こころとからだがかたちんば

YMOエイジに愛を込めて。

夏に向かう日々と100曲:サム・スモール・ホープ

2024-09-26 23:40:00 | 音楽帳

7月頭から始まった酷暑は、果たして「夏」と呼ぶべきか?
異常な暑さの日々はこれでやっと一件落着になるのだろうか?
そんな疑問。

9月22日(日・秋分の日)最高28.9 最低22.5°C
9月23日(月・祝)最高27.7 最低19.7°C
9月24日(火)最高25.3 最低17.7°C
9月25日(水)最高23.7 最低17.9°C
9月26日(木)最高29.1 最低19.4°C

23日、やっと秋らしい空気とさわやかな風を感じる日をむかえた。翌24、25日はさらに気温下降が進んで、むしろ肌寒いくらいの陽気。
この約3か月間、外に出るときは(ハダカというわけにいかず)Tシャツが精一杯だったが、この日はさすがにその上に一枚羽織って外に出た。

***

備忘録。夏を振り返れば。。。

6月。夜ヨコになるとノドの痒み・セキ・鼻水が止まらない日々。そんなことが1か月以上続いた。それを副鼻腔炎の一症状と家人と自分に言い聞かせてごまかしてきた。しかし、その1か月超の不調の原因が「肺炎」と確定したのが7月4日。真っ白になった肺のレントゲン写真に驚愕。
そんな診察日は35°の猛暑。。。それなのに、病院帰り 乃木坂、赤坂、溜池、、と長さんぽした。家の者からは「貴方は死にたいのか?クレイジー」とバカ扱いされた。でも、と言い訳したいのは「ひどい酷暑なのに歩きたいくらいに美しい晴れだったのだ」。

「即入院レベルだよ」と医師に吐き捨てるように言われた肺炎。
その後治療の末、一週間後(スロースタートの)仕事を再開。だがその一週間の休養が中途半端だった為 すぐに肺炎を再発症。ノックアウトされてダウンしてしまった。そんな一進一退を繰り返しているうちに、今度はエアコンが壊れる事件が勃発。

そんな「ああだのこうだの」を言ってるうちに8月は終わってしまい、台風の騒ぎも超え、ほぼ立ち直るとすでに時は9月。
振り返ると、この7.8月の酷暑はもう別次元の概念の季節なのではないか?。
また、肺炎の原因の一つは明らかに暑さによる免疫力低下だったのではないか?。何かそんな気がする。

9月23日段階で、カラダ側はすでにスイッチが秋冬モードに切り替わっていて、手足の冷えが始まっていた。少し涼しかった夜半、Tシャツに肌がけもはいで寝てたからか?起きたら鼻声。ただでさえひどい副鼻腔炎の更なる悪化は未然に防がねばならない。
セコくセコく日々の細かい防御を積み上げて、体調を崩さないようにせねばまた入院レベルに逆戻りしてしまう。

もはや季節はついに夏ではなくなったが、過ぎゆく夏(&”秋よ、ようこそ”)への曲としては、相変わらず毎年の定番。
ヴァージニア・アストレイを今年も聴いている。秋冬の服を出し、来たるべき寒さに備え、衣替えするように。

「サム・スモール・ホープ」は、ヴァージニア・アストレイの中でも 特に美しい天上の一曲。
自分にとっていわばアイドルだった3人が共演するという奇跡が実現したナンバー。

この世がひたすら生き苦しく、世間の人々と歩調を合わせた暮らしが全くできない。どうしていつもこうなんだろうか?と思う自分にとって、たましいのありようが身近に感じられてならない3人。
輪廻転生の過去どこかで一緒に居たか、たぶんいつか会っていたに違いない。そのような気がしてならない。
そんなひそかな直感と3人それぞろへのシンパシーを抱いた中高生の時代から、約40数年。

音の合間から、高い秋の空が透き通って見える。
この気高さ。決してよごされることのない純潔。
この曲は自分にとっていつまでも大事な美しさを保っている。
確かな手応えが何一つないこの世で 数少ない大事なシェルター。聴いていると地上に視えない楽園が舞い降りる。



■Virginia Astley ・David Sylvian &  Ryuichi Sakamoto「Some Small Hope」1986■

満たされぬままに広がるあらゆる夢
私達の前を通り過ぎて行くあらゆる生き物
私の孤独な魂はささいな思いに悩む
けれど真心だけは純粋でいられる

何故毎日がこんなに気だるいのか
恐怖から逃れられる人はいないのか
そんな悲しい絶望感を抱かずにはいられない
たったひとつの小さな希望を持って

地球の奥深く眠る屍の様に私はひとりぼっち
やるせない想いに魂は打ち沈み
若芽の様に......
けれど私の人生はいつもこんなふう

すこやかな時間を過ごしていても
後悔の念が私を苦しめる
すると過去がすべて消えていく
はるか彼方へ

あなたは旅立ち
時は過ぎていく
友達でいられるわね
(私は)目を閉じて
彼方へと思いを馳せる

ほんのわずかな望みも
はるか彼方のもの

作曲:ヴァージニア・アストレイ&坂本龍一

ヴォーカル:ヴァージニア・アストレイ、デヴィッド・シルヴィアン
キーボード・プロデュース・アレンジ・ミックス:坂本龍一

”今度は今度、今は今”(映画「パーフェクト・デイズ」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏に向かう日々と100曲:坂本龍一「sweet revenge」1994

2024-09-15 23:30:00 | 音楽帳

9月14日(土)
外は晴れていた。気温は34℃くらいまで上昇。
私は、家のやむない雑用にひきづられ、室内にとどまっていた。

秋めいてきた。と思った9月5日の心地良い陽気はあっという間に吹っ飛んでしまった。
急カーブを描いて、その後また夏の暑さがぶり返してきた。
もう9月半ばになろうというのに毎日35度近くまで上昇してきている。

季節感が狂ってしまっているので、「夏」ということばの概念をどこまで拡大解釈するか?
の世界になっている。

***

家にいて家人の雑用にひきづられ室内に幽閉されていると、容易に解決しない些細な雑事にうんざりしてしまう。
やっぱり自分は一人でいるのが本性なのか?今日も次第に閉じ込められた世界に窒息しそうになる。
16時半 いろんな事情を振り切って、無理矢理 外へ脱出する。

「急がねば」とはやる心は、この時期の日の沈む速度のはやさをカラダが知っているからだ。
14日の日没は17時49分。もう日没時間は18時をとうに切っており、15時も過ぎたあたりから陽には赤味が差し出す頃。

外の空気は吸いたいが、遠くには行けない。
遠くへの旅はあきらめ、川のある高台で夕暮れを観よう。。。と橋に向かった。

***

チャリンコで走るさなかのおともは「sweet revenge」。
ひさびさにCDを取り出し、i-tunesに入れたアルバムを この一週間ずっと走る中 聴いていた。

高速で走り交うクルマ。誰も止まることのない、そんな橋の真ん中。風がぼーぼーと吹く。
その風の中に一人佇み、サンセット /  数十分の空のショーを観て味わう。

夕陽を一人で観る時間。

アルバム「sweet revenge」が流れていた1994年、自分はawayな異国・大阪で必死に暮らしていた。
そんな「あの頃」のできごとや、彼女の姿、その頃の自分と教授のありようなど、そんなこともよぎりながら。
空が静かな夜に向かっていく。

■坂本龍一「Water's Edge(君と僕と彼女のこと)」1994■

彼女は約束をした 夏が来たら暮らすことを
僕は仕事を変えた かせぐために
昼も夜も働き
君には打ち明けたはずだと 信じ続けていた

寒い朝 突然に彼女は消えた
ぼくたちはもう何もさがさないだろう
それぞれに街を去り 会うのをやめた
三人の週末は色を無くす

彼女はいつもの通り その日のすべてを話した
君に会っていたことも 知っていた
僕はできた奴じゃない
君を殴りとばし 友情を笑えばよかったのか

ぼくたちは十年後 あの頃のように
波をうけ風を切り 海原を行く
それぞれの新しい家族をむかえ
輝いた航跡を 振り返らない

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夏に向かう日々と100曲:Lotus Eaters「No Sense of Sin」1984

2024-09-09 11:50:00 | 音楽帳

9月5日(木)

朝一番、育たないゴーヤの水やりに外に出ると、信じられないくらいに涼しい陽気。

こないだまでの人間離れした狂った陽気はどこかに去っている。

空は美しい青をしている。秋の気配がする。

 

部屋に戻ってネコたちに朝ごはん。

そして、洗濯開始→外干し。。

やっと湿気が消えた空にTシャツがなびく。

今日は通り雨にまどわされずに過ごせそうな予感。

 

11時ごろ外に出る。

自転車に乗り込み、リハビリに向かう。

昼に近づく空の下、ロータスイーターズを聴きながら走る。

 

毎年聴いているアルバムも、思えばあの十代から40年が経っている。

アルバムタイトル「青春のアルバム」は、原盤タイトル「No Sense of Sin」と違い、日本で勝手につけたもの。

「青春のアルバム」とは実にド直球だけど、確かにロータスイーターズには彼らだけに許された純粋無垢がある。

それは、小っ恥ずかしさを超えて輝いている。

 

キラキラとまるで三途の川のような風景に思えるデビュー曲。=「First Picture of You」。

夏のまぼろし。この曲が彼らとの初めての出会いだった。

隅田川を渡り、視界が広がった空の下。

音楽を聴いてチャリンコで走ると解放感に包まれる。

うっとうしい観光客等々に汚された浅草をくぐり抜け、違う街へと駆け抜けていく。

 

これでもかといくつも重なっていくロータスイーターズの青春歌を聴く。

50代後半・2024年の夏のおわりの風景。

 

昼に近づく時間。

空にはたくさんの雲が、湧いて浮かんでいる。

年を重ねたからといっても、未だこころの底では青春じみた幼い妄想が燃えている。

 

■Lotus Eaters「Out own Your Own」1984■

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする