こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

自己制御失敗

2009-10-26 14:44:50 | 音楽帳
相も変わらず、(無頼派の駄目人間=)「かたちんば」の、実に情けないお話しを1つ。

今日は、朝からカラダと脳内のだるさがひどく、「午後からは出る」と朝言ったものの、昼にもカラダと脳内のだるさが取れず。
結果、会社を休む事になった。
だるい、とにかく、だるく、気が沈む。

***

精神の調整というのは、実に厄介である。

自分の担当医から、
「クスリを飲んでいると、調子が良い時は、クスリのお蔭も忘れて、好い気になって走りすぎて、頑張りすぎることがある。
あんまり頑張りすぎると、その反動が、必ずその後に来るよ。

だから、調子良い時こそ危険だから、ほどほどにするように。
頑張るのも良いけど、死んだら終わりだからね。」
と言われたコトバが、今日は、身に染みてわかる。

今回は、自分の精神の波動のコントロールの失敗である。
先週からの調子の良さは、キケンのサインと思わず、走りすぎた事へのシッペ返しなのだ。

***

実は、精神の調整・ウツとの付き合いにおいては、「頑張る」「闘う」というのが、一番良くないのである。

大波の後には、引き潮があるように、その波動の上下幅を、自分の中で捉まえながら、進めていくのが、大事なのだ。
波動は、少ない方にコントロールした方が良い。

振り返って見ると、最近、シャブでも打ったかのように(実際、合法的薬だが、シャブ中みたいなもんだが)「自分は闘う」という姿勢が、コトバとして散りばめられている。
まるで、二重人格者のようだが。

「こんな調子が良い状態が続く訳は無い」と考えるべきだったのだろう。

「闘う」「頑張る」は、実は、キケンのサインであり、自分にとっては、使ってはいけない概念なのだった。
それを再確認している。

***

ウツは、セロトニン不足によって引き起こされる。
薬を飲むのもあるが、アーモンドやピーナッツを食べたり、軽い運動をするのも重要。
そういう事で、セロトニンが増える。

かくいう、自分も今、ピーナッツを食べながら、軽いストレッチをしている。

***

デヴィッド・シルヴィアンが2005年に創ったユニット「ナイン・ホーセズ」のファースト・アルバム「スノウ・ボーン・ソロウ」に『セロトニン』という曲が偶然ある。


【ファースト・アルバム「スノウ・ボーン・ソロウ」】




歌詞を知りたい所だが、いろいろ調べているのだが、出てこない。

BUT!こういう事まで、あくなき追求をしようとする姿勢が、自分の性格の中での「頑張り」過ぎる面なのだ。

「まあ、何事もほどほどにしましょうね」と、自分にも言い聞かせる。
外は雨が降り続けている。
コメント (6)
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寺井尚子  「Thinking of You」'98

2009-10-25 10:00:23 | 音楽帳
男というのは、つくづく女に弱い、と感じる。
それは、自分が女好きだから、そう思うのかもしれないが。

こんな21世紀を既に向かえて、男女格差があった時代は既に遠くに過ぎ去り、いまや、女が男を牛耳る時代になっている。

***

恋愛においても、女は別れるとキレイさっぱり、それまで同じ時間を共有し合っていた男との想い出なんかすぐ捨て去り、同時にプレゼントされた物も、写真も、あっという間に捨て去る。

逆に、男であるかたちんばは、いつまでもその想い出を忘れずに引きづり、同じ時間を共有した、写真も物も捨てずに大事に取ってある。
それは、自分の人生の大事な経験であり、大事な断面であったのだから。

しかし、特別な女として、昔亡くなった女優、大地喜和子は違っていた。
そうやって平気に大事だった時を捨て去る女に向かって「あんたら間違ってるよ。あたしゃ、その男に、楽しい時間をありがとう、っていつまでも、その時を忘れずに想っているね。」と言い放ったと言います。
大地喜和子は、かっこいい生き方をした、稀有な大女優だったのかもしれません。

***

もはや、女が男を牛耳る時代・女の方が男より賢い時代だからこそなのかもしれないが・・・
(医学では、どうやら、コドモが出来てくる細胞分裂の過程において、女の出来損ないが男として生まれる、という説を聞いたことがある。)

例えば、電車。

・映画「それでもぼくはやっていない」のように、痴漢でも無いのに、痴漢扱いされ捕まるケースが増えている。
捕まった方はたまったものでは無い、仕事は失うは、周囲からの信用は失うは、リスクが高すぎる。
こういうケース、ほとんどの裁判は、やっていなくても男の負けという。

・「女性専用車」なるものが出来て、何年になるだろうか?
今では当たり前のことになってしまったが、実に妙な事である。
時代背景を考えるなら「高齢者専用車」があってしかるべきと、老齢の両親を持つ自分は思っている。
そんなに、女を祭り上げて、どないすんねん、と自分は思うが・・・。

***

今回、愛猫まみちゃんを亡くしたのは、ついこないだの事だが、最後の晩(に結局なってしまったのだが)、24時間 救急体制完備の「苅谷動物病院」に、夜になって鳴きやまなくなったまみちゃんを抱いてさすりながら電話をしたら、夜間の当直医は、ちゃんとした専門医の藤〇美〇という女医だった。

こちらも必死にせがむように、どうしたらいいですか!と教えを乞いたいと、全ての情報を出したのに、
「鳴くのにも理由は多々あって、結論はわかりませんね。」と言い去ってのけた。

