1982年1月11日~22日 ふたりの部屋「夢の10分間」(23:05~:15)
出演:斉藤晴彦、神保共子
1月14日 木曜日 その4
1・ザ・リーグ・オブ・ジェントルマン 「インダラクティヴ・レゾナンス」
2・ペンギン・カフェ・オーケストラ 「カッティング・ブランチーズ・フォー・ア・テンポラリーシェルター」
3・ペンギン・カフェ・オーケストラ 「ピタゴラスのズボン」
1月15日 金曜日 その5
1・YMO 「灯(ライト・イン・ダークネス)」
2・坂本龍一 「ジ・エンド・オブ・ヨーロッパ」
3・ヴィサージ 「ザ・ステップ」
エンディングテーマ曲。
■Jean Michel Jarre 「The Last Rumba」1981■
FM雑誌(この言葉も死語)でザラ紙に印刷されたモノクロジャケットを視て、広告文字を読み、音を想像する。
そういったことが多くあった十代前半。
彼の「幻想惑星(1976)」や(のち1980年に出現する)YMO「増殖」そっくりのコンセプトジャケット「軌跡(1978)」などを視ては想像を膨らませていたはずだが、実際の音に出会ったのはこのラスト・ルンバが入った「磁界(1981)」。とすると、前2枚の作品ジャケットに出会ったのも「磁界」の広告だったのかもしれない。
ラスト・ルンバはB面最後の「磁界パート5」にあたる。この曲をどこかで聴いた人も多いはずで、様々な番組の間奏曲に使われてきた。とにもかくにもテクノの名曲であって、今まで多様な場面で聴いてきた。
だが、このポップな曲を聴いてアルバムを買おうというのは早まり過ぎで、基本はシンセサイザー・ミュージック。そう呼んでも何を指すか?これまた今の言語では通用しないだろう。
長い分数のスペイシーな曲は、タンジェリン・ドリームやクラフトワークと似て非なるもの。私的にはGoodだが、万人におすすめする気はない。
ジャン・ミッシェル・ジャールはフランスの人で、確か由緒ある家系の出身でお金持ちだったと記憶している。
それゆえか当時高価だったはずのフェアライトCMI(世界初のサンプリングマシン市販品)が使われている。一体どこにフェアライトが使われているのか?「磁界」にはまったくそんな音触はないし、当時そんなつもりで聴いてもいなかった。
ヨーロッパそのものが持つ歴史の厚みと余裕が、こういった人たちのおおらかで自由な表現を保たせ、許したのだと思っている。
30余年経ったレコードのインナースリーブのカビのひどさは、全く時間経過を覚えない自分の感覚と不一致。レコードの劣化はジャズやR&Bのレコードならもっともらしいが、「未来」だったはずのシンセやテクノのレコードだとちぐはぐさを覚える。
YMO熱を浴びた高野寛さんがソリトンSide-Bで言っていたことに頷いていたのを想い出す。当時最先端のテクノは後に振り返ってみると、案外演奏するミュージシャンのテクニック(肉体)という非デジタル=アナログに支えられていた。これを高野さんが語ったのが1995年でそこから20年が経過している。
私個人がそこに添えるとしたら、結実された音楽は、テクニックやセンスや(当時の)デジタル機器だけではない。
1つの音を鳴らすために夜な夜な費やした時間と労力、傾けた情熱。富田勲さんやNHKの現代音楽実験室などは良い例だが、そんな熱い夜が確実にそこにあった。
過去だけということでなく、ベンリな道具さえあればモノは産まれるか?
という疑問はいつもよぎることである。今で言えば、ITツールという道具だったり。
ありきたりな言い方になってしまうのは何だが、やはり、モノを産み出す/創り出す、ということには、努力や情熱が作用している。それは音楽に限らず映画でも絵画でも、あるいは道具そのものでも。。。
だからと言ってそんな”実験”は、いくら労力を掛けても成功もあれば失敗もある。
努力や情熱は、決して成功に結び付く法則ではない。しかし、才能やセンス、あるいは思い込んだ運命をこえる瞬間がある。そんな悪戦苦闘の果ての決壊を抱かねば、人は生きていけないのかもしれない。
書くうちに、今夜も脱線してしまった。