こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏に向かう日々と100曲:トレイシー・ヤング「恋のしぐさ」1984

2024-08-15 14:00:00 | 音楽帳

前回書いた通り、1983年までから一転、1984年の音楽シーンは自分にとって、より暗い状況、と感じられた。

自らの心身の不具合も一因となり、リアルタイムの現実は大きな暗雲として立ちはだかっていた。

自分は1983年秋〜冬、クリスマスまで2回に渡り合計1ヶ月以上、精神性胃潰瘍で入院していた。何とかクリスマスに退院して年の瀬をシャバで過ごすことは出来たが、年が明けた1984年以降もひどい胃痛症状は継続していった。

 

1983年末をもってYMOは散開した。

年が明けた1984年からはアフターYMO時代。

だから、というわけじゃないのに、年が明けたら、世界をビロウドのようにおおっていた魔法は解け、干上がった現実に戻されたようだった。

自分にとって大事だった、何か磁場のようなものが見える周囲から消えていった。

 

虚しい荒涼たる世界を前にして、この先どうやって生きていっていいのか?途方に暮れていた。

これを誰かに言って、それはあなたの中の幻想、まぼろしだよ。と言われても仕方ない。でも自分の中では確実に起きていた感覚であった。

追いかけていたニューウェイヴの世界は、そのありさまを変容させながら、いくつかの方向に向かっていった。

 

***

 

1983年暮れに知ったジ・アート・オブ・ノイズのデビュー12inchシングル「イントゥ・バトル・ウィズ・ジ・アート・オブ・ノイズ」。それを聴いた者たちの反応とざわめき。

もう一方では1983年からメジャーシーンに出てきたヒップホップの影響。その影響は例えばローリングストーンズといったロックやポップスのメインシーンのみならず、ニューウェイヴにもエッセンスとして現れ出していた。

ジ・アート・オブ・ノイズとヒップホップの影響から同系列の音を鳴らし、ハードでタイトなドラムと密な音で埋め尽くされた世界に向かう人たち。

 

あるいは、そんな流れと離れ、それまでエレクトロニクスの音一辺倒だった世界への反動から、ニューアコースティックムーヴメントのように生音や静かな音へと向かう人たちが顕著に現れ出した1984年。

 

***

 

そんな1984年に出会った一つがトレイシー・ヤングだった。

彼女が唯一残したLPアルバム「恋のしぐさ」。当時NHK=FM夜の番組「サウンド・オブ・ポップス」はよく新譜を紹介してくれていて、ありがたい存在だった。その新譜特集からカセットテープに録音した「恋のしぐさ」。このアルバムを1984年夏は繰り返し聴いた。

音楽雑誌ではこのアルバムはボロクソ叩かれていた。トレイシーには特に秀でた特徴があるわけではなく、アイドル的要素も薄く、卓越して歌が上手いわけでもなく・・・。それは聴いた自分にもよく分かる意見であり、その通りだと思う。なぜ、暑き血潮が漲るポール・ウェラーが彼女にここまでチカラを費やしたんだろうか?などと思ったこともあった。

 

しかし、何の情報もなくたまたま出会った「恋のしぐさ」が気に入ってしまい、ずいぶんと大事に聴き込んだ。

過剰に自己主張しないさりげない魅力に惹かれていた。そこには自己主張しなくても世界に受け入れて欲しい、という自分自身の無意識の願望が重ねられていたようにも思う。理詰めで批評されることはどれも正しいかもしれないが、それとは無縁に聴いていたこのアルバム。

トレイシーの声や歌はみずみずしくのびやかで、清くさわやかだった。ポール・ウェラー他から提供された楽曲にはメロディアスな曲も多く、アコースティックな曲では必要最低限におさえた質素な演奏も実に魅力的だった。

エルビス・コステロ提供の楽曲、a-1「(I Love You)When You Sleep」。あなたが眠っている姿が好き、というささやかな言葉の永遠。この名曲はイギリスでシングルカットされた。その7inchシングル盤も持っている。ポール・ウェラーが作った曲はアルバム10曲中の5曲(a-2・3・5、b-3・5)。

モロジャム、モロスタイルカウンシルといった風情の曲もある。a-5は(なんと!)バナナラマのファーストアルバムにも収録された曲。

 

何よりも美しい名曲はa-4「ひとりぼっちの夏(I Can't Hold On 'Till Summer)」。

身近なすぐ話せる友達などいなかった1984年の夏。

このアルバム、これらの曲を聴くと、あのやたら方向を見失った空虚な夏、そんなひたすら長い夏休みの孤独な感覚がよみがえる。

 

■Tracie「I Can't Hold On 'Till Summer (Without Strings)」1984■

・・・・あっという間に時は巡り、今年も8月15日が来て、手を合わせる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏に向かう日々と100曲:Dire Straits「Brothers in Arms」1985

2024-08-07 14:50:00 | 音楽帳

引っ張り出してきたシングル盤とCD。。

極私的備忘録。

“サルタン(1stアルバム)”を聴いたのは春だった。
いつものように北千住のレコード屋さんにチャリンコで立ち寄ったら、室内いっぱいに”サルタン”がかかっていた。
やたらプチプチいうレコード盤で、昔ながらのスピーカーから響くのは、あたたかみのある音だった。
レコード棚に入ったレコードを一枚一枚、カタカタ音させてめくりながら、社会的束縛の外側、悠長で静かな空間に流れる、マーク・ノップラーのギターを聴いた。