マニュアル的処理の対応と、「心」の無さに驚いた。

これが、2ヶ月見てもらい、50万円払った上の、カルテもある上の対応かと嘆きました。
違法行為では無いし、感情論になってしまうし、「欠陥住宅」の際にもお世話になった高校時代の友人の弁護士に相談しても無駄だろうし・・・・。
ただ、あの女だけは、一生忘れない、と心に誓っています。
言い方1つなのに、親身にはなってくれなかった。

***

「婚活」という言葉は、昨年の「アラフォー」に続いて、2009年の流行語大賞の10位以内には入るだろうが、彼女らの持つ結婚のビジョンの高さは、東京タワー位高く、それも、収入や立場、役職、要はカネが重視されている。

「愛」がカネで買える訳は無いのだが・・・。

***

身近で、長期休暇を取った女性が居たが、個人的には、誕生祝いと婚前旅行を兼ねたものだったと勝手に思っているが、ここでも弱いのは男。
ストレートに理由を尋ねた責任者も「んん~」だが、男は女の扱いには、妙に神妙になってしまう。聞いてはいけないと、立ち入ってはいけないとすぐ引く。

例え、それが単純に僕の考えすぎの憶測に過ぎなくても、妊娠なども含めて、責任者というものは、自分に結局返ってくるものだから、自分が不幸にならないように、苦労しないように、そういう可能性も含めて、二手三手先まで、今から準備しておいた方がいいよ、と匂わせる助言はしておいたが。

無防備なのが、一番、仕事上はキケンなのだから。
危機管理意識が重要なのだが・・・まあ、自由人の自分には、どうでも良い事だけどね~。

逆に、このかたちんばが、もし、いきなり長期休暇をとったら、ついにビョーキもそこまで行ったか!ということで、人事が次の準備に入るのは必至だろう。
彼らは、過去の膨大なデータベースを個人個人について、構築しているから。
もしくは、帰ってきても、たやすく、後輩どもから、無遠慮にいろいろ突っ込まれ・聞かれるはずだし。
まあ、仕事は出来ないし・とろい(=ドン臭い)自分だから、からかわれ・いじられるのには、昔から慣れてはいるが。

***

・・・・ということで、やっと音楽の話にたどり着くのだが、今日は、寺井尚子さんの1998年の作品「Thinking of You」という大好きな曲を選んだ。


【アルバム「Thinking of You」】

YOUTUBEには、CDの原曲が無かったので、このような映像を選んだ。
本当は、スタジオ録音の原曲の静謐とした静かなヴァージョンの方が大好きなのだが・・・・。
でも、このピアノとのセッションのヴァイオリンを弾いている時の表情が好きだ。



寺井尚子さんに初めて出会ったのは、2000年9月のアルバム「プリンセスT」発売前の夏の平日の夜の事だった。
同僚に誘われて、3人で行ったのが、食事をしながら音楽を聴くという30~40人位しか入れない銀座のジャズ・バー。

メインは、日本を代表するボサノヴァ・ギターの人の演奏だったが、申し訳無いが、自分の中には、途中からゲストで出てきた寺井尚子さんの方しか印象に残っていない。
本当に背が低く小柄な彼女からは想像付かないような、流麗なヴァイオリンの情熱的な演奏に驚き、目の前1mの所で弾く彼女の美しさに参ってしまったのだった。

ここでも、女にどうしようもなく弱いかたちんばの姿がある。


【アルバム「プリンセスT」】

***

その後、ぐんぐんと有名になり(当時は、まさかそうなるとは思わなかったが)、キンチョーのCMにまで出るようになり、いまや、アイドル的な売れ方をしている彼女だが、CDの「Thinking of You」を是非聴いて欲しい。

そこには、男も女も越えた音楽としての素晴らしさがある。

今日、ここで言う「Thinking of You」の「YOU」は、当然まみちゃんの事だ。
まみちゃんへのレクイエムとして、この曲を贈る。

***

PS : まみちゃんも、もう正ちゃんに出会えたかな?
正ちゃんに天国で「お前、ずいぶんと生きて頑張ったな。」と言われているんだろうか。
2人で羽を付けて、空を飛び回って、遊んでくれてたらいいなあ、と祈る。
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New Order   「Regret」'93

2009-10-24 08:30:35 | 音楽帳
10月24日 金曜日

22:43電車に乗る。
遅く時間というのに、やたら人が多くて、車内がうるさい。
ふだんの金曜日以上にヒトが多く、しゃべくりまくっている軍団が多い。
特に、酒も呑んでないのにうるさいやからが多い。
おまけに、中にはマスクをしながらも、絶えず「ゲホッゲホッ」と咳をしている「明らかなる風邪引きリーマン」までが居る始末。迷惑だから、家の中に監禁すべき「逮捕者」なのだが、そんなヤツも含めて、「ごった煮」状態の車内。

人嫌いの自分には、ただ、邪魔臭いだけの世界。

***

不思議な現象だが、個人的には、10月下旬というのは、時間的余裕が生まれる時期なのかな?と思っている。

かくいう私も、珍しく、この土日は全く仕事場に行かなくて済む事になった。

とはいえ、机の両脇には、ぐっちゃぐちゃの資料軍団が渦高く積まれているが。
最近、事務手続き作業とか処理手配とかいうものが、とにかくかったるくなってきている。
その「怠慢ぶり」が、資料軍団の高さに反映しているのだ。
その替わりに、様々なヴィジョンやプランニングする事が楽しくて、その思案とイメージングに時間を投入している。

来週には、イメージングしたもののプランニングの作成と裏付け取り(これは作業になるが)に入るつもりです。

***

土日は、のんびりと過ごし、疲れを取り、読書や勉強に費やすつもり。
最近は、厳しくも優しい上司たちのお陰もあるが、仕事が楽しくなってきた。
イイ感じです。

しかし、まあ、そんな事を言ってるうちに、今度は、途中で人身事故に出くわし、また、ヒトゴミの滞留に巻き込まれる。

しかし、私の大好きな「秋」がやってきたというのに、
「飛び込み自殺なんてしちゃあかんよ。
今からが、日本の美しさが輝くイイ感じの季節なんだから。」

***

季節が移ろうから、季節感を感じる。
「四季」がある日本は、やはり素晴らしい。

昔、撮影で、ハワイに1週間のロードを行った事がある。
「日本人のたむろする安宿と日本人向けの買い物街の雑踏」とは無縁な、日本人観光客の居ない、地元の高級な金持ちの家を渡り歩く1週間のロードだったけども、最初はハワイの突き抜けるような青空と自然の美しさを素晴らしいと思ったけれども、最後は、日本に早く帰りたいというホームシックになりました。

時折スコールはおとずれるものの、「永遠に」晴れて、「永遠に」温度にも変化ないあんな所に住んだら、多分、自分はキチガイか痴呆症になるのは確実である。

***

10月25日 土曜日

ビールを呑み掛けのまま、爆睡していた。
6:30起床。

空は秋らしいくもり空で、寒い朝だが、何ら悲観的な気分の無いすっきりした朝だ。
また、冷蔵庫からビールを再び取り出し、呑みだしながら、朝の1曲をかける。

大好きなニュー・オーダーの「リグレット」である。
昔、ジョイ・ディヴィジョンのイアン・カーティスの首吊り自殺を引きづった頃の暗いニュー・オーダーも大好きだが、色々なその苦しみを乗り越えて自由になった彼らの曲「リグレット」は「とてつもなく力強い」。

名曲「リグレット」は、すごく、切ないメロディだけれども、「前」を向いた「・・・・それでも、僕らは、乗り越えていくんだ。」という強い意志を感じさせてくれて、自分にとっては、癒され・励まされる美しい曲である。

昔、とてつもなくへたくそだったバーナード・サムナーのヴォーカルも、苦しみを乗り越え、もはやメロディアスに説得力ある力を得て、素晴らしく水のように流れていく。

***

まみちゃんの死を乗り越えた、自分も、また、一段と力強くなったと言える(言いたい)。
僕が悲しんで、死を引きずっていても、まみちゃんは絶対に喜ばない。
安らかにまみちゃんが天国に行くには、自分がさらに「生きる意志」「戦う意志」を持つ事だと思う。
「こんな事で、死んでたまるか」と思っている。



【ニュー・オーダー 「リグレット」】

住所も名前も忘れた 今まで知り合った人全部
別に後悔しない
それは今日じゃなくっていい
今日は学校でテスト、子供はみんな逃げた

自分のとこって言える場所
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに文句は言わない

いらいらしてた ほとんどいつも
知らない人だったけど 今は僕のもの

信じてもなかった
あげるものもそんなに持ってない
ぎりぎりなんとかなるか
誰とだかわかんないけど
扱いにくいのはわかってる
馬鹿かもしれないし
でも今回は違う
こっちを見ろ、僕は君じゃない

自分のとこって思える場所
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに文句は言わない

気が短くて いっつも切れてけど
知らない人だったけど 今は僕のもの

自分のとこって言える場所
電話で話すこと
毎日起きて始まり、それでかまわない
傷ついたことに文句は言わない

ただ明日が来るのを待つ
みんなが言うように
なにもかも駄目になる前に
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ネコの死に方・ネコの運命

2009-10-23 08:40:07 | 写真日和


実家に行った際に、昔、自分が撮影したまみちゃんの生後1ヶ月半の写真が出てきた。
クリネックス・ティッシュの大きさと比較して見れば、一目瞭然、いかに小さかったかが、解かる。
ネコは、箱や袋が大好きで、よくこうやって、箱の中に入ったりして遊んでいたのを思い出す。

まみちゃんは、コチャコのお尻の方からニュルーっと出てきたのを見たのが、1996年4月8日だから、この写真は、おおよそ、1996年5月下旬位のこと。

子ネコは、とにかくよく遊ぶものだが、レースのカーテンはよじ登って行くは・トイレを開けたら、洋式便器の中で水浴びして遊んでいたり。放っておくと、容赦無い日々だった。

***

コチャコは、第1回目の出産で、4匹の子ネコを産んだ。

・白に薄茶の模様の入った「シロちゃん」。
・イノシシのような瓜(うり)の白・茶の模様の入った「ウリちゃん」。
・三毛猫の「正(しょう)ちゃん」。
・そして、毛がふわふわした「まみちゃん」。

「シロちゃん」は、老夫婦に。「まあ、かわいい」ともらわれて行き、厚い温情に包まれて育ったが、数年前、家の火事・焼失と共に、老夫婦とともに亡くなってしまった。
「ウリちゃん」も、同様に近所の人にもらわれて行ったが、この4匹の中で唯一、今生きているネコである。

うちで飼ったのが、「正(しょう)ちゃん」と「まみちゃん」の2匹であった。

子ネコはみんないずれもかわいかったが、とにかく、僕は、まみちゃんの丸くくりくりした「目」の優しさ・かわいさに参ってしまって、どうしても他人に譲る訳にはいかなかった。
「正(しょう)ちゃん」は、とにかく激しくて、頭脳の回転の速い「天才」的なネコだった。

***

「正(しょう)ちゃん」の命名者は、親父で、「しょうちゃん帽」を被っているみたいだという単純な理由からで、最初は「正太郎」と言っていた。

一方、「まみちゃん」の命名者は僕で、それは当時大好きだった(今でも大好きだが)「山瀬まみ」ちゃんから取って命名した。
こちらも理由は単純で、「山瀬まみ」ちゃんみたいな一目ぼれしそうなかわいくて・優しそうな顔だったからだった。
その「まみちゃん」から、「まみ子」だの「まみころ」「まみたん」とかも言われた。


のちのちのことになるが、動物病院に解かったことだが、
われわれが認識していた「正ちゃん」=オス・「まみちゃん」=メスというのは大間違えで、実際は逆。
「正ちゃん」=メス・「まみちゃん」=オスということが発覚!

発覚はしたものの、もう既にその愛称で馴染んでいたので、いまさら変える訳に行かずに、そのまんまの愛称で呼ぶことにしたのだった。

***

「正ちゃん」はとにかく人懐っこくて、遊ぶのが大好きで、激しい気性と頭の良さから、閉まったドアを開けたりという芸当や、遠隔地への探索に出掛けたりと、いっときもじっとしていないネコで、親父が溺愛した。

一方、どちらかというと、のんびりやさんで、ぽわーんというふんわかした雰囲気の癒し系の「まみちゃん」は、性格の悪い親父からは「馬鹿ネコ」などど言われたが、純粋でピュアな優しいまなざしに僕はイチコロで、とにかく溺愛していた。

冒険家でフロンティア精神に満ち溢れていた「正ちゃん」がリーダー格で、優しい「まみちゃん」はその後ろについていく弟分という感じだった。

***

ネコは、毎朝、外に出ると、それぞれのパトロールに出かけて帰って来るのが日課だったが、しかし、「正ちゃん」のフロンティア精神がアダとなって、家からかなり離れた距離の所で、クルマにはねられて、7歳の命を閉じることになった。

はねられた瞬間に亡くなったらしく、口から血が出ている以外は、きれいな寝顔だった。
その朝まで、一緒の布団で抱いて寝ていた親父は、その姿に泣いたという。
まさに鬼の目にナミダだった。
会社にまで、ぼうぜんとした様子で電話がかかってきた。
そのときは親父は相当ショックだったらしく、しばらくは親父も呆然とふさぎこんだ時期を過ごした。

その一方で、どんどんと「食べること」が大好きになり、ぐんぐんと6kgにまで育った「まみちゃん」は、その長毛のふさふさした毛も手伝って、近所では(ネコも含め)有名な巨大ネコに育った。

その「まみちゃん」も生命力が強いネコで、僕は20歳は生きるだろうと確信を持っていたが、先日、13歳半の命をまっとうし亡くなった。

***

人間同様、ネコの運命もそれぞれ。
4匹でじゃれあっていた兄弟も、それぞれの飼い主の元にちりぢりになっていったが、さまざまな生き方・死に方があると、今更ながら思う。
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Altered Images 「Thinking About You」'83年秋

2009-10-23 01:10:15 | 音楽帳
23:35退社

いつも、こげぱんのように後ろ向きで被害妄想なかたちんばだが、今日は、珍しく、自分をほめてあげたい程よく働いた。

午前は、昨夜19~深夜2時までべろべろになるまで呑んでた影響で、酒臭いまんま、半分酔っ払った状態で、社長の出る会議の議事進行をビシッと時間通り仕切り終えた。
今日の仕切りは切れ味良かった。

***

昼は、仲間4人みんなで楽しく中華、僕は大好きな五目ちゃーはんを食べ、高速飛ばして、つくばから都内にUターン。
4人のうち3人が酔っ払いなので、みんな会議終わったら「だるだる状態」で、「打ち合わせと称してみんなでミーティング・ルームでカギ締めて寝るか」と言っていた。

実際、戻ると席について、あくびばっかりしながら、暑いのをうちわであおぎつつ、馬鹿ツラで2時間位「ぽか~ん(◎△◎)」と白痴状態でいた。
ひたすら退社時間を待つだけの、私腹を肥やす「天下り役員」みたいなもんだった。

***

しかし、不思議なもんで、こんな日に限ってイメージが膨らむもので、18時頃からいろんなアイデアが浮かび出し、それに夢中になって資料をまとめているうちに、こんな時間になってもうたですばい。

なかなか、実りある1日だった。

とはいえ、さすがに0時回って、体内ガソリンもヤクも切れて、一気にガタンと眠気とウツがやってきた。

0:40帰宅



今夜は、優しい音楽が聴きたくなって、大好きだったクレアちゃんの居たオルタード・イメージの’83年の名盤「BITE」に入っている「Thinking About You」を聴く。



精神性胃潰瘍で入院した1983年、高校2年生の秋の寒さ、蒼く高い空の切なさを思い出す。
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人の死に方・人の運命 2

2009-10-20 21:25:13 | 音楽帳
Riverさんへ

応えになるかどうかわかりませんが、相変わらずの散らかった文章を、自分に向けても含めて、自動筆記したいと思います。

***

「清志郎=ロック・愛してるかい」
「加藤和彦=オラハシンジマッタダ」

メディアが、非常に短絡的なコトバで簡略化し、映像で歪曲した人物像を描き、誤解されながら、あの世に送られる「英人」たちに義憤を抱く日々です。

清志郎は、シャイでありながらも、「自分の死をセンチメンタリズムに浸って欲しくない」という裏返しの願望もあって、華やかに葬儀が行われたが、是非、加藤和彦さんについては、本当にその音楽が好きだった人と身内だけで、ひっそりと偲んで欲しいと思います。

***

今年は、自分にとっても、愛猫まみちゃん、清志郎、加藤和彦と「失う事」ばかりで終わる年になるのでしょう、多分。

というか、我々の世代は、もう既に、これからは、こういった形で失う一方の歳に突入しているのだとハラを据えています。

昔の話ですが、あの高倉健さんが、ある学校で講演会をした際に、
「僕みたいな歳になると、君たちと違って、毎日、良い事など無い苦しい世界での日々です。
しかし、ほんのたまに、良い事がある。
それがあるから、僕は、生き続けているんです。」
そんな事を、あの健さんが、あの口調で語ったと言います。
健さんが言うから、余計に重みを増すんでしょうが・・・・。

同じように、大好きだった中島らもさんが「恋は底ぢから」という本で、こんなことを言っています。
「死んでしまったジム・モリズンの、何の詞だったのかは忘れてしまったのだが、そこに”The Day's Divinity,The Day's Angel”
という言葉が出てくる。
・・・おぼろげなのだが、僕はこういう風に受けとめている。
「その日の神性、その日の天使」
大笑いされるような誤訳であっても、別にかまいはしない。
1人の人間の1日には、必ず1人、「その日の天使」がついている。」
・・・ふとした瞬間のささいな出来事に、つい和んだり・つい救われたり。
そういう事をらもさんは言いたかったのだと思います。

***

人も生き物のように、日々血反吐を吐きながらも、限界まで「生きねばならない」とは、僕は思っています。

とはいえ、しかし、精神的な「病魔」に掴まれた場合、自分の意思とは無縁に、「病魔」が勝手にあの世に連れ去っていくのを、かつて自殺未遂をした僕は理解しています。

「自・殺」と一括してコトバでは書きますが、僕は自殺のうち、ウツに関しては「自・殺」では無く、「他・殺」だと思っています。

体内を「病魔」がのた打ち回るのを静止させるには、死に向かわざるを得ない事しか選択肢が無い瞬間があるのを知っています。

だから、良いということではありませんが、本人には罪のかけらも無く、まさに「魔物」があの世に連れて行くという事が、実際は多く存在するのだと思います。

***

ある本で読んだことですが、「人は、コトバのすり替え/言い換えをしながら生き延びていく生き物だ。」と。

「時」という誰の身にも同時に発生する進行形の「見えない神」は、社会という共同体の中でのモノ・コトの存在の意味合いを、ころころと変えて行きます。
日々、みんな、それぞれが内心でそれを捉えつつ、日々、等高線を引き直し、尺度を直しながら、生きて行かざるを得ない。

そんな中で、我々のように、ある程度の人生を生きてしまった者たちには、やはりその変化していく視界への対応=「体内でのコトバのすり替え/言い換え」をしながら生きていく至難のワザが問われているのだと、最近、この世を去っていく人々を見送りつつ、思う次第です。

たけしさんが、こんな事を言っていたのを思い出しました。
「生きていくには、時と共に、余計なモノを捨てていく必要に迫られる。それをしていかないと生きて行けないんだよ。」と。

また、坂本龍一と甲斐よしひろがサウンドストリートで「音楽図鑑」発表の’84年の対談の時に、「1枚目のアルバムが、20歳の時に創ったとすれば、そこには20年分の自分が投入されているが、例えば2枚目のアルバムを22歳に創ったとしたら、そこには、22年分が投入されているのではなくて、2年分の自分への鍛え方が注ぎ込まれているのだ。」と2人で言い、お互いうなずいていた事も思い出しました。

***

長い自動筆記になってしまいましたが、そういう今日のかたちんばが聴いているのは、David Sylvianの新譜「Manafon」です。



彼の「ブレミッシュ」以来、6年ぶりの新譜です。
<しかし、6年も経った気がしないのは、歳のせいでしょうか(笑)>
彼も、僕にとっては、冷酷にもただ黙って過ぎ行く「時」へのあらがい・闘いを続ける、愛すべき放浪者の1人です。


【David Sylvian 「Small Metal Gods」】

***

まみちゃんの死を境にして、多少、和解した親父からメールが来ました。

親父「先日、貴君から睡眠薬をもらい1錠飲み寝ましたが、強力に効きフラフラなり1日中具合が悪く寝込みました。
薬中毒になりますよ。
呉々も会社の犠牲者にならないように祈念します。」

かたちんば「ご心配かけてすみません。
確かに、今の自分は、クスリという「お守り」を頼りにしながら生きています。
そういう意味では、ヤク中と変わりないのかもしれません。

ただ、自分の人生、昔怠けていたとは言いませんが、誰が敵かはわかりませんが、死ぬまでにせめて矢の一差しでもしてからでなければ死ねない、という心境で日々望んでいます。
まみちゃんの分まで生きねばならない。
何に向かってかは解かりませんが、勝たねばならないと思っています。」
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人の死に方・人の運命

2009-10-19 22:48:24 | 音楽帳
 まみちゃんの死で、「音楽」について、数日、口を閉ざしていたが、やはり黙ってはいられなくなってしまったので書く。

余り前向きな話しでは無いが。

***

 自分は、地上波テレビにおいては、「タモリ倶楽部」「検索ちゃん【既に終了】」「日曜美術館」、NHKドキュメントやニュースを見る位のニンゲンだが、今日は昼食時「昼のバカエティ」番組がかかっていて、見ざるを得なかった。

 加藤和彦さんの自殺報道をしていたが、あまりにもの扱いに、表層をなでて・騒ぐ事しか出来ないマスゴミに(今更ながら)怒りを通り越して、悲しさを覚えたのだった。

 確かに、音楽家としては、非常にボルテージの落ちた所での死は、不運としか言い様が無い。
 しかし、繰り返し「テレビジョン」の箱の中に映し出されるのは、「・・・・あの一世を風靡しました゛オラハシンジマッタダ~゛で有名な加藤和彦さんの自殺」だの、最近の「あの素晴らしい愛をもう一度」という懐メロを手を振りながら歌う、《失礼だが》情けない映像。

 そこには、あのサディスティック・ミカ・バンドのかっこよさも、「パパ・ヘミングウェイ」「うたかたのオペラ」「ベル・エキセントリック」という名3部作も、すっぽりと抜け落ちているのだ。


【アルバム「うたかたのオペラ」’80年】

 あの「生きるお洒落=高橋幸宏」すら、一目置き・敬意を持ち、「ドノヴァン」の愛称で慕っていた加藤和彦さんのかっこよさ・オシャレさ。
 「あの素晴らしい愛をもう一度」という懐メロを、手を振りながら歌う悲しい映像の姿に、目を覆いたくなったのが、正直な自分の気持ちだった・・・・。

***

 YMOに’79年に衝撃を受けた中学生の自分は、3人の経歴をさかのぼっていくうち、サディスティック・ミカ・バンドに辿り付き、よく聴いた。

 のちにヴォーカルに桐島かれんを起用して、’89年の再結成したサディスティック・ミカ・バンドの「天晴」という「名盤」のかっこよさも、新たなファン層も巻き込み、大学生だった頃、一緒に「アート」をしていた後輩のKくんも「脳にファイアー!」というアヴァンギャルドな爆発した油彩のサイケデリックな色使いの絵を描いたのを、よく覚えている。
 本当に、この「天晴」という素晴らしいアルバムは、今でも良く聴く。かっこよさの固まりのようなアルバムである。

 しかし、「テレビジョン」の箱の中で語るのは、初期のサディスティック・ミカ・バンドのドラムだった”つのだひろ”ばかりであって、そこには、幸宏の姿も無ければ、渋いベーシスト小原礼の姿も、高中正義の姿も無い。
 話したくない、というのもあろうが、それぞれの心の持ち方・発言というのも微妙だったのかもしれない。

***

 山下達郎さんが、かつて’86年のアルバム「ポケット・ミュージック」の発売時に、渋谷陽一さんの日曜日の深夜やっていた番組(NHK-FM)に出演し、語っていたセリフを思い出す。

 細かい言い回しは覚えていないが、要約すると、アーチストというのは、死ぬまでやり続けていく限りにおいて、(世代というのもあるが)、今の音楽を否定して・赤ちゃん帰りして「懐メロ」の世界に行ってしまうか、もしくは、自分を貫き通しながらも「今という時代」と格闘し続けるか、の選択にさいなまされるのだ、ということ。

 当然、達郎さんは、後者であり、自分自身はマニアックな偏りのある人間なのに「ミドル・オブ・ザ・ロード」を歩いているという「稀有な存在」なのだが(井上陽水さんも同様で、共に確実に後世の音楽史に残る「音楽の仕事人」だが)、加藤和彦さんの場合は、そのはざまでジレンマを抱いていたような気がする。

 近時の活動や発言には熱心では無かった自分であるが、さだまさしや南こうせつでもあるまいに、今なぜ「あの素晴らしい愛をもう一度」を歌うのか?という点には、疑問符が残る。
 昔のファンであった自分には、後味の悪い死に方だなと、つくづく思う。

 高橋幸宏も、もし、90年代後期の段階で死んでしまっていたならば、同様の後味の悪さを覚えただろうが、細野さんという天才の「盟友・伴侶」のマジックを借りて「スケッチ・ショー」以降、音楽的に復活した今、そのような事を抱くことは無いだろう。

 運命というのは、つくづく不思議である。

***

 自分は、加藤和彦さんの好きなアルバム「うたかたのオペラ」から、特に好きな「カフェ・ブリストル」という教授がピアノを弾く曲を選びたかったのだが、YOUTUBEに残念ながら無かったので、サディスティック・ミカ・バンドの中でも、特に大好きな曲「暮れる想い」を、今日は、独りで聴きたい。

 幸宏・森雪之丞コンビの泣かせる詞とドノヴァンの優しく・切なくたゆたう彼独特の魅力的な声と歌い方が重なり、永遠を感じさせる名曲である。



はるかな夢 優しい朝 心にある 哀しみに揺れる

とめどもなく 暮れる想い 蒼い花に 錆びゆく時計に

夜更けまで 風は騒ぎ 夜明けまで 僕は信じた

「なぜ僕たちは いつも 果てない空を 見ていた」

「なぜ切なさは いつでも なくした 日々を抱く」

いとの陽射し ちぎれる雲 晴れた街に 今、影を落とす

いつのまにか 時はめぐり 君の声は ここに届かない・・・

昨日まで 草は歌い 明日まで 僕は信じる

「なぜ僕たちは いつも 果てない空を 見ていた」

「なぜおろかさは いつでも 見飽きた 傷になる」

The Dream Is Over
The Game Is Over

作詞:高橋幸宏・森雪之丞
作曲:加藤和彦
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「初七日」

2009-10-19 00:03:16 | 雑記帳


10月17日 土曜日 

18日は、まみちゃんの初七日なので、前の土曜日に実家に行き、泊まった。

お骨になってしまったまみちゃんの骨壷を見た。
しかし、それは単なる骨壷であって、僕は、それが本当のまみちゃんのお骨の入った壺だと、「リアルな現実」として認識出来なかった。

臨時の祭壇に置かれたまみちゃんの写真と骨壷を見ながら、ローソクをともし、お線香をあげて、鐘を鳴らし、手を合わせて拝む。


10月18日 日曜日 「初七日」

今週の過労がなかなか取れずに、睡眠薬を飲んでぐったり12時間寝て、昼に起きる。

日差しで満ち溢れた居間に行く。
太陽はまぶしく室内をギラギラと照らす。

廊下で・玄関で・居間で・出窓で・キッチンで・風呂場で・・・・

常に、どこかで、大きい”猫じゃらし”のような尻尾を振りながら、だらりんちょんしていたまみちゃんが居ない事に、今更ながら、気付く。

満たされていながら、そこになにかが欠落した空間。

もう、この世には、まみちゃんが居ない事を実感する。
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みんなありがとう。

2009-10-15 01:00:45 | 雑記帳


うつこさん・Riverさん・クロケットさん・くもおさん・しずさん・Comachiさん

皆さん、さまざまな「弔電」を頂きまして、ほんとうに感謝しています。
まみちゃんの事を思ってくれて、ありがとう。

僕は、「体育の日」に仕事場には行けなかったですが、13年半付き合った大事な「相棒」の死を見送ることが出来て良かったです。

あの天使のような「なごみ」「いやし」の面を持ったのんびりやさんのまみちゃんの鼓動が止まり、カラダが動かなくなり、カラダじゅう触っても固くて、動かなくなったと、ちゃんと正視した時に、「死」というものを実感しました。
まみちゃんは、2.5kg(元は6.0kg)になった最後の最後まで、よく頑張りました。
抱いたときの余りにもの軽さには、何も言えませんでした。

本音は、荼毘に伏されるまで付き添いたかったのですが、現実は厳しく容赦無いもので、その時間が割けませんでした。

代わりにあの親父さんから、荼毘にふされたまみちゃんの遺骨が、骨壺に入って、実家に戻った連絡がありました。

とりあえずは、臨時の仏壇に置いてもらっています。

土曜日には、まみちゃんのお骨を実家に引き取りに行くつもりです。

賑やかなのが大好きなまみちゃんでしたから(おこぼれをもらえるからでしょうが《笑》)、是非、「まみちゃんを偲ぶ会」を、落ち着いたら、兄夫婦も呼んで、身内で、昔の写真を引っ張り出して、行おうと思っています。

ネコは食べちゃダメと言われる「イカ」が、まみちゃんは大好きだったので、その「イカ」も用意して・・・・。

そんなみんなで囲むささやかな集いにも、食べ物の良い匂いを察知して、また、どこからか、まみちゃんが現れそうな感じが、未だにします・・・。

***

3日間看病したお蔭で、火曜日・水曜日と、しわ寄せで、0:00越えの帰宅コースです。
今日も、今、やっとパソコンの前に着いて、ふらふらになりながら、缶ビールを呑んで、ささやかな独りで居られる短い時間を味わっています。

49日までに納骨しないと成仏しないという説もあるそうですが、お骨はしばらく、自分の元に置いておこうと思ってます。

正直、病気発覚から2ヶ月、仕事のかたわらではありますが、病院・実家との往復、連絡・調整に、かなり消耗し切ってしまった感は否めません。

もう少し、落ち着いて、気持ちの整理がついたら、改めて、皆さんには、今回感じたいろんな想いをお伝えしたいと思っています。

みんな、ありがとう。

2009年10月15日 かたちんば
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China Crisis 「Dockland」'83

2009-10-10 01:08:09 | 想い出かたちんば


精神的不調である。

元々、”こころとからだがかたちんば”なのに「何をいまさら・・・」とは思うのだが、とにかく調子がすぐれない。
今この時間も、調子がすぐれないが、何か「出口なし」のような状況。

しかし、ためらっていても何も状況は悪くなるので、クスリを飲み、布団の中から、パソコンに向かって、書いてみる。

***

昨夜、夕ご飯を食べたら、その後、爆睡してしまい、夜中に起きてブログを更新した。
とはいえ、ちゃんと、朝は7:00に起きたのだが、がんがんする頭痛・ノドの痛み・それに、ひどいだるさに参る。

鬱は、今にはじまったことではないが、他の症状は、明らかに、何かのカラダ側からのサインで、とりあえずは、頭痛薬を倍付けで飲み、それをやっつけることにした。
仕事場に行く準備をしながらのことだったし、残している仕事・課題はたんまりあるのだが、タイム・リミットの8:00まで粘ったのだが、とても行ける状況では無いと判断し、午後から行く旨、仕事仲間には伝えて、また、さらにいろんなクスリを飲み、横になった。

自分なりに分析するに、2日前、夜中の1:00まで仕事と格闘していた事の反動と余波のようなものが、遅れてやってきた気がした。

結局、昼になっても、復調はせず、今日は仕事を休むことにした。

電話で、上司のTさんと話すと「ばあっと仕事のこと忘れて、”休む時は休む”で忘れちゃってください。」と言われたが、個人的にはそうもいかず、とりあえずは、やばそうな案件については、それぞれの各部署の仲間のケイタイに電話して、防御だけはして、ずっと横になっていた1日だった。

時には、寝たりもしたが、余り寝る事も無く、ラジオを付けて、聴く訳でも無く、もんもんとしていた。

***

「鬱というのは、都合の良い病ですね」という周囲の声が聴こえた。

こういう大不況下においては、特に、こういう迷惑者は、たぶん、周囲の者には実際迷惑だし、理解されずに「だらしねえやつだな」と内心思われているに違いない。
口では「大丈夫ですか?ゆっくり休んでくださいね。」とは言うが、そんなのは表面的な事に過ぎない。
大不況下には邪魔者であり、それはだらしなく目に映っているに違いない。

精神的問題をはらんだ者は、資本主義社会では、足手まといであるし、自分はいずれ、その社会からは切り落とされる、そういう日が間近に迫っていると、僕はハラを既にすえている。
その境界線を、クスリを頼りにしながら、キケンな綱渡りをし続けている。

***

ニートと呼ばれる人・浮浪者と呼ばれる人・破綻者と呼ばれる人、そういう類の人に僕は昔から親近感を覚えている。
15歳まで、三ノ輪で過ごした人生において、道端やあるいは家の前で人が寝ている姿は、見慣れた風景であり、コドモの頃、朝から酒を飲んだ人とお話しをしたり、一緒にキャッチボールをしたりすることもあった。

地方から出てきた人や、ブルジョアな生活をしてきた人には、些細なこういう人とのふれあいに慣れていない人が多いので、妙に驚いた反応を抱くことが大抵多いが、下町=低所得層地区に生まれ・育った自分には、ごくありふれた風景なのである。

しかし、未曾有の不況にあって、自分がいつそちら側にドロップ・アウトするか、放り出されるかは、僕だけの事では無くて、今、この日本を覆っている。

キケンと隣り合わせで、みんな生きている。
だからこそ、こういう鬱なるものは、理解されえない。
手を差し伸べる手も無き時代。

***

自分の聴いてきた音楽史の中で、多くの人には受け入れられないだろうが、自分にとっては、その理解者であったつもりのバンドやミュージシャンがいる。
その中の1つが、チャイナ・クライシス(China Crisis)である。

全てのアルバムを持ち、洋盤の12インチ・7インチシングルまでコレクションしている。

彼らは、リヴァプールの工業地帯に生まれ・育った。
工場が稼動し、煙突から煙を上げる姿を見ながら育った彼らに、下町生まれの自分は、背景は違えども、シンパシーを抱く。
家の屋上に上って、雲の流れる姿を見ていたり、工場地帯の風景を眺めていたコドモだったのだろうと勝手に思っている。

そして、ピュアで澄み切った牧歌的な音を奏でる彼らには、売れようとかいう野心が感じられなかった。
ブライアン・イーノやスティーリーダンが好きな彼らは、それらに憧れながら、純粋に音楽を創ることだけを思って音楽活動をしてきた。

当然、資本主義の中では、そういう野心の無い者は秀でた存在にはなれない。
(単なるヒットによる販売枚数・金額という意味において)
いくつかのヒットはあるが、存在自体が地味なバンドだったので、セールスとしても地味ではあったが、僕は、彼らの個人的趣味の領域を超えることの無い地味さに安心をしながら、80年代から付き合ってきた。

***

1983年に「Working With Fire And Steel」という2枚目のオリジナル・アルバムを発表し、そのタイトル曲の「Working With Fire And Steel」のシングルがヒットした。



日本では、このアルバムは一歩遅れて1984年に発売になったが、僕は、1983年に買った輸入盤をよく聴いていた。

ジャケットが彼らの姿勢をそのまま反映していた。
幼い頃から見てきた工場地帯の写真と、彼らの優しくぬくもりを感じる音のような青空を背景に揺れる麦畑のイラスト・・・。

僕は、このアルバムとは別に、12インチで発売された「Fire And Steel」というシングルを、御茶ノ水の駅前のディスク・ユニオンで買った。



A面は、「Working With Fire And Steel」と別のヴァージョンが収録されていたが、自分がカセットに落としてよく聴いていたのが、B面のインストゥルメンタルの2曲。

・FOREVER I AND I
・DOCKLAND

共に、自分の部屋で、録音された「宅録」であった。

両方とも大好きだし、高校生の頃、こんな精神の調子の悪い日には、真暗な中、横になって、精神安定剤としてよく聴いた。

今日も、そんな日なので、YOUTUBEで探していたら、同じような想いを抱く外国の人がアップした「DOCKLAND」を発見したので、今日の1曲として掲載する。

同じような想いで、チャイナ・クライシスを好きな人が居たことに安堵した。
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