こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

まみちゃんの帰還

2009-08-30 19:20:28 | 写真日和
今週は、余り眠れなく、12前後に帰る日々で、心労も含めしんどかった。
最後は、金曜日、資料が仕上がり、課長・室長たちが誘ってくれたので、断るのも失礼だし、息抜きも含めて、お酒を飲みに行きました。

盛り上がってしまい、最後は築地の寿司屋まで行き、タクシーで酔って帰ると、夜中の3時過ぎ。
楽しいお酒だった。
がけっぷちに居ても、助けてくれる仲間が居るのだから。

***

爆睡をして、起きると14:00.
「おお、いかん」と起き、洗濯をして、家を出る。
東向島の駅前に出来た新しい和菓子屋さんで、美味しそうなドラ焼きを箱で買って、お土産に持って、草加の実家に行く。

まみちゃんは、退院してから、食欲も出たとのこと。
「三途の川」のたもとまで行きながら、そこから戻ってきた、まみちゃん。
動きは鈍いが、お水やミルクもたくさん飲むし、ほぐしたお魚もたんと食べる。

手を触り、背中や頭やノドをなでて、遊ぶ。
胸を切った時の縫った手術や点滴のせいで、お腹と手の毛はバリカンでそられているし、カラダは触ると、ホネがごつごつしているけど、しっかりしている。
なにせ、6kgから3.3kgまで痩せたんだからね。
少しずつ、少しずつ回復すればいいんだから。



まみちゃん、お得意のポーズ。



実家で1泊、まみちゃんと過ごし、日曜日の今日、お昼を食べて、実家とまみちゃんにおいとまする。

仕事場に向かい、13:00から夕方まで仕事。
夕方、一旦家に帰り、それから、選挙に行った。



食材を買って、大雨の中帰って一息つくと、19:00.

疲れた週末でしたが、まみちゃんに会って、ほっとしました。
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細野晴臣&小坂忠   「ありがとう」'71

2009-08-27 09:57:39 | 音楽帳


ありがとう 君のきまぐれにありがとう
ありがとう 君のでたらめにありがとう
お世辞も皮肉のことばにも ただどうもどうも
口から出ることば ただありがとうだけ

どうです 僕は大地のように
かかわるすべてを 受けいれるふり
だんだん馬鹿になってゆくのです・・・

***

細野さんの作詞・作曲の「ありがとう」。
当時は、小坂忠さんが歌っていましたが、それを、60歳の還暦の記念ツアー「細野晴臣と東京ワールドシャイネス」で全国を回ったときに、細野さんと小坂さんが一緒に歌った映像です。

実は、僕は、小坂さんには悪いですが、細野さん自身が歌っているバージョンが大好きで、よく聴きます。
細野さんは、世界で1番細野さんのカバーを歌っていると、自分でよく言っている矢野顕子さん曰く、
「みんなが持っている、ささいな心の種のようなもの、でもそれはついつい日々の中でまぎれて忘れてしまいがちなもの、そのささいだけど大事なことを歌にしている。だから、細野さんの曲ってかわいいんだよね。いとおしいというか。」

***

初めて幸宏の家に遊びに来たとき、雨の中自転車飛ばして、「僕、遊びにきちゃった。」と家の前にぼうっと立っていた細野さんの姿、YMOを創ろうと教授と幸宏を自宅に招いて、こたつで3人でおにぎりを食べて、YMOでアメリカで100万枚レコードをヒットさせる夢を語ったという細野さんの姿、どれもが、細野さんの人間味ある「味」を出していて、本当に、細野さんの朴訥な姿が、等身大で音楽に反映していて、この頃の曲は、どの曲も本当に「かわいらしく」いとおしいです。

***

僕からすれば、まみちゃんを助けてくれた多く人や生き物や見えない何かのチカラに、「ありがとう」と言いたい気持ちです。
そんな多くのチカラに、この素敵な曲を捧げます。
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新しい朝

2009-08-26 00:18:33 | 写真日和


昨夜は、疲れで気持ち悪かったのもあって、お酒は一滴も呑まず、電気を消して、0:40横になったのだけれども、なんだか興奮していてなかなか寝付け無かった。
まみちゃんが、良くなった喜びはあるものの、なんだかこの状態も不安定な気もして、気持ちが高ぶって眠れなかった。

朝も5:00に起きてしまい、応援をしてくれたriverさんやくもおさんやうつこさんやねこもりやさんやクロケットさんに早く伝えたくて、夜明けのブログ更新になった。
動物病院で柵ごしに携帯で撮った写真。

久々に見たまみちゃんの命と優しさのこもったくりくりお目め。
命というものの不思議さ・・・・・。

***

ブログを書き終えると、風呂を沸かして入り、寝坊助の自分だというのに、7:20に家を出た。
涼しい陽気でありながらも、公園を通ると、太陽がまぶしかった。
こんなに早くの時間にゆっくりと仕事場に向かうのも珍しく、朝が生来嫌いな自分だというのに、すがすがしさを覚えた朝だった。

***

しかし、まあ、仕事場に行けば、仕事の渦、1日中、胃が痛くて、胃薬を呑みながら、あまりたばこも吸わずに、1人もくもくと22:30まで仕事をした。
今週は、いくなみも山があって大変だが、徹夜してでも乗り越えなければいけないのだ。

でも、今週末には、まみちゃんに会いに行かなきゃいけないし・・・・。

*******

riverさん・くもおさん・うつこさん・ねこもりやさん・クロケットさん

本当に応援ありがとう。
そして、まみちゃんをみんな「愛してくれて」ありがとう。
これからも、まみちゃんを見守ってください。


riverさん・うつこさん

本当に心のこもったコメント、胸に来ました。
これからもよろしくお願いします。
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いのちのともしびに、ポッと灯がついた。

2009-08-25 06:31:58 | 写真日和
8月17日(月)に初めて動物病院に、まみちゃんに会いに行った際には、白血球も1/3で、エイズにもかかり、腎臓も悪く、目は開いていても、声をかけても・頭や体をさすったり・手を握ってあげても冷たくて反応が無く、正直、植物状態でショックでした。

正直、僕の頭の中には、「死」に向かっている姿としか捉えようの無い、目の前の「現実」でした。

8月19日(水)2度目の面会。
夜、仕事を早期に切り上げて、この日はお袋さんは抜きで、1人で、まみちゃんに会いに行きました。
タクシーに乗るお金がもったいなかったので、駅から15分、汗だくになって動物病院に行きました。

まみちゃんに変化が現れました。
全く動かないで唖然とした2日前と違って、まみちゃんは、よろよろになりながらも、寝返りを打ったり、手で目を掻くしぐさをしたりしました。

センセイに、「2日前には、全く動かなかったのに、今日は動いていますね」と嬉しそうに話しかけると、今日は調子が良いのか、点滴がからまる位によく動いていますよ。といわれた。

でも、それは点滴に糖分が入っていて、血糖値を上げるようにしているからだと言う。
クスリの補助あってのまみちゃんで、動くのが見れてうれしかったが、顔を見ると、しんどそうなのは変わらなかった。
ご飯は全然口にしてくれないと言う。

このままでは、衰弱していくしかないんだろうが、おなかや頭を触ったら、今日は、暖かかった。
こないだは、凄くカラダが冷たかったけど、心臓の鼓動もドックドックしているし、生命力を多少取り戻しているような気がした。

しかも、「まみちゃん」と声を掛けると、いつものように、尻尾で合図を送ってくれたのだ。「ハイ、わかっているよ」という具合に、反応してくれた。

一進一退が続くのだろうが、少し状態がよくなって安心した。

正直、でもしんどそうなのは、ブログには乗せなかったけど、現実は、こんな状況だった。この時点でも、医療措置あってのまみちゃんの状態維持だった。



8月24日(月)3度目の面会。
20:15何とか打ち合わせ切り上げ(いつも一緒に仕事をしている尊敬する先輩2人と打ち合わせしていたのですが、「・・・・恥ずかしいのですが、うちの猫が病気で死にそうなので」と説明して/2人は「それならそれで、すぐ行ってやれ」と言ってくれて)、茅場町から電車に乗って、竹ノ塚に向かいました。

お袋さんとは、駅で8:30の待ち合わせしましたが、「少し遅れる」と連絡して。
今日は、日曜日仕事出来なかった分、しんどい1日で、なおかつ、仕事を残してしまったけど。
お袋さんの話では、今日、まみちゃんが歩いたり、食事を食べたりし出したそうです。
後は、退院して、ホスピスのような状態になりますが、帰る事も可能なようです。

(お袋さんと2人で電話で話した際には、本当かねえ~、とか、出てもすぐ病院戻りじゃ意味無いしね、とか話していました。)

***

自分は、何とか面会に行くために必死に仕事を、ネジ巻いてし過ぎてしまったせいで、電車に乗ったとたん、気持ち悪くなり、変な汗=冷や汗が止まらなくなり、汗を大きなタオルで拭き続けました。
正直、体がしんどかった。

***

駅で、お袋さんと会い、苦しいので、お茶を買ってクスリを飲んだ上で、タクシーで動物病院に行きました。

すぐ、2階の収容場所に通され、まみちゃんに会いました。
そして、驚いてしまいました。
自分には「奇跡」としか思えませんでした。

目も足もしっかりとして、鳴いて外に出たがる位に元気になっているのです!
扉を開けると、「ニャーニャー」鳴いて、頭を自分にぶつけてきて「なでて なでて」というので、ノドと頭をなでてあげましたが、その力の強さ!

もう、点滴も外して、自分でおしっこしたり、水を飲んだり、ご飯を食べたそうです。

・・・そうはいえども、まみちゃんは白血病とエイズに感染しています。
「本当に、退院しても良いのでしょうか?
また、退院したら、どんな過ごし方をしたら良いんでしょうか?」
と女医さんに伺いました。

先生の話では、「キャリア」がイコール=死ではないとの事です。
「キャリア」は、免疫力が弱くなっているので、そこに風邪を引いたり、肺炎を併発したりして死に至ることはあっても、「キャリア」だけで死ぬことは無いそうです。

最初会った際の状態は、今言うと「死」を覚悟しましたが、入院して点滴・インターフェロンなどの効果が出たのか、また、本人の頑張った生きる力もあってか、本当に今日の変わり様には驚きました。

***

明日(25日)には、退院出来そうですが、抵抗力が弱っていますし、一進一退を繰り返すかもしれません。

実家の馬鹿親父は、最初「早く安楽死を・・・」というコトバを吐いた「冷酷悪魔」なので、「お願いだから、優しく接してあげてください。」とだけメールしました。
(昔から親父は大嫌いなのですが、最近歳を取って丸くなって、多少はニンゲンらしくなったと思っていましたが、大間違えでした。
それが、今回わかりました。
お袋さんの面倒は見ても、この親父は、死んだらお骨を燃えないゴミの日に出してやろうと思います。)

本当は、自分が、自分の家で飼え、と言われても仕方がありませんが、それが出来ないので、休みには会いに行くようにします。
お金はかかっても、まみちゃんは、僕らの家族。お袋さんと自分で、最期まで看取ってあげようと固い約束をしました。



★写真を見て下さい。
目が生きているでしょ。
いつもの目がくりくりした、まみちゃんの穏やかな幼い顔に戻りました。

血が通った奇跡の生還です。
「よく頑張ったね、まみちゃん。」
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高橋幸宏  「サハヴァ」'78

2009-08-22 12:20:30 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


1979~1980年、まさに、「YMOイヤー」であった1980年、少年だった自分はYMOに衝撃を受けて・・・それ以来、30年近く、YMOと3人に夢中で走って来たが、「YMOイヤー」であった1980年の夏(8月)に、NHK-FMの夏のスペシャルとして「サウンド・オブ・ポップス」で、YMOの特集があった。
それをダビングして編集したカセット・テープは、今でも自分の宝物だが、月曜日~金曜日までの5日間に、YMOの曲の日、そして3人それぞれにスポットを当てた日、そして、YMOファミリーのプロデュース集と広範囲の曲がかかった。

その特集では、3人とともに、聞き手をしたのが、これまた時の人=糸井重里だった。

***

このとき、初めて聴いたのが、幸宏(当時はユキヒロという名義でしたが)の1978年のファースト・ソロ・アルバム「Saravah!」からの、このテーマ曲「サハヴァ」、それに「サンセット」という曲だった。



僕は、当時、この編集テープを毎日のように聴いて、毎日、夢のような世界に行くことが出来た。

このアルバムでは既に、細野さんがベースを、そして、トータルにストリングスや編曲を行ったのが坂本龍一だった。
全編に渡って、幸宏が惹かれてきたヨーロピアンなダンディズム、ロマンティシズムが全開のアルバムであったが、それも坂本龍一の持つロマンティシズムとの融合で開花した世界だったのかもしれない。

当時を振り返って細野さんは、「教授も自分もアメリカ志向に向いている中、YMOにユーロピアンな感覚を持ち込んだのは幸宏だった」とも言っていた。

***

当時、中学校の間では、とにかくユキヒロが一番人気があった。
今までに無いスタイリッシュで汗を感じさせないクールな幸宏のドラムのかっこよさにみんな憧れ、感化され、授業中にエンピツでドラムをトンツクトンツクやっている子が多く居た。

***

しかし、何度聴いても、この「サハヴァ」という曲は、この切ない感じ、ロマンティシズムにひたってしまい、永遠の名曲だなと想う。
歌い方が少し口ごもって、ノドで声を出す感じは、細野さんの影響だったと、幸宏は、ある番組で語っていた。

その後、何十枚もソロ・アルバムを出しているし、素晴らしいアルバムや曲も多いが、自分が幸宏の曲で選曲をするならば、この曲は(歌詞の美しさも含めて)絶対に外すことの出来ない1曲だと思う。

***

どうも、まみちゃんのせいもあるが、このところ、こういった切ない曲ばかり聴いている気がする。

***

<歌詞>

Saravah! 甘い日々
カドリール 青い天使
いつかまた どこかで会おう

So Long 淡い風 心にかかる夢よ
いつかまた おまえと会おう

今 限りない 記憶をたどる
酔いしれ ピエロみたいに

時はいつまでも 同じリスムで
過ぎ去る 歌をかなでる


Saravah! 甘い夜
最後の グラスを 飲もう
もうすぐに・・・ 夜が明けるから


作詞:高橋ユキヒロ
作曲:高橋ユキヒロ
編曲:坂本龍一・高橋ユキヒロ



■アルバム「Saravah!」
produced   by 高橋ユキヒロ
co-produced by 坂本龍一
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二度目の面会

2009-08-21 03:45:23 | 写真日和


8月19日(水)
夜、仕事を早期に切り上げて、今回は1人で、まみちゃんに会いに行った。

とはいえ、竹ノ塚から歩いて15分。
動物病院についたのは、20:30を回っていた。
緊急外来のネコちゃんの手当てがあるということで、21:00過ぎまで、ロビーで待っていた。
ロビーには、生まれて数ヶ月の子ネコたちが、里親を探して、小屋の中に居て、やんちゃにケンカしたり遊んだりしていた。

まみちゃんも昔はこんなに小さくて、よく遊んだな、と思った。
待っている間、子ネコたちと遊んだ。

***

21:10 まみちゃんたちが入る、フロアーに通され、カギを外してもらい、面会した。
2日前との変化があった。

全く動かないで唖然とした、2日前と違って、まみちゃんは、よろよろになりながらも、寝返りを打ったり、手で目を掻くしぐさをしたりした。

センセイに、「2日前には、全く動かなかったのに、今日は動いていますね」と嬉しそうに話しかけると、今日は調子が良いのか、点滴がからまる位によく動いていますよ。といわれた。

でも、それは点滴に糖分が入っていて、血糖値を上げるようにしているからだと言う。

***

次第に、寝返り打って奥の方に背中向けて寝初めてしまった。
女医のセンセイは、気を利かせてくれたのはいいが、「ほら~っ、まみちゃん。お父さん来たんだよ。向こう向いちゃだめでしょ。」とこっちにひっくり返して顔を見せてくれた。

*自分は40過ぎの親父だからだろうが、「お父さん」と思われているのか、と微笑・・・。

今日は、動くのが見れてうれしかったが、顔を見ると、しんどそうなのは変わらなかった。
ご飯は全然口にしてくれないと言う。

このままでは、衰弱していくしかないんだろうが、おなかや頭を触ったら、今日は、暖かかった。
こないだは、凄くカラダが冷たかったけど、心臓の鼓動もドックドックしているし、生命力を多少取り戻しているような気がした。

しかも、「まみちゃん」と声を掛けると、いつものように、尻尾で合図を送ってくれたのだ。
「ハイ・ハイ」という具合に、反応してくれた。

一進一退が続くのだろうが、少し状態がよくなって安心した。

***

動物病院を出て、また15分うろうろと駅まで歩き、浅草行きの東武線に乗ると、誰も居ない始発の各駅停車だった。

誰も居ない車内で、ぼうっと考え事をしていた。
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ムーンライダーズ 「くれない埠頭」'82

2009-08-20 05:19:35 | 詩、セリフ・・・そして、コトバ


ふきっさらしの 夕陽のドックに
海はつながれて 風を見ている

行くあてもない 土曜のドライバー
夢を見た日から きょうまで走った

SITTING ON THE HIGHWAY
CITY ON THE HIGHWAY
いつかは雨に打たれるさ
SITTING ON THE HIGHWAY
CITY ON THE HIGHWAY
誰かを待ち続けて





ふきっさらしの 夕陽のドックに
海はつながれて 風を見ている

残したものも 残ったものも
なにもないはずだ 夏は終わった

SITTING ON THE HIGHWAY
CITY ON THE HIGHWAY
いつかは雨に打たれるさ
SITTING ON THE HIGHWAY
CITY ON THE HIGHWAY
誰かを待ち続けて


ふきっさらしの 夕陽のドックに
海はつながれて 風を見ている

行くあてもない 土曜のドライバー
夢を見た日から きょうまで走った

残したものも 残ったものも
なにもないはずだ 夏は終わった


ふきっさらしの 夕陽のドックに
海はつながれて 風を見ている

行くあてもない 土曜のドライバー
夢を見た日から きょうまで走った

残したものも 残ったものも
なにもないはずだ 夏は終わった


ふきっさらしの 夕陽のドックに
海はつながれて 風を見ている

行くあてもない 土曜のドライバー
夢を見た日から きょうまで走った

残したものも 残ったものも
なにもないはずだ 夏は終わった




1982作「青空百景」より
作詞:鈴木博文
作曲:鈴木博文
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David Sylvian  & 坂本龍一  「体内回帰」'92

2009-08-18 22:30:45 | 音楽帳


8月17日(月)
昨夜、お袋さんと竹ノ塚駅で待ち合わせして、まみちゃんの入院している動物病院に、お見舞いに行った。

若いお医者さんの説明には、絶句した。
白血球は普通のネコの1/3になっていること。
腎臓が、かなりひどい状態であること。
エイズ検査にも陽性、つまりエイズであること。

インターフェロンやいろんなクスリを投与して、その後の採血で状況を見ているが、ほとんど改善は見られないこと。

***

会ったまみちゃんは、6kg近い体重が既に、3.4kgになっているものの、目が空いているので、「まみちゃん」と何度も声を掛けて、手を握ったり、頭や体をさすってあげたのだけれど、全く反応してくれなかった。
いつもは、調子悪くても、「大丈夫だよ」と尻尾を軽く「ピピ」と動かすのだけれど、それすら無い状態。
悪く言ってしまえば、脳死状態のように。。。。

でも、目の周りの潤滑剤はちょっとだけ動いていて、生命感を感じさせてはくれたが。

お袋さんと2人で約束したのは、いくらかかるかわからないけど、最後まで看取ってあげよう、ということだった。

***

竹ノ塚駅前にはロクな店が無く、仕方なく不味い寿司屋に入り、寿司とビールをやった。
絶望的な感じで、酔いながら、駅でお袋さんと別れた。

22:30頃帰宅したが、知り合いと電話した後、ラジオも灯も付けっ放しで寝てしまった・・・。

起きると、夜中の2時。

灯を消し、改めて寝直した。

8月18日(火)
朝、7:30に起きるのは辛かったが、起きてシャワーを浴びて家を出た。
涼しい朝だった。

まみちゃんは、ずっと苦しい状態で病気に耐えているんだから、自分も耐えなければ。
そんな気持ちで、仕事場に向かう。

***

20:20 仕事場をふらっと出る、あいさつもせずに。

家に向かって帰る。
ただ、呆然と。

不思議な気分だが、まみちゃんが間も無くこの世から天空に舞い上がる事を想うと、おちついた気分で、「仕事なんてどうでもいい」という気になる。

生死のとおとさを想うと、大抵の事が馬鹿らしく見えてくる。

電車に乗って騒いでいるババアやジシイの顔の汚さが、ほんとに馬鹿そのものに見えてくる。

21:30帰宅
夕ご飯を撮り、ビールを痛飲する。

まみちゃんが亡くなったら、自分がお骨を引き取ろうと思う。
お袋さんは「そういうのは、魂の執着が離れないから、ちゃんと共同墓地に入れないといけない」とはいうが、自分のそばに、置いておきたいと思っている。
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矢野顕子&坂本龍一 「わたしのニャンコ」'83

2009-08-16 22:47:45 | 音楽帳


今日、恐る恐る実家に電話したら、まみちゃんが、もうあと数日で危ないとのこと(;_;)
ショックだった。

血は白血球が少なくて、腎臓も悪くて、貧血で、かなり悪い状態でいたらしい。

夜中帰らずに居たのも、死に場所を探していたのかもしれないらしい。

元から、最近元気なかったのは、余程カラダがしんどかったのだろうね。
悲しいが、出来るだけ苦しまずに、往生してくれるのを祈るしかない・・・。

とりあえず、22:00までは面会出来るらしいので、明日、仕事帰りに、実家のお袋と待ち合わせして、病院まで面会に行く。

まみちゃんは、1996年4月8日、コチャコのお尻の方から「ニュルー」って出てきたところから、13年付き合ってきた、自分の大事な相棒。
まみちゃんというこの人懐っこいネコに、どれだけ癒されてきたことだろう。



ありがとうのお礼も含めて、明日、病院に行く。
それまで生きていてくれ。
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かたちんばお盆休み徒然日記

2009-08-16 12:14:37 | 写真日和
8月14日(金曜日)
結局、自分は仕事に縛られた人間。

家の中で、音楽やラジオを聴いていても、何か密室に閉じ込められているようで、空しさに窒息しそうで、外に出ざるを得ない心境になる。
「お前が気になって休めないのは、やり残してどうにもならない仕事のせいだろ。」そういう声が聞こえてくる。



そういう声に立ち向かわねば、自分は、負けてしまう。
そして、いざ!歩いていく。

15:00過ぎの駅前。
駅のコンビニで滞納している水道代と固定資産税を払い込むと、あっという間に1万円が消えていく・・・・。

電車に乗ると、楽しそうな盆休みの家族たち。
自分は孤独だな、と思う瞬間である。



15:40~21:00まで、1人で仕事場で仕事。

***

仕事中、ケイタイに親父から電話。
何かと思ったら、まみちゃんが入院したとのこと。

9時過ぎ、草加の実家に電話して、お袋さんと話して、内容を聞くと、まみちゃんに、口内炎の薬を上げるのに、胸の毛がジャマで切り過ぎたらしく、外に出たまま帰って来ないので、夜家の回りを探したら、血だらけのまみちゃんがいたらしく、仕方なく24時間の動物病院に連れてったらしい。



キズは縫って収まったけど、口内炎が治らない・激ヤセしているのは腎臓が悪いらしく、お金はかかるが入院させたらしい。

電話から、まみちゃんがかなり弱っているのが伝わった。
いつもみたいに1日中だらだらでいいから、とにかくピー助(昔、飼っていたネコで、最後、腎臓の痛みで苦しんで、最後、安楽死を選んだ。自分は、大阪に当時居て、電話のこちらで泣いた記憶がある。)のように苦しまずに、より長く生きて欲しいと願うだけです・・・・。


8月15日(土曜日)
永六輔さんと外山恵理ちゃんの「土曜ワイド ラジオTOKYO」をかけながら、うとうとしていた。
最近は、睡眠薬を飲んでもなかなか深く眠れなくなった。

実は、一度10:30にMZ師に起こされたのだが、頭が痛くて、寝た気がしないので、それから薬を飲んでうとうとしていた。

「はっ( ̄○ ̄;)」と時計を見ると11:50。
重いカラダで起き、コカコーラを飲み干し・薬を飲み・たばこを1本吸い、Tシャツを大竹伸朗の「別海」に着替えて、おしっこをし、鏡の前で自分を見るが、ただでさえ無い髪が寝てたせいでぺしゃんこだ。



「まあ、髪が無いもんは無いんだから、しゃあない」と諦めて、家を出ると12:05!
「やばい~(*_*)」と、急ぎ足で駅に向かう。
今日は、晴天、炎天下の下、公園の樹々の下を蝉時雨の鳴き声を聞きながら、高速で通過、最後は駆け足になって、何とか0:12発の電車に乗れた。

しんどくて、ゼーゼー言いながら、クーラーの効く電車の中へ。
東向島-浅草-上野-秋葉原ときて12:45。

秋葉原から御茶の水まで汗だくで歩く。



***

13:00待ち合わせの御茶の水でMZ師・ハブ噛み師匠と、3人で会う。
なんと、実は3人で会うのは、今年は初めてという不思議な事実。
まあ、3人ともそれぞれ忙しくて会えなかった訳だ。

大好きな御茶ノ水に来るのも久しぶりだが、かなり店が変わっていた。

とにかく暑いので、店を探すのも面倒で、駅前の日高屋にて昼食。
自分は、野菜炒めの定食を食べる。

そこから駿河台を降り、靖国通りを歩き、靖国神社へお参りをする。
汗だくになって、行列に並び、靖国神社の本堂へ向かい、2礼2拍1礼。

ここに祭られた、犠牲になった数多の英霊達のお蔭で、自分はこの日本に居られるのである。
多くの英霊の魂たちに、礼をする。



お参りを済ますと、靖国神社の外に出て、ミニ・ストップで、缶ビール500mlを買い、店内で飲んで、しばらく涼む。



その後、再び、靖国通りを神保町の方に戻り、小川町を通過、秋葉原を通り、仲御徒町まで一気に歩く。

さすがにしんどくて、ヴェローチェでアイスコーヒーを飲み、一服。



夜の仕事があるというMZ師と別れ、ハブ噛み師匠と2人で、今度は、御徒町から浅草まで夜道を歩き抜く。

***

電車で東向島まで帰り、ハブ噛み師匠と家で2人で夕ご飯を食べることにした。
TVは、安住さんとたけしの番組をやるのを期待していたのだが、世界陸上とやらで、やらないので、がっかり。
冷やしうどんを作り、2人で食べて、ハブ噛み師匠は23時過ぎに帰っていく。
自分も、月曜日からの元の生活に戻すために、12時前に、睡眠薬を飲んで寝る。
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