労が出始めて眠くなる。うすーいショーチューをお湯割りにする。

最近思うこと。
歩く最中に紙にメモをしたり、音楽を聴いたり、そうして空を仰ぎ・街を俯瞰するのだが、いざ帰ってパソコンで何かを書いても・写真をリサイズしても、そういう作業をしているうちに、どうもしっくり来なくなってきてやめる。それを繰り返す。お蔭で書きかけの原稿下書きが山のようにあるが、それをブログにアップすべく推敲するだけの後押しが無い。

全てがイカサマのように思えてくるのだ。
ひと手間を加える。その間に、何かがズレ、何かが去ってゆく。
それは調味料を加えすぎたり・不慮に冷めてしまった料理のようでもあるし、描き込みすぎてしまった絵の過程にもそう思う境目である。

まだそう言える今日は、逆にマシであって、比較的しっくりきている方だ。
音も写真も。映っている画像や聴こえている音だけじゃないものが作用している。



■ブレイン・レイニンガー&スティーヴン・ブラウン 「イベリア」1989(ポルトガルライヴ)■

今日撮った寄せ集め
































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2014年10月25日 土曜日 夜の繁華街

2014-10-25 23:52:01 | 写真日和

何でイイ歳こいてまで、土曜に仕事なんだ、と憤慨していたが、それはそれで今日は良い日だった。
朝もやに煙る、ひとけの無いビジネス街やそのスキマを視られたことは幸福。

また、午前中で案件が片付いたので、せせこましく矮小化したクソみたいな場を去り、外に飛び出した。
今日の小旅は、都心より始まった。

八丁堀、宝町、京橋、大手町、東京駅、皇居、竹橋、錦町、司町、美土代町、内神田、須田町、秋葉原、御徒町・・・・。
うろうろとシャッターを切りつつ、ひたすら歩き進んだ末、今日の終着地は上野。

今日歩いて「ははーん」と分かったこと。

”あるかどうか分からない””私が視えない””未来の”オリンピック開催地が「東京」と決まって、好きだった場所が軒並み消えている。
この機に乗じて、浄化一掃しようというもくろみが、肌身で分かった。

これだけ一気呵成に叩き潰して、穴ぼこだらけの東京を見るのも久しぶり。
もはや「オリンピック反対」という私の想いなぞは、吹けば飛ぶようなチンケなもので、キチガイになって「へへへ」と薄気味悪く笑うしかない。

耐震対応だの、ガイジンが来ても安全な街だの(むしろガイジンが来るからキケンなのに)、ああだのこうだの小手先のテキトーな理由を付けては、歴史と暮らしを潰していく。表面だけ残して、中身を骨抜きにしていく。

しかし、これだけ大々的に潰して、果たしてその跡地にちゃんと建物が立つのか?
建てる器も無いという中、それでも強行するには、適当な突貫工事と作る者を疲弊させる地獄絵図が浮かぶ。

今日、上野をうろついて、シャッターを切りまくった。
少し前ならば、いさかいに巻き込まれることを覚悟せねばならなかったが、その空気が上野、アメ横、にすら無かった。まだまだ猥雑な雰囲気は残っていても。

東京全体がのっぺりとつまらない機械と化す日は近い。
しかし、オリンピックは、開催するにふさわしくない状況になった場合は、開催地を変更する。果たしてこの地で開かれるか否かは、私が知る由もない。

そのへんの民衆たちの意識を洗脳しつつ、東京骨抜き破壊計画実行は、新しい段階に入った。

■タキシードムーン 「イーストージンクスーミュージック・ナンバー1」1981■
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2014年10月22日 水曜日 ゲイリー・ニューマンとその周辺

2014-10-22 21:24:22 | 音楽帳

先日歩きながら、ゲイリー・ニューマンの曲を聴いていた。
チューブウェイ・アーミー名義からソロの名前へ。数枚の作品より選んで。

中高生当時特に好きだった「I Nearly Married A Human」。
旅行に行く用に作ったセレクションテープに納めていた曲。

”私はもうちょっとでにんげんと結婚・・・”とはゲイリー・ニューマンらしい。(寺山修司さんの”不完全なまま産まれ[エイリアン]・・・完全な死体になってゆく[社会的生物]”を思い出す)
この曲を久しぶりに聴きながら「ああ、そうか。なるほど。」と腑に落ちたことがあった。

静かでゆったりしたインストゥルメンタル曲が好きなので、この曲をよく聴いていたが、意外な盲点。
ピアノの低音が底のほうに沈んで流れているのだが、これはデヴィッド・ボウイの「ワルシャワ」の影響。

過去にも同じことを言ったし思った。
しかし、それはテクノ/ニューウェイヴ音楽を創るヒトたちにとって、長い分数のインストゥルメンタル曲の原型が「ワルシャワ」だ、という点だけの意識だった。

この日イヤホンでじっくり聴いて感じたのは、なあんだウリ二つじゃないか。
それでも好きだが、いかにイーノ&ボウイが創った名曲が多くのヒトに影響したのか、を今一度思い知る。
「ワルシャワ」という原型があってこそ、YMOの「エピローグ」が産まれ、ヴィサージの「ウィスパーズ」などが産まれた。

ゲイリー・ニューマンは、初期「カーズ」がヒットチャートを上るなど、テクノのあけぼのの幸福。そのものだったが、そんな時代にノッた瞬間がある音楽家ほど、その後、大変な苦労をする。

80年代初頭にテクノが開花したことで、音楽機材が飛躍的に発展し、比較的安価でシンセサイザーを手に入れられることになる。多くの若者がテクノにシビれてテクノをやり、バンドを組み、新しい音を創り、表現してくる。
そうすると、元祖だったヒトたちは「古い」と言われる立場になる。
音楽シーンの展開速度が速くなったので、そんなことがあっという間に起きる。

YMOが第二次ワールドツアーを終えて開けた1981年。
ウルトラヴォックスと最先端のしのぎを削っていたYMOは3月21日に「BGM」を発表する。その後6月ごろ、クラフトワークは新譜「コンピューター・ワールド」を発表するが「YMOのパクリだ」という本末転倒した発言が出たりする。そんな現象。

ゲイリー・ニューマンは10月ごろに新譜「ダンス」を発表するが、クラフトワーク同様、評判が悪かった。そのそばでウルトラヴォックスの新譜「エデンの嵐」という名盤がオーラを放つ中では確かに仕方のないこと。
この後もゲイリーさんは作品を発表し続けるが、かなり厳しく苦労の多い時代を過ごすこととなった。

リアルタイムの音楽シーンでは気付かなかった点というのは多々あるものだ。
当時、買って読んでいた音楽雑誌では誰が言い出したのか?”ゲリ・マン”という呼び方を使っていたのもかわいそうだった。

今ではみんなそれぞれの存在が再評価されていることが救いと幸福。
そういう私も当時聴き取れなかった音も含めて、改めて聴いていたりする。


■Gary Numan 「I Nearly Married A Human」1979■
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2014年10月21日 火曜日 十月の旅人

2014-10-21 23:58:54 | 音楽帳
2014年10月19日 日曜日

「しぶ柿ですが、よろしければどうぞ。」
この日曜さんざん歩いた帰路の道、暗闇の中で手書きの字とオレンジ色の柿軍団を見て、ついほっこり。

今年のお正月、千住を歩いていた際、くちなしの実を”どうぞ”とあった姿が浮かぶ。
こんな神に出会うとき「まだ進める」と思えるのは、ある意味まっとうなんだと思いたい。

神は神に宿るんじゃなくって、身近なものに潜んでいる。
それが今は亡き「日本」の姿と思っている。

2013年10月21日 月曜日

隅田川。総武線は両国を渡る。

昨年の今日。仕事を休んでお見舞いに。
さいたまのどうしようもない、死を待つかのような病床からお袋を都内病院に転院させることが出来て数日後。リスキーな橋を伝ってしのぐ。

この日の写真をめくりながら、切なくも一つの命を巡って必死だった日々を思い出す。失くしてはいけない灯を大事にしていたんだと、写真に教えられる。
他人がどうこう言っても、やっぱりそこには愛があったんだと思う。
ハロウィーンが近づくから、かぼちゃの置き物を買って、お袋との話の糸口を作りながら、少しでも明るくなって欲しいと病床に置いて話していた。



原因不明の中、お三時に出たタイヤキから「おいしそうだよ」と会話して、ホテル並みの病室にあった粉のお茶を頂いていた。
その部屋は、陽光をたっぷり浴びられる明るい部屋。
ずーっとベッドの横に座り、日が暮れると、窓の外はスカイツリーの夜景。
それを見ながら、夕食を何とか少しでも食べてもらおうと、一緒になって粘っていた。食べたらそれが大事な一歩だから。



この日・帰路の夜道で、キジトラさんに出会い、暗闇で遊んだ。
どれだけこのとき、彼にお世話になったことだろうか。
抱きしめてゴロゴロ言う音とあったかさ。かつて一緒に暮らしていたまみやんそっくりな「のほほん」さ。大雪の日に、公園で一緒に遊んで以来、会うのを楽しみ、というより、お互いが何かを分かっていることがありがたかった。

言わずにいたが、お正月に風邪をひいていたキジトラさんが亡くなったのを近所のヒトからきいたのは春の日だった。
本当はとどまる家があったキジトラさん。その家主には会えないまんま、突然の別れで、何もできずにいた。彼と自分の間に糸があることだけは分かっていた。
視えない何かによって生かされていることを、すべてヒト(にんげんさま)に帰することにはまったくどうにも。。。

1983年10月21日 ラジオ&レコーズ シングル・エアプレイ
 1位 ポリス キング・オブ・ペイン
 2位 ライオネル・リッチー オール・ナイト・ロング
 3位 フィクス ワン・シング
 4位 スパンダー・バレエ トゥルー
 5位 ケニー・ロジャース&ドリー・パートン アイランド・イン・ザ・ストリーム
 6位 ボニー・タイラー 愛のかげり
 7位 プリンス デリリアス
 8位 モーテルズ 想い出のラストサマー
 9位 スティーヴィー・ニックス イフ・エニィワン・フォールズ
10位 ビリー・ジョエル アップダウン・ガール

この休み、土曜も日曜も街をふらついていた。
秋になったら聴きたくなるポリスの後期2枚を聴いて歩いた。
ようく「あるがまま」までをも”あざとい”と思って叩ける、今この島国に一応居る異物排除主義者が住む、病んだ2014年のさまは分かるが、ミソもクソも一緒にはされたくない。

昨年の写真をめくりながら、今夜「そんないまさら」と、あるいは、どう思われようと、やっぱりこの曲を掛けたい。あえて。

3・11の有様と、そこから思い出した阪神淡路大震災。
さかんに「世間」がやたら使った用語「頑張れ」を否定し、トラウマのようにその用語を使うことを忌避してきた。
阪神淡路大震災のときに「頑張った」がゆえに、過労死した現実を知れば、そんな言葉はたやすく使ってはならないのだ。自分の中では。

濫用する者を放置した上で。
今夜は、それでも同世代の四苦八苦する同志にだけ、いろいろあっても「それでも」頑張りましょう、とささやくような小さい声で言いたい。

■Police 「Every Breath You Take」1983■

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2014年10月20日 月曜日 十月の旅人

2014-10-20 23:55:42 | 写真日和

昨日おだやかな陽気の公園で、近所の親父さんとお互いの生まれ育ちの地をめぐる話しをしていた。ほぼ同世代の親父さん。話しのやりとりが面白かった。
親父さんは墨田区の生まれ育ち。「親方」と呼びたくなる日焼けした肌とぼさぼさの毛と、そこにニッコリとほほえむと、しわくちゃな笑顔が絵になる方。ニッカポッカを履いたら、さぞかっこいいだろう。

私は生まれも育ちも三ノ輪なんですよ。。。という話から、三ノ輪周辺とこの島の周辺の話しへ進んだ。

さすがは地元民ということもあり、親父さんは詳しい。よく釣りに行くと言っていた旧中川のほとり。そういえばチャリンコを転がしている様を見た。

私「・・・・こないだ、旧中川まで歩いたんですが。」
親父さん「歩いた?どれだけ歩くのよ?」
私「歩くのが趣味みたいなもんで。。。」

私「それでね、日没後の暗闇を八広の方に、川沿い歩いて行ったんですが。異様な気配感があって、そんな暗闇にぽっかり家と家の間が空いてて、石碑があったんですよ。何だと思いますか?」
親父さん「なんなの?」

私「もはや事実検証はしようもないですが、関東大震災の際に、その地に住まっていた朝鮮の方々を虐殺した、と言われる事件の鎮魂のための慰霊碑だったんです。最近出来たらしいですが。」
親父さん「川沿いねぇ、なるほど。あのへんは色々あったしね。。。」

親父さんは日差しの中、タバコをくゆらせて間を置く。
石碑があるのは初めて知ったらしい。

「別に映りはしなかったんでしょ?」と言われて瞬時は分からなかった。「写真が好きなヒトだからさ。」と笑った。

私「ああ、そういう意味でね。でも、街に歩いて入って行くと、空気でこの場所には何かあるな、と感じることはあります。」
親父さん「そういえば、三ノ輪だったら、三河島とか山谷とか、あるでしょ。生まれ育った近くに。」

私「昨日も歩いていましたよ。確かにそこにしか無い空気がありますね。」
親父さん「昔は、あのへんは歩けなかったよね。」
私「親からは、あっちへ行っちゃだめだよ。と言われたけど、子供はそういう場所ほど行きたくなるもので。」
親父さん「そうそう、子供ってのはそうだね。だけど山谷ももう無いようなものだね。」

私「まだその地ならではの空気はあるにはあるんですが。」
親父さん「生活給付があったり、ニンク集めも仕組みになってきたから、ヒトが全くいなくなったよ。」

私「そうらしいですね。」
親父さん「昔は手配師が“ハイ、どこどこの仕事いくらだよぉー”とヒトを集めてんの見たけどね。最近はもうほとんど居ないよねえ。」

私「昔は、浄閑寺前の公衆便所あたりに手配師が居て、集まったらトラックの荷台に乗せて現場行く姿があったなあ。」
親父さん「そうそう、当時はひどいよね。団体でバスなんて小奇麗なもんなんかありゃしない。」

親父さん「ようく、缶のゴミの日に来るでしょ。でも、みんなが寝ているから大きい音しないように、静かに作業している。ちゃーんと分かってんだよ。別に何悪いことするわけじゃないんだし。偏見を持ち過ぎだよ。」
私「まったく。小さいころは、朝起きて外に出ると、酔って道に倒れているヒトは日常茶飯事の光景だったからな。」

親父さん「ただね、区は許していない。あれで億単位の収入源にしているから。」
私「なるほど。そういえば、今は再開発で消えちゃったけど、秋葉原でそんな光景あったなあ。」
親父さん「なに?」
私「御徒町方面に歩いたところに、雑誌や缶なんかをキロいくらで引き取る場所があったんですよ。」

親父さん「ええ、どのへん?」
私「(場所を説明)・・・」
親父さん「ああ、あんなとこに?」
私「リヤカーを貸し出してましたよ。」
親父さん「確かにようく見たなあ、あのへんで。」

こうしたやりとりが続いた。


■アンディ・サマーズ&ロバート・フリップ 「心象表現(I Advance Masked)1982年の今ごろ■




























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2014年10月19日 日曜日 十月の旅人

2014-10-19 23:09:32 | 写真日和

近くに住んでいる親父さん(たぶん大して歳は違わないだろう)と偶然、公園で出会った。安住さんのラジオを聴いて、作ったちゃーはんを食べたらお昼になってしまい飛び出した足。
ワンちゃんを連れてうつむいてタバコを吸っていた。

人懐っこい笑顔をする人間臭い人で、その表情は好きだったが、警戒心が強い私は、至近距離に居る人に引きをする性格ゆえ、あいさつ以外はしないで居た。

秋の野外は過ごしやすく、更には哀しいほどお天気、写真日和。
公園の樹々、咲く花、ひなたぼっこするネコ、空と陽光。
それらの陰影にシャッターを切りながら、不意打ちにその親父さんに出会った。

モードは警戒解除の自由さで歩いていたのもあり、日向で二人小一時間ほど話した。ココに辿り付くまでの人生と今と。お互い全部さらけ出し。
私にはもう特別な他者への期待は、何一つ無いんですよ。。。
途中「でも、結果ココに住めて良かったですよ」と言われ、お互いを隔てる何かが溶けた。

暑さが去り、一番好きな季節が訪れ、いつもに増して昨日は、三万歩。
最近は、橋を渡って昔住み・歩いていた場所にまで足が行ってしまう。
そのおかげで、今日は腰痛・足の腫れを起こしていた。

それでも、こんな幸せな陽気・東京日和は無い。もったいない。そういう訳で、外に出たのだった。「あまり歩くと、月―金に響くから、今日は遠くに行かず」と島をとろとろ。

日差しはけっこう厳しかったが、それが街に陰影を付け、それぞれの表情を鮮やかに浮かび上がらせる。

■YMO 「シャドウズ・オン・ザ・グラウンド」1983(散会ライヴ)■






































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2014年10月17日 金曜日 山を越え、谷を越え

2014-10-17 23:00:14 | 音楽帳

3・11があった2011年に知った、21世紀のキング・クリムソン。
作品「コンストラクション・オブ・ライト」を2011年後半、何度も繰り返し聴いた。
今月ラジオで掛かったE・L&Pの「タルカス」でカギを開けられて動き出した回路は、「コンストラクション・オブ・ライト」の後発表された作品「パワー・トゥ・ビリーヴ」を聴くことへ。

昨日はこの作品を聴いて愉楽に浸っていた。
単純な言い方だが、かっこいい。60年代から付き合ってきた方はどう思うのだろうか?

さまざまな耳があると思うが、「ディシプリン」で再び開かれた道は、この「パワー・トゥ・ビリーヴ」に至る。その過程におけるクリムソン作品が自分は好きであり、時代のハヤリに影響されない存在感を示していると思っている。深き縁に繋がれた方はいろいろでも、ココに居る自分の耳にはそう聴こえている。

そういえば。
ピンク・フロイドがついに、新譜「永遠(The Endless River)」を発表する、というニュースが届いた。これも深いファンから見れば、すでにピンク・フロイドではないのかもしれないが、その類の話しも、今の自分には関心ない。音を聴きたいだけ。

80年代再結成時、発表された作品「鬱」。
1987年発表当時・にぶかった反応のこの作品を、21世紀クリムゾンと同時期に聴き込み、スルメのように味わい好きになった。新譜を聴くのはそれ以来になる。(本当は間に「対」がある)

昨年後半から今年前半、ピンク・フロイドで聴いた回数が多かったのは「炎(あなたがここにいてほしい)」。デイヴ・ギルモアのギターの美しさ、という点では絶品の『狂ったダイアモンド』。

自分がこの曲を初めて聴いたのは、ピンク・フロイドの作品「時空の舞踏」だった。
2枚組LP「ザ・ウォール」の成功に気を良くしたレコード会社が無理を承知で、1981年にピンク・フロイドの「ベストアルバム」を出したときだった。

ピンク・フロイドの「ベストアルバム」?
「それは無理でしょ」と少年でも分かった。長い分数の曲が基本の彼ら。
また、作品それぞれがコンセプトアルバムだったし。
A面&B面各々(たった)二十数分程度のLPレコード。その1枚に押し込む無理を行った。

そう言いながら、ジャケットのデザインと「ピンク・フロイド入門」の意識もあって、LP「時空の舞踏」を買って聴いていた。
(スロッビンググリッスルの「グレイテストヒッツ」。そのLPタイトルのブラックジョークには苦笑いした。)

■ピンク・フロイド 「永遠(The Endless River)」サンプル■
2014年11月12日 国内発売予定
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2014年10月16日 木曜日 山を越え、谷を越え

2014-10-16 23:49:29 | 音楽帳

2004年10月20日夜のニュース
よくもまあ、日々ころころと天気が変わるもの。
今朝は青空のよい天気に始まったが、雨が降った後でもあり、温度は20℃を下回る肌寒さ。
さすがの暑がりも、この秋・初めての上着を着た。

重い会議のある日だったが、別にどうなってもよい身軽な神経になれていたので、昔ほど真剣には思っていない。手が届かないところで、他者がどうこう言う事なんて、なるようにしかならないのだ。それに「たかが仕事」。気にすることはゼロではなくても、半減以下。

会議に臨むに際して、神経をスムースにするため、仕事場に向かう電車でのガタゴトの最中、音楽やラジオ番組を寿司詰めにしたmp3プレイヤーで、クラフトワークにしてみた。

YMOとテクノに夢中だった中高生時代。
聴いた作品「放射能」「人間解体」「コンピューターワールド」は、作品そのもの以上に、聴いていた場面がヒモ付いてしまって、血肉に化している。
それは、砂原良徳さん等々と同じで、テクノポップに誘惑されたボクらが離れられない場所。

そんなボク個人は、それら幸福をいつももらう作品はともかく、“車や電車で移動しますよ、流れる風景の中で”という作品「アウトバーン」「トランスヨーロッパエキスプレス」は「ちょっとねえ~」と好きになれなかった。

そういう数十年だが、たまたま掛けた今朝の「アウトバーン」は何だか”牧歌的”で良かった。
明るいシンセサイザーのトーン。
”ププー”と車の走り出すSEで始まり、”どんどこどい、どんどこどい”と繰り返す音は、アウトバーンを走る車の中の風景描写を音にしたものなのだろうが、疾走感とは全然無縁で、三ノ輪発早稲田行きの黄色いチンチン電車が走っているくらいの感覚。

■Kraftwelk 「Autobahn」1974■

最先端の音楽、というよりは、彼らとYMOに影響を受け日本で発生した”ジャパニーズ・テクノ”の源流。イノヤマランド、テストパターンなど、”ニッポン昔ばなし”みたいな音に繋がっていった側面を想起する。
または、エレクトロニカから派生してフォークトロニカと呼ばれた類の系譜にも現れた肌触り。

クラフトワークの「アウトバーン」の珍妙な感覚は、車は高速で走っているのに、風景がスローモーションで移ろっているような感じゆえのことだが、それがユーモラスを呼ぶ。
今朝聴いた「アウトバーン」の緩さには、なごみ、そして救われた。

かつて矢野顕子と暮らし出した坂本龍一が、二人でとある日、クラフトワークを聴いて「たいして昔じゃないのに、なんだか懐かしいね」となったという、幸福絵図を電車内で思い出していた。

あるいは、作品「アウトバーン」に憧れた土屋昌巳さんが、一風堂のセカンドアルバムA面1曲目『ジャーマンロード』にて、ヴォコーダーで”ジャ~マンロ~ド。。。アウトバ~ン”というヴォイスを入れていたこと。
その曲のメロディは、ミヒャエル・ローテルの「とある曲」そのままだったことも思い出す。



2004年10月23日 多摩のバス

2004年10月22日 武蔵小金井のおもちゃ屋さん

2004年11月2日 中央道

2004年10月10日 青山

2004年11月3日夜のまみやん
コメント
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