それからしばらくはCDの”サルタン”をiTunesに入れてチャリンコで走りながら聴いていたが。。。。
そのうち夏が来て、懐かしい一枚を今年の夏も押し入れから取り出した。

毎日苦しみに満ちていた1985年。
そんな浪人時代の「あの夏の日」を思い出させる一枚、”ブラザーズ・イン・アームズ”。
突き抜ける青空をバックにしたギターのジャケット。

***

個人的な音楽遍歴だが、、
それまでの先人たちが作ってきたロックやルーツミュージックに「NO!」と拒絶し、アフターパンクからニューウェイヴに生きる道を見い出した70年代末〜1983年。
・・・それが終わってしまった感の1984年以降、周囲の世界はまた元通りに、こころは暗い雲で覆われ出してしまった。ロックやポップミュージックのあり方に一撃を喰らわしたはずのニューウェイヴは次第に収束方向に向かい、みんなお行儀の良いありきたりな音楽スタイルばかりになっていった。
だから1984年以降は、まだ高校生だというのに、「それでもあらがい、独自の方法で道を見つけようとする音楽」を探す旅になって行った。

つまり本来は「アメリカで大ヒット!」なんていうフレーズにくくられる世界とは無縁のはずだったが、一発聴いて痺れる独自の音楽がほぼ無い中で、それまで繋がっていたアメリカ・イギリスのチャートやシーンへの注視をやめるわけにいかず、中には良いものもあるだろうと未練がましくしがみつくように、メジャーシーンをまだ追いかけていたのだった。

ほんとうはアルバム”ブラザーズ・イン・アームズ”に入らないはずだったという「ウォーク・オブ・ライフ」、そして、アルバム始まりの「So Far Away」。このシングル2曲が無かったら、自分はこのアルバムを記憶にとどめなかったかもしれない。

***

自分がFM雑誌を初めて買ったのは1979年、中学生時代。
雑誌には毎回さまざまなアルバムが紹介されていて、白黒のザラ紙に印刷された広告やレコード紹介にある数センチ角の小さなジャケット写真は魅惑的だった。こんなバンドがあるんだ、とか、いつか聴いてみたい、と知らない広い音楽世界を想像させた。ダイアー・ストレイツはそんなバンドの一つだった。”サルタン”も美しいジャケットデザインでいつか聴いてみたい、と思いながら時は流れてしまった。

そんなダイアー・ストレイツが突然ブレイクしたのが1985年、5枚目の”ブラザーズ・イン・アームズ”からシングルカットされた「マネー・フォー・ナッシング」。この曲が大ヒットしたのがきっかけだった。MTVをテーマした内容やスティングが一緒に制作していることが話題となったこの曲はビルボード1位となった。

正直言って「マネー・フォー・ナッシング」は好みではないが、その前後にシングルカットされた「ウォーク・オブ・ライフ」「So Far Away」をよく聴いた。その後も「愛のトリック」等何曲かラジオから録音して聴いたが、アルバム全体を通して聴くことなく40年近く経った。
しかし、まさかこのアルバムが歴史に残るくらい売れる(3,000万枚)なんて考えもしなかったし、今までナゾだった。

***

この数年、夏になると”ブラザーズ・イン・アームズ”を聴いている。アルバムA面「So Far Away」「マネー・フォー・ナッシング」「ウォーク・オブ・ライフ」「愛のトリック」といきなりシングルカットされた曲が4曲もたたみかけてくるが、(私にとって)この数年の発見は、それ以降にある。マーケットを意識したビジネスライクな曲はあまりもう聴いても意味が無いし。。。[もう社畜業から足を洗い、卒業して次へ向かっているし。。。商売とは関係ないところで音楽に対峙したいな。。。]

自由なギターだけのサウンドなど、商業色の薄い箇所がA面5曲目以降に現れる。例えば「Why Worry」。これだってキャッチーでビジネスライクな曲として始まるのだが、途中から主題を逸脱していく。果たしてこの曲が8分必要か、といえば、もっと短く仕上げることはできるだろう。そこを必要以上にゆとり持たせた長さは、レコードを聴いていることを忘れさせてしまう。それまでのA面4曲の世界を消し去るように、全く違う世界に聴く者をいざなう。
マーク・ノップラーのソロで大好きなアルバム(サントラだが)に”cal”というアルバムがあるが、ここにも同じようにすごく長い分数の曲がある。同じことはアルバム”サルタン”にも言える。

まるで室内にギターを抱えたマーク・ノップラーと居て、目の前でポロンポロンとギターの練習がてらメロディを奏でているみたいな錯覚を抱く。そんな箇所を発見しては音のあいだに自分の身をたゆたわせ、微細な音の余韻にひたる。
約40年を経て聴いたアルバムには、そんな新しい発見があった。何一つ救いの無い、しかし絶望というにはいまさら、の状況の2024年。そんな夏のささやかな出来事。。。こんなことが自らの突破口になればいいな。。。

 

■Dire Straits「Why Worry」1985■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